8-2.月夜の神
胴を真っ二つに割られ、袈裟懸けに切られ、首を飛ばされ、馬に乗った侍達があっという間に物言わぬ肉塊になったかと思うと、男は跳躍し、次はカノン達に向かってきた。
既に剣を抜いていたカノンがなんとか反応し、その剣を受ける。しかしあまりの膂力に体ごと弾き飛ばされた。長兄の豹も鷹常に近寄らせまいと刀を構える。が、横凪に振られた男の大剣に、刀は折れ、腕が切られる。
末妹の虎は地面を蹴って男に刀を突きにいった。だがそれも簡単に弾き飛ばされ、虎は街道沿いの木に背中を強く打ち付けた。男の殺意がさらに他の者に向くかと思った瞬間、ふふと笑う声が聞こえた。
――かわいそうに。そいつらは巻き添えじゃないか――
それは周りの空間から聞こえてくるような声だった。みなその声の主がどこにいるのか見つけられず、大剣を持つ男が睨んでいる先に気づいてようやくその姿を認めた。
鈴を括り付けた裸足の足は地面についておらず、宙に浮かんでいる。白い着物に紺色の帯。肩まで流れる黒い髪に、端正な顔立ち。そしてその額の真ん中からは白い角が一本生えている。
「角付き……!?」
鷹常は自分と同じ角付きの存在を、見極めるように睨みつける。
「なんだ、貴様ら。わたしが見えるのか?」
その男の声はいつの間にか肉声になっていた。
「はて、どういう事だろう。修行者でもなさそうな人の目に映るなんて、ついぞなかった事だがな」
男は手足をぶらぶらと振ると、チリリィン、チリリィンと鈴が鳴る。
「あなたはもしや、月夜の神では……?」
ラオは男の半分透けている体を見ながら、思いつく男の正体を口にする。
「いかにも」
月夜の神が答えた瞬間、左頬に傷のある男は飛び上がり、月夜の神に大剣を振り下ろした。月夜の神はそれを避けるために体を反らせる。しかし本当は避ける必要などなかったはずだった。今生の物は神の体を傷つける事などない。
しかし月夜の神の額に剣先が僅かに掠る。着物の裾も切られた。
――何?――
月夜の神は驚いた表情を見せ、とんっと弾んで距離を取る。男は攻撃の手を緩めない。地面を蹴り、月夜の神に切りかかる。しかし今度の刃は届かない。月夜の神のいるはずの場所を切っているのだが、空を切るのと変わらずに月夜の神の体をすり抜けていく。
「くそが! さっきは届いたのになぜだ!?」
男は汚く言葉を吐き捨てる。月夜の神はとんとんとんっと数歩下がり、自分の額から流れる血を指で拭って舐めた。
――血の味など何百年ぶりだ……? おもしろい事が起きる兆しか? なあ、イースター――
月夜の神は森の中へ走り去っていく。イースターと呼ばれた頬に傷のある男もそれを追って姿を消した。
残されたカノン達はしばらく呆然と月夜の神と男が消えていった方向を見ていた。
「な、なんだったの、いったい……」
「行ってくれて助かった……あの男、とんでもない力の持ち主だった」
カノンは剣を納めながら、強い殺意から解放されて安堵した。
「兄者、虎、大丈夫か!?」
「わたしは打ち身程度……」
「おれも、この……程度……!」
豹は強がりを言うが、その顔は蒼白になっている。腕が千切れなかっただけ、いや、命があっただけマシだ、と豹は思った。それほどの力の差をあの男から感じた。
「なあ、ここから早く離れよう。あの侍達をやったのがわたし達だと思われたら面倒だ」
カノンは豹の応急手当てが終わったのを見計らって言った。ラオ達もそれに賛同する。カノンはうずくまって震えているけやきにも声をかけた。
「さあ、けやき様も……」
手を差し伸べたが、その手はバシッと払われた。そしてけやきは涙を浮かべた目で精一杯睨みつけてくる。
「人が死んだのを見て、なんとも思わないんですか……!」
カノンは思わぬ言葉を聞いて、一瞬呆気にとられた。そしてちょっとむっとして顔をしかめる。
「わたし達がやったわけじゃないじゃないですか」
「あの人達……放っていくんですか」
「そうするしかないでしょう」
「そんな……」
ラオが来てけやきの肩をぽんっと叩く。
「ここは関所からそう遠くはありません。誰かが役人に通報してくれるでしょう」
「そう……ですか」
けやきはようやく納得して、歩き始めたカノン達の後を歩いた。
「豹、あなたは国に戻りなさい」
鷹常は淡々とした声で言った。
「しかし……!」
「そのケガでモルゲン王国まで行くのは無理でしょう」
鷹常の声色は豹を心配して言っているのか、それともただ足手まといだと言っているのか分からない。豹は言葉に詰まって顔をしかめる。
「獅子、虎、あなた達も戻りなさい」
「な、なぜ!?」
「あなた達の常に周囲を警戒するその仕事ぶりは称賛に値します。でもこの旅では目立つのですよ。わたくしはもっと自然な旅人を演じたい。だから……」
鷹常はカノンの腕に自分の腕を絡めた。
「わたくしはこの人達と行く事にします」
「え!?」
鷹常の言葉には、豹、獅子、虎だけでなく、ラオ達も声を上げた。カノンも驚いて鷹常の長いまつ毛の下にある目を見る。そのきれいな顔はおよそ冗談など言いそうにない。
「ラオ、レイア、いいですね?」
「いえ、わたし達は……」
「もちろんこの件の報酬は用意させます」
ラオとレイアはカノンを見ながらおろおろしている。
「そういう事なら、わたしはいいぞ」
「いいんですか? マク様を待っているんじゃ……」
「マクの事ならおまえ達のおじいさんに頼んでおいたから大丈夫だ」
ラオとレイアは呆気にとられてカノンを見た。レイアは(カノン様、案外あっさりしてるのね)と思った。カノンは母親が死んでから、まだいくらも経っていない。だから残された家族である父親代わりのマクとの再会を切望しているのだと思っていた。だがそれを先延ばしにしていいと言う。
しかしレイアの考えは逆だった。カノンはまだ母親の死を完全には受け入れきれていない。だからかつての母のように、旅をする事で母のいない寂しさを埋めようとしているのだ。マクとはまた会える。マクがいないのは寂しいが、そう楽観的に捉えられているからこその意思でもあった。
「わたしも、母さんのように傭兵として生きたいんだ」
カノンがぽそっと呟いた台詞は、けやきだけが聞き留めていた。
第一章 月夜の神・終




