8-1.月夜の神
人が多いので、とりあえずレイア一人が関所の役人に近づいていく。
「十七歳くらいの女の子? それならさっき来たよ。ほら、向こうにいる」
関所の役人は関所の壁沿いにいる四人組を指差した。そこで別の役人と揉めていたのは、鷹常の馬廻衆だった。
「なぜだ!? 通行手形は持っている。通れないとは聞いてないぞ!」
「おれ達は国外の親戚のところへ行くだけなのです!」
馬廻衆の長兄の豹と次兄の獅子が、作り上げた理由を口にして役人に抗議している。役人は困ったような顔をしながら、「上からの命令なんだよ」と答えている。
「先日、伝書バトが飛んできてね。当面の間、二十歳以下の子供は通さずに待機させていろと通達があったんだ。だからあんたも通れないよ。あっちで待ってな」
レイアは「はい、わかりました」と素直に返事して、離れたところにいるカノン達にそのまま待っているように合図し、鷹常達の元へ近づいていく。
レイアは末妹の虎の後ろにいる鷹常にかけよった。
「ひなげし、今日はもう諦めて帰りましょう」
鷹常がごまかしている名を呼びながら、鷹常の腕に絡みつく。
「あ、山桜桃梅の……」
末妹の虎は思わずレイアの名を呼ぶ。まったく気が利かない、と、レイアは内心舌打つ。本当なら今は正体を隠しておきたかったところだ。馬廻衆は真面目で任務に忠実な分、融通が利かない。
レイアは豹、獅子を押しのけて、役人の前に立った。
「わたし達はもう帰りますので、今日のところは見逃してくれませんか」
「いや、そういうわけには」
「この人達の素性は山桜桃梅家が保証しますので……」
そう言いながらレイアは懐から金を取り出し、役人の手に握らせる。
「子供が小賢しいな。だがまあ、そういう事なら……」
役人は見てない内に早く行ってくれとでもいうように、明後日の方向に体を向けた。
「さ、行きましょう」
レイアは鷹常と馬廻衆の三人を押すようにしながら、その場を後にした。
「こんなにあっさりと解放されるとは」
次兄の獅子は、役人の気が変わって呼び止められないか気がかりのように後ろを見ている。
「関所の役人は賄賂に弱いものですよ」
レイアがそう言うと、長兄の豹は顔をしかめ、次兄の獅子と末妹の虎はそんなものかとある意味感心した表情を見せる。
カノン達と合流すると、けやきは鷹常に駆け寄り無事でよかったと声をかける。鷹常も僅かに顔を綻ばせた。
「でもこれからどうするのだ。関所を通らなくては国外に行けない」
「あそこから行きましょう」
レイアが山を指さすと、馬廻衆は驚く。
「本気か……!? 関所破りは磔の刑だぞ!?」
「ばれないように行きましょうよ。それに山は一角獣の縄張りですから、役人は入ってきませんよ」
「ばれても迷ったと言えばいいんですよ。よっぽどの事がなければ磔になんてされませんよ」
ラオとレイアが交互に答える。馬廻衆は信じられないというような顔を見せたが、他に良い案も出せず、渋々ラオ達に従う事になった。
チリリン
カノンと鷹常達は街はずれの山の麓まで来た。これから山に入っていこうという時、カノンはどこからか鈴の音を聞いた気がした。その時は気のせいかと思い、山の中に入っていくラオ達の後を黙って歩いた。
「あなた達はどこまでついてくるんですか」
「そうですね……関所を超えたあたりで戻りますよ」
末妹の虎の問いにラオが答えると、けやきは足元を見ていた顔を上げる。
「ぼくは……ついていってはダメでしょうか……姉上の側にいたいのです」
「それは……」
「ダメに決まっている。我々は鷹常様をお守りするので精一杯だ。余計な荷物は持てない」
長兄の豹はぴしゃっと言い放った。けやきは落ち込んで下を向く。
「いいでしょう、連れて行きましょう」
「鷹常様!」
先頭を歩いていた豹は足を止めて振り返る。鷹常はじっと豹を見る。
「命令です」
「……御意……」
豹は苦虫を噛み潰したような顔で返事をして、再び歩き出した。
チリリィン、チリリィン
「なあ、なんか鈴のなる音がしないか?」
「いえ、そんな音はしませんけど……」
さっきは気のせいだと思った音が、カノンにはまた聞こえた。しかし他のみんなは首を横に振る。
くすくすくす
今度は笑い声のようなものも響いた。どこから聞こえてくるのかは分からない。その声もみんな聞こえないと言った。
カノン達は山の中の抜け道を抜けて、森に囲まれた街道に出た。街道にはめずらしく人通りが少ない。
カノン達が鷹常達と別れて戻ろうとした時だった。馬に乗った侍達が走ってきて、カノン達と、鷹常達の前で止まった。周りを歩いていた人達は、関わり合いにならないようにそそくさと歩いていく。
「そこの娘達、弦の国の関所を超えてきたな? 我々と来てもらおうか」
侍は馬から下りずに横柄に言った。
「あなた方は何者ですか?」
「我々は新の国の役人である。弦の国の関所を越えてくる婦女子に用がある」
(新の国がここまで手を回しているなんて……)
(せっかく関所を超えてきたのに、意味ないじゃない)
ラオとレイアは忌々しそうに小声で呟く。
チリリィン チリリィン
「やっぱり聞こえる……」
「鈴の音……?」
今度の鈴の音は他の者にも聞こえたようで、みなカノン同様辺りを見回した。
――鬼さん、こちら。手の鳴る方へ――
「なんだ、この声は」
馬に乗った侍達も、きょろきょろと声の主を探そうとする。街道沿いの森の中から、鳥達がバササっと飛び立った。
――鬼さん、こちら――
人をからかうような陽気な男の声。チリリィンと音がして、カノン達のすぐ後方を白い影が軽い足取りで走っていく。
次の瞬間、カノンは考えるより早く剣を抜いた。異様な気配を放つ何者かが木々の間から飛び出し、カノン達の前に降り立った。それと同時に侍の乗っていた馬の首が飛ぶ。他の馬は恐怖にいななき、首を飛ばされた馬は侍を乗せたまま倒れこんだ。
「な、なんだ!?」
侍達は暴れる馬の上で叫ぶ。そして突如現れた何者かに目を見張った。
それは大剣を持った男だった。短い金髪の男で、左頬から顎にかけて傷がある。その男は明らかに怒気に包まれていた。
「月神ぃぃ……!!」
そう唸ると、その苛立ちを周りにぶつけるかのように、大剣で薙ぎ払った。