66-2.最後の言葉
カノンの元へリオンが一生懸命、ハイハイしてきていた。紫竹と紫野が慌てて追いかけてきている。
「どうした、リオン。服が汚れちゃうじゃないか」
カノンはひょいっとリオンを抱き上げ、リオンに頬ずりする。リオンは無邪気に笑う。
「……なんだ、そのガキは」
イースターはまだそこにいた。
「ん? ひ孫だよ、あんたの」
「……」
少し前までのイースターなら、そんな事、歯牙にもかけなかった。でもなぜか今、心がざわついてくる。
「おれはてめえのガキを殺したんだ」
「うん」
「おまえだって殺そうと思えば殺せる」
「うん」
「でもなんだ、そのガキは……! そんなガキが、なんだって言うんだ……!」
「新しい命だよ、じいさん」
カノンに抱かれたリオンが、イースターをじっと見つめている。
「あんたの血を継いだ子……嫌だけどな。あんたの命を繋いでいく子だ」
子供とは、孫とは、ひ孫とは。唯一、イースターに残ったもの。
イースターは不意に大剣をカノンの前に投げた。その大剣はカノンとリオンの前の地面に突き刺さる。
「それをやる」
イースターにそれ以上にあげられるものなんて、何もなかった。カノンの返事も待たず、そのまま背を向ける。そしてカノンから姿が見えなくなるまで歩き続けた。
イースターは歯ぎしりしていた。何かが零れそうな気がして、ひたすら奥歯を噛み締めていた。体が割れそうに痛む。庭園を出る事は叶わず、ただ木々の合間に来た時、とうとう立っていられなくて座り込んだ。
「おれは、なんて寂しい人間だったんだ」
残す物は何もない。残った物も何もない。家族……子供を抱いたカノンが何よりも幸せそうに見えた事、それに一瞬でも安らぎが見えた事、認めたくない。知りたくなかった。
「おれは、なんて……!」
イースターの最後の嘆きを拾ってくれる者は誰もいない。イースターはたった一人、誰にも看取られる事なく息絶えた。
それから数年が経った。カノンはカラオ国でギネスと共に暮らしている。紫竹と紫野もギネスが生きていた事を喜び、そのまま一緒に暮らしている。レイアも無事、双子の子供を産んでいた。
だがカノン達の生活は穏やか、とは言い難い。
「リオン様! 神殿に参りましょう!」
今日も城から使いが来て、三つになったリオンを誘っている。
「だからリオンは神子じゃないと……」
カノンは毎回同じ台詞を言うのだが、当然のように城の使いの者もクダイ王も聞き入れてくれない。
オステンド国で新天の神はリオンを神子と呼び、「本物の王が顕現する」と言う言葉をかけていた。それをクダイ王達は新天の神が意図していたものと違う意味に取り、リオンを次代の王として掲げようとしているのだ。
「弦の国……いや、今は月の国。その王、鷹常は皇帝を名乗り、世界統一を図ろうとしている」
鷹常は既に北の周辺国を制圧しているのだと言う。
「北の皇帝、鷹常。それに対抗するのは南の皇帝、リオン様しかいない!」
これがクダイ王達の主張だ。クダイ王は王でありながらも、神の神託があったリオンに頭を垂れる事を是としている。
カノンは正直うんざりだった。リオンの未来はリオンが決める。カノンはそう思っていた。
月国地方統一を果たし、月の国の皇帝となった鷹常の前にはたくさんの臣下達が並ぶ。その横には竜人達、そしてラガーナを筆頭とした魔人達が並ぶ。
「ラガーナ、わたくしはこの世界で魔人も差別されない世界を作る。協力してくれますね?」
「もちろんですわ、鷹常様。ぜひ協力させてください」
鷹常は全員に向き直り、声高く宣言する。
「月国統一は、世界統一のための足掛かりでしかない。世界から無用な争いを失くし、人種による差別を失くす。そのためにみな邁進せよ!」
「はっ!!!」
カノンはダイニングに座って、ぼーっとしていた。そこへレイアがお茶を淹れて持ってくる。
「また旅に出るつもりなの?」
レイアは鋭い。カノンが何も言わずとも、その心境を察したようだった。カノンは少し座り直してお茶を受け取り、そして答える。
「うん。リオンをこのまま神子という立場に縛りつけたくない」
座りかけたレイアだが、ふと気づいてもう一つお茶のカップを用意しだす。
「リオンに世界を見せて……そしてリオン自身で自分の未来を決めてほしい」
レイアはお茶を淹れたもう一つのカップを、カノンの隣に置いた。するとカノンの肩がぽんっと叩かれる。
「おれも賛成だ」
横ではギネスがにっと笑っていた。カノンは思わず表情をふっと崩す。
「寂しくなるわね。でも旅に出る理由はそれだけ?」
「やっぱりわかるのか」
やはりレイアは鋭くて、カノンはちょっと苦笑してしまう。カノンは少しだけギネスの顔を見てから、視線を落とす。
「鷹常を止めたい……っていうのは傲慢かな」
もう鷹常は簡単にカノンの手の届く存在じゃない。カノンの言葉を聞いてくれないどころか、そもそも会う事すら難しいかもしれない。だが今はまだ友好的な関係を保っているこのカラオ国との関係も悪化するような事になると、月の国の所属であるレイアの身も危ないかもしれない。
「わたしの事は心配しないでって言いたい所だけど、言えないわ。気にかけてちょうだい。わたしも危なくなりそうなら、この国を出るかも」
そう言ってから、レイアは「マク様も必要ならそうすると思うわ」と言った。
鷹常はかつて恋人だったシーアンという鬼人にいまだに想いを寄せている。カーリンはその事を知っていたが、シーアンの存在を鷹常から隠していた。それは鷹常に世界統一と言う夢を追わせ続けるためだ。伊春という少年の夢を鷹常に託している。
クダイ王はカノン達が旅に出ると言う話を聞くと、ひどく残念がった。ただ、リオンに世界を見せたいと言う言葉には賛成してくれた。クダイ王はいつかリオンがこの地に戻ってくると信じ、国力を上げていく心づもりらしい。
大陸の歴史がどこに動いていくのか、今はもう誰もわからない。
ただカノンの隣にはギネスがいる。そして小さなリオンの手を引いている。これからも新しい苦難が待ち受けるだろう。だが、その笑顔を、家族を守る事に喜びを見いだした者達の人生が幸福に満ちている事を、この伝記を書いたわたしは祈っている。
完
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