65-2.信念潰える時
「バ、バカな……!」
その台詞を言ったのは少なくとも三人いた。新天の神自身と、青空を映す神、そしてイースター。
曇天の神は獣人だ。その中でもひときわ鋭く太い爪を持ち、素手で剣に等しい攻撃力を持つ男だ。新天の神は普通の女性の身長ほどしかない女だ。その華奢な体は、曇天の神に貫かれたまま宙に浮いている。
曇天の神はくるっと振り向いた。
「イースターァ、これでおまえには何もなくなったなあ」
「あの野郎! あたしの役を取りやがって!」
青空を映す神は地団太踏んで、憤慨している。イースターは咆哮した。ひたすら咆哮した。段々泣き声にも聞こえてくるような咆哮がしばらく辺りを支配していた。
新天の神はごふっと血を吐いた。まだ曇天の神に持ち上げられたまま、必死で叫ぶ。
「イースター! その女を殺せ! 私の体がまた異層に戻れば、私は死なない! また何年かかっても、何百年かかっても、私は帝王の座に就く事ができる!」
「アハハハハハ!」
緊迫した雰囲気の中に、笑い声が響いた。笑ったのは神々でも、カノンやディアンダ、イースターでもない。その笑い声は鷹常のものだった。
「失礼。あまりにおかしくて、堪えきれなくなってしまいました」
鷹常はそう言いながら、まだ笑っている。みんなの注目が集まっているのを確認すると、鷹常はにまっと笑った。
「帝王になるのに何百年もかけるなんて、随分気の長いお話だと思いませんか? わたくしなら十年。十年でこの世界を支配して見せる」
鷹常の声はよく通る。その広い広間でみんなが気圧されていた。
「な、にを……」
新天の神は曇天の神の爪がそれ以上食い込まぬように、ひたすら曇天の神の腕を引き抜こうとしている。そんな新天の神を、曇天の神はゴミでも捨てるかのように投げ捨てる。
「神ですら成しえなかった事を、おまえがたった十年で?」
鷹常は前に出て叫んだ。
「わたくしはここに、世界大戦を提言する!」
「な、なんだと……!?」
残っていた人間達が動揺する。新天の神は地面に這いつくばったまま、なんとか顔を上げる。
「愚かな……世界を再び混沌の世に沈める気か……!」
「泰平の世には一番の近道です」
鷹常はまたにまっと笑う。かつて竜人の国では、血に逸る竜人達と対話で和解を進めていた鷹常とは違う。いや、カノンは知っている。鷹常はただ手段を選ばないだけなのだ。必要なら対話を、必要なら武力を。
「鷹常。わたしは反対だよ。剣を握っているわたしが言うのはおかしい事かもしれない。でも、戦争は反対だ」
西エルフの戦を見てきたカノンは思う。戦争は人に何ももたらさない。戦争は為政者の道具でしかないのだ。
「ええい! うざったいねえ! そんな話はヨソでやりな!」
「まあ同感だな。それは生きているおまえ達が決める事だ」
青空を映す神と曇天の神がそう言っている間にも、新天の神の命は尽きようとしていた。
「イースター、早く……早く、その女を殺せ。この世界を統べるのは私しかいないのだ……!」
泰平の世のため、新天の神の命を繋げる。それがイースターに残された道なのか。イースターは自問もしない。もう頭は考える事を放棄している。
「親父、やめろ!」
「しゃらくせえ! ディアンダァ!」
イースターの剣が霊体であるディアンダの体を切り刻み、ディアンダは霧散する。
「父さん!」
思わずカノンはそう叫んでいた。しかし消し飛んだかと思えたディアンダの声が聞こえる。
「ギネスを呼べ! もう一度、ギネスを!」
カノンにイースターの攻撃が降りかかる。一撃、一撃が重い。とても受けきれない。
「も、もうダメだ」
剣を弾かれたカノンは完全に防御が開いた。最後に祈るように叫んだ。
「ギネスー!!」
「呼んだか?」
ガインっと音がして、イースターの大剣を、ギネスの長剣が受けていた。もちろん死人などではない。生きている生身のギネスだ。
「嘘……ウソだ……」
瞬間的にカノンの目には涙が溢れていた。ギネスはにっと笑う。
「なんだ。おれを呼んでくれたんだろ?」
今は弦の国の所属となっているギネスを、鷹常達は当然知っている。ディアンダの魔法攻撃が止んだ事もあって、獅子やグラーンは気持ちが昂っていた。
「鷹常様、加勢してもよろしいか!?」
獅子とて一度はカノンと旅をした仲間だ。カノンの力になってやりたい気持ちがある。
「あの男はギネスに任せて、カノンを救出しなさい」
「承知!」
「おれも行くよ!」
獅子とグラーンが飛び出し、泣きじゃくって動けないカノンを抱え込む。
「助かる!」
ギネスはカノンが後ろにいるせいで、思い切り剣が振れなかったのだ。獅子とグラーンに連れていってもらえたおかげで、イースターとの打ち合いの音が、一層激しいものとなる。
「何が何だかわからないが、とりあえずは守ってやらないとな」
イースターを相手にするこの状況を、ギネスはわかっている訳ではない。だが今はカノンを守ってやらなければいけない時なのだ。そのために戦っている。
その後ろの方では、青空を映す神が這いつくばる新天の神に近づいていた。
「ハハハ、いい様だね、新天の神」
「あの女を殺せ……!」
「残念だけどさあ、あんたの命令に従うのはもう終わりさ。やっとこの時が来たんだから」
青空を映す神はくすんだ青色の髪を持った魔人だ。自身の愉悦のみを追い求めるその神は、慈悲なんて言葉は知らない。新天の神の傷を負っている腹部を痛めつけるように、背中を踏みつけた。
「ぐうああああ!」
新天の神の断末魔に、イースターが反応する。少し押されかけていたギネスはそのおかげで体勢を立て直す。
「泰平……の世……私が……作る……」
地面を舐めるように呟いた最後の言葉は、誰にも聞こえなかった。ただ青空を映す神の哄笑だけが響き渡る。
「おい」
「?」
青空を映す神が反応する前に、曇天の神は青空を映す神を地面に叩き潰した。
「おっと、力が入りすぎたか。悪いな。あんまりうるさかったもんでな」
青空を映す神は僅かに痙攣しているばかりで、もう動かない。曇天の神は息絶えている新天の神の前にしゃがんだ。
「人が人である力には勝てなかったなあ、新天の神。あ、殺したのはおれか」
曇天の神の首が、イースターの大剣によって飛ぶ。
「おっと、油断した」




