64-2.この世で最も醜悪なもの
「神殺しを行う男よ。その役目を果たせ」
イースターの顔から笑みが消えた。
夕闇の神を崇める西エルフの国々、そして月夜の神を崇める弦の国は、神の死にひどく動揺していた。しかしその中で弦の国の皇、鷹常は冷静だった。
「我が国の本質が変わる訳ではありません。神は神のまま」
月夜の神が言ったように、人々から信仰が消える訳ではないのだ。神は人の与り知らぬ所で、僅かに形を変えたに過ぎない。
西エルフの国々は動揺したまま、よく聞こえない位置で何やら口論し続けている。
イースターの戦いは空しいものだ。日輪の神は思う。日輪の神は手が翼になった翼人だ。
日輪の神は人知れず、血を滲ませていた。他にも打撲や火傷の痕もある。以前にディアンダと戦って負った傷だ。神のままならば、ゆっくりでも回復に向かっていた傷なのに、こうして現世に呼び戻されると、致命傷に近い傷である事がわかる。
本来なら、誰もこの世からずれた層にいる神に害する事はできないはずだった。だがディアンダも邪法の子。死んでなお、その姿を保ち、日輪の神に攻撃する事ができたのだ。
霊の姿が見えないカノンは気づいていないが、ディアンダはその横に佇み、日輪の神を睨んでいる。
星降る夜の神は黒い鱗を持った竜人だ。星降る夜の神は考えていた。
(八大神……余らの存在こそが空しいものだった)
星降る夜の神は知っている。自分が現世で再び生きるには、カノンという娘を利用すればいいのだ。彼女と子を成す。恐らくそれがこの世に還る方法。
(だがそんな事)
許される訳がない。竜人族の誇りのためと、信念を持っていた数百年前とは状況が違う。今の星降る夜の神はただ人に戻りたいだけなのだ。そのために人ならざる事をする。そんな矛盾を抱える事を実行しようと思えるほど、星降る夜の神は狂ってはいない。
しかし新天の神は違う。人の世のためという信念の為、この世の禁忌を犯す。その横暴さ、矛盾、傲慢、恐喝。全てを善とし、動いている。
イースターの手は震えていた。なぜか温かみを感じる新天の神の瞳。それに恋心にも近い執着を持って生きてきた。その瞳が期待している。新天の神以外の神を屠る事を。
気づけば、イースターは新天の神を背にし、他の神々に対峙していた。自分自身ではどうしてそうしてしまうのかわかっていない。そんな己に困惑し、苛立っている。
北エルフの信仰する朝焼けの神は、未来を予知する力を持っている。朝焼けの神は自身の最後を悟った。
「北エルフの子らよ。お別れの時が来たようだ」
「朝焼けの神よ! あの男は危険だ! おれがお守りします! こちらに!」
イースターの恐ろしさを知っているヤマが叫んでいる。キコらも口々に朝焼けの神を呼んだ。竜人達も星降る夜の神を呼んでいた。だが星降る夜の神は少し微笑んで見せた後、新天の神に向かって腰の剣を抜いた。
「新天の神、その野望、打ち砕くべし」
「なんだい、あたしが言いたかった台詞を」
青空を映す神が横の方で残念そうに舌打ちしている。
「野望だと?」
「他にどう言い表せばよい? 既に死人に近き存在の我らが、帝王を夢見るとはあまりに滑稽ではないか」
「要は時代遅れなんだよ、あんた」
青空を映す神が横から茶々を入れる。青空を映す神が「あんた」と言ったのはもちろん新天の神の事だ。新天の神は青空を映す神には一瞥もくれない。ただ淡々と言葉を紡ぐ。
「野望にあらず、夢にあらず。世界が王を求めている。ゆえにこの日がある」
邪法の娘を喰らい、この世に顕現する体を作る魔力を得る。そして邪法の力を継いだ子供を伴侶とし、新たな体を誕生させるのだ。その役を持つ者達が今、この場にいる。
その新天の神の言葉に、カノンは打ち震えていた。はっきり言って何を言っているのか理解できない。いや、理解したくない。だが一つだけわかった。新天の神はリオンを狙っている。伴侶とやらにしようとしている。カノンやリオンの意思などお構いなしに。
「神殺しを行う男よ。不要な者共を排除せよ」
新天の神は冷酷なのに、どうしてその声はこんなにも熱を帯びて聞こえるのだろう。イースターはその声に抗えぬ自分を「くそっ」と罵る。それを合図に星降る夜の神がイースターに勝負を挑んだ。
星降る夜の神も相当の使い手である事がわかる。だが大剣を軽々と操り、竜人に負けぬ膂力と俊敏な動きを持つイースターを追い詰める事はできない。
「星降る夜の神様!」
カノンも剣を握って、戦闘に割り込んでいた。
「ちいっ!」
イースターは舌打ちして、カノンの剣を弾くだけに留める。今、カノンがこの場にいるおかげで、神々が現世に呼ばれ、攻撃が届くようになっている事を知っているからだ。
「星降る夜の神よ! 我らも助太刀いたします!」
竜人達や、他の者達もカノンに続いて動き出そうとしたが、それには朝焼けの神が立ち塞がった。
「わたしに善はわからぬ。わたしはただ未来を見るのみ。ここまで来たのだ。新天の神が帝王になるこの日を待ち望んで」
「おれ達はどうすれば……!」
朝焼けの神がイースターの側についている事に気づいて、ヤマも他の者達も混乱した。
「わたしはわたしが死ぬこの日までの未来しかわからない。だから見届けよ」
ヤマ達はそこで立ち往生してしまったが、竜人達は止まらない。すると今度は青空を映す神が立ち塞がった。
「あ~あ~、邪魔するんじゃないよ。最高に面白い所じゃないか。新天の神が勝つか、邪法の娘が勝つか。それを見てみたいと思わないのかい?」
青空を映す神はどちらの味方なのかわからない。
「ちっ、うざいぜ、この女!」
イースターは殺せないカノンの攻撃にてこずっている。だが気を失わせればいいと気づいたのか、攻撃の仕方を変える。カノンをぶん殴ろうとした所で、星降る夜の神が叫んだ。
「竜の子らよ! さらば!」
星降る夜の神の攻撃が迫ってきた事で、イースターは標的を変え、星降る夜の神を斬り殺した。
「おまえも邪魔だぜ」
イースターは朝焼けの神も後ろから刺し殺す。イースターには敵も味方もない。興味のない者には、背後から攻撃する事も厭わない。
「卑怯者!」
「ごみくずめ!」
そんな声が響いたが、イースターは何も気にしなかった。




