62-2.半年の間に
ギネスはカーリンと共に、カラオ国と反対側の地である月国地方で戦っていた。記憶に霞がかかっているような状態のギネスだったが、戦い方は忘れていない。
「おれは何か大切なものを忘れているんじゃないのか……?」
そうは思っても、記憶ははっきりしない。だからカーリンに言われるまま、ただ戦いに身を投じていた。
半の国への強力な助っ人に、弦の国、すなわち鷹常は一時苦戦していたが、また優勢を取り戻してきていた。鷹常側には強力な戦闘員である竜人達が多く味方していたし、ディアンダの組織――今はラガーナの組織となった――の仲介で、西エルフからも豊富な軍需物資なども調達できていたからだ。
ただもはや月夜の神の血を引く天子も存在しない半の国を、簡単に叩き潰せていないのは理由があった。鷹常は半の国に参戦している鬼人を殺さずに捕らえよという命令を出していたからだ。
捕まったら酷い拷問の上、処刑されると噂の立っていた鬼人達は思った以上の抵抗を見せていた。
「滅びゆく鬼人族の存亡を賭けて、なんて言わないよ。ぼくはただ昔の友達の夢を追いたいだけさ」
カーリンがそんな本音を漏らしたのは、シーアンという鬼人の青年だ。カーリンはかつて世界統一という大きな夢を目指した伊春という少年の影を追っていた。
「あなたは王を目指しているのですか?」
シーアンは尋ねる。カーリンは首を横に振った。
「ぼくは王なんて器じゃない。正直この戦が終わらないのは、ぼく達に掲げるべき王がいないからだ」
「それなら……!」
途端にシーアンは感情を昂らせたように、カーリンに詰め寄ってきた。
「鷹常皇をおれ達の王にしませんか……!?」
カーリンは首を傾げる。
「ぼく達の敵を王に?」
「鷹常皇は決して鬼人を目の敵にはしていない。話せばわかってくれる人です……!」
カーリンは少し考え始めた。カーリンは伊春が死んだ原因となった秋草という女性を憎んでいた。秋草は既に亡くなっていたが、その恨みを秋草の娘の鷹常へ向けてきた。だが考えてみれば、それはカーリンの一方的な感情なのだ。実際、鷹常皇自身にそこまでの憎悪がある訳ではない。
「君は鷹常皇の何なの?」
カーリンの疑問にシーアンは言葉を詰まらせた。シーアンはかつての鷹常の隠れた恋人だった。鷹常が自分の庭と呼ぶ山中の池で密会していた。
出会いはシーアンが里の修行中にほとんど動けない程のケガをして、鷹常の庭に迷い込んだ事だった。鷹常は鬼人であるシーアンを、誰にも見つからないように護衛の者すら遠ざけ手当てした。
鷹常にとって最初は、傷ついた動物を労わる程度の気持ちであったのかもしれない。だが何日にもわたって、警戒するシーアンの心を開こうとした事は、鷹常自身の心も開く事だった。
自身の感情を殺し、愛憎振り回す事なかれと教育されてきた鷹常にとって、シーアンは唯一、生のままの愛情を表現できる相手となった。それゆえにシーアンが鷹常に惹かれてやまなくなっていたように、鷹常もシーアンを愛するようになっていたのだ。
「でもおれはもう鷹常皇には会えない……!」
シーアンは辛そうに顔をしかめる。鷹常が以前弦の国を離れた時から五年近く経つ。シーアンはもう既に同じ鬼人の娘と結婚していた。いや、それでなくたって天子である鷹常と自分は、最初から釣り合わないと思っていたのだ。
カーリンはシーアンの話には「そう」とだけ答えた。そしてギネスを呼び寄せて言った。
「一度、鷹常皇に会ってみよう。ぼく達の命運を捧げる相手になりえるかどうか、確かめてみたい」
それからやがてカーリン、ギネスを含めた半の国は完全に鷹常に平伏した。カーリンは鷹常の瞳に、伊春と同じ野望を見たからだ。
「わたくしは月国地方の、いえ、世界の王になる」
竜人、西エルフの国、ラガーナの組織、そして鬼人。鷹常は確かに力をつけつつあった。
ディアンダの隠れ家の一つ、大きな屋敷にラガーナはいた。少し疲れたように息を吐きながら、ソファに座り込む。
ディアンダが死んだ。
その情報にラガーナはまだ確証を得てはいなかった。だがもう五ヶ月、連絡がない。
(本当に死んだの……?)
まだ信じられない。あれほどの強さを持った男が死ぬなんて。そんなラガーナの元に、左頬に傷のある男が訪れた。
「ディアンダのガキはどこだ……!」
その男は以前のような余裕ある態度が影を潜め、イラついた様子で屋敷に乗り込んできた。
「死んだって聞いたけど……?」
ラガーナは落ち着いて答えた。その男、イースターはラガーナに話しかけているが、ラガーナの方をまともに見ていない。そのせいなのか、不思議と以前のような恐怖感をあまり感じなかった。
イースターは忙しなく胸を掻く。
「くそっ、そうだ、おれが殺したんだった」
ラガーナはそれを聞いて、ようやくディアンダの死に得心が行った。この男にならば、ディアンダが敗れたとしても不思議はない。
悲しいとまでは思わない。だが妙な空虚感があった。ラガーナは屋敷の中の回廊に向かった。
「待て。ディアンダのガキはどこだ」
イースターは意味不明にその言葉を繰り返し、ラガーナの後を追った。
回廊の壁には絵がいくつも飾られている。ラガーナにもイースターにもわからないが、描かれている女性達はシュヤ、カミア、リックという女性達だ。カノンが描かれた絵もある。
ラガーナは突き当りで止まった。そこにも絵が飾られてあった。描かれているのは左頬に傷がある男。ラガーナはそれを見上げながら、口を開く。
「あたしにとってディアンダはただ恐怖の対象だった。でも……あいつの絵だけは、好きだったのよ」
絵の中の男は微笑んでいた。そのモデルとなった現実の男は、そんな風に優しく笑んだ事はない。
「なんだってんだ、なんだってんだ。てめえのガキを殺した事が、今更なんだって言うんだ」
イースターはがしがし胸を掻きながら、ひたすらそう呟いている。そしてまた「ディアンダのガキはどこだ」と繰り返す。
ラガーナはイースターが錯乱しているのを感じ、しばらく屋敷で休養するように言った。やがて落ち着いてきたイースターは、神の集う地へ自分を連れていくようにラガーナに言った。




