60-1.最後の戦い
そろそろ夕方になろうかという時分、カノンはノックの音を聞いて家のドアを開いた。
「ローカス」
そこにいた大角の魔人に驚きはしたが、慌てる事はなかった。なんだか懐かしいような気がして、「久しぶり」と微笑む。するとローカスはぼそぼそと呟く。
「うん。人妻も悪くないな」
「え?」
よく聞こえなかったカノンが首を傾げると、ローカスは我に返ったようにはっとした。
「いやいや、そうじゃない。とにかく、わたしは用があるんだ、おまえに」
「そうか? じゃあちょっと待って」
カノンは家の中に一度戻り、中にいる紫竹と紫野に声をかける。
「少し出かけてくるよ。リオンをお願い」
リオンは生まれた子供の名前だ。紫竹と紫野は頷いてカノンを見送ったが、すぐに二人顔を見合わせてまた頷いた。リオンを紫野に任せ、紫竹は仕事に出かけているギネスの元へ走っていった。
カノンは剣を携えていた。体はまだ本調子じゃない。女性の体は生み終えればもうそれで通常通りとはならないのだ。剣を振れば嫌でもわかる。出産の疲れはまだ取れ切っていない。
それでもカノンは落ち着いていた。以前のようなローカスの他愛ない話に笑顔を向けている。人気のない所まで歩いてきた所で、ようやく口火を切った。
「ローカス、あんた魔帝の使いで来たんだろ?」
なんとなくそんな気がしていた。ここがカラオ国から離れた遠い地だとかそんな事は関係ない。あの男はずっとカノンの人生に影を落とし続けているのだから。
ローカスは振り向いて驚いた顔をしている。しかししばらくすると気づいたように頭を振った。
「違う。いや、違わないんだが、違う。わたしはおまえを呼び出せと言われていた訳じゃないんだった。くそ、わたしはなんてばかなんだ」
ローカスが自分の間抜けさ加減に嫌気が差して顔をしかめているのを見ている内に、カノンはふっと家の方向に振り返った。
(何だ。この不安な気持ちは)
そう思った瞬間、カノンは走り出していた。ローカスも慌ててカノンを追う。
カノンの家の前に立っているのはディアンダだった。そして家から出てきたのは、紫竹が急いで呼び帰らせたギネス。
ディアンダはローカスが失敗した事に失望などしていなかった。ディアンダもやはりなんとなくこうなる気はしていたのだ。
ディアンダよりも背の高い長身のギネスだが、ディアンダを見下したりはしない。ただまっすぐ見つめてくる。
「信じたくなかったよ。あんたがカノンの命を狙ってるなんてな」
ディアンダはギネスのその言葉を否定しなかった。ディアンダの中ではカノンの魔帝に対する意識はクルド王国への襲撃時点で止まっている。母親リックを殺した魔帝が、その娘カノンの命をも狙っていると思っていても不思議ではない。ディアンダにとっては、実際にカノンと対面する自分が父親だとばれなければいいのだ。
だが実際にはカノンはもうこの若い青年が本物のディアンダであると知っている。ただカノンもギネスに具体的な事までは説明できなかったのだ。だから命を狙われているという事にしていた。
ギネスは正直言えば、そのカノンの言葉は半信半疑だった。カノンの不安が杞憂であると思いたかった。なぜならギネスはこの男が嫌いでなかったから。でも実際にこうしてカノンのいる場所に現れた。そして自分の言葉を否定もしない。
ディアンダもギネスも思った。この男は倒さなければならない。
「来い」
春先の穏やかな天気の中、ディアンダはこの南の国では少し暑苦しくも感じるロングコートを翻して歩き始めた。
カノンが戻った時には既にディアンダとギネスが消えた後だった。紫竹と紫野にギネスがどこに行ったか尋ねる。
「向こうの……方向に、行ったと……思います」
何か不穏な空気を感じているのか、珍しく紫竹が声を出して伝えた。
「ありがとう!」
カノンは言われた方に走っていく。紫竹はまた出ていったカノンが行くのを見ながら、カノンの後ろから大角の魔人も来ているのに気づいた。事情はよくわからないが、ギネス様とカノンの邪魔をさせる訳にはいかない。そう思った。
「待て……あんたは、行かせない」
ローカスは紫竹と対峙する。ローカスは頭を巡らせた。自分が頼まれたのは、カノン以外の者をカノンから遠ざける事だ。ならば今はこの少年をカノンの元へ行かせない事が正解か?
「うぎゃあああん」
家の中から赤ん坊の声が聞こえた。ローカスは敵意がないというように両手を上げた。
「ああ、なんだ。わたしはおまえ達に危害を加える気はない。よければだが……赤ん坊を見せてくれないか?」
紫竹はその場で一時間以上、沈黙していた。だがそれでも何もしてこないローカスに、ようやく少し警戒を解いた。
ギネスが長剣を横薙ぎに振ると、浮遊する複数の魔石にガガガンッと当たって勢いが殺され、軌道をずらされる。ディアンダの厄介さはこの十八個もある魔石の数にあった。それが攻撃の邪魔をする。
実を言うと、この世界の魔石使い達に、殺傷能力を持つ魔法を放てる者はそう多くない。魔石はあくまで戦いの補助に使われるだけなのだ。だがディアンダは魔力の桁が違う。それぞれの色の魔石が放つ、雷や炎、かまいたち、衝撃波などの魔法は、辺りどころが悪ければ致命傷になりかねない。
うまくそれをすり抜けても、ディアンダは刀身の細い剣も持っている。それは主に防御に使う。つまりギネスがうまく魔石の猛攻を潜り抜けても、ディアンダに剣でいなされ、また距離を取られてしまうのだ。
「くそっ、おれ、成長してねえな」
以前、戦った時よりはもっている。でもやはりディアンダを攻略するには決め手が足りないのだ。ギネスは対ディアンダ用に用意してきた武器、短剣を投げつける。
長剣を操るギネスが物を投げつけてくるという事は想定していなかったのか、ディアンダはそれを避けきれず、一本は頬を掠め、一本は肩口に刺さる。
「行けるか!?」
そう思ったのも束の間、手傷を負ったディアンダも苛立った。
「終いだ、ギネス」
低い声で叫んだディアンダの魔石の全てが、ギネスへの攻撃にかかる。ギネスはその直撃を避けられなかった。




