59-1.出産
ディアンダはカーリンに懐かしさなど感じなかった。こんな男に自分の心の内をわかってほしいなどとは思わないのだ。
「組織から抜けた制裁を受ける覚悟はあるんだろうな」
ディアンダは魔石を浮かせて、戦闘態勢を取る。カーリンの周りにいた兵隊達が緊張を高めるが、カーリンは落ち着いたままだった。
「ぼくにも色々あった。だからぼくはこの国ではちょっと顔が聞く。ディアンダ、君にぼくの力は必要じゃないかな?」
ディアンダはしばし考えた。そして低い声で「そうだな」と頷いた。
ディアンダはカノンの出産に必要な人員を揃えるよう指示を出した。カノン達は、突然現れた異様な風貌のカーリンという男に驚いていたが、当てがなかった産婆などを用意してくれるという申し出を断る理由もなかった。
ギネスはカーリンと話すのはこれが初めてだが、同じ魔族五強として、顔は知っていた。
「こんな所で、また出会えたなんてこれも縁でしょ」
カーリンはディアンダの名は出さず、そんな理由で手を貸してくれるのだと言った。
「本当に助かった。ありがとう、ありがとう」
ギネスはカーリンに何度も礼を言い、お喋りをしながら打ち解けていた。
カノン達は長期滞在になるので、借家を借りていた。そこでカノンの出産が始まる。それは朝方の破水から始まった。とりあえず助産婦が一人駆けつける。
「男どもは梁にロープを結び付けな」
助産婦が持ってきた長いロープを渡されて、ギネスと紫竹は首を傾げる。
「何に使うんだ?」
「産み綱だよ。妊婦はこれに掴まって力むんだ」
「へー」
「あと、食事の準備はあんた達がしてやるんだよ」
ギネスと紫竹は言われた通り、ロープを梁にしっかり結び付ける。
「なんかどきどきするな」
ギネスは産み綱の強度を確かめながら、ハアッと息をつく。
「いよ……いよ、ですね」
普段は滅多に口を利かない紫竹も、ギネスの心情を察して声をかける。
「ああ」
ギネスはぎこちないながらも、嬉しそうに笑顔を見せた。
紫野は助産婦と一緒に出産の準備をしていた。お湯を沸かして消毒したハサミを用意したり、赤ん坊の産着を用意したり。ただ助産婦はまったく急がず、のんびりお喋りしている。
「陣痛が始まってもすぐには生まれないよ。まめに厠へ行っときな。でないと生まれる時に一緒に出ちゃうからね」
「ええー」
まだ余裕があるカノンは恥ずかしそうにくすくす笑った。
そして昼食の頃にようやく陣痛が始まる。最初の痛みは大した事はない。だが一定間隔置きに繰り返される痛みは、何時間もかけて強くなってくる。それがきつくなってくると、段々顔が歪んでくる。紫野が助産婦に言われた通り、カノンの腰の下を一生懸命さする。
助産婦は「まだまださ」と言って、夕食を取る。カノンにも陣痛の合間に食事を取るように勧める。
「体力がなくなった方がきついからね。食べられる内に食べときな。厠にも行っとくんだよ」
カノンはうんうん唸りながら、言われた通りにした。カノンの腰をさするのも重労働だ。ギネスが途中で代わった。愛する妻の顔が苦痛に満ちているのを見るのは、ギネスにとっても忍びない。だが「がんばれ」なんて言おうものなら、「うるさい! がんばってるだろ!」と怒鳴られる。
カノンのそんなきつい言葉など初めて聞く。だが助産婦にそれだけ痛みに耐えてるんだよと言われると、ギネスはもう何も言えない。ひたすら心の中で「がんばれ」を繰り返す。
助産婦は時々、カノンの子宮口の大きさを調べる。
「うん、順調だよ。この分だと日が変わる前に生まれるね」
助産婦は指で触れるだけでそれがわかるのだからすごい。紫野はそう感心する。そしてその内、他の助産婦も応援に来て三人になった。そうなるとギネスは邪魔だからと追い出されてしまった。
もうすっかり夜も更けた中、ギネスは紫竹と一緒にひたすら待つ事になった。
「まだいきむんじゃないよー。ひっひっふー。ひっひっふー。そう、上手だ」
「ほら、もうそこまで頭が来てる。もうすぐだよ」
「そう、次の陣痛が来たら、いきんでいいよ」
女がこの時ほど必死になる事はない。もうすぐ、もうすぐ。それだけを一念に最後の痛みに耐えるのだ。
「頭が出た。もういきまなくていいよ」
カノンはようやく脱力する。でも頭が出た後の肩が通る時も地味に痛い。そこはすぐに通り抜けてくれるので一瞬の痛みだが。
カノンは産み綱から離れて、横になった。
「まだ胎盤が出るからね。いきまなくていいよ。ゆっくり力抜いてて」
そう言いながら助産婦はカノンのお腹を押し、カノンはまた何かが通り抜けるのを感じる。助産婦は取り出した胎盤を見せてくれた。大きな塊。こんなものが子供と一緒に入っていたのかと思うと、思わず苦笑してしまう。
そうしている内に、他の助産婦が赤ん坊をきれいに洗ってくれていた。途中でちょん切られたへその緒がぴょんっとついた不思議な生き物。
「お、もう目が開いてる。お目目ぱっちりだねー」
そう言いながら助産婦は産着に包んだ赤ん坊に、カノンのおっぱいを吸わせてやった。生まれたばかりの赤ん坊は、それは力強くおっぱいを吸った。カノンに最高の幸福感が訪れる。もう先程までの苦痛に満ちた表情はない。聖母と言うのはきっとこんな表情をした者の事を言うのだろう。
「旦那さん、入っていいよー」
助産婦が声をかけると、明らかにもう待ちきれないといった様子のギネスが飛び込むように入ってきた。きっと赤ん坊の泣き声が聞こえていたのだ。助産婦達に礼を言うのも忘れて、赤ん坊を覗き込む。
「落ち着きなよ、旦那さん」
「男か!? 女か!?」
「男の子だよ」
「そうか! そうか!」
ギネスは興奮して言葉がなくなっている。それを見てカノンがくすくす笑うと、ギネスは目を潤ませてカノンの頭を撫ぜた。
「よくやったな。本当に、よくやった」
ギネスが子供好きな事は、カノンも知っていた。ギネスは行く先々で子供に声をかけるし、ギネスの昔話の中にもギネスの弟、妹達の話が出てくるからだ。
愛する家族を得た男と女。何物にも代えがたい幸福が、二人を包み込んでいた。
近代的でない時代の出産ってどういうものか全然詳しくはないのですが、産み綱を使うのがこの世界の世界観的には合ってるかな? と思い、こういう描写にしてみました。もしおかしい所ありましたらご容赦を……




