58.二人の男②
――貴様は追いかけていられればいいのだ。新天の神に焦がれていられればそれでいいのだ――
今度はイースターが恥辱を感じる番だった。まるで恋心のような新天の神に対する執着を見抜かれ、顔を赤らめて拳を震わせる。夕闇の神は続ける。
――だから答えが見えていても、それに気づけない。答えはいつでもすぐ側にあったのに――
答えは邪法の先にある。邪法の完成形。新しい体を得る事で、人と神を超えた存在になる。既に神に近い魔力を持つようになっているイースターにもそれは可能なはずだ。
イースターは自分の体に起こっている異変が、現在の体の限界が来ているゆえなのだと感じた。だが、とイースターは考えた。新しい体を手に入れたおれは本当におれのままなのか? 本音を言えば、この体のまま新天の神の前に立ちたい。
そんなイースターの迷いを読んだように、夕闇の神は嗤った。
――貴様の信念など所詮、その程度だ。結局、貴様はわたし達に遠く及ばない――
イースターは夕闇の神に腹は立たなかった。夕闇の神はイースターに邪法の完成形を伝えてしまうほど愚かで、感情的な女なのだ。ただもし今の言葉を言ったのが新天の神だったら? あのなぜか温かみを感じる目が、自分に対する失望の色で染まってしまったら?
考えただけで頭がどうにかなりそうだった。
ディアンダは一部の西エルフの者に追われるようになっていた。ディアンダと取引をしている者達は、夕闇の神の神託――ディアンダを捕らえよ――を無視していたのだが、やはり教会関係は信仰心が強く、ディアンダを追うようになっていた。
ディアンダは追ってくる者達を簡単に返り討ちにしていたが、ディアンダの心は晴れない。もしかして自分はカノンの父親だと打ち明ければ、カノン達は自分を家族の一員に加えてくれるんじゃないか。そんな夢みたいな願望が鎌首をもたげてくる。
そんなディアンダの前にイースターが現れた。いつもディアンダがお父さんと縋るように呼ぶと気持ち悪そうに顔をしかめていたイースターが、今回は最初から機嫌の悪そうな顔をしていた。
「貴様が次のおれの体だと言うのか? いや、それは違う。違う気がする」
イースターはよくわからない事をぶつぶつ呟いている。ディアンダはもう泣きそうだった。自分はお父さんを選べばいいのか、カノンを選べばいいのか。どちらを選べば、自分は家族として迎えてもらえるのか。
高い崖の上から、南の森人の国へ向かおうとしているカノンに目をやる。カノンはギネス、紫竹、紫野と共に屋根のない荷馬車に乗り込んでいる。それをイニャとアインが大きく手を振りながら見送っていた。
イースターはディアンダの視線の先に気づいた。
「あれはギネス?」
イースターはギネスと面識がある。なぜこんな場所にと思いかけたが、奴は傭兵だ。先般まで戦のあったこの地にいたっておかしくない。それよりも。
「あの隣の女……」
そうだ、今までなぜ気づかなかったのか? ディアンダを思い起こさせる面立ちが、イースターに無意識に目を逸らさせていたのか。ディアンダの目を見ればわかる。あれが邪法の先。
「あの女が新しい体を作るのか!」
イースターが何を言っているのか、ディアンダにはやはりわからなかった。理解したいとも思わない。
「ちっ、中にガキがいるみたいじゃねえか。まあいい。あの女の腹が空になったら、知らせろ」
返事せず、ぼーっとしているディアンダの肩をイースターは掴んだ。
「聞いてるのか。このおれが頼むと言っているんだ」
ディアンダは初めてまともに触れてくれたイースターの手に、自分の手を重ねた。イースター譲りの大きな手。それが子供のように震える。
「お父さん、おれを抱きしめてくれよ」
ディアンダは涙して必死に訴えた。するとあっさり、あまりにもあっさりイースターは応えた。
「いいぜ」
イースターはディアンダを抱きしめた。
「おまえはよくやったぜ。おまえのおかげでおれはおれの望みを叶えられる」
初めて聞くイースターの優しい声色が、ディアンダの心に染みわたる。イースターはそうしてから背を向けた。
「また抱きしめてやるぜ。おまえがおれの言いつけを守ったらな」
「はい……はい、お父さん……!」
ディアンダはなぜかうまく笑えなかったが、家族を切望する心がようやく満たされていくのを感じた。
カノンとギネスは森人の国から船に乗り、カラオ国を目指す予定だった。しかし長旅は思ったよりカノンの体には負担だった。
レーク地方の南部一帯を占める森人の国は、広大な森の中に町や村が点在している。それらの町や村は自治が認められているらしく、入るのにそれぞれ手続き方法が違う。
森人達は狩猟で生計を立てている者が多く、縄張り意識が強い。そのため、よそ者にやたら厳しい面があるのだ。町を通るのに数日も待たされる事もあった。そのせいでカノンはだいぶ疲れていた。
それでもなんとか王都と呼べる町に着いた。そこからさらに東の町の港から船に乗ればもうカラオ国のはずだが、なんと妊婦は船に乗れないという話を聞いた。カノンの世話を紫竹と紫野に任せ、ギネスは連日交渉に行ったが、やはりダメだった。なので、カノンはこの森人の国で子供を産む事を決めた。
ディアンダはずっとカノンの様子を見ていた。森人の国に入っても、西エルフの追っ手はしつこくディアンダを狙ってくる。おかげで森人の国でも噂になり、騒ぎを抑えるために王都から兵隊が出てきた。
その兵隊を率いていたのは、ディアンダの見知った顔だった。
「ディアンダ……まさか本当に君がこの地にいるとは思わなかった」
道化のカーリン。ピエロのような格好をし、巨大な棒状の魔石を操るその男は、かつて月国地方で暴れていた魔人。一度はディアンダが倒して部下に加えたが、リックを殺すために起こした戦――クルド王国への襲撃以降、行方をくらましていた。
「ディアンダ、君はいつも泣きそうな顔をしているね」
カーリンは道化の格好をしていても、滅多に笑わない。細い目は何を見ているのかわからない。ただディアンダが思っていたより、人の心の機微には敏感なのかもしれなかった。
第七章 夕闇の神・終




