57-1.二人の男
カノンとギネスの距離は急速に近づいていった。告白したカノンはギネスへの好意を失わなかったし、ギネスもカノンの真面目で頑張り屋な所に惹かれていくのを隠す事はできなかった。
西エルフの国は南側の国が負け、北側の国に軍需物資を供出するように求められているようだった。そのせいで武具屋であるアインの家の家業も忙しくなっている。
ギネスの元には紫竹と紫野も戻ってきていた。
「ラガーナの情報によると、西エルフは東側の弦の国と取引を始めているらしい」
弦の国は鷹常を皇とする月国地方の国だ。一度離反した半の国との抗争はとりあえず落ち着いているらしいが、鷹常はまだ軍備を強化しているとの事だった。
「あなたも戦いに行きたいのか?」
剣を腰に差しているカノンは、この僅かの間にだいぶ大人びたように見えた。不安や戸惑いは見せず、真っ直ぐギネスを見つめている。ギネスはゆっくりとカノンとの距離を縮めて、そしてカノンを抱きしめた。
「先はどうなるかわからない。けど、今は行かないさ。だってよ……」
ギネスは愛しそうにカノンの瞼にキスをした。
「おれが父親になるんだからな」
カノンのお腹の中にはギネスの子が宿っていた。だからカノンも今は剣を携えるのみで、無理な鍛錬はしていない。
「ハハ、こんな事で戦えなくなるなんて思わなかった」
カノンはまるで自嘲するように笑う。カノンの精神的なものは回復していた。なのに、子供ができた事で剣が振れなくなったのだ。
「ハハ、おれもだ」
ギネスは護衛の仕事などはしている。けれど、戦の気配のある東に戻る気は今はなくなっていた。
「後悔してるか?」
ギネスはもう一度キスしてから聞いた。カノンはフフっと笑う。
「悔しい気持ちはあるよ。でも、幸せだ」
子供ができれば人はそれまでの自分ではいられない。子供のために自分の生き方を変えなければなくなるのだ。でもそこに幸せを見る事ができる人は幸福なのだろう。
ギネスも微笑んだ。
「おれもだ」
触れ合う手と手が、二人の幸福を表していた。
ザーッと雨が降る。雨がディアンダの前髪を伝う。魔帝と呼ばれるその男は、西の地でもその名を確立しつつあった。西エルフの国と弦の国との取引を繋げているのがディアンダなのだ。
ラガーナもディアンダに従い、その取引に力を入れている。ラガーナの部下が、鷹常の側近の豹と繋ぎをつけていた事もあって、ディアンダの組織は弦の国と深い関係を築いている。
ディアンダに情熱はない。だが淡々と戦争ビジネスを操る事は、ディアンダの気晴らしになった。
「カノン……」
西エルフの国々の中心には広大な湖がある。その遥か対岸にカノンらしき人物がいるという情報を、ディアンダはようやく掴んでいた。
また伸びてきた髪がうざったい。でもカノンに会うのなら、ちゃんとした格好をしていかなきゃな。そう思い、床屋に入った。
一方のイースターは夕闇の神と対峙していた。自分を抱けという夕闇の神を、鼻で笑う。夕闇の神は怒りに震えながら言った。
――愚かな男、貴様はないものねだりの子供と一緒だ――
何が言いたい? と言うように、イースターは肩を竦める。上半身はだけていた夕闇の神は、恥辱にまみれた表情をしながらも服を着て、イースターを睨む。
――何にも不自由しなかった貴様、あらゆる才能さえもおまえを祝福していた。でもだからだ。おまえには目指すものがなかった――
イースターは元は貴族の息子だ。子供の頃は魔人が暮らす国で、神童ともてはやされていた。イースターはそれを思い出して、少し眉間にしわを寄せる。
――そんなおまえが新天の神に出会ったのだ。何よりも高みを目指すあの女に――
国を飛び出したイースターは、強者を求めて各地で暴れ回っていた。ただイースターの求める強者は必ずしも武力に長けた者ではない。イースターは強い信念を持っている者を見つけ出し、それと自分の心を比べて目指すものを探していた。
ある時、魔界に伝わる邪法――人を喰って長命を得る――を行っている人間の国王を見つけ出した。その残酷な儀式を行っている年老いた王を見ながら、イースターは尋ねた。おれという障害を倒してでも、それを続ける信念が貴様にあるかと。
生贄が捧げられた祭壇の前で、狂人の目をした王が率いる兵隊とイースターの戦闘が始まる。イースターは全てを切り伏せた。しかし狂王は屈せず、叫んだ。
「神よ、出でよ! 朕をその玉座の中心に加えよ!」
イースターは神の存在など信じていない。王を嘲笑おうとした所で、なんと神は応えた。新天の神が姿を現したのだ。いや、新天の神だけではない。月夜の神、朝焼けの神、青空を映す神、日輪の神、星降る夜の神、夕闇の神、そして曇天の神の八つの神がそこに集った。
――愚かなりし人の王! その野望、不遜たるや甚だしい! 貴様に我らを上回る信念があるか!――
星降る夜の神のその言葉に反応したのは、狂王ではなくイースターだった。
「貴様らの信念だと。それをどう証明する」
星降る夜の神は語る事をためらったが、青空を映す神は面白そうに語った。おぞましい邪法の内容を知ったイースターは、その横で喚いていたうるさい狂王を斬り倒してからなお尋ねた。
「貴様らの信念とはなんだ」
新天の神は静かに、だが凛とした声で答えた。
――泰平の世。ただそのため――
イースターは笑った。世のため、人のためを謳いながら、人を喰らう神々の信念とやらを盛大に嗤った。イースターの目に獣のような光が宿る。
「その信念とやら、おれが打ち砕いてやる! 貴様ら神を殺してな!」
イースターはそう言い、神々に打ちかかっていったが、人の身であるイースターには神に触れる事ができなかった。それでもそのイースターの行動は、新天の神の瞳に向かうべき未来を見せた。
――牙向いて見せよ、神殺しを行う男。貴様を礎とし、我が新天の世を築いて見せよう――
その時のイースターは気づかなかったが、新天の神はそこで己が唯一の神となる世界を目指し始めた。八つの神は多すぎるがゆえに。
それから百五十年の時が流れた世で、夕闇の神は叫ぶ。あまりにも時は過ぎた。
――おまえは赤子と同じだ!――




