56-2.自分らしく
ギネスはずいぶん歩いていった。カノンは距離を取って、つけていっている。町はずれの山の中に入り、渓流が流れている場所まで来た。そしてそこでギネスは長剣を抜き、素振りを始めた。
上段から切り下ろしたり、横薙ぎに振ったり。重そうな長剣を軽々と操る。風を切る音がカノンのいる場所まで聞こえてきそうだった。
カノンは知らず知らずの内に、今、腰にはない自分の剣を探していた。精神を集中させて剣を振るギネスの姿は、いつも鍛錬を欠かさなかった自分を思い起こさせる。
人を殺す事に怖さを覚えている事は悔しくない。けやきに相談した時も、けやきは「その怖さは忘れないで」と言っていたから。
「戦わなければいけない時は来る。そのために強くなりたい。あなたはそう言っていましたね」
けやきはそっとカノンの手を包みながら言う。
「ぼくも今は戦わなければいけない時というのが少しだけわかります。言葉にするのは難しいし、正しさがどこにあるのかは常に考えなければいけませんが」
けやきは「でも」と続ける。
「戦えなくなった自分を責めないで。人に助けを求める事に怯えないで。頑張りすぎないでいいんですよ」
けやきの手の温もりは優しい。カノンを労わる気持ちが伝わってくる。
「わたし、頑張ってきたかな……?」
「頑張りすぎましたよ」
以前は目を伏せるようにしながら話していたけやきとは違う。今はカノンの目を見ながら微笑んでくれる。
カノンはトーランの言葉も思い出す。いつも「頑張ったな」と言ってくれた。それは嬉しい言葉だったが、カノンは何に頑張ったなと言われているのか深く考えてはいなかった。
「戦いが必要だと思うなら迷わなくていい」
そう言っていたトーランは、カノン自身の信念を信じていていいと言ってくれていたんじゃないだろうか。
戦いたい。
ギネスの姿を見ていると、そんな思いが湧いてくる。
強くなりたい。
でもその先にあるのは、父と呼ぶのもおこがましい男への復讐なのか?
(違う。わたしは自分でいたいだけだ)
何度も何度も自問しては、その答えを探した。
カノンは普段はそう深く思考する事がない。なんだか頭が疲れてきて、木を背に座り込んだ。もう何も考えずに目を閉じる。
たぶん少し眠ってしまっていた。ふと目を開ける。日が暮れかけている。ぼーっとしながら振り返ると、もうギネスの姿がなかった。
(帰ったのか)
そう思いながらギネスがいた場所まで来ると、長剣と服が置いてある。渓流の奥の方を見てみると、小さな滝になっている所でギネスが水浴びをしていた。
ただ眺める。ギネスは滝の流れを頭から浴び、顔を上げて下ろした髪をかき上げる。その時にギネスは気づいたように振り返る。
「なんだ、見てたのか。えっちだなー」
ギネスは冗談めかして笑うが、カノンは笑わなかった。ただじっとギネスを見つめている。
「ほら、向こう向いててくれよ。恥ずかしいだろ」
それでもカノンはギネスから視線を逸らさない。ギネスは岸まで上がってきて、自分の服を摘まんだ。その時、カノンは言った。
「わたし、あなたが好きだ」
「ん? んん?」
ギネスは思わず戸惑ってカノンの方を向く。カノンはやはりまっすぐギネスを見つめている。
「好きなんだ」
さすがのギネスもカノンの顔を見ながらしばらく硬直していた。そしてカノンが本気なのだと気づくと、少しだけ頬を赤くしながら頭を掻いた。
「あー、なんだ。とりあえずあっち向いててくれないか」
カノンはそこでようやく正気に戻って、ギネスが素っ裸なのを思い出した。顔を紅潮させて後ろを向く。
「戦いたくなったか?」
カノンの後ろで着替えているであろうギネスが、カノンの背中に尋ねる。カノンは言葉は発さずに頷く。
「そうか」
「……でも」
カノンは拳を握って震わせる。
「人を殺したいとは思わないんだ。戦う以上、覚悟しなくちゃいけないと思うのに」
「それでいいんじゃないか?」
カノンは思わず振り返る。服を着終わったギネスは優しい目でカノンを見つめている。
「結論なんて簡単には出ない。おれだって未だに後悔したり、自責の念に苛まれる事はある。でも戦いたい。それがおれ達、剣士なんじゃないか?」
カノンは軽く頷きかけて、少し考えて、そして頷いて、また考えて、また頷いた。
「うん」
母さんの事、ラオの事、カノンを狂気から救った赤竜ドーレンの事、トーランの事、たくさんの事が心の中に駆け巡ったのに何も言えなくて、ただそれだけ答えた。ギネスは微笑みながらカノンの頭を撫ぜた。
「守りたいものがある時に戦えないのがきっと一番悔しいからな。おまえなら戦えるよ」
「……うん」
その言葉はカノンの胸を締めつけた。少し切なく。それ以上に力強く。
帰ったカノンはイニャにその話をした。
「ギネスの兄ちゃん、おまえの気持ちに応えてくれなかったのか……」
イニャは心底残念そうな顔をしてくれた。思わずカノンはイニャに抱きついた。
「フフ、わたし、イニャが大好きだ!」
「わわ、ギネスの兄ちゃんがダメだったからって、とち狂うなよ!」
カノンは笑った。思い切り笑った後、イニャに抱きついたまま言った。
「本当はさ、ギネスに守ってやるとか言ってほしかった」
そして今度は泣いた。声を上げて泣いた。
「めんどくせー奴」
イニャはポンポンとカノンの背を叩いた。
カノンはその日の夜から鍛錬を再開した。久しぶりだったが、思ったより調子よく剣が振れた。心地よい疲労感を覚え、笑みが浮かぶ。
(ああ、わたしはきっと戦えるよ)
でもけやきの言ったように正しさはいつも考えなければならない。自分にとっての正しさを。
カノンは思った。帰ったらハマとスラトに謝ろう。許してくれなくても、今度こそ真摯に向き合おう。
二人の気持ちを裏切った事に、今更ながら涙が出た。
次の日の翌朝、カノンはギネスの前で笑えた。告白した事に後悔はない。だから「おはよう」と、笑顔で言えた。
カノンは朝食の席に着き、イニャやけやきとお喋りを始める。ギネスはそんなカノンを見ながら、呟きを隠すように口元を手で覆った。
「くそっ、実は結構好みのタイプなんだよな」
却ってギネスの方が照れを感じていた。でも歳の差もあるしなあと、悶々と考えながら席に着いた。




