55-2.戦えない
ギネスが隊長に掛け合う前、カノンはぼーっとしながらギネスに手を引かれていた。人に剣を突き立てる感触。人の頭を割る感触。さっきまで動いていた者が倒れて動かなくなる残酷さ。
剣を握る者なら一度は恐怖するその感情が、今さらのようにカノンを支配していた。
「ごめんなさい、ギネス。少ししたら大丈夫だと思うから……」
これまでの人生で、カノンが実際に死に至らしめた者はそう多くはないが、それでも今まではここまで恐怖に縛られる事はなかった。だからすぐこれも治まる。そう思いながら小刻みに震える手を見ていた。
ギネスはうつむいているカノンに目線を合わせるように腰を曲げて、頭を撫ぜる。
「無理するな。今は休めって事なんだよ」
ギネスの声は優しいが、カノンは顔を上げられない。
「でも、面倒だって」
ギネスが戦場で口にした言葉を、カノンは聞いていた。
「おれ、そう言ってたか? 参ったな」
ギネスは頭を掻くと、カノンの手を繋いだまま背を伸ばし、少しだけ違う方向を向く。
「いいんだよ」
「え?」
「面倒でいいんだ、人間ってのは。だから助けてあげたり、力になってやりたいって、そう思えるだろ」
ギネスは少し気恥ずかしそうにそう言って、横目をカノンに向けて、にっと笑った。
「甘えていいんだよ」
口には出さずともそう言っているのが、カノンにはわかった。
その後、隊長に脱退を申し出て、イニャまで出てきて隊が解散になった。
宿屋に戻ってきたカノンに、けやきは何も聞かずに「おかえりなさい」と笑顔で言った。カノンは成り行きでギネスも隊を抜ける事になった事に対して、また「ごめんなさい」と言ったが、ギネスは「気にするな」と答えた。
「ちょっと思ったんだが、こっち側の士気はかなり低いな。やめようとしていた奴らがあれだけいたのも考えると、南軍は負けるんじゃねえかな」
ギネスの言葉に、一緒についてきたアインも頷く。
「前までは北軍も戦にそう真剣じゃなかったんだ。終わらせる気のない戦争を、気楽にやってた」
食事を取りながらそう話していると、紫竹と紫野が来てギネスの耳元で何か囁く。
「なるほど。どうやら北軍に援軍が入ったようだ。新しい取引先ができたという噂があるらしい」
紫竹と紫野が報告してきた事を伝えながら、ギネスはそれはラガーナ達の事だろうなと考えていた。ラガーナ達という事はすなわちディアンダが絡んでいるという事だ。
ギネスはディアンダの組織の者ではない。だからディアンダと何度も会った事があるわけではないが、ディアンダに対しては悪い感情を持っていない。故郷から出てきた若かりし頃、偶然ディアンダと出会い、手合わせをした事があった。それは剣に加えて魔石まで操るディアンダに軍配が上がった。
血気盛んだったギネスだが、ディアンダの強さを誇示せず、静かで落ち着きのある態度にふと肩の力が抜け、生来持っていた優しさや気さくさを取り戻した。
一度はゆっくり酒でも酌み交わしてみたいとは思っているのだが、それは実現していない。
その事は話さずに、ギネスは紫竹と紫野に「南軍は負ける」という情報を持たせてラガーナの元へ走らせた。
それからしばらくカノン達は宿屋でゆっくりしていた。カノンはイニャと遊びに出かけたり、近所の子供と遊んだりして、ころころ笑っていた。人を殺す恐怖を紛らわすために、無邪気に遊ぶ時間が必要だった。
ギネスも子供が好きなのか、カノンと一緒に近所の子供と戯れている。それ以外では周辺の街を探索しているようだった。
ただギネスも男だ。その日、夕食も済むと、けやきの肩に腕を回してこそこそ話を始めた。
「けやきちゃん、近くによさそうな遊女屋を見つけたんだ。行ってみないか?」
「ぼくは遠慮しときますよ」
けやきはばさっと断る。
「なんだ、つれないなあ」
ギネスはハハッと笑い、「じゃあおれ一人で行くか」と、宿を後にしようとする。
ギネスは声を落として話していたつもりだったが、それはカノンとイニャにも聞こえていた。カノンは思わずむくれた顔をした。それに気づいたイニャがギネスを呼び止める。
「おおーい、ギネスの兄ちゃん。あんた知らないのか?」
「何をだ?」
ギネスは立ち止まって振り返る。
「東のもんがよ、西のもんとやると、病気になっちまうんだぜ?」
「……いや、うそだろ?」
さすがに簡単には騙されない。イニャは「ホントだって」と言いながら、近くにいた酔っ払いにも絡んでいく。
「な? おっさん。あんたも知ってるよな?」
イニャは小声で「話を『合わせろ』」と言霊の力を使う。それに操られた酔っ払いは「そうだよ、兄ちゃん!」と声高に言う。
「東の奴はな、あれが使い物にならなくなっちまうんだ!」
「そうそう、西のもん同士なら大丈夫だけどな」
周りの酔っ払い達も何か空気を察したのか、「あの時の男は」とかなんとか作り話を始めだす。疑っていたギネスもさすがにみんながそう言いだすと、「本当なのか?」と信じざるを得ない。
「なんだよ、あぶねえ……」
ギネスは仕方なく座り直し、酒を頼んだ。
「ひひっ、よかったな」
イニャはカノンに、にかっと笑って見せる。
「わ、わたしは別に……」
そう言いかけたが、カノンは一度口を結んで、その後小さな声で「うん」と答えた。
男はカノンの強い魔力に惹かれる。その話をカノンはイニャにした。宿屋の裏庭、時折従業員が通るだけの場所で二人座って話していた。
「だからギネスの兄ちゃんに好きだって言えねえって?」
「その……まだ好きかどうかもよくわからないんだ……」
カノンは恋人だったハマやスラトの事も話す。
「ヒュー、おまえやるねえ。そういうのあばずれって言うの? あれ? これ悪い言葉だっけ?」
「ううん、実際、わたしはどうしようもない女だと思う」
カノンは自分が思っている以上に自分に意思がない事を痛感していた。だから迷うのだ。恋人の事も、戦う事も。今は剣を握るのも怖くて、鍛錬もしていない。
戦う事も出来ないわたしは、一体何のために生きてるんだ。
そんな事が頭に浮かんで、イニャにその思いを吐露していた。




