53-2.西の地
西の地でラガーナがアジトにしている建物の階段を、二十代半ば頃の長身の男性が上ってくる。銀色の髪を高い位置で結んでいるその男は、ラガーナと同様、魔族五強と呼ばれている銀狼のギネスだ。
「よお、おれに仕事を頼みたいんだって?」
ギネスはラガーナを見ると、にっと笑ってそう挨拶した。決して高圧的ではなく、そして媚びる事もなく、ギネスは爽やかな笑みを浮かべている。金で動く男だが、そこに卑屈さも小狡さもない。純粋に仕事を受ける事を楽しんでいる。
ラガーナの部下が持ってきたお茶が置かれると、二人は座って話し出す。
「この西の地に来た事は?」
「ないな。これが初めてだ」
「それならこの西の地の情勢から話すわ」
このレーク地方(西の地)は主に西エルフの国と森人の国とに分かれている。その両者はそれぞれ北と南の地に版図を持っている。またもちろん魔人と呼ばれる人種もいて、それらの国の間に村や町を作っている。そのため西エルフと森人の間に争いはないが、西エルフの国自体が割れていて、西エルフ同士の争いが長年続いている。
「おれはその戦に参加すればいいのか?」
「そうよ。今どちらの軍勢と取引するのが有益か、情報を集めているところなの。あんたには南の軍勢に加勢して戦争の様子を探ってほしいのよ」
北の軍勢にはうちの兵隊を送り込むから、とラガーナは付け加える。
「情報収集か。おれはあまり得意じゃないなあ。紫竹と紫野に任せるか」
紫竹と紫野はギネスの従者となっている若い兄妹だ。二人とも口が重く無口だが、人の話を聞くのは得意で、意外に情報収集には向いている。
「やり方は任せるわ。あたしは一度東に戻らなくちゃ。向こうもあまり放っておくわけにはいかないの」
「了解。じゃあおれはさっそく行ってみるか。西の戦とやらに」
ギネスはお茶を飲み干すと、立ち上がってラガーナに手を振った。
カノンとけやき、そして黒エルフのイニャは、南側の街道から西エルフの町に入ると、食堂を兼業している宿に滞在する事にした。
「あんた、まさか黒エルフじゃないだろうね?」
宿に泊まる時、おかみさんがイニャを見て眉をひそめたが、イニャは落ち着いて「ちげー、ちげー」といつもの男言葉で喋る。
「おれは生粋の西エルフさ。そう『思え』」
「ん、そうかい。それならいいけどね」
イニャの言霊が効いて、おかみさんはあっさり頷く。西エルフは黄色系の肌色の者が多いが、浅黒い肌の者も普通にいるので、イニャもそこまで怪しまれないようだ。それでもやっぱり一人でいると疑われやすいので、カノン達に同行してきた。
「人を操るなんて、よくないですよ」
話を聞いたけやきは自分も操られたせいか、不快そうな顔をしている。
「しかたねーだろ。おれはこれで生きていくしかねえんだ。好きでやってるわけじゃねーぜ」
「その言葉遣いもぼくはよくないと思いますけど」
「お宅はずいぶん上品なこって」
どうやらけやきとイニャは反りが合わないらしい。それでも険悪と言うほどの雰囲気にはならないのは、二人とも根は優しいからだろう。カノンはそう感じて、止める事もなく二人のやりとりを楽しそうに眺めていた。
三人が夕食を食べ終わった頃、食堂の中へ長身の男性が入ってきた。銀色の毛が生えた耳はピンと尖り、お尻には狼のような尻尾が生えている。どう見ても魔人だが、宿には魔人の出入りも多いせいか誰もそこは気にならないようだ。ただ普通の人がとても扱えないような長剣を背負っているので、どうにも目立つ。
「お姉さん、ここ宿屋だよな? しばらく部屋を貸してほしいんだが」
その男が勘定場にいた店員に声をかけると、店員は別の受付に案内する。
「あの人……」
「知り合いか?」
カノンの視線の先を追いながら、イニャが尋ねる。
「気のせいかな。東のレンベルトって町にいた時に見た人にそっくりなんだけど」
カノンはレンベルトの町で剣を合わせた男を思い出す。不意打ちを仕掛けたが簡単にはじき返されて、力量差を感じた男だ。
「いや、でもここ西だしな。他人の空似かな。でもあの人も銀色の髪だった気がするし、あの長剣もそっくりだし」
その男を見つめながらぶつぶつ言っているカノンに、イニャは痺れを切らした。
「めんどくせー。聞いてみりゃ早いじゃねえか」
イニャは立ち上がってずんずんその男に近づいていくので、カノンも慌てて立ち上がった。
「よおー、お兄さん。見たところ東から来たようだが、お名前なんてーの?」
そんな喋り方をするイニャに気を悪くした風もなく、男は朗らかに笑ってイニャの頭をぐしゃぐしゃと撫ぜた。
「ハハハ、おもしろい喋り方するガキだな。おれはギネスだ。ギネス・キルサノフ。ここへは来たばっかりだ。よろしくな、お嬢ちゃん」
「キ、キルサノフ……さん」
カノンが追いついてきてその名前を呟いた。それはカノンがラオを傷つけて落ち込んでいた時に、よくしてくれた男性の名だ。キルサノフはその時は髪を下ろしていたし、カノンは顔も確認できないほど落ち込んでいたので、すぐには同一人物だと気づけなかったのだが、今見ればはっきりとわかる。長剣なんかを背負っていても消せないその優しい雰囲気は、やはりあの時のキルサノフだ。
「あれ? おまえ、えっと確か、カノン。カノンだよな?」
ギネスもカノンを思い出して、驚きながらも「久しぶりだな」とにっこり笑ってくれた。
「あ、あの、あの時は、ありがとう、ござい、ました」
カノンは思わず緊張して、たどたどしい喋り方になった。なんとなく恥ずかしくなって顔が赤くなる。あの時のように落ち込んではいないのに、うまく顔を上げられない。それでもちゃんと目を見ないのは失礼だと思って、なんとか顔を上げた。
「元気そうでよかったな」
そう言ってくれるギネスの優しげな目と視線が合った。その瞬間、なぜかカノンは体がかっと熱くなった気がした。さっきよりますます顔が赤くなる。
イニャはそれを見て、ぽんっとカノンの背中を叩くと、そっと耳打ちした。
「お似合いだぜ」
「ち、違うよ!」
カノンは思わず声を上げた。心臓が飛び出しそうなほど、ばくばく鳴り出したのが分かった。




