53-1.西の地
「ふざけんじゃねー。『死ね』」
それを聞いた瞬間、ラガーナの両隣にいた部下が自分の短剣を出して、自分の喉を突こうとした。
「!?」
ラガーナはとっさに手を出して止めた。ラガーナの両手に短剣が刺さる。
「へえー、東で魔族五強なんて呼ばれてるって言うからどんなもんかと思ったら、案外あめーんだな。おれの言霊に惑わされねえのは見事だが、おれはあんたの下につく気はねえよ。さっさと帰んな」
ラガーナの部下は正気を取り戻して、ケガを負わせたラガーナの手を見て震えている。
「ラ、ラガーナ様、申し訳ありません……!」
「貴様が変な力を使ったから!」
激昂してその黒エルフに攻撃しようとする部下を、ラガーナは止めた。目の前にいる少女はあまりにも危険な力を持っている。
「今日のところは引き下がらせてもらうわ」
そうは言ったが、もうこの少女に関わらない方がいいと判断した。この少女が自分達にとって脅威となるのなら、同じく西に来ているディアンダがどうにかするはず。そう思ってラガーナはそこを立ち去った。
その黒エルフの少女は、西エルフの国に続く街道の途中で盗賊まがいの事をして暮らしている。それをラガーナが聞きつけて、仲間に誘ってきたところだった。アジトにしているあばら家で、少女は後ろにある荷物に背を預けた。
「あぶねー。やっぱりこんな力、持っててもろくな事がねーぜ。もう少しで殺されるところだった」
少女は一人だ。年齢は十七。家族も友達もいない。本当のことを言えば少女は戦闘力もない。ただ人を操る言霊の力があるだけだ。それで旅人から荷物を奪っている。
少女は必要な荷物だけをまとめ始めた。
「ここがばれちまったからには、どっか別の住む場所を探さなきゃなんねーじゃねえか。こんないい場所はなかなかねえってのに、めんどくせえなあ」
そのあばら家は文字通りのあばら家で、雨漏りはするし、すきま風は入り放題だ。だがかつて黒エルフの里で、ほとんど日も入らない岩屋に閉じ込められていた少女にとっては天国のような場所だった。
少女は崩れかけた扉の木枠を軽く蹴った。
「あばよ。世話になったな」
返事のないあばら家に挨拶して、少女は歩き始める。少女の名はイニャといった。
竜人の国を訪れたカノンは、トーランとけやきと共に西の地、レーク地方に降り立っていた。
「わたしはもう王ではなくなった」
トーランはそう言ってカノンの案内を買ってくれた。カノン達が竜人の国を去った後の一年の間に竜人の国はいろいろあったようだ。トーランは寂しそうな表情を見せたが、竜人達の意思に強い反抗をする気はないようだ。静かに竜人の国の情勢を話してくれる。
「今、竜人の国は弦の国と国交を開き始めている。多くの戦士達が弦の国へ行き、弦の国で戦っている」
「戦い?」
「かつて半と呼ばれた国が、鷹常皇が不在だった間にまた袂を分けた。それで再び統治するための戦をしているようだ」
「そうですか……」
カノンは鷹常を思い出した。鷹常はふとした瞬間に野心を見え隠れさせていた。今はその野心に従い戦っているんだろうか。
「竜人の皆さんの後ろ盾ができたおかげで、姉上には自信が出てきたように思えます。新の国からの圧力にも屈さず、姉上をいいように操ろうとする家臣団にも負けずに堂々としていました」
けやきは鷹常の腹違いの弟だ。弦の国から北エルフの国、それからレンベルトという町まで一緒に旅していた。隠し子だったけやきは弦の国に戻った後、豹やラオの協力を得てその存在を認めてもらえた。そして今は友好大使として竜人の国に滞在していた。そこへカノンが一人で現れたので、心配して西の地方についていきたいと言ってくれた。
トーランの口添えで任務から一時離脱する事を許されて、けやきも共に旅をする。けやきは十七になっており、髪も短く切っていた。竜人の国では勉強を重ねながら、ゴーデンに体術を習っているらしい。けやきは弦の国の事を色々話した。
「ラオは元気ですよ。結婚もして、今は姉上の補佐として働いています」
それを聞くと、カノンはよかったと安心した。レイアが手紙のやり取りをしていて、傷は回復したという事は聞いていたのだが、それでもやはり心配していた。結婚したという事もめでたい情報だ。
「弦の国に帰る事があったら、おめでとうと伝えてよ」
けやきは微笑む。カノンの嬉しそうな様子を見て安心したようだ。それからこれは竜人の国を訪れた際に聞いていたのだが、トーランには三人目が生まれるらしい。メヤーマの子供も無事生まれていた。
嬉しい話が多くて、カノンはずっと笑顔だった。旅に来てよかった。カノンはそう感じていた。
西エルフの町が見え始める頃、カノンはトーランと別れた。
「カノン、おまえに星降る夜の神の加護がありますように」
トーランはそう言ってくれた。けやきはまだしばらく一緒にいてくれるらしい。そして西エルフの町に入ろうとした時だった。不意に後ろから声をかけられた。
「よお、あんたら。ご挨拶は後だ。荷物を『置いていけ』」
「?」
カノンは顔に疑問符を浮かべながら振り返る。そこにいたのは黒い肌の女の子だ。カノンより背が低くて、細い子だ。じとっとした目つきをしているが、かわいらしい子で、武器も持っていなさそうに見える。それなのにけやきは何かに操られたように荷物を下に置いた。
「何してるんだ、けやき?」
「なんだ、おまえ。おれの言霊が効かねえのか?」
今度はその黒い肌の子が顔に疑問符を浮かべた。
「なんで最近、言霊が効かねえやつに会うようになったんだ」
その子はぶつぶつと言っていたが、気を取り直したように「よし」と言った。
「考えたってわからね。旅は道連れ。あんたら、おれを街に『連れていけ』」
「なんか偉そうな言い方だな」
カノンは別に気を悪くもせず、肩を竦める。けやきはまた操られたように「はい」と答える。
「おっといけね。癖だなこれは。連れていってください、だ」
その子がそう言ったところで、カノンは「いいよ」と頷いた。パンっと手が叩かれると、けやきはすぐに正気を取り戻した。
「おれはイニャだ。よろしくな」
イニャが手を差し出してきたので、カノンは握手を交わした。




