50-1.邪法の完成形
カラオ国の兵隊訓練場で、カノンは剣を振る。年齢は十九になった。年上の女性剣士達を負かし、男性剣士達も負かすと、途端にカノンへの態度が冷たくなった。
「可愛げがない」
「調子に乗るな」
陰口だけならまだしも、カノンを直接どつく者もいた。もちろん年齢差など気にせず、友好的に接してくれる人もいる。隊長のデナルトという人はいつも笑顔の好漢で、うまく兵達と馴染めないカノンにも気を使ってくれる。
「昼間やりにくければ、団体訓練の終わる夕方以降にもここを使っていいからな」
実際夕方には訓練が終わってもなお自分を鍛えようとする生粋の剣士達が残る。それらの者達は年齢や性別で、カノンをないがしろにしたりはしなかった。ただ中には意味もなく残って仲間とだらだら喋っている者達もいた。だいたいメンバーは一緒で、いつも何かしら喋っては笑いあっている。
カノンはそれらの者達の事は気にせず、いつも訓練場の開放時間ぎりぎりまで剣を振っていた。時折お喋りしている者達の視線を感じる事もあったが、やはり気にしないようにしていた。
そんなカノンに時々、勝負を挑んでくる青年が一人いた。いつもカノンを睨むように見てくるその青年は、名をスラトと言い、カノンより年齢が数カ月若い。カラオ国の出身者ではなく、西側にある湾の向こうの森人の国から来た青年だ。
森人は顔や体に赤や青の墨を入れている事が特徴の人種だ。魔人とは呼ばれていない。狩りが得意な種族であるためワイルドな風貌の者も多いが、理知的でないわけでもない。
スラトはカノンがあまり見た事のない鉤爪を得意武器としている。もちろん訓練用の物を使用しているので大きなケガをする事はないのだが、それでもスラトは本気でカノンに当てようとはしない。そのため勝負はいつもカノンが勝っていた。
「スラト、もっと本気で来てもいいよ」
スラトは決して大声を上げたりしないが、いつも明らかに悔しそうに顔を歪める。カノンは年齢も近いので、気兼ねなく話そうと声をかけるのだが、スラトはしかめ面でぶっきらぼうな言葉しか返さない。
「余裕で勝たなきゃ、かっこ悪いだろ」
すぐにカノンに背を向けてしまう。そしてお喋りしているメンバーのところへ行って何か話す。その時は笑っている顔も見せる事があるので、カノンは嫌われてるのかなと思ってしまう。
カノンは家に帰ると、週末にはいつも困っていた。なぜなら平日は仕事のハマが、週末になるとカノンの家に泊まりに来るからだ。一度、体を許してしまった手前、その関係がずっと続いていた。
「あの、わたし、やっぱりこういう関係は、やめ……たい」
カノンは最後の方はごにょごにょと言ってしまう。
「なぜだ? わたしの事が嫌いになったのか?」
「そ、そうじゃないけど……」
ハマはカノンの目元にキスをして、カノンの髪の毛の中に鼻をうずめる。
「おまえはいつもよい香りがする。最近はその香りが強くなっているようにも思える。わたしはこの香りをずっと嗅いでいたい」
そう言いながら、ハマはカノンの服の下に手を滑り込ませていく。カノンはそれに抵抗できなかった。人に愛される事の心地よさを知ってしまった心と体は、カノンの意思を曖昧なものにしてしまう。
いっその事、本当にハマのものになってしまおうかと考える時がある。しかし、ハマが自分に向けてくれている気持ちと同等以上のものを、自分が持っていない気がして、行為の後は少し落ち込んでしまう。
「寂しいな……」
ハマに愛されれば愛されるほど、なぜかそんな気持ちが大きくなっていく。その理由はわかっていた。半端な気持ちでハマに抱かれている罪悪感を、誰かに許してもらいたいのだ。バカな事をするなと、誰かに責めてもらえるのでもよかった。しかしマクもレイアもそんな事は言わなかった。良くも悪くも、二人はカノンの事を静かに見守っていた。
「最近嫌な夢を見る。おまえがどこか遠くに去っていく夢」
翌朝の朝食の時にハマがそう話をした。
「わたしが? ハハ」
カノンはハマの予知能力については、今もあまり理解していなかった。ただの夢だよ、とでも言いたげに笑う。
「おまえはいつか戻ってくる。そしてその時は……」
ハマは寂しそうに笑って、その後の言葉を濁した。すると普段は喋らない黒エルフのキョウが、小さな声で呟いた。
「力は呪い」
みんなキョウに注目した。
「……なんでもない」
キョウはまたぼそっと呟く。するとみんなキョウが喋った内容より、喋った事自体に興味を示した。
「喋れたんだな、キョウ。よかった、声が出せないのかと思ってたから」
「ほんとね。安心してもっと話してもいいのよ」
キョウは首を振ってそれ以上喋らなかったが、カノン達は嬉しそうに食事を終えた。
ほどなくして、大角のローカスがカノンの前に現れた。ローカスは「会わせたい奴がいるんだ」と言って、カノンを連れ出した。
カノンは当然警戒した。ローカスは魔帝の手先。会わせたい人というのは今、魔帝と呼ばれている者ではないかと。ローカスはその辺りの言葉は濁しながら……というよりも、よくわかってないような口ぶりで、「とにかくついてきてくれ」と言った。
カノンはその正体を見極める必要があると思い、ローカスの誘いに乗った。歩きながら話していると、レイアの言う通り、ローカス自身にはそれほど危険性はないように思える。ローカスの旅の話は面白くもおかしくもあって、思わず警戒心を忘れて、驚いたり笑ったりしてしまう。
不意にローカスは足を止めた。カノンは数歩進んでからローカスが隣にいないのに気づいて振り返る。ローカスはカノンの後姿をじっと見つめてから、「うん」と頷く。
「やっぱり別の場所に行こう。この前、人の来ないいい場所を見つけたんだ」
「会わせたい人がいるんじゃないのか?」
「いいんだ。あいつが自分で来ないのが悪い」
ローカスはカノンの手を引いて、森の方向へ歩き出す。
「ど、どこに行くんだ?」
カノンはついていく目的が無くなって、少し戸惑う。
「きれいな湖があるんだ。そこにおまえを連れていきたいんだ」
カノンは断り切れずに、そのままローカスについていった。




