45-2.人として
トーランは厳しい人だが、優しい人でもある。許せないと言いつつも、カノンの生き様を認めてくれた。
カノンはもう星降る夜の神と話をする気はなくなっていた。許せない。だがそこに星降る夜の神の生き様があった。そこをカノンは理解し、ただ星降る夜の神を責めるだけになってしまうかもしれない話をするのをやめた。
トーランとカノンはその後も何度か話をするチャンスがあった。トーランはいつもカノンと同じ目線で話してくれる。カノンにはっきり自分の意見は言うものの、一方的に責めたりはしないし、そして最後には必ず「よく頑張ったな」と言ってくれた。
カノンはそれが心地よかった。単に褒めてくれるからという事ではなく、カノンと話をしている時のトーランがリラックスしているように見えたからだ。決して大口を開けて笑ったりしないが、僅かに口角を上げる優しい笑みを見ると、カノンも嬉しくなった。
なんだかんだでカノン達は一カ月そこに滞在していた。鷹常はすっかりグラーンと気安くなり、ちょっと見ると恋人同士なんじゃないかと思えるほどの距離間で笑いあっている。それもそのはずで、出会ってすぐの頃にグラーンはほっぺの鱗の下に、真っ赤な手形をつけてきた。
「彼女と別れてきた」
そう言って鷹常に猛アプローチするようになったのだ。ニルマは魔石使い同士で気が合うのか、ディーバンとよく話している。
「戦士共は、国は事務方の仕事で成り立っていると知らないんだ」
ディーバンは書類の山を抱えながら、そう不満を漏らしている。ニルマはそんなディーバンを励ましながら、笑いあっていた。
獅子はあまり警戒を解いてはいない。誰とも馴れ合おうとはしないが、それを気にして声をかけてくるメヤーマやゴーデンとはちょくちょく話していた。
「なんだかお兄さんができたみたいだ」
カノンがちょっと気恥ずかしそうにそう言うと、トーランは一番の笑みを見せてくれた。
帰る日の前日、カノンは星降る夜の神の神殿に返した赤い鱗に最後のお別れに行った。修羅の気持ちを救ってくれたその鱗の持ち主ドーレンと、そしてトーラン王に感謝の気持ちで祈る。それから小走りで戻っていった。その途中、廊下の角の所で軽く誰かとぶつかる。
「あ、すみません」
カノンは相手の顔は確認せず、軽く頭を下げてまた走り去っていく。
「よい」
カノンの言葉に軽く返事をし、ぶつかられた男の方もそのまま歩いていこうとした。しかしふと気づいて振り返る。
「余に、ぶつかった……?」
その夜、トーランは宮殿の屋根の上で頭を抱えている星降る夜の神の姿を見た。声をかけると、星降る夜の神は今にも泣きだしそうな声で叫ぶ。
――わかってしまった! 人に戻る方法が。だが余にはできぬ! もう二度と、畜生には戻れぬ!――
星降る夜の神はなおも叫ぶ。
――時折、余の姿が見えた者達は言ってくれる。余にこのまま共に生きようと。人に戻りたい! 人として死にたい! だがもうそれは許されぬ!――
トーランは考えた。許されない行いというのはどうしてこんなにも人を苦しめるのだろう。いっその事あの男の存在は神にとっては救いなのかもしれないとさえ思った。
「共に生きましょう。あなたの姿が見えなくなっても、わたし達はいつでもあなたを想っている」
トーランの言葉に星降る夜の神は目を潤ませて微笑んだ。
――そなた達と話せただけでも、永遠の時を生きた甲斐がある――
そして星降る夜の神の姿がまた見えなくなった。
帰りの道を送ってくれたダーダンは、別れ際ににやっと笑った。
「おまえ達が来たおかげで、おれ達はきっとまた外の世界に出て行けるようになる」
アネネとチョーワは竜人の国に置いてきた。二人がこの国に住むのを歓迎すると、トーラン王が公言してくれたからだ。アネネはチョーワと別れる事にならずに済んで、とても嬉しそうな顔をしていた。
そして竜人の国に入る前の麓の村まで来て、そこで旅の準備をしながら二泊した後、カノンは鷹常と獅子とも別れる事になった。二人はそのまま竜の背沿いを北上した先にある国、弦の国に帰る事にしていたからだ。
カノンと鷹常はきつく抱き合った。ニルマと獅子も腕を合わせて別れの挨拶をした。
「竜人の国から本当に戻ってきたと思ったら、今度は仲間とお別れなんて、あんた達も忙しいね」
遠ざかる鷹常達の背中をずっと見送っていたカノンの後ろから、ミズネという男が声をかける。ミズネは竜人の国に入る前にもこの村で会った若い西エルフの青年だ。ニルマはミズネの話し方が鼻につくようで、顔を見た途端、渋い顔をしている。
「その点、ぼくは気長だよ~。辛抱強いと言ってもいいね。こんな何もない村に二カ月もいてあげてるんだからね」
「ミズネはここで何してるんだ?」
何か話したそうなミズネに、カノンは素直に尋ねる。
「ん~教えてあげてもいいよ~? あんた欲がなさそうだしさ。ぼくがやってる特別な事」
ニルマはその言い方に完全にイラついたように、ミズネに背を向ける。ミズネがニルマに対して、しっしっと言うように手を振ったのもある。
「おれは宿に戻って旅の準備をしとく。何かされそうになったらすぐ呼べよ」
「失礼だな~、ぼくが何するって言うのさ」
ニルマが去ると、ミズネはカノンに「ついてきて」と言って、村外れの小さな洞穴がある場所に来た。
そこにいたのはこの東側の地方では見ない、墨のように真っ黒な肌の少年だった。
「ぼくが面倒を見てあげてる子だよ。黒エルフっていう秘密の種族の子なんだ。他の人に喋っちゃダメだよ?」
「面倒を見てるって……? 怯えてるじゃないか!」
カノンがすぐにそうわかったほど、その十歳くらいの少年はミズネに怯えた目をしていた。
「嘘じゃないよ。言う事聞かないからちょっと叩いちゃう事はあるけど、ご飯はちゃんとあげてる。ただいい加減臭くてねえ。あんたこの子を川で洗ってあげてくれない?」
村の人に頼むと変な噂になっちゃうかもしれないからさ、とミズネは言った。カノンは湧いてくる憤怒の感情をできる限り抑えながらも、剣を抜き言った。
「消えろよ、あんた。この子はわたしが連れていく」
第五章 星降る夜の神・終