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8 金曜日/夜

 金曜日、夜。


 ろうそくの炎が揺れる。テーブルの上に据えた仏壇から持ってきた灯明をたよりに滝は読み続けた。


 いつしかジョバンニは人気者になっていました。

 絵を描いてと頼まれると、いやな顔ひとつせずに相手が望む絵を描きあげます。

 授業では手をあげ、誰も答えられなかった問題に正解します。

 新しい家に遊びに行きたいと言われたなら、誰でも招待しました。広く新しい家には、いくつも部屋があり、目新しいおもちゃもありました。ジョバンニのお母さんが焼いたケーキやクッキーが紅茶と一緒にふるまわれました。

 以前はジョバンニをからかっていたザネリでさえ、今ではジョバンニの気を引くことに余念がありません。

 ジョバンニはもう放課後に働きに出ることはありません。絵を描くときに申し訳なさそうにカムパネルラから絵の具を借りることもありません。

 お金持ちになった父親から買ってもらった絵の具で、ジョバンニは色彩鮮やかな絵を描くのでした。


「ジョバンニ、日曜日にうちにきて一緒に絵を描かない?」

 金曜日の放課後、カムパネルラは帰り支度をするジョバンニに話しかけました。

「ごめん、その日はもう予定が入っているんだ。ケンタウルスのお祭りに出す花車(はなぐるま)を父さんと母さんと三人で見に行くんだよ」

 ジョバンニはさして悪びれるようすもなく、カムパネルラにごめんねと言うと、廊下で待っているザネリたちのもとへと走って行ってしまいました。

 花車は九月のケンタウルス祭りのパレードに出される花で飾られた車のことです。地区や会社ごとで毎年作られますが、何人かでお金を出し合って用意することもあります。

 去年までは、ジョバンニはカムパネルラのお父さんたちが作った車に一緒に乗ったのです。高く組まれた花車のうえから町を見下ろしたり、同級生に手を振ったりしました。

 今年は一緒じゃないんだ……以前のジョバンニだったなら、二つ返事でカムパネルラと約束をしてくれたものなのに。カムパネルラは鞄の金具を閉めるのに手間取りました。教室に残っていた数人の女子学生に一部始終を見られた恥ずかしさといたたまれなさに、カムパネルラは足早に学校を後にしました。

 家に帰りついたカムパネルラは、使用人からの「おかえりなさいませ」の声に返事もせず、誰の顔も見ないようにうつむいたままで自分の部屋の扉を閉めました。カムパネルラの部屋は日当たりのよい部屋です。整えられたベッドに、黒く光るピアノもあれば、図鑑や本が本棚にたくさん並んでいます。

 一人きりになると、カムパネルラはレースのカーテンが引かれた窓辺にうずくまりました。

 ジョバンニはもう、自分をいちばんの友だちと思わなくなったのでしょうか。

 コンクールで一等を取り、お金持ちになって、ジョバンニはとても活動的になりました。

 以前はカムパネルラとしか話さなかったのに、今は誰とでも気さくに言葉を交わします。みんなと家の行き来もします。

 わずかな時間があれば、カムパネルラのところへ遊びに来ていたのは、ずっと前のことのように感じます。

 扉がノックされて、カムパネルラはあわてて涙をぬぐいました。

 扉を開けたのは、カムパネルラのお父さんでした。

「どうしたんだい? みんなに挨拶も返さないで部屋に閉じこもるなんて」

 言われて、カムパネルラは背中を丸め小さな声で、ごめんなさいと応えました。

「泣いていたのかな」

 お父さんは、仕事から帰ったばかりなのか、背広姿でした。

「ジョバンニくんと、けんかでも?」

 カムパネルラは首を横に振りました。

「けんかなんかしない。だって、もうぼくと遊んでもくれない」

 口にすると、さびしさと相手にされない悔しさで涙がまたあふれてきました。

「ぼくなんて、もうどうでもいいんだ。立派な家に住んでいるし、絵の具もおもちゃも本も、ジョバンニはなんでも持ってる。ずっと一緒だったぼくには飽きちゃったんだ。他の子とばかり遊んでる」

 それに、とカムパネルラは学校での様子や花車のこともお父さんに話しました。話しているうちに、カムパネルラはお腹や頭が熱くなってきました。あれだけ仲良かったジョバンニのそっけなさに腹が立ってきたのです。

 絵の具を貸してあげたこと、花車にのせてあげたこと、家に招いておやつをごちそうしたこと。

 たくさんのことをしてあげたのに、ジョバンニの態度の冷たさときたら……。

 カムパネルラの話をピアノの小さな椅子に腰掛けて聞いていたお父さんが、鍵盤をひとつ鳴らしました。

「カムパネルラ。カムパネルラはジョバンニくんが遊んでくれなくなって、さびしくて悲しいんだね」

 カムパネルラは涙をふきながらうなずきました。怒りすぎて頭が熱くてくらくらします。

「いろんなことを、してあげたのに」

「それはジョバンニくんが、かわいそうだったから?」

 カムパネルラは、はっと顔をあげました。お父さんは、ゆったりとしたメロディーを弾き始めました。

「かわいそうだから、いろんなことを《してあげた》。でも今は、ジョバンニくんのお家はお金持ちになった。カムパネルラがしてあげられることは無くなったんだね。カムパネルラが好きだったのは、貧乏なお家のジョバンニだったのかな」

「ち、ちがうよ!」

 ちがうともう一度口なかでつぶやきましたが、カムパネルラの唇はゆがみました。

「ジョバンニ、ずるいんだ。きっと白いカタクリの花を独り占めにしたんだ。だから、いいことばっかり起こるんだ」

「カムパネルラ……」

 お父さんは不協和音を鳴らすと、カムパネルラの方に向き直りました。カムパネルラはお父さんの目が一瞬険しくなったのを見て、背中がビクッとしました。

「そのことは口にしてはいけない」

 町の人たちは、誰も今年のカタクリの花のことを話しません。話すことを禁じられているかのように。

「友だちが苦しい時に、そばにいてあげられるのが一番大切なんだ。カムパネルラ、おまえはジョバンニくんの力になっていたんだよ」

 うん、とうなずきながらも、カムパネルラはジョバンニにただ親切にしていただけではなかったことに、もう気づいていました。

「また、ジョバンニくんを誘っておいで」

「はい」

 答えたカムパネルラの頬の涙は、乾いていました。けれど、胸の奥には今までなかった痛みがあるのでした。



 滝は神前が書き残した文字を追った。文字はゆがみ、消しゴムを使うのももどかしかったのか、二重線で消された文章がところどころにあった。

 もともと読みやすい文字を書く男ではなかった。神前は自分のアイデアメモさえ、読めずに難儀しているのを滝は何度か見ていた。

 ――そういえば、ペンの持ち方が変だった。親指を握りこんでしまって。字が下手なのは、思考に手がついていけないから、つまり頭の回転が速いからだ、なんて言っていた。

 思い出し笑いをした滝を、少女は不思議そうに小首をかしげた。カイトが女の子の膝の上であくびをした。









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― 新着の感想 ―
[一言] 大人達も同じ事を思ってるんだろうか。それとも、別の何かを知ってるんだろうか…… みんなそこに固まってるのが何だかほっこり……
[良い点] 紡がれた物語だけが最後まで残る……。読み手すら消えてしまったとしても。 哀しい予感と共に、最後までじっとお待ちしております。
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