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2 日曜日/午前

 日曜日、午前。

 料理を作れ、と言ったわりに神前はあまり食が進まなかった。

「ギョニソとピーマンのウスターソース炒め、って」

 コートも脱がずに居間に腰を下ろした神前は滝の手料理に箸をつけた。魚肉ソーセージを油で炒めるのは、滝家では定番だったが、裕福な家庭育ちの神前には初体験のメニューだったらしい。

「退院したら、とにかくすげえウマイもん食べようと思ってたんだけどな。アワビの炊き込みご飯とか」

 アワビの炊き込みご飯は、以前神前が来たときに食卓に出たものだ。滝の母親が腕によりをかけて調理した。

「あの時は」

 特別だったろう、とまでは口にはせずに滝は箸を止め神前を見た。

 帽子を脱いだ神前の頭には髪の毛が無かった。いや、髭も眉もない。頬がこけ、目が落ち窪んで隈ができている。骨張った指で箸を握り、ピーマンの炒め物やモロヘイヤのおひたしをゆっくりと口へ運んだ。

「てっ」

 口内炎なのか、神前は時おり顔をしかめた。

「なんだよ、ハゲ頭が珍しいか。それとも自分を見てるようで気味が悪いのか」

 滝は視線を茶碗にもどすと、何も言わずに卵焼きを口に入れた。

「等々(トドロキ)の奴が、おれが本屋でバイトをしてるって、勘違いしたな」

 後ろ姿があまりにそっくりで、神前の友人の等々(トドロキ)が滝を人違いしたことで大学の違う二人は知り合った。

「バイトと講義、入れかわってもしばらくバレなかった」

 面白かったよな、と神前はケラケラと笑ったが滝は顔をしかめた。

「言葉遣いが雑だし、レジひとつ打てなくてすぐバレた、の間違いだろ」

 教授からは不興を買い、バイト先の店長には怒られた。

 もっとも、神前は平気のへいざで兄弟かそれとも双子かと聞かれて、「腹違い」と冗談めかして答えたものだった。もっともそれは学生時代のことだから十数年も前のことだが。

「しょうがねえだろ、口が悪いのは成金の子供だからよ。でもさ、おまえこそなんだ、その頭は。塾講の仕事は?」

 滝は肩まで伸びた髪を後ろで一つに結んでいた。

「とっくに辞めて近所の子のカテキョしてた。今年も教員採用試験ダメだったし、年内に再就職しようと思ってたんだ」

「作家一本でやる気じゃなかったのかよ」

 滝は、まさかとつぶやくと母が残した梅干しを口に含んだ。

「残り一週間て言ってたけどさ。一日三食、七日間で一人でも二十食は必要だよな。四人なら八十食、五人なら百……なかなか暴力的な数字だ。残り三日くらいで知らせてくれた方が親切ってもんなのに」

 神前の口は食べるより、話すほうに使われている。

「心残りのないようにって気遣いだろう。でもこの分じゃ早めに切り上げる連中もいるかもしれない」

「違いねえ。滝、悪いが厄介になるぜ。いや、悪くはねえよな」

「病気のほうは、どうなんだ? 病院へ戻らなくていいのか」

 神前は茶碗と箸を置くと、コップの麦茶をすすった。

「末期の肺がんだ。病院にいても出来ることなんかない。医者も看護士も、他人の面倒なんか見ないで自分のために時間を使うさ。もって一ヶ月って言われてたんだ。あと一週間生きりゃいいんだろ? 楽勝だぜ」

 くくっと笑うと、神前はそのまま重い咳をした。

「そういや、タキも余命一週間だ。どうだ? 命の期限を切られる気持ちは」

 滝の息がぐっと詰まった。神前が余命を宣告されたのは一年前だった。余命半年といわれながら、ジリジリと今まで命をつないでいた。

「出版までには、おれは死ぬはずだった。そうなれば、死人に口なし。完全犯罪だったな」

 滝の胸が一気に冷えた。口の中のものがうまく飲み込めず喉につまる。

「スマホ貸せ。おれはおまえが盗作したことを世間にぶちまけてやる」

 テーブルの上にあった滝のモバイルを取り上げると、神前は背を向けて素早く指を動かした。滝は胸を叩いて飲み下す。

「まて! ちがう、あれは……」

 滝がやめさせようと茶碗を放り投げて神前のところへ行くと、神前は小さな液晶を凝視してうなった。

 SNSの見慣れた画面が、ものすごいスピードで流れていく。

【陰謀だ】【ご冗談を】

【隕石、見えてる?】

【開いてるスーパー、どこ?】

【パニック】【電車、止まった】

【帰れない】

【事故】【火事】【助けて!】

【嘘】【うそ!】【ウソ!!】

 目が拾えるのは、不穏な単語ばかりだった。神前は果敢にも文字を打ち込もうとした。

「だめだ、サーバーが落ちる」

 滝が言い終わらないうちに、画面はフリーズして、どこを触ろうとも動かなくなった。

「なんだよ、もう!」

 神前がこぶしで畳を殴った。

「おれは、おれは、気が済まないからな。おまえがしたこと。謝れよ、おれの作品でショセキカっ」

 そこまで言って、神前は激しく咳き込んだ。滝は神前の背中をさすった。手のひらに骨が当たる。滝は唇をかんだ。

「神前、すこし休め。いま布団を敷くから」

 神前は咳をしながら、苦しげにうなずいた。滝は居間から廊下を挟んだ玄関横の客間の襖を開けると、来客用の布団を敷いた。いつのまにか、猫のカイトが足元にいて落ち着かなさげに長い尻尾を左右に振りながらウロウロとしている。

「立てるか。すぐ向かいの部屋だから」

 滝は神前に肩を貸して、客間へと移動した。布団へと倒れこむ神前のコートを脱がせる。

 神前は枕へ頭をつけると、大きく息を吐いた。咳はだいぶおさまったようだ。

「水、持ってくるから」

 台所へ行って丸い漆の盆に、水差しとコップを乗せる。ついでに洗面所から洗面器をもってきて底に新聞紙を敷いた。

 客間へ戻ると、神前の呼吸は落ち着いていた。少し目を開けて滝を見る。

「手際がいいな」

 滝が盆と洗面器を枕元に置くと、神前が言った。滝は苦笑いした。

「前に泊まったときと変わんないな。波の音が聞こえる……ひさしぶりに動いたら疲れた」

 大きくあくびをして、神前は目を閉じた。滝は窓のカーテンを引いて朝の陽ざしを隠した。

 カーテンを閉める前に見えた光景は、左手から延びている半島と水平線はかわらずにあり、違っていたのは眼下にある海沿いの道路だった。あきらかに交通量が多い。過疎の漁村にこれほど人の気配があったのかというくらい何台も車が通り過ぎる。

 家族を迎えに行くのか、なにか食料の調達へ行くのか。どこかへ逃げるのか。

 滝は鴨居にかけた神前のコートの袖を手に取った。学生時代から神前がよく着ていたものだ。上質な有名ブランド製で、滝には手の届きようのないものだった。けれど十数年の時を経て、コートの袖は擦りきれていた。大学を中退してからの神前の日々を思った。

 滝が振り返ると、カイトが神前の布団の足元に寝そべって毛づくろいをしていた。

「邪魔するなよ」

 滝の言葉を聞いてか聞かずか、カイトは身だしなみをしばし止めて緑の瞳で滝を見た。神前からは小さな寝息が聞こえるのを確かめた。

「舌、出しっぱなしだぞ」

 滝はカイトに小さく笑いかけながら、客間の襖を猫一匹通るだけ開けておいた。

 居間へもどり、食事の片付けをしてから、奥の自室へと行く。

 四畳半の左の壁には本が詰め込まれた書棚がある。机は書棚の隣だ。座り机の上にはノートパソコンと付箋だらけの原稿の束がある。

 滝は原稿を大判の封筒に突っ込み、押し入れへとしまった。

 海鳴りと車の音が聞こえる。ノートパソコンが立ち上がるまで、庭のコスモスが揺れるのを滝は見ていた。

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