第九話 男の正体
男の炎玉と大樹の白炎が拮抗していた時。
優里菜と千花、光の三人は防御天術を展開して、熱波を凌いでいた。
周囲は山火事半歩手前の乾燥状態だ。
「凄えな、大樹の奴」
「でもこれ、わたしたちは良いですけど、森が火事になりますよ」
その口調は軽いが、気を抜けば三人が熱波に焼かれそうである。
今いる場所が窪地になっていることが功を奏して、森全体へ広がることを防いでいるが、中に居る者はほぼ窯の中にいるような状態だった。
「殺られるよりましだ。それにその時は二人の出番だろ」
「人任せですね」
「適材適所だ」
千花の辛辣な返しに、光は弁明の余地もないので苦笑いを浮かべた。
そんな軽口を言い合う余裕のある二人とは反対に、優里菜の顔には影が落ちている。
死人が出た。強烈な炎を操る男は、簡単に人を殺せる。優里菜たちから興味を失くしたら、男はきっと躊躇いなく優里菜たちを殺していくだろう。
優里菜には男から逃げ切れるイメージが全く浮かばなかった。
三人の視線の先にいる男が、次の行動に出る。
「いいねえ、櫻守。これでもいけるか?」
男の右手にはもう一つの炎玉。
大樹と同じように自分の炎を増幅させようとしていた。
「まずい」
均衡が崩れる。
力のぶつかり合いに負ければ大樹の命が危ない。
優里菜より先に、光が熱波の中に出る覚悟を決めた。
二人に指示を出す。
「一瞬術を切ってくれ。そのタイミングで俺が出るから再構築しろ」
「無茶な」
それは術の切り替えではなく、結界の外に出ようとする光に対して。
「無理にでも出る。俺が出たらすぐにーー」
僅かな問答の間。
男の上空から落ちるように斬りかかる者がいた。
直前に察知した男は飛び退き、不意打ちを躱す。
現れたのは黒いフルフェイスを被り、男と同じボディースーツを着た両刃の剣を持った剣士。
大樹との遊びを邪魔された男は不機嫌だ。
「なんだてめえ」
男の問いに答えず、剣士は男に斬りかかった。
男は斬撃を避ける。
「ち。てめえ俺を攻撃するってことはそっち側だな?」
剣士は答えない。身体強化の異能力だけを使い、ひたすらに斬撃を繰り出していく。男に天術を使う時間を与えないように。
その攻撃を、男は剣士を認めているのか、光と千花にしたように炎の両手で受けようとしない。
灼熱が一段と強くなり、櫻色の炎光が辺りに広がった。
遂に木々の枝葉に着火する。
男の意識が逸れる。
剣士に動揺はない。変わらず男に詰め寄る。剣が男を捉えた。
が、その剣を炎の左手で受け止めて吐き捨てる。
「はっ。所詮、補充要員か」
剣士はすぐに左の拳の先に天力を凝縮した風玉を作り、右手で剣を引くと同時に男の横腹に叩き込む。
風玉が破裂した衝撃で男が吹き飛ぶ。
「ちいい! ってえなあ!」
男は大したダメージを負っていなさそうだった。
大炎が霧散すると、大樹の雄叫びが耳に届く。
「おらあ! どうだこの野郎!」
しかし男も剣士も大樹の存在を気にも留めない。
剣士は変わらず男に接近して戦闘を再開した。
それを見続ける光たち。いつもなら大樹を称賛していたところだったが、今は状況に頭が追いつかずにいた。
千花がポツリと疑問を口にする。
「仲間……割れ?」
「そう見えるよな」
一見、大樹や光たちを助けに来てくれたように見える。しかし、装備は男と同じ。すぐに味方だと判断することは難しかった。
「剣士に味方するべきでしょうか」
「わからん。炎の男を倒したらあの剣がこっちに向かうかもしれない」
「ですよね。あの人と合流して逃げましょう」
千花の言うあの人とは大樹のことである。男の炎玉を相殺し、大仕事をやり遂げたはずの大樹は、同じように状況の理解が追いつかず、呆然としている。
「宿舎に戻れば[おかん]もいますし……優里菜さん?」
「ーーーー」
「どうした、優里菜」
優里菜は剣士と男の戦闘を目を奪われているように凝視し続けている。
今が避難するチャンスであることは優里菜もわかるはずなのに、一縷の望みを見つけたみたいな顔をしている。
「優里菜、行くぞ」
「ーーはい。お先にどうぞ」
「は? いや、逃げるぞ」
「すみません。多分、大丈夫です」
「まさかお前」
「千花ちゃん、これお願い」
優里菜は腰に付けていた双剣を外し、千花へと預ける。
「え、あの」
「きっと大丈夫」
優里菜は周りに四つの水玉を生成し、足に天力を込めて疾走。
剣士と男の戦闘へと近づき、目を凝らして観察する。
男の挙動を、剣士の動きを。
二人の戦いは男が優勢に変わっている。
剣士の斬撃が受けられると分かれば、全部を躱す必要がないからだ。
「どうしたどうした! 動きが単調だぜ」
剣士を燃やすべく、炎を放つ。
一発目は地面を薙ぐように焼き払う。剣士は男に向かって斜めに跳んで躱す。振り上げた剣に天力を収束させている。そのまま叩き込むつもりだ。
そこで男は、二発目で迎え撃つ。
「終わりだ!」
再び炎玉。
剣士は炎玉を斬ろうとした。
「(ここだ!) そのまま!!」
優里菜は炎玉に向かって、思い切り水龍を放った。剣士にそのまま剣を振り下ろしてもらう為に。
水流が炎玉とぶつかり、剣士と男の間を横切った。
炎玉で蒸発した水蒸気が広がり、三人の視界を覆う。
何も見えなくなったはずの白い視界の中、剣士は予定通り剣を男のいた場所に叩き込んだ。その剣を、半身になった男に紙一重で躱される。続けて顔めがけて振り上げられる剣も体を仰け反らせて避けられる。剣先が僅かにマスクの顎下部分を斬り裂いた。
「ちい!」
男は濃い水蒸気の外側に飛び退こうとする。おそらく体勢を整えようとしている。
剣士は躊躇わず追う。男に剣は止めるられてしまうが、それは炎で覆った箇所のみ。他の箇所の剣筋は回避している。剣士の剣は肘まで炎で覆った両腕で防がれ、弾かれるも、回を重ねるごとに男の天力を斬る深度が上がっていく。剣士の剣に纏う天力が収束し、強固になっていっている証拠だった。
「だああ! うぜえなあ!」
男が腕を振り払い、炎で水蒸気を払い除けて視界をクリアにした。
この条件下ならば男は、これで再び対等の戦いに、優位に立てる戦いとの判断。
男が剣士に飛び込む。
そこに水の塊が二つ、男に命中する。それで男にダメージは無いが、意識が逸れた。
剣士が剣を叩き込み、男は左腕で剣を受け止めた。
「っち、クソが!」
耐刃仕様の装備を斬り、男の左腕から僅かな出血。剣の天力が上回り始めた。
剣士は男の右のアッパーを後方に避ける。脇構えから剣を斬り上げて、斬撃を飛ばす。
男はその斬撃を、左手で雑に弾いて燃やした。逆手で再び炎を放とうとしたところで、眼前に水玉が落ちてくる。
「 水の衝撃! 」
それが男に傷を負わせないとは言え、顔の前で爆発されれば仰け反り、よろめいて体勢を崩す。
男の標的が、剣士から優里菜へ変わる。
「さっきからうぜんだよ! 病じゃーーちい!!」
それを剣士は許さない。
お前の相手は自分だと言わんばかりに、剣士が男に肉薄する。
その剣士が、男の攻撃にタイミングがあってしまいそうになると優里菜が援護を入れた。周囲に水玉を置いて、いつでも必要な天術を行使できる母に習ったテクニック。まだ優里菜には四つ置きの二つの同時起動が限界ではあったが、今はこれで十分だった。
(傷つける攻撃は要らない。意識を少しだけ逸らせればいい。それだけで、十分だ)
優里菜は星月流を習い始めてから、攻撃の起こりを何となく感じ取れるようになってきていた。それは間近で戦っているときよりも、今のように距離を置いた時の方が気付きやすい。加えて、広輝と円という武術の達人たちの静かな起こりを間近で見続けた優里菜にとって、男のそれに気づくことは容易だった。
優里菜の度重なる横槍に、男のストレスが溜まる。何度か優里菜に攻撃が向きそうになるが、今度は剣士が無理やり男に接近してそれを防いだ。
そして遂に男のフラストレーションが爆発する。
マスクを取り、地面に叩きつけると、剣士を指差してその隣にいる優里菜にまくしたてた。
「だああ! てめえ何で敵か味方も分からねえそいつの味方しやがる!!」
「し、勝炎さん!?」
男の正体に優里菜は開いた口が塞がらない。
陽本代表、陽本勝弘を若返らせたようなその風貌は間違いなく風来坊の陽本当主、陽本勝炎だった。
元々行事ごとに顔を出す人物ではなく、優里菜が顔を合わせることも少なかった。二人が最後に会ったのはいつだったのかお互いに憶えていないほど前だ。
それでもお互いの存在は、嫌でも意識せざるを得ない。鳴上を支える二本柱の嫡子同士として。
正体が分かると、優里菜のことを病弱娘と呼ぶ理由も理解できる。彼の中の優里菜の印象は数年前で止まっているのだろう。
どうして今ここにいて、非道を行うかは不明だが、男が勝炎と分かれば状況が悪すぎると理解できる。
月永・櫻守と陽本の衝突が政治的にまずいのではない。
極度の実力主義を敷く陽本において、当主の肩書は陽本最強を意味する。
そして彼は、天子協会特殊任務執行部隊、紅の現メンバーであり[獄炎]の二つ名を持つ。
その狂人の前に立っている状況がまずい。本気になれば、一帯が、森が、山が焦土と化してしまうかもしれない。
先程よりも更にどうにか逃げなければと考え、頭の中がぐるぐると回り始めた。
数秒だが、口を開けたまま固まってしまった優里菜に勝炎が痺れを切らす。
「質問に答えやがれ! アホ娘!」
「あ、あほ……」
驚いたまま固まっていた訳じゃないのに、と。心外な評価に不服そうな表情を浮かべる。
その後、右隣にいる剣士の顔をほんの少しばかり視線を上げて、確信を持って言う。
語尾に"?"を付けているが、優里菜にとっては疑いの余地なく断定であった。
「広輝くんでしょ?」
・
・
・
「コウ兄!!??」
大樹と合流していた千花が目を見開いて驚愕。
剣士の動きに星月流を感じなかったから。千花の知る広輝は、叩き斬るような剣の使い方をしない。力に頼る剛剣ではなく、速く鋭い。あらゆる物を一閃する一刀だから。
剣士は自分の顔を触り、フルフェイスが壊れていないことを確認した。
「何で判った」
その声は間違いなく、優里菜の聞き慣れたパートナーの声。
「なんとなく? 雰囲気?」
フルフェイスの外まで聞こえる大きな溜息が漏れた。
広輝は妹分である千花をすら欺けるほどに動きを組み替え、ボディスーツとフルフェイスまでして別人を装っていた。その理由は別にあるが、わざわざその別人のままで割り込み、口を開かずに仲間割れのような演出もして、逃げる時間を稼いだつもりだったのだ。
しかし、それを一声で台無しにされた。
もちろん援護は予想外だが有用であり、気付かれた広輝にも悪いところはある。それでもやはり、モヤモヤは残るのである。
優里菜の額を左手で覆い、こめかみに親指と薬指を当てる。
「ーーえ?」
「助かったが、もっと確信を持って行動するように」
左手に、指に力を入れた。
「確信なら私なりに持って……イタイ、痛い痛いイタタタタタ!!」
優里菜が両手で広輝の左手を離そうとするが、びくともしない。広輝の素の握力は左右ともおよそ八○キログラム。正直、優里菜が昇格試験に来てから一番の激痛だった。
「ごめんなさいごめんなさい! わかったわかったから次気をつけるから離して!」
そこまで言ってようやく優里菜は解放される。
「はあー、頭割れるかと思った……」
穴が空いていないか確認するかのようにこめかみに手を当てる。勝炎との戦闘中であることも失念するほどに。
「興醒めだ」
この二人の茶番に、勝炎の熱はすっかりと冷めてしまった。相手を押し潰しそうなプレッシャーもなくなっている。
「仕事して戻るか」
勝炎が仕方なしの炎を両手に出し、広輝が星月流に構え直した時、冷めた声が降ってきた。
「やはり、こちらに来ていたか」




