第八話 狂炎の男
炎が落ちる。
煌めく炎が、黒く焦がし尽くす炎熱が、神の手から零れ落ちたかのように。
「 水龍の牙!! 」
一頭の巨龍が炎を飲み込み、共に大量の白い水蒸気と爆風を生んで消えた。
「へえ、少しはやるようになったじゃねえか! 病弱のゴミ娘!」
嬉しそうな男の声が熱い霧の中に落ちる。
「 獅子炎炎! 」
炎の獅子が水蒸気に包まれた窪地を駆け上がり、男に喰らいつく。吐き出した炎が火柱を上げて男を燃やす。
男は微動だにせず、獅子と炎を受けた。まるで品定めをするように。
「ほう。へえ……雑魚どもとは一味違いそうだ」
男は大樹の炎を全く意に介していない。男の衣服の一欠片すら焦げていない。男の纏う天力が大樹の炎よりも強固である証拠だった。
白い水蒸気が風に流され、四人と一人は再び相対する。
後衛の優里菜と大樹が前に出ていた。男の圧に怯まず臆せず、堂々たる背中が光と千花の前にあった。
二人が動けたのは、ひとえに経験の差。雷鬼と呼ばれる人外の傭兵、オリバー・エクスフォードの前に立った、あの時の恐怖と苦い経験が二人に恐怖の中で一歩踏み出す勇気を与えた。
怯えるだけ、見てるだけ、逃げるだけだったあの時の悔しさが「二度と繰り返すものか」と意志を奮い立たせた。
戦う意志を宿した二人の強い目が男を見据えている。
そんな強い思いを持った二人とは逆に、男は嬉しそうに目を細める。
今、関心を持った。
「少しくらい味見しても問題ねえよな」
圧が上がる。
天力が活性化する。
マスクの下で口角が上がる。
おもちゃを見つけた子供のように。
男は優里菜たちを飛び越えて窪地に飛び降りる。高さの優位を捨てた。『もっと近くで見たい』その自分の欲求に従って。
「おい、雑魚二人。邪魔だから消えろ」
その二人が誰を指しているのか、明白だった。
その瞬間、生まれた悔しさと怒り。傷つけられたプライドが恐怖に立ち向かう勇気を二人に与えた。
「っざけんな」
光は怖さを振り払うように槍を大きく振った後、しっかりと槍を握って構え直す。
千花も抜刀し、気を張り直す。
「訂正させてやる」
この戦いは負けられないのではなく、負けてはならない戦い。千花は強固な氷のごとく意志を固めた。
「いいぜ、邪魔にはなんなよ。瀬戸! 星永!」
男の両手に炎が宿る。さっきよりも輝きを増した炎が。
「千花!」
「はい!」
光が男の左手側から、千花が男の右手側に回り、左右からの挟撃を試みる。
まだ怖さはある。不安が気持ちを逸らせる。一手間違えれば、死が待っている。
しかし、殺意の有無は違っても、自分よりも強い相手に挑むのはいつものこと。どんなに技を磨いても、術を駆使しても、策を弄しても敵わない存在が身近にいる。二人の師であり、壁であり、尊敬するあの背中。真に強い姿を知っている。
彼を、彼らを思えばこの人の命をなんとも思わないこの狂った男がーー
(親父よりも)
(天守たちよりも)
槍と刀に天力を収束させる。
((強いはずがない!))
二人の狙いは男の腕。
光は左の肩口に雷槍を突き、千花は八相の構えから刀を右腕に向かってただただ強く斬り下ろした。
ーー宝星流槍術[鳳天衝]ーー
ーー星月流剣術[空破斬・裂]ーー
「なっ」
「っ!?」
「ま、次に期待だな」
男は炎の手で雷槍の刃に近い柄を掴み、氷刀の刀身を掴み止めていた。
槍から放たれた雷撃も、侵食する凍結も、男には無力だった。
「っこんの! !?」
光が槍を思い切り引いたが、びくともしない。
「んだよ。引き抜きもできねえのかよっと」
反対側で千花も引き抜くついでに男の手を斬ろうとしたが、千花の両手が引っこ抜けた。
「揃いも揃ってだらしねえ。ちゃんと持ってろよ」
男が刀を放り捨てると、槍からも手を離す。
「所詮黄色と白か。期待する方がバカだったってことーー」
「 水龍! 」
光と千花が男からわずかに離れた瞬間を狙って、優里菜が高威力の水流を放つ。それを男は視界が覆い尽くされる程の水流を左手だけで難なく受け止めた。
「へえ、で?」
水流の消失と同時に小さな水玉を装着した右手で叩きつける。
「 水のーー衝撃! 」
男は右手を優里菜の拳に合わせる。水玉が炸裂、爆弾相当の衝撃を一方向へ集中させたその天術を、男は右腕一本で受けてみせた。
「っと」
半歩下がる程度で。
優里菜は後ろに飛び退きながら、天術を行使。周りに三つの水玉を生成し、男へ放つ。
「 水の路 」
三つの水塊は男に命中したが、それは男に避ける気がなかったから。男にとってはシャボン玉に等しい。
優里菜が悪足掻きではなく、真面目にその弱い天術を撃っていそうなことに男は呆れる。
「おいおい、こんなの効かねえって分かってんだろ、病弱娘」
言い終わるとほぼ同時に、バチッと電気が走る音を聞いた。足元を冷やす独特の空気も感じ取る。後ろに目をやり、二人の姿に少しだけ胸を膨らませる。
全身に雷を迸らせて槍を構える光と刺突の構えで刀に天力を収束させた千花。
大技の気配。
炎玉を優里菜との間に放り捨て、土に着弾したその炎玉は火柱を建てる。優里菜の介入が困難になってから、雷と氷をきちんと視界に収める。
「来いよ。それでダメならお前らは終わりにするぜ?」
大炎を背にした男のプレッシャーが跳ね上がり、二人にのしかかる。
しかし、今度は負けない。引き下がらない。
明確な意志を持って、己の天術を全霊で撃ち放った。
「 行け! 天獄の雷槍!! 」
「 凍れ、氷結の嵐 」
優里菜が時間を稼いだ間に詠唱済みの最大威力の光の天術と触れたものを侵食して凍らせる千花の天術。
二つの天術を前に、男は光の天術だけに向き合った。
放たれた時は五つだった雷槍が一つに結集し、一直線に向かって来る。
男は炎で赤く煌めく左手を伸ばし、その雷槍を迎え撃った。
強烈な閃光が森に迸り、雷が落ちた轟音が響き渡る。
光が試験で優里菜に撃った雷槍とは比べ物にもならない威力の雷術。水龍の牙にも打ち勝てるその天術。武鬪演準優勝者に、瀬戸家嫡男に相応しい雷だった。
音が止み、眩い白光が消えゆく中、男は満面の笑みだった。
千花から放たれ続けている氷の息吹はきちんと森を侵し、帯状に凍らせている。
その中で男は、クーラーの風に当たるかのように物ともしていない。男の体も、装備も何も凍っていない。
煌々と両手の炎を輝かせる。
「ーーやりゃあできんじゃねえかよ!」
光に向かってその炎を撃とうと、男の全身が力んだ。
そのジャストタイミングで滝が落ちる。
水龍が男を食らう。圧倒的な体積・質量の水が男に圧しかかった。加えて男がいる場所は凍結の帯の中。
瞬時にその水が氷結し始め、氷の塔が建立。その一帯に白い冷気が窪地に広がり、吐く息も白くなった。
決着ーーになるはずだ。
三人は警戒を続ける。男の強さは次元の違うところにある。これで終わらないと、直感が言っていた。
その直感はすぐに正しいと証明される。
氷の塔が、一瞬で炎の柱へと変貌。
その柱の下に、柱の炎とは違う炎を全身に纏う男が立っていた。
「いいね、お前ら。中々いいぜ」
炎の柱が消えた時、今までとは違う男が現れる。
本気の雰囲気を纏い、かつて優里菜がオリバーに感じたものと同種のプレッシャーを放つ。
遊びがなくなった。
その男に向かって、上空から双剣が閃く。
ーー星月二刀流剣術・壱ノ型[飛蓮華]ーー
「! 、 !?」
剣が滑った。炎の上を。
男は片手で優里菜が着地した瞬間に手首を掴み、千花の方に投げつけた。
「ひゃああーーぐっ」
千花が刀を手放し、後ろにあった樹木も使って優里菜を受け止める。
「だ、大丈夫、ですか」
「ご、ごめん……痛っ」
掴まれた右手首が火傷していた。
二人の視線が優里菜の手首に移動する。その男から目を離した僅かな数秒。
手の平サイズの炎玉が撃たれていた。
「優里菜! 千花!」
光の掛け声のおかげで着弾の前にその炎玉に気づいたが、すぐに炎玉が破裂し、大火が広がった。
光はすぐに二人を救いに行こうとしたが、男が立ち塞がる。
「お前の好きな接近戦だ」
「!?」
光は急接近してきたことに一瞬怯んだが、それよりも男の位置取りに動揺した。
槍の間合いだ。光が最も得意とする間合い。
しかも男は理解してそこにいる。
完全に舐められている。
「んの!」
雷槍による高速の連撃を繰り出す。
その全てが刺突。武術の心得の無い者が捌ききれるはずのない連突。
しかしーー
「どしたどした! その程度か!?」
「らあああああああ!」
男は槍が最も真価を発揮する間合いで、槍を躱し、往なし、弾き続けた。
突きを止め、修めた槍術と天術を次々に繰り出すも、男に掠り傷一つ負わせられない。
「はああああ!!」
男は難なく対応して見せる。
今まで光が立ち会ったどの武芸者とも、達人たちとも違う。
男の動きに時間を感じない。弛まぬ鍛錬を、努力をしてきた時間が。
瞬間瞬間の閃きと感覚、それを可能にする肉体。
戦闘センスの暴力だった。
「!」
「っと掴んじまったぜ……そうだ、ちゃんと掴んでろよ」
「なにを……お、おおおお?!」
男は一本背負いの要領で、槍ごと光を炎が残る方向へと投げ飛ばす。
宙に放られた光はなんとか空中で体勢を整え、炎の熱を越えて、男の方を向いて足から着地した。
「光さん」
後ろから聞こえた優里菜の声。
振り向いて見た二人の顔が少し黒く汚れて疲弊していたが、無事なようだった。
「二人とも、良かっ……(まずい)」
全員が男の一撃の範囲内。
「耐えろよ、お前ら」
男の左手に集まる炎が、宝石のように赤く輝いていく。
男の狂気じみた性格とは裏腹に澄んだ炎。
否、狂気に準じるからこそ、他への余念が無いからこそ、その炎はどこまでも恐ろしく美しい。
男が肩を上げ、腕を引いた。
「こっちだ! バカ野郎!」
四人目の声が、男の耳にうるさく届く。
男は面倒くさそうに目をやった。
「ああ? ……へえ」
そこには男と同等レベルまで炎を練り上げた大樹の姿がいた。
大樹は白兵戦になれば、男と他三人の動きについていけないと自覚していた為、戦闘に参加せず、ここぞという時に一撃を入れられるように天力を練りに練り続けた。
「いいね、いいぜ! さすが櫻守! お前の炎、どの程度か見てやるよ」
その炎は男が一目で光たち三人から興味を逸らすほどの仕上がり。
赤く紅く濃密度の、烈火の如く熱く燃え盛る炎。
大樹も腰を落とし、右腕を引いた。
すると赤炎が揺らめき、白く変色する。
大樹が天術を磨いて習得した赤炎と、慚愧の爆発で偶然手に入れた白炎の融合。
この強力な進化に、残念ながら本人は気づいていない。
目の前の狂人を、この悪魔を倒すことに集中しすぎていて。
この炎を放つことに全霊を捧げていたから。
「 白蓮の業火! 」
かつて魔道人形を全焼させた白炎より、人工神のブレスと拮抗した赤炎よりも強力な炎を右腕から撃ち放った。
ほぼ同時に男が、己の半身ほどある大きさの炎玉を放つ。
初めて術名を告げて。
「 紅炎 」
紅く輝ける炎と燃やし尽くす白炎。
その衝突は高温の熱波が突風になって窪地に広がり、空へ抜けた。
「はああああ!!!!」
大樹は炎を放出し続ける。
男の炎玉と拮抗している感覚がある。
翠の鳳凰の時と同じ。
気を抜けば一気に押し負ける。
全身から天力を最後の一滴まで振り絞り、炎へと変える。
守る為に、打ち勝つ為に。
大樹は左手に収束させていた、もう一つの炎を撃ち出す。
白炎を後押しする赤炎を。
撃ち放たれた赤炎は白炎を押し込み、膨れ上がると、螺旋状に絡み合い融合。白と赤が合わさり、櫻色の炎と化した。
大樹の櫻炎は紅色の炎玉を飲み込み、一度膨らんでから紅炎と共に霧散して消えた。
「はあはあ……」
結果は相打ち。
しかしその会心の結果に、大樹は歓喜の雄叫びを上げた。
「おらあ! どうだこの野郎!」
自ら生み出した熱波に汗を拭い、大樹はしたり顔で男を睨みつける。
が、男は既に大樹を相手にしていなかった。いや、相手にしていられなくなっていた。
誰かと戦っている。
男と同じ青黒いボディースーツを着て、顔を覆うフルフェイスを被り、黒い両刃の剣を振るう誰かと。
仲間割れを思わせる想定外の展開に、大樹は状況を飲み込むのに時間を要した。




