第七話 試験最終日
長い長い最終日の始まりです。
爽やかな朝の日差し、マイナスイオンたっぷりの空気が森から吹き抜け、最終日に相応しい清々しい夏の朝がやってきた。
宿舎の共用スペースや食堂は昨日と比べて落ち着いた、というよりも、ピリッとした雰囲気だった。
その理由はチームメイトにある。
最終日の課目は、相手を妖魔に見立てた四対四の団体戦。翠への昇格を目指す者にとって正念場である。
その最後の戦いを共にするチームメイトだけが掲示されていた。
【月永優里菜 & 藤森千花 & 瀬戸光 & 櫻守大樹】
そのコンセプトは "昨日の敵は今日の友" らしく、全チームが昨日の対戦相手との組み合わせになっている。
運営委員の意図を汲み取るのならば、呉越同舟ができるかを試している、と思われた。
過去に受験したことのある面々は『前はそんなことはなかったはずだったが』と首を傾げ、初参加者は『初耳だ』と運営側の意地の悪さに困惑した。
その掲示の前で千花は優里菜と顔を合わせると、開口一番に謝罪した。昨晩のことは善意でしてくれたことだと理解していたので、昨夜は眠るまで布団の中で悶々とし続けていた。全部を委ねてしまいそうなあたたかな微睡みに落ちるのは違う気がしたからあんな幼稚な抵抗をしてしまったが、純粋な好意を無下に扱って平気でいられる千花でもなかった。
その後、チームメイトになる四人で集まって朝食を取ると時間の使い方について決めた。
この試験は午前の部と午後の部に分かれていて、優里菜たちは午後の部であり、昼食まで自由時間である。
チームメイトで親睦を深めるも良し、戦術を考えるも良し、雰囲気の悪化を嫌って微妙な空気のまま何もしないも良し。時間の使い方は受験者に一任されていた。ただし、宿舎から出ることは禁止され、試験会場となる森への立ち入りは、一発不正とみなされて失格になるとされた。
優里菜たちは全員昇格を目指して、戦術といくつかのパターンを考え、午前を過ごす。
時折ある光のアピールは、優里菜の気付かない振りで躱されたり、光を援護したいのか優里菜を守りたいのかよくわからない千花のツッコミで不発にさせられていた。それを目の前で見せられていた大樹は、不気味なくらい何も言わずに腹に一物あるようにむくれて鎮座していた。
正午を過ぎ、受験者の緊張が高まっていく。午前の部の受験者は宿舎には帰らず、離れた場所にある洋館で午後の部が終わるまで待機することになっていることもあり、区切りのない待機が緊張感をより引き締めていた。
十三時になり、受験者はあらかじめ指定されていた場所への移動を開始する。同時に試験エリアも指定されていて、そのエリアを出たら殉職扱いになるルールだった。
加えて対戦チームは試験が開始し、"遭遇"しなければ確認できない。これは四体の妖魔の浄化を想定した試験だからだ。
優里菜は指定場所までの道を他の三人に任せて、最後尾を歩く。森に入って五十メートル進んだだけで、既に一人で帰る自信をなくしていた。
地図を持った光の先導で順調に進み、指定場所に到着した。
目立った目印もなく、先導していた光は少し不安になる。
「ここで、いいんだよな?」
「いいんじゃないですか、ほら、あれです」
千花が「D-4」と書かれた札が木の枝に掛けられているのを見つけて指差した。
光は胸をなで下ろすと、最終確認を兼ねて場を引き締める。
「確認しておくぞ。遭遇するまで、俺・千花・大樹・優里菜の隊列で行動する」
分散して捜索するよりも、全員で固まって動いて発見次第即戦闘・撃破を選んだ。
「接敵したら基本的に俺と大樹はそれぞれ前衛と後衛で固定、千花と優里菜は状況に応じて前衛と後衛を判断してくれ」
大樹と千花が頷いた後、優里菜も頷く。
武術に秀でる二人が前衛になれば、鳴上組は必然と後衛になった。
「昨日までの試験を見聞きした感じ、俺ら一人ひとりにサシで勝てる奴はそう多くない。しっかり準備してるチームだったら、俺たちだと分かれば分断・各個撃破してくるはずだ」
これは四人が、実力が勝る敵をどう倒すかを検討した結果だった。四人同時に相手にしていたら手に負えない。だからどうにかして分断して数で有利な状況を作って撃破するのが得策。ならば、多くの対戦チームもそう考えるのではないか、と。
「くれぐれも一人になるな。もし一人になったら合流を優先しろ」
「はい」
「了解」
「……了解です」
「普通に戦闘になったら、優里菜と大樹は早めにキーマンを探し当ててくれ」
もしも分断を狙ってこなければ、勝ち目がある策を持っているか、予定通りの動きをし続けているかのどちらか。「目」を凝らして観察に力を入れ、リーダーか作戦の要から撃破することにしていて、その役目は広く場を見渡せる後衛の役目とした。
「はい」
「……はい」
大樹は力強く答え、優里菜は一拍置いてから返事をした。
光は優里菜の気が少し散漫になっている気がした為、もしかしたら自分と同じことを気にしている可能性を踏まえて、確かめるように尋ねた。
「どうした、優里菜」
優里菜は視線を右に左に、一度後ろを確認してから、妙に肌に張り付く空気を口にする。緊張のせいかもしれない。
「あの、私の勘違いかもしれないんですけど」
「やっぱり、そう思います? 良かった、わたしだけじゃなかった」
「マジか……柄にもなく緊張してるだけだと思いたかったぜ」
しかし、優里菜が全部を言い終わらない内に千花が同意を示し、光が厳しい表情を浮かべた。
三人が知覚しているらしき何か。それを大樹はまだ分からない。
「えっと、どうしたんですか」
「上手く言葉に出来ないんだけど……胸騒ぎがする」
「うん、ざわついている……ピリピリしてる」
「危険が近い時の空気だな。プレッシャーを感じる。強大な存在が近くにいる」
自然界に置いて強敵、強い存在が纏う特有の空気を如何に鋭敏に感じ取れるか。それがどれだけ長生きできるかに関わってくる。
元来、その存在から逃げて、生き残る為の生存本能。
しかし人は、守る側の人間は、時としてその存在へと立ち向かう。
「それは対戦相手……ではないんですよね?」
大樹が確認する。
「だとしたら、よほど爪を隠してた竜がいたことになる。正直、そうであってほしいくらいだ」
これからの対処に頭を使い始めた光に、優里菜は突如として選択肢を提示した。天子協会の専用端末にある画面を表示して光へ見せる。
「どうしますか」
「どうするって……優里菜それ」
「試験を降りるか、続行するか、です」
それは岳隠でも使った非常事態を周囲の天子に伝える緊急信号。
押した瞬間に試験は終了し、試験官を始めとした高位の天子が動き出すだろう。医務室には紅副長の麻美子もいる。優里菜たちの情報を元に、森の中の何かへの対処に移行していく。
もしこれが“勘違い”だった場合はきつく叱られ、相応のペナルティが課せられても不思議はない。
それでも優里菜は最悪の回避を提案する。
「二人も感じ取っているなら、私はこれを押すべきだと思います。今すぐにでも」
これは堕天子が誕生するきっかけを知っているからこそ。二度とあんな悲劇を繰り返してはならない。その為ならば、昇格見送りもペナルティも軽いものだ。
だがこれは、優里菜個人の意思でしかない。
光には優里菜の判断が勇み足に見えた。光は昇格への欲求も、ペナルティの怖さも捨てきれない。
「待て。まずは確証を得よう」
光は折衷案を出す。
「あくまで俺たちの感覚の話でしかない。勘違いの可能性も十分にある。もちろん対戦チームの可能性も」
「わかりました」
優里菜は端末を引き下げ、思いのほかあっさりと光の案を飲む。その案に異議はないようだった。
光の言う通り、確かに確証があった方が話は早い。付け加えるのなら黄程度が感じ取れるものをもっと高位の天子が感じ取れないはずがない。対処していないということは、問題がない可能性の方が大きそうだった。
その時、ジジジと光の腕時計が鳴った。機械式時計ならではの音。光は時間を見てアラームを止める。
「時間だ」
時刻は14:00。今日の試験官は受験者の近くにはいない。場全体を俯瞰し、受験者を正確に考査する為、特殊な術と森には不釣り合いな監視カメラで遠くから監視している。止めを刺す行為、危険すぎる行為、違反行為、そして勝敗の審判を下す時のみ、術を介した声で介入する。
その他は受験者の裁量に任されている。
「まずは索敵だ」
三人は頷き、決めていた隊列で行動を開始する。
試験場に割り当てられた面積はおよそ野球場一つ分。木々が緑々しく葉を広げ、草花が深く生い茂り、その影に隠れながら小動物が駆け抜け、あらゆる虫が生息しているこの森では、身を潜めながら相手を発見するだけでも一苦労だった。
何より今は真夏。街中の酷暑に比べたら幾分マシだが、周囲を警戒した状態では、そこにいるだけで体力と精神力が削られていく。
制限時間は三時間。一時間が経過して何も手がかりが掴めなければ二人一組に分かれる手筈だった。
何も起こらないまま二十分が経過した。
「ぎゃあああああ!!」
光は振り向く。
三人とも驚いて身構えているが無事だ。
悲鳴も離れた場所からだ。
「同士討ちか?」
誰に宛てた訳でもない光の疑問に仲間が首を傾げそうに鳴った時、次の悲鳴が届いた。
「く、来るな! うわああああ!」
皆、顔を見合わせ、アイコンタクトだけで意思疎通を終える。
一言も発せず、ただ頷き合うと声のした方へ向かった。
*
森の中にある大きな窪地。
その縁に立つと窪地の中に黒く焼け焦げた場所が数ヶ所見えた。黒い地面の上は、樹木が焼き砕かれ、残骸は炭へと変わり、草葉は欠片もなく燃やし尽くされ、湯気混じりの煙が細く立ち上っていた。直近に燃やされたのだとわかる。
四人は縁の直下にある黒い地点に下りていく。
近づけば近づくほど焼け焦げた臭いが鼻を突く。それは木々や草花、植物が燃えたにおいに混じる歪で不快な異臭。思わず顔をしかめ、鼻を塞ぎたくなる。黒い地面に立ち、その真ん中に横たわっているのが倒木ではなく、人であることを認識するまでは。
「これは……」
彼もしくは彼女が誰なのかも判別つかないほどに全身が黒く焼け焦げた体。生きてはいないだろう、光は思った。
天力の纏いを突き破り、ここまで焼け焦がすほどの強力な炎熱。相対した敵との実力差が見て取れる。
千花と大樹は悲惨な有り様に絶句する。縁から窪地の中を見た時、この黒い点は数ヶ所あった。その全部が同じならば、そこには同じ光景があるはずだ。
立ち尽くす三人から前に出て、優里菜はその焼けた体の横で両膝をつく。
その手の施しようがない焼死体に何をするつもりなのか。大樹が不思議に思い、声をかけた。
「優里菜さん?」
優里菜は答えず、口元に手を当てた。次に聴覚を強化し、体に触れないよう耳を胸に近づけ微弱な鼓動を聞こうとした。
「まだ生きてんのか、そいつ」
縁の上に、悪魔が立っていた。
優里菜たちに見えないプレッシャーが重くのしかかる。気を抜けば膝から崩れ落ちてしまいそうな、もしくは今にも踵を返してしまいそうな、圧倒的な実力差を感じさせる強者の圧。
「あいつだ」と四人は確信した。
警察の特殊部隊が装備していそうな黒い軽装備を身に纏う。顔は目以外を覆う黒いマスクで分からない。左腕で何か大きなものを背中に担いでいて、興味なさげに四人を見下ろす。
「そのまま死なせてやった方がそいつの為だと思うぜ。火傷の治療は地獄らしいからな」
若い男の声。プレッシャーとは裏腹に男の調子は軽い。
優里菜たち四人が動けずにいると、男は担いでいたものを四人に向かって投げ捨てた。
「ほらよ」
手を離す瞬間にそれを爆発させた。
四人が腕で顔を覆って身構える。
ドサリ、と重いものが四人の前に落ちた。
四人が見たそれは、もう一人の黒焦げの人間。百八十センチはありそうな男だった。
「試験官くらいは一発でのびないと思ってたんだが、雑魚だな雑魚」
男が退屈そうに溜め息を吐く。
その口ぶり、見せられた能力、ほぼ間違いなく犯人は男で確定だ。
「ってわけだ。テメエらも死んどけ」
男は徐ろに左手に炎を集める。
「やばい」、四人全員が直感した。
炎を、天力を左手に集めた、ただそれだけで。
その純度、濃度、密度、全てが高位天術のそれだったから。
男は幼子にボールを投げ渡すように、掬い投げるように、その炎をただ放り捨てた。
逃げなければ、仲間を退避させなければ、思う。だが、鮮烈な炎から目が離せず、体も動かせない。
盾を、反撃を、今すぐ刀を抜かなければ、と思う。けれど、のしかかる圧と恐怖に指一本動かない。
炎が落ちる。
悪魔にとってはただの炎。それが、残酷なまでに美しかった。




