第四話 巫女神楽
昇格試験より少し前。試験前の最後の鍛錬。
広輝の父・久下勇人は、自宅横に建てた錬武館を使って道場を開いたものの門下生は未だ優里菜一人。しかし彼女は円の直弟子であり、ほとんど広輝に指導されている。実質、門下生はゼロ人だった。時折単発で開く、空手や柔術、ヨガ教室の受講者はいるのだが。
その為、錬武館は広輝の使い放題であり、今は夏休みに突入している。つまり優里菜は、連日、炎熱の地獄を繰り返していた。
今日もその地獄を乗り越え、生ぬるい夜風が通り抜ける錬武館で、広輝と一緒になって床に仰向けに倒れて絶え絶えの呼吸を繰り返している。
その二人の顔の横にタオルを肩に掛けた円がスクイズボトルを置き、床に腰を下ろすと自らもドリンクを仰ぎ飲んで喉を潤す。
飲み口から口を離し、倒れている二人を見下ろす。水分補給をせず、口を大きく開けて胸を何度も膨らませる二人を見て、円のいたずら心が擽られた。
円はおもむろに広輝のスクイズボトルを手に取ると、その口に突っ込んだ。
「んぎ!?」
そのままボトルを握る。
「ンンンん!?」
広輝はボトルを奪い取り、迅速に起き上がると、口元を拭きながら抗議した。
「ゴホッ、ゲホッ……な、何するんですか!」
「水分補給。できないならさせてやろうと思ってな」
「いやいや、順番が、あります。順番が」
そこまで言って広輝は、咳払いして喉の詰りの解消にあたった。
円が優里菜に目を向けると、危機を察知した優里菜はすでに起き上がり、ボトルを両手で大事そうに持っていた。
円は気を取り直し、優里菜にアドバイスを贈る。いたずらできなくて残念に思ったのは内緒だ。
「翠に上がる実力はあると思う。あとは試験中にどれだけ平常心でいられるかだ」
優里菜も天位の黄から翠への昇格要件は知っていて、そのポイントも二人だけでなく兄と両親からも聞いている。ただ、切羽詰まった時にいつもの視野を持ち続けられるか、自信はなかった。
ボトルから口を離し、アドバイスを求めた。特にどんな時でも冷静沈着でいる広輝に。
「二人はどうやって平常心を、保ってるんですか」
広輝と円は目を見合わせ、広輝から話し始めた。
「オレのは多分、参考にならないぞ」
それは堕天子であり続ける為に、心に蓋をして感情を封鎖する為に、言い聞かせ続けた暗示だから。
「『冷静に冷徹に冷酷に……』って自分に言い聞かせてる」
優里菜も円も眉尻を下げ、コメントするにできない。
空気を読んだ広輝が手の平を上に向けて円に"どうぞ"と次を促した。
「私は、そうだな……まず頭の中に円を描いて、今やるべきこととそれ以外で二分する。そしてそれをスパッと両断してそれ以外を切り捨てる」
「切り捨てる」
「そう。頭の中を今、やるべきことだけにするんだ」
タスクフォーカス。
雑念をシャットアウトし、自分で制御できないことに悩まない。自分がコントロールできる範囲で、今自分ができることに集中する。
焦り逸る気持ちも、勝ちたいと思うことも雑念だ。目的と目の前の情報以外はすべて不要のものとして切り捨てる。
「この両断が中々難しくてな。生半可な覚悟だと餅みたいにびよーんって伸びて全然切れない」
伸びたら伸びた分だけ、まだ甘えや心残りがある証拠。
「だからこれを参考にするなら、一息に断ち切れ」
***
そして現在。
(やるべきこととそれ以外を二分)
やるべきこと:光に勝つ→大樹に勝つ→千花を助ける
それ以外:千花の心配、光との実力差、自分の劣等感
(これを断ち切る!)
思考と天力が洗練され、優里菜の身体を碧い力が包み込む。
「 流るること、流水の如く 」
ーー天術・流水ーー
この天術の効果は誰も知らない。行使した優里菜ですらイメージ通りにできているか不明。
水精の剣舞が始まる。
ゆらりと優里菜の肩が右に揺れ、戻す動きでゆったりと左前へ重心移動。
すうっと静音のまま光の槍の間合いの内側へ。
その動きを光は何の疑問も持つことなく目で追っていた。間合いに入られた瞬間も身動き一つしなかった。
優里菜の体が槍を弾き飛ばす為に力む。
ようやく光は危険を知覚する。
「光さん!」
「っ?!」
大樹の声もあり、一息に飛び退く。優里菜の右腕が槍が合った場所を斬り上げていた。
(なんだ、何が起こった?)
理解不能の事態に冷たい汗がどっと吹き出す。
光が平常心を取り戻す間もなく優里菜が最接近。変わらず身体が、本能が反応しない。光は目に入った情報を頼りに対処方法を頭で考え、一つ一つ対応していく。
(くそ、やりにくい!)
優里菜の動きは目で追える。速くない。なのに後手に回る。
確かに一つ一つの動作が滑らかで、全部の動きが繋がっているように錯覚し、攻撃の終わりも起こりが分かりにくい。
止まらない。
全然止まらない。
天子であれ、どんな武芸者であれ、所詮人間だ。息が続かなくなれば呼吸する。一息で繰り出せる最大攻撃回数があるはずである。その合間、呼吸のタイミングが掴めない。
無理に攻めれば受け流され、弾かれ、懐に入られる。守りに徹すれば、脅威を感じない斬撃が飛んでくる。
(危険を感じない? 敵意がないのかコイツ!)
優里菜の顔から表情が消えている。
(嫌なこと思い出すぜ)
一年半前。前々回の武鬪演準決勝。光は年下の剣士に敗れた。その剣士も終始無表情で何を考えているのかさっぱりだった。
けれど、彼の方がまだましだった。攻めも守りも、その起こりがあったから。攻撃と守備の合間と呼吸の間があったから。
その彼に比べて目の前の彼女は、不気味だった。
観ているだけならば美しい。碧い天力を纏った双剣を遣った舞いは、剣を振る度に碧い雫が飛び散り、太陽の光を反射して、舞子を彩っていく。
戦っているはずなのに本当に踊っているようだ。
優里菜の表情や雰囲気のみならず、その剣筋からも戦意と敵意を感じ取れない。ちゃんと攻撃してくるのに、戦う意思の無い者を攻撃しているような感覚に陥る。
だから気味が悪い。
その踊り子である優里菜は、ガチッとはまった歯車を外さないように必死だった。
円のアドバイスの通り、光との戦い以外を切り捨て、新しい天術を発想したまではいつも通り。起動させた瞬間、自分の身体と己の天術がガッチリと、嵌りすぎなくらいに噛み合った。
同時に噛み合わせは、余計なことを考えたら解ける。そう直感した。
この力を十全に発揮することが目的の達成に至ると信じて、湧き上がってくる感情と思考を次々に捨てていた。
(槍速い! 躱) ーー捨てる。
(今踏み込めば決ま)ーー捨てる。
(千花ちゃん大丈) ーー捨てる。
(突きが来) ーー捨てる。
(大樹くんは) ーー捨てる。
(いつまで続) ーー捨てる。
力の流れのままに、流水のままに、双剣のままに、優里菜は舞い続けた。
「大樹!」
光が援護を求めた。
優里菜の剣舞に見惚れていた大樹はハッと我に返り、円球の炎撃を優里菜に放つ。その炎は光に一息つかせる為のもので、躱される前提の炎だった。
その牽制の炎は、舞の舞の動作の一つとして自然に展開された"水鏡"によって跳ね返される。
避けられると思っていた大樹は、次の攻撃の準備に取り掛かっていた為に判断が遅れ、返ってきた炎に当たる。
また、優里菜が避けると思っていたのは光も同じ。距離を置こうとしたができなくなった。
苦し紛れに、横薙ぎ槍に広範囲天術・扇雷を放つ。
縦横に扇状に広がる雷の膜。光が咄嗟に出した術だが、生身の人間が受ければ電流が全身に走り、動けなくなって倒れるくらいの威力はある。
優里菜は水守を張り、雷をやり過ごす。
それは舞いの停止を意味した。
光は試合場いっぱいまで飛び退いて優里菜から距離を取る。
勝負に出た。
扇雷を二つ重ねて放ち、さらに雷撃を三発繰り出して、優里菜を足止め。奥底から天力を練り上げる。
「はあああ!」
光の全身に雷が迸り、周りにも音を立てて稲妻が走る。
四国の瀬戸家。星永と同じく、古くから武術を継承している天子の系譜。つまり、瀬戸家もまた長い血統を持ち、相応の天力を所有する一族。
そこの跡取りの天力量が多くないはずがない。
光は膨れ上がった天力を一気に愛槍に収束させる。
最大の威力を出すには詠唱が必要だが、その時間はない。
術名だけの最短詠唱で己の最大天術を放つ。
「 行け! 天獄の雷槍!! 」
槍から放出される高出力の雷。
優里菜は思い切り上空へ跳ぶ。
雷が五槍に分かれ、上向きに転換して優里菜を追った。
逃げ場のない空中。水守を展開しても、五槍の内のいくつかはそのまま優里菜を貫くだろう。
決着だ。
誰もがそう思った。
ーー天術・水の御柱ーー
突如、現れた空へ伸びる水流。
優里菜は水守を全包囲に展開し、上昇する水流に乗ってさらに天高く逃げる。水流は五柱に分離し、五つの雷槍を誘うが如く、一つの柱が一つの雷槍を吸収。
雷を帯び、役目を終えた水の柱は弾け散り、風呂をひっくり返したように、大量の水が地面に叩き落ちた。
その大水と雨弾に紛れて光の直ぐ側に優里菜が着地。振り払われる槍を月花で受け流し、碧水を光の胸元に突き立てた。
「〜〜っ……降参」
光は槍を落とし、両手を上げた。
パートナーを失ったびしょ濡れの大樹は、白炎で優里菜を撃ち抜くべく、右腕に天力を集中させる。
黒く濡れた砂の地面を踏みしめ、射程圏内まで距離を詰めようとした。が、足が地面に縫い付いたように動かない。
「何がーー氷!?」
すでに大樹の脛まで凍り、氷が登るように侵食してくる。
氷の発生源など一つしか無い。
大樹の炎虎に倒れたはずの千花に目を向けた。
うつ伏せの千花の左手が濡れた地面に触れ、そこから大樹までの間に黒い氷の道ができている。
地面に突っ伏す千花の口角がニヤリと笑い、してやったりと大樹を見上げていた。
「このっ!」
氷は腿まで上がってきている。
大樹は集めた白炎の標的を千花に変更。
腰をぐるりと限界まで回し、右腕を振り上げた。
「そこまで、だよ」
首だけを声の方に向けると、剣の鋒が鼻の先にあった。
優里菜の向こうにいる光が眉尻を下げて首を振る。
ここまでだった。
大樹は歯を食いしばり、悔しさを滲ませ、白炎を解いて右腕を下ろした。
「負けました」




