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いつか、君の隣へ  作者: U
第三章 欺瞞、憎しみの行方

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第二十六話 闇い神

 円との戦いを終えた優里菜は、円に教えてもらった丸太小屋に向かった、はずだった。そうすれば近くで広輝と千花が戦っているはずだから、と。

 しかし、あれよあれよと言う間に小屋への道から外れ、広輝と千花との戦闘にも過摺りもせず、小屋をとっくに通り過ぎ、ものの見事に白い森の中を彷徨っていた。

 本人は自分が正しい方向に進んでいるのか不安になりながらも、間違っていないつもりではある。この天性の方向音痴を持ちながら、彼女にとっての救いは運が良いことだった。迷っても誰かが迎えに来てくれる。道を間違えても誰かが見つけてくれる場所に辿り着くといったように。

 だからこうやって、最終目的地に辿り着く。

 二十メートルはありそうな高い崖。その下に古い石造の祠があり、周りは結界が張ってあるかのように木が一本も生えていない。その祠を中心に崖まで使って魔法陣が描かれていた。

 祠の前にしゃがみこんでいた桑次郎が、優里菜の足音に気づいて視線だけを優里菜に向ける。

「ああん? まだいたのか、純情ちゃん」

愛紗(アイ)ちゃんを、返してください」

「ここにはいねえよ。どっかにある小屋ん中を捜せばいるかもしれないぜ?」

 桑次郎は優里菜から視線を切ると、ポケットから常道から受け取った宝石を祠の中へ置いた。

「案内、してください」

「は。頭ん中パーかよ、お前。敵だろうが」

 桑次郎は優里菜に背を向けたままやれやれと肩をすくめる。

「交渉です。アイちゃんが無事なら、戦う必要もなくなります」

「なんだそれ」

 桑次郎の声色が変わった。

 ゆっくりと立ち上がり、一伸びして肩の力を抜く。振り返り、年下の少女と対峙する。

「お前、俺になら勝てると踏んで言ってんな?」

「……」

 優里菜は失敗を悟る。言い方を間違えたと。

 戦いを回避するに越したことはないのだが、愛紗への心配と桑次郎への腹を据えかねる思いが優里菜に勇み足を踏ませてしまった。

 桑次郎の言う通り勝てると思っているからこそ優里菜は強気に出てしまった。先ほど本調子ではなかったが、円から勝ちを得た。その円よりも桑次郎は強く無いだろうと。

 加えて、円が正気に戻っている。その内、鷲一が鷹之を正気に戻して事態の解決に当たっていく手筈でもある。その為、優里菜が桑次郎に勝てなくても、時間さえ稼げれば桑次郎が追い詰められる。

 優里菜はこの優勢が崩れないだろうと不測の事態を想定できなかった。

 だからむざむざと、様子を伺いもせずに桑次郎の前にも姿を現した。

「気に入らねえな。勝てる喧嘩しかしねえ奴は」

「私は、アイちゃんを返してほしいだけです」

「は。だから、一人でそれができると思ってるからタイマン張ってんだろ?」

「違います。私はーー」

「違わねえよ。勝てると思ってるから挑んでくるんだ。ああ、そうだあの時も」

「あの時?」

「……あームカつく。お前もあいつと同じ目してやがる」

 急に桑次郎の目が殺気づく。

 ぞわりと悪寒が背筋に走った。優里菜は戦いの予兆を感じ取る。

「今度こそ、叩きのめしてやる」

 桑次郎は優里菜を誰かと重ねた。優里菜を代用し、やり直しを決めた。

 ポケットから藍白色の宝石を取り出して空に掲げ、常道から教わった解呪を唱える。

「"堕天"ーー目覚めろ、カミサマよお!」

 宝石が光り、祠の中が同じ色に光り、祠を中心に描かれた魔法陣が光り輝く。

 魔法陣に光の壁ができ、外からは誰も侵入できない。その光は空まで伸び、雲を貫く。

 光で覆われた魔法陣の中心。

 石造りの祠が割れて砕け散った。

 同時に真っ黒なドロドロとした液状のようなものが湧いて出て、白い雪面を黒く染めてゆく。

「なんだあ、こりゃ」

 桑次郎は、常道から[神堕とし]級の何かが封印されていると聞いていた。その封印を壊す為の天魔力であり魔法陣であると。

 そしてそれを身に纏うための、天魔力を移管したもう一つの宝石なのだと。

 そうすれば絶大な力を得ることができる。もう二度と見下されることもない、失うことはない。

 その売り文句に惹かれ、桑次郎は常道の提案に乗ったのだ。

 しかし、妖魔やそれに類するような霊体が出てくると思っていた桑次郎の予想に反し、実際に湧出してくるのは臭いと光沢の無い石油。どこまでも黒いそれは桑次郎の足元を越え、魔法陣全体へと広がってゆく。奇妙なことに崖も上るように広がっていく。魔法陣の内側を飲み込み、藍白色の光も閉ざすと、黒水は湧き出たまま外への浸透がピタリと止まる。

 そして、覆い被さるように桑次郎を一息に飲み込んだ。

「あがば、ばばばばばばばばばばばばばばばばばばがらんgbぁかじょいgじゃblk」

 逃れられなかった。

 振り払っても、走っても、掻き分けても、黒水は桑次郎を覆い包み離さない。

 天力を纏うことも出来ず、桑次郎は黒水に溺れていく。口や鼻から黒水が体内に侵入し、内側からも侵食していった。

〘ニクイ、ニンゲン、ニクイ、シネシネシネ、ニンゲン、マレビトオオオオ!!〙

 息も出来ず、苦しい状況の中、桑次郎の知らない感情が押し寄せてくる。

〘トジコメタ、トジコメタ、クライクライクライ、コワイコワイコワイ、ヤダヤダ、モウクライヤダ!!〙

 感情の奔流が桑次郎の思考を奪い、桑次郎が窒息して意識を失うと、それらは桑次郎を依り代にした。

 魔法陣の光の壁が消え失せる。黒水も湧出も止まっている。

 現界したのは、あらゆる光を飲み込むどこまでも闇く黒い身体を持つ巨大な蛇。

 とぐろを巻いた蛇が優里菜を見下ろしていた。

(蛇……?)

 時間が止まったように優里菜と蛇はお互いを見合った。

 優里菜の脳裏に過ぎる。ゲーベルの城のケンタウロスと風凰神社の翠の鳳凰が。戦いになれば勝てない。直感した。

 その蛇が空高く跳んだ。

「!?」

 優里菜はその風圧だけで転びそうになり、後ろによろめく。

 辺りが暗くなり、見上げて肝を冷やす。全身から冷たい汗が噴き出した。

 巨大な蛇が落ちてくる。

 優里菜をめがけて。

 優里菜は全力で森に逃げた。下敷きになり、潰されれば即死。

 優里菜の居た場所に、蛇がその巨大な身体を叩きつけるように地面に衝突した。

 その衝撃で地面が跳ねた。

 優里菜の足も意図せず、地面から離れる。前のめりに倒れ込み、雪に体半分埋まった。

 その背中を蛇の尾、もしくは胴が通り過ぎた。

 大きな塊がいくつも地面に落ちる音が優里菜の耳に入る。

 恐る恐る体を起こすと、優里菜は目を見張った。

 辺り一面の木々が薙ぎ倒されている。

 根を地面から抉り出されて倒れている木、幹を引きちぎられるように折られた木、歪な切り株のように幹から上がどこかに飛んでいってしまった木。

 振り返ればそれをたった一薙ぎでやった元凶が優里菜を睨みつけていた。憎悪と怨念を宿した闇黒の眼で。

 鋭い牙を持ったその口が開き始める。

(まずい!)

 優里菜は起き上がり、回避に全力を注ぐ。大きく口を開いた蛇の突進を間一髪で躱した。

 その蛇の頭はすぐに頭を反転させる。

(まずいまずいまずい! これはやばい!!)

 起き上がった場所は蛇の胴体が進行中。上手に回避し続けなければ、逃げる場所がなくなっていくと理解した。

 優里菜は天会の専用端末をさっと取り出し、緊急事態を報せるアラームを発信する。

 直後、蛇の二撃目が来た。

 再び雪にダイブするように跳ぶ。

 背中に蛇の頭が通り過ぎる風圧を感じた。

 今度は雪に埋まること無く、前転してすぐに立ち上がる。

 端末を仕舞い、対処を考え始めた。こんな避け方を続けていたら、食べられるか、あの体に轢かれる。

 幸いにして、蛇の三撃目がすぐに来ない。二度避けられて違う手を考えているのか。

「〘イル、イル、ニンゲンイル〙」

 微かに、低めの男の声が聞こえた。優里菜には何を言ったのかまでは聞き取れなかった。

「〘ニンゲン、ニクイ。コロス、マレビト〙」

 今度は老いた男の声。

「〘マタトジコメラレル、ヤダ、クライヤダ〙」

 幼い男子が泣く声。

「〘キエロ、キエロ。ワタシノマエカラキエロ!〙」

 若い女性の金切り声。

 依然として言っている内容は聞き取れないが、蛇の顔から聞こえてくると思った。

 けれど、他の場所からも聞こえる。音ではなく『声』とだけ認識できる何かが。

 老若男女問わず、様々な暗い感情と一緒に。

 そして、全てが合わさって、優里菜にも聞き取れる明確な意思が降り落ちる。

 憎悪に怨念、嫌悪に軽蔑、敵意に殺意、それら全てが籠もった呪言が。

『シネ』

 ぼこっと音がした。

 ボコボコボコボコと、蛇の体に変化が起こった。

 そこから生えてくる無数の足。顔には長い二本の触覚。

 その黒い巨体は蛇からムカデに変成した。

 その生物が何かを理解すると、さーっと優里菜の血の気が引いていく。

 ゾワゾワっと全身に鳥肌が立ち、総毛立つ。

 腰や足から力が抜けそうだ

「い、い、い……」

 生理的嫌悪。

 優里菜の苦手なもの第一位、ダンゴムシ。そしてそれに似ている多足類。

 蛇は大丈夫、蜘蛛もまだ大丈夫、幼虫類もギリギリ大丈夫、だがGとこいつらはダメだ。

「いやああああああ!!!」

 優里菜はムカデの顔めがけて最大天術である水龍の牙(アクア・アグナ)をぶっ放した。

 四ヶ月前の事件を経て、一度に使える天力量が上昇した優里菜は術名だけの最短詠唱で最大天術の劣化版を行使できるようになっていた。ただ今回、本来の威力を持ち、かつ無詠唱でこれを可能にしたのは本能的危機からだろう、と思う。

 龍の頭はムカデの顔に命中するが、ムカデは体勢も崩さない。

 ムカデの銅と同径の水龍の体がムカデを押し流し続けるが、その場で高圧の水流に耐え続けている。

 一向に倒せる気配がない。

 優里菜の中のムカデに対する恐怖が大きく膨らみ、戦意も屈しようとしていた。

 水流の勢いが少し弱まり、巨大な黒いムカデがもぞりと体をよじる。

「ひっ」

「そのまま!」

 少女の強い声が優里菜の背中を押す。

 少女は優里菜の左隣に並び、最短詠唱で一番効果的な天術を優里菜の天術に掛け合わせた。

「凍れ! 氷結の嵐(フローズンストーム)!」

 マイナス百度の氷の冷気。水の龍の体に合流し、その体を氷に変質させた。

 それでもムカデの顔を撃ち抜くに至らない。辺りに飛び散っていた水飛沫が氷の欠片となって舞い散る。

 優里菜の天術に陰りが見え始めた時、ムカデの体に異変が起こり始める。

 氷の嵐(フローズンストーム)の真骨頂はその冷気ではなく、氷結の侵食。この術の影響下にある氷に触れたものは氷に侵されていく。

 優里菜の水で水浸しになっていたムカデの体とその下の地面。千花の天術を加速させた。

 ムカデの顔が凍り付き、体の半分が氷結した。

「もういいぞ」

 優里菜の右隣で、円が抜刀。

 ムカデの頭より高く跳ぶ。

 優里菜と千花が天術を止め、円はムカデの首に狙いを定める。

 ーー星月二刀流剣術・壱ノ型[飛墜鷹]ーー

 風纏う双刀で凍りついたムカデの首を斬り落とした。

 円が華麗に着地。

 次いでその頭が地面に落ちる時には、ムカデの全身は氷結し終えていた。氷の中でムカデは蠢動も鼓動もしていない。

 円はひとまず安堵し、二人の下に戻ると、優里菜がムカデに背を向けて硬直しており、その痩せ我慢百パーセントの優里菜を千花が不思議そうに見上げていた。

「何してるんですか?」

「足、足がいっぱいあるのダメなの」

「あー」

 千花は優里菜の気持ちがよくわかった。以前は千花も苦手で、見つけてしまった時は悲鳴を上げたものだったが、広輝への憎しみを募らせていく間にいつの間にか大丈夫になっていた。あくまでも平気ではなく、それらを見ても慌てることがなくなったということ。

 円は苦笑いを浮かべ、優里菜に説明を求めた。

「怖いところごめんな。状況を説明してもらえると助かる。桑次郎はどうしーー」

 ミシと音がした。

「!」

「ひぅ」

 紛れもなく氷がひび割れる音。

 段々と大きくなり、その音が割れる音に、砕ける音へと変わる。

 その氷の中から漏れ聞こえる怨嗟の声。 

「〘コロスコロスマレビトコロス〙」

「〘トジコメタトジコメタ、マタトジコメタ〙」

「〘ツメタイサムイツメタイサムイイタイ〙」

「〘シネシネシネ、ゼンインシネ〙」

 そして、ムカデを包んでいた氷が砕け散ると、侵食されていた氷も飲み込み、黒いムカデの体が液状に融解し、一つの黒い塊に収束していく。

 この力の源を、星永の円は心当たりがあった。

「……祠の封印を解いたのか?」

「わかりません。あの人が魔法陣と小さな宝石で何かしたみたいです」

 ムカデの体が無くなったことで恐怖が和らいだのか、少しずつ平常に戻る優里菜が怯えながら疑問に答える。

「そしたら魔法陣が光の壁に覆われて、それが消えたら大きな黒い蛇が出てきました」

「蛇? ムカデじゃなくてですか?」

「最初は蛇だったの」

 みっともない所を見せてしまった千花に対して『信じて』と言わんばかりに訴えた。

「それなら桑次郎は……」

「たぶん、あの中です」

 黒い塊は円球になり、己を捏ねるように流動している。

 その内にまた姿を変えるだろう。

「さて、どうすれば終わると思う?」

「封印?」

「浄化、ですか?」

「もしくはどこかにある核を壊すか」

 三人は不気味な黒い塊を見つめる。

 封印は、その方法を誰も知らない。浄化は、優里菜と千花の二人がかりの天術でも少しも削れている実感がないので、無理そうだ。核の破壊も、その核がどこにあるかわからない。

 途方に暮れた。

 聞き取れないくらい小さな声で怨嗟の声が続く謎の物体。

 危険物であり、この森から出してはならないことは確かだが、手立てが三人にはなかった。 

「まずいな。止める手はあっても倒す手段が考えつかない」

「さっきの緊急信号はみんなに行ってるはずだから、来るの待てば?」

「誰を?」

「鷲一さんと鷹之さんと……コウ兄」

 千花が言い辛そうに広輝の名を挙げる。

 ここで優里菜はようやく千花と円が味方として一緒に戦ってくれていることに気が付いた。特に千花について今更ながら驚く。あの憎悪の眼が消えていて、広輝と共に戦うことも許した。

 すごく大きな一歩を感じた。

 目を丸くして千花を見る優里菜と、気まずそうに視線をそらす千花。

 円が苦笑い浮かべ、いよいよ形を変え出した黒い塊に視線を移した。

「鷲一さんと鷹之さんは期待するが、コウは相性悪いだろうな」

「そうなんですか?」

「だってあれ、斬って終わらないだろ」

「なるほど」

 広輝の主な攻撃は斬撃。それが効かないとなれば浄化の風(ゼロ・ウィンド)しかないが、天魔力を感じられない今、それも不可能だ。

 黒い塊の变化が終わる。爬虫類から哺乳類に变化先の形態を変えたらしい。

「虎?」

「虎だね」

 まごうことなき巨大な虎。憎悪と怨念に満ちた眼は変わらず、三人を睨みつける。

 ただし、今までと違い、外皮に光沢があった。

「なんで虎の外皮が鎧じみてるの?」

「桑次郎のせいだろう」

 桑次郎の力は鉄。彼が中に居るのなら、どうにかして彼の力を利用したのだろうと結論づけた。

 憤怒の虎が噛み締めた牙を見せ、その爪が三人に閃く。

「避けろ!」

 円の掛け声で優里菜と千花は飛び退き、虎の牙が地面をえぐり、根を張っていた切り株が飛び散る。

 円が虎の注意を引き、二人に指示を出す。

「要領はさっきと同じだ! 私が囮、外皮を剥ぐ! 優里菜ちゃんは天力をあれに浸透させるイメージを加えてさっきの天術!」

「はい!」

「千花、行けるか!?」

「あと一回なら!」

「よし! いくぞ!」

 優里菜と千花はすぐに天術の準備に入った。

 優里菜は今すぐにでも水龍の牙(アクア・アグナ)を撃てたが、まずは円にあの固い外皮を剥ぐのを待つ。

 円の一撃だけでは傷が付くだけで、剥くには至らない。

 だが、一撃だけでは終わらない。少ない隙きに数撃を与えた。剥げたところから硬い外皮は再生していくが、いくらか円が削る方が早い。

 その姿らしく素早く動く虎。爪と牙を円に繰り出すが、円はそれを華麗に躱し、反撃に繋げる。それは円が空中にいても変わらなかった。

 虎は攻撃が当たらないことに業を煮やしたのか、己の身体から触手のようなものを生やし、鞭の如く扱い、円に攻撃の隙きを与えまいとした。

 ーーその程度で円は止まらない。

 風に背中を押させ、足元に風守を作って跳び、風の道に舞う。その流麗な姿に見惚れていると、双刀が閃き、黒い虎を斬る。

 攻撃の密度が高くなればなるほど、円の反撃も多くなった。円は回避・受け流しと反撃が一連の動きになっている。そこに岳隠仕込の空破斬が加わり、虎の外皮が順調に破れていく。

 本来の円を見て、優里菜は本当に何故彼女に勝てたのかわからなくなった。

 黒い虎が円に釘付けになり、四分の一ほどの外皮が削れた時、優里菜は虎を侵す天術を開始した。

 空気は乾燥していて満足に水分を集められない。

 雪は千花の氷の天術の手助けになるはず。

 だから、自分の天力だけで。


「 出でよ水流、我が手に 」


 身体の奥底から水流を生み出すイメージ。

 片手ずつ天力を呼び出し、徐々に大きな水玉としていく。

 湧き出る源水、そして噴水のイメージ。

 両手にできた直径一メートルの水玉を体の前で融合させる。


「 集いて収束し、大いなる大河の源流となれ 」


 一つの水玉となっても優里菜は天力を止めず、水玉の中は高速の乱流となっていた。

 ここまでの優里菜のイメージは鳴上にある双神湖。

 多くの河川が双神湖に雪崩れ込み、一つの水門から下流へと下っていく。

 そんなイメージで水を生み、集めた。

 ここからは、ある意味黒い虎……いや、黒い蛇が優里菜に与えた着想だった。


「 汝は全てを呑み込む災厄の大河 」


 円は天力が黒い虎に浸透させるようにと言った。

 浸透、侵食、侵蝕。

 水流、河川、洪水、氾濫。

 それを可能とする水に(まつ)わるの神、または災厄の名は優里菜には一つしか思い浮かばない。

「 荒れ狂い、与えられしその忌み名は 」

 洪水・氾濫を神格化したともされる日本神話の中で恐ろしい怪物、あのスサノオでさえ策を講じなければ倒せなかった最強の怪物(けもの)

 それをここに顕現する。


「 八岐之大蛇(やまたのおろち) 」


 優里菜の水玉から五頭の水流が間欠泉の如く打ち出され、全てが黒い虎へ向かう。八頭ではなく五頭なのは優里菜の一度に扱える天力量が五頭分だったから。

 その膨大な大水を目にした千花と円から素頓狂な声が出た。

「へ?」

「は?」

 二人が想像していたのは、さっきの天術。

 それが一頭一頭がさっきの天術よりも強力になってそれが五頭分。加えて二人の経験上、並の天子一人が行使できる天術ではない。

 円が距離を取った黒い虎に、水の巨蛇五頭全てが命中する。身体から出ていた黒い触手が弾けるように消え去った。虎はその勢いに押し流され、僅かによろめいたが、爪を地面に突き立てて踏み止まる。そして真っ向から受け止め、持ちこたえるばかりか、優里菜に向かって一歩踏み出す。

「くっ」

 優里菜は天力をさらに注ぐ。

 それでも虎はこの激流に逆らい、進み、駆けた。

 優里菜に近づけば近づくほど勢いを増す激流を突き進み、その源泉を優里菜ごと刈り取るように薙ぎ払う。

 優里菜は防御間に合わず、薙ぎ飛ばされ、声を出す間もなく一番近い大木に背中を叩きつけられた。

 その一部始終を見ていた千花が天術を始める。強大な優里菜の天術を邪魔してしまうかもしれないと、これまで溜め込んでいた天力を惜しむことなく使い切る。

「この!」

 虎の足元に広がる冷気。

 凍らされた経験で、虎は危険を察知する。

 大水の源泉を刈り取ったその前足で、天術の途中だった千花を振り払い飛ばした。

「千花!」

 後方から接近する円に、虎は後ろに目があるかのように腰部と後ろ脚から再び黒い触手を無数に伸ばし、尾も使って牽制する。

 円はそれを躱し、受け流し、嵐のような鞭群を斬り進むが近づけない。

 そうしている間に、未だ立ち上がれていない優里菜に上空に爪の断頭刃がセットされる。

「くそ、優里菜ちゃん!」

 天術・八岐之大蛇に全天力を集中していた優里菜は、ほぼ生身で虎の攻撃を受けていた。

 ダメージは大きく、横隔膜が切迫して呼吸も整わない。辛うじて上がる手を掲げ結界を発動しようとした。

「水もーー」

 瞬間、身体を攫われた。

 憶えがある感覚だった。

 上空からの暴力、回避不可、同じような状況…………ゲーベルの城、ケンタウロス。

 あの時と同じように、お腹に左腕を回され、広輝に抱えられていた。

 千花の傍で下ろされ、今までいた場所を見る。優里菜が背にしていた大木は根本まで爪で切り裂かれていた。 

 間一髪。あそこにいたら水守ごとその身を抉り裂かれていたに違いない。

 優里菜はなんとか声を出し、広輝を見上げてお礼を言った。

「あ、ありがとう」

「ーー」

 広輝は背中を向けそうだった体を止め、左手をちらりと見てからその手を優里菜の頭をポンと乗せると、何も言わずに二度撫でた。

「?」

「千花、優里菜を頼む」

「コウ兄?」

 広輝は千花に優里菜を託すと、右手に持っていた太刀に天力を収束させ、虎に接近する。

 虎が広輝に狙いを定める。

 広輝は収束している時間がないと判断、そのまま太刀を振り上げた。

「円さん! 後の時間稼ぎお願いします!」

「何するつもりだ! ……!」

 未だ鞭の嵐の中にいた円。広輝の構えを見て、悟った。今の場所は射線上にない。事後の対処を考え始めた。

 虎の体が広輝に向く前にその虎の胸部から腰に掛けて、広輝は残りの天力のありったけを太刀に込めて振り下ろす。


 ーー天剣術・真空破斬ーー


 絶技と呼ぶには程遠い。

 収束も、天力も不足している。

 本来の六十パーセント程度。

 それでもこの真空の刃は虎の黒鉄の体を両断し、その通り道には、完全版と同じく突風が吹き抜ける。

 黒い魔力の塊が融解し、液状になって空中に飛び散っていく。

 突風が通り抜ける切断面がその体を削るように広がっていった。

 しかし、消し切るには全く足りない。

 虎の身体の大半を残して突風は止む。

 ボコっと切断面から音がした。まだ黒い物体が生きている証。

 広輝は太刀を振り下ろしたまま動かない。

 優里菜と千花が焦った直後、無数の斬撃が虎の残り物に奔った。


 ーー天剣術・空破斬 乱華月(みだれかづき)ーー


 双刀による高速の乱撃に空破斬を乗せる。連続で空破斬を放つ技である為、どうしても後になるほど雑になってその威力は落ちる。けれど、円ほどの達人になれば、空破斬の一撃一撃が必殺の一撃となり続ける。

 黒鉄の外皮を剥ぐ必要もない。切断面から外へ広げるように空破斬を繰り出し続けた。

 細切れ、微塵切りにする勢いで、一息に全力で。

 その中の一つが固い何かに阻まれた。

 核だ。

 円は直感し、空破斬を止める。

 直後、黒い物体の逆襲が円を襲う。

 人の頭よりも大きな欠片から黒い魔力が射出された。あるものは弾丸のように、またあるものはレーザーのように。

 円は風の結界を張り、これを全て防ぐ。

 全弾撃ち終わり、装填するように間が空いた。

 円を倒せないならば、次の標的は無防備な広輝。

 そう直感した千花が優里菜の傍を離れた。

「コウ兄!」

 その声が標的を変えさせた。

「待って千花ちゃん! 盾!」

「!」

 間に合わない。

 ・・

 天術、展開が間に合わない。

 抜刀、一つ二つ斬り裂いても身体に穴が空く。

 回避、躱しきれない。

 ならばせめて抗う。

 ・・

 千花は抜刀の動作に入った。

 その千花の前に、雷光纏う大きな背中が割って入る。


 ーー星月二刀流剣術・弐ノ型 奥義[望空水月]ーー


 雷纏いし双刀が全てを弾き飛ばし、無数の火花と稲光が一瞬の間に迸った。

「よくやった」

 星月二刀流剣術師範、岳隠支部天守補佐、宮永鷹之の参着である。



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