第二十三話 心を乗せて
「大人しく懺悔しながら死ね! 地獄に堕ちろ!」
広輝が見上げると、千花の姿が見えないくらいに密集した無数の氷の礫。
発射と同時に太刀を振り抜き、天術・烈風を発動。
氷の弾丸が音を立てて雪とその下の地面を抉り撃ち抜く中、太刀から生じた風が弾丸を弾き尽くし、広輝を守った。
風に弾かれ、細かくなった氷の粒子が辺りに舞い散る。
広輝の後方に着地した千花は、左手を地面につけ、次なる天術を行使した。
ーー天術・氷の監獄ーー
広輝の周りに埋まった無数の氷の弾丸。それらが十六個に結集し、広輝を閉じ込めるように十六本の柱が空に向かって伸びる。
その柱全てを広輝がその太刀で両断する。
ーー星月一刀流剣術・弐ノ型[旋回輪]ーー
崩れ落ちゆく十六本の氷の柱。
立て続けに千花はそれを利用する。
ーー天術・氷荊の園ーー
地面に残った柱の半身たち。再び姿を変え始める。
広輝が上空へ跳ぶと、広輝を追うように十六本の荊が形成されていく。荊の棘先は広輝の高度まで届かず、成長を止めた。
千花の予定通り、広輝は空中に取り残される。
千花は左手で落下する広輝に狙いを定め、右手と刀に収束させていた天力で大技の一つを行使する。右腕を突き出し、射出した。
「 撃ち抜け。青蓮凍獄 」
氷点下百度の氷が入り混じった冷気をレーザーの如く真っすぐ放つ。少しでも触れればそこから凍っていく凍結の天術。
広輝は空中。躱すことはできない。
ーー天術・烈風の突撃槍ーー
時間稼ぎの天術だった。体勢を崩しながらも、正面からその天術をぶつけた。少しでも拮抗している間に、広輝が先に落下できれば射線からは外れる。
千花の青蓮凍獄は烈風の突撃槍の風道をも凍らせた。
ほんの瞬間ではあったが、広輝が射線から外れるには十分な時間であり、体が横に倒れながら凍った風道と共に落下。
その広輝を追って、千花は冷気を射出したままの刀をその場で斬り下ろした。
「!?」
防御が間に合わず、冷気が斬るように腹部を横断する。さらに冷気の風圧に押し飛ばされ、雪の地面に落下した。
「ぐ、っ!」
受け身には成功。雪面であることが落下のダメージを和らげた。すぐに立ち上がるも、コートとスーツが凍っているのが分かる。そこから氷に侵食されていく。この服はあくまで耐魔力仕様。天術への対策はなされていない。
纏っていた天力では足りない。身をたじろぐ氷が内側まで侵食し、肌に触れる。
広輝はこの氷を押し返す為に天力を体内から全身に強く行き渡らせようとした。
「させない!」
接近していた千花が広輝に斬りかかる。
初太刀は太刀で受けた広輝。難を逃れるも、満足に氷の侵食に対抗できない。凍ったスーツが邪魔をし、千花の続けざまの連撃に思うように対処できない。防戦一方に持ち込まれた。
刀と太刀のぶつかり合う。千花の刀には青蓮凍獄と同じ効果の天術が施されており、天力の押し合いに負ければ太刀からも凍結が始まる。
この剣戟が続く間にも、身体の方の氷が徐々に侵食していく。
「死ね、死ね! いい加減殺されろ! 抗うな!」
千花のかわいい顔が憎悪に歪む。
瞳は濁り、殺意に満ちている。
その思いが受ける刀からも伝わってきた。
ーー痛い。
見ている側の心が痛い。そして、千花もとても痛そうに見える。
『ああ、憎いね。天術士は俺の家族を殺した! ーーだから、死ね』
奪われたことを知り、対立を知り、怨嗟を悟り、憎しみに生きた魔術師、クルス・マルティネス。
彼を見て、ようやく思い知ったのだ。
憎しみや怨嗟を糧に生きることが、どれだけ痛々しく、虚しいのか。
自分がしてしまったことが、どれだけ愚かしい決断だったのかを。
広輝が見た真実を伝えても変わらないかもしれない。隠したことに対しても怒り、恨んでくるかもしれない。
けれど、全ては伝えてからだ。
広輝は体内に収束させ続けた天力を解放する。
「嵐」
身体強化の天術。体内の天力を活性化させ、高密度の天力を纏うことで、既存の侵食を押し返し、攻撃を防ぐ鎧となる。
「また嵐? 疾風を使いなさいよ! そんなにわたしが弱く見えるの!?」
広輝の攻撃力が一番発揮される身体強化の天術は、防御を捨てて速度に特化した疾風。
それを使われない。千花にはそれが見くびられているように感じた。
「違う。相性の問題だ」
それと、広輝は千花を倒しに来た訳ではない。斬り伏せたい訳ではない。
凍結から解放された広輝は、千花の刀を太刀で然と受け止める。
何度も、何度も。
お互いに星月一刀流剣術の遣い手。剣技にそれほどの差が無い。手の内が見え、埒が明かない。
千花が再び天術を混ぜて攻撃を組み立て始める。
宙に幾つもの氷の礫を作り、斬撃と一緒に放つ。
広輝が風守で防いでいる間に千花が次弾の準備が完了した。
風守を貫く氷の槍・三連。広輝は横へ転がるように躱すと、再び氷雨に見舞われる。
片膝を付いたまま氷の礫に向かって、斬り上げる。礫を太刀で弾くと共に、その軌道に風の斬撃を残すことで簡易的な盾を作った。
「ぐっ」
その盾の範囲は全身を隠すほどではない為、肩・腕、足に礫が命中する。
一瞬怯んだ広輝が見た千花は、腰を捻り、左手を右肩を掴むように添えていた。そしてぎょっとする。いつの間にか出来ていた巨大な氷。
「 氷の巨尾! 」
それは巨大な氷の鞭。千花の左腕に連動し、雪面を薙ぐように広輝を襲う。
受け切れないと判断、上へ跳んだ。が、右足が尾に引っかかった。
「っ!?」
体が横転、顔面から凍った雪に突っ込んだ。
千花を見失う。広輝の危機察知能力が最大の警告を伝えてくる。距離を詰められ、刺突されたら体に穴が開く。斬撃でも間に合わない。
太刀から手を離し、千花から離れながら起き上がることを優先。再び視界に納めた千花は、斬撃ではなく天術を選択していた。
「 舞うに舞え、氷の華 凍るに氷れ、どこまでも 」
千花の天力が上昇。空気中の水分が凍り付き、渦巻く冷気に巻き込まれていく。
「 愚かな罪人を 青白き暴風の世界に誘え 」
幾つもの氷の種に向かって、冷気が収束していく。
この詠唱を広輝は知らない。千花が新たに身に着けた天術だ。
ただ、この挙動、憶えがある。
自らの天力だけでは出来ない天術を、自然の力を借りて行使する大技。優里菜の水龍の牙、大樹の獅子炎炎もこれに準じる。
雪に突き刺さっていた太刀を抜き、構えて待つ。
千花の詠唱が最終段階に入る。
「 白き雪原に無限の朱い華を添えて 」
氷の種が割れ、幾つもの青白い竜巻が生まれた。千花と広輝を隔てる壁のように、高く、厚く。
竜巻の中の氷の破片が広輝まで飛び散った。
この暴風に巻き込まれたものは、その身の芯まで凍り付き、氷の刃で切り裂かれ、切り刻まれ、ゴミのように放り出される。
それが人間ならば、この雪原に鮮血の華が咲く。
故にその術名はーー
「 紅蓮凍獄 」
広輝を囲うように両端の竜巻から前進する。
木々を薙ぎ倒し、切り刻み、木片と変えてもその勢いは衰えない。
千花の強力な天術・紅蓮凍獄を前に、広輝は引かなかった。
太刀ーー月陰星昌を鞘に納め、その時を待つ。
居合の構えだ。鞘を持つ左手から天力を注ぎ、鞘の中で天力の密度を高め、刀身に高密度の天力を宿す。
太刀を扱う広輝は、打刀を前提とした星月流剣術の動きをそのまま流用できない。とりわけ"差す"打刀と"佩く"太刀では、抜刀の動作が全く異なり、特に居合(抜刀術)は独自の改良が求められた。
これから放つ術技は、弐ノ型から派生した広輝の剣技。
広輝が壱ノ型を修めた後、千花たちとは先の先ではなく後の先で戦うと決めたその日から磨き続けた弐ノ型。
紅蓮凍獄からの回避は、疾風や嵐を纏い、全力で後退していれば恐らく間に合った。詠唱の間に、天術・剣術で対処もできた。
しかし、広輝はそれをしなかった。
千花の憎しみを、恨みを、受け止めると決めていたから。
氷の破片を纏で防ぎつつ、竜巻を等しく一刀の間合いに収めた。
ーー星月一刀流剣術・弐ノ型 派生の技[扇旋輪]+ 天術・烈風刃ーー
抜刀と同時に天術を発動。
半円より大きな弧を描き、氷の竜巻を激しい風を引き連れた真空の刃を押し当てる。
竜巻に風刃が食い込むが、両断叶わない。竜巻と烈風が衝突。二つの力は拮抗し、青い稲光を迸らせ、破裂するように消え去った。
氷の刃が全方向に飛び散る。広輝は顔を伏せ、腕で隠して最低限の部位を守るも、氷の刃は衣服ごと肌を切り裂き、肌に突き刺さるものもあった。
痛みに耐え、再び顔を上げた時、千花の姿はなかった。
竜巻によって木々が削り取られた森にも関わらず。
撤退の可能性を浮かべてすぐに消す。誰も止めないこの状況で、千花が退くはずがない。
しんと静まり返った森の中、微かに声が耳に届く。
「 悪人には牢屋を 罪人には牢獄を 悪魔には煉獄を 裏切り者には氷の凍獄を 」
紛れもなく詠唱。
あれだけの大技の後だ。剣で攻め立てて来ると思った広輝の予想は外れた。
千花が詠唱を必要とするならば、相応の大技。天力がこの短時間で練り上げられるものなのかと疑問に思ったが、すぐに考えを改める。
戦闘前よりも遥かに冷え切り、乾燥した空気。冷気というよりも凍気。水分という水分が凍り付き、氷の微粒子が宙に舞っている。
元々、雪のフィールド。氷の天子である千花に有利な戦場。これを千花は天術を用いて、さらに優位にしていた。
つまりは、ここまでの全てが布石。
「 その身を震わせ、血潮を振り撒き、嘆き 」
文様を描くように雪面に氷の筋が走る。
魔法陣だ。
「 己を悔い、その罪を償い、懺悔し 」
広輝が気づいた時には、六芒星を基とした魔法陣が完成していた。
「 氷の中で永劫に凍り死ね 」
この天術は受けてはならない。広輝の直感がそう告げていた。
氷の魔法陣が光り輝き、怨嗟籠もった少女の声が、術名を告げる。
「 大紅蓮凍獄 」
それは一瞬にして行われた。世界を変えた。
急激な気温の低下。人類が観測した最低気温よりも更に低く、世界を凍り付かせる。
地面が凍土と化し、雪が氷に変わり、触れたていたものを氷結させる。
空気中の氷の微粒子が結びつき、地面の氷と連結し、巨大な氷の結晶を形成。
術式内の全てを一つの氷の結晶の中に閉じ込めた。
その巨大な氷の結晶の中央に、広輝の姿がある。
木陰から千花が姿を見せ、自ら創った氷に近づいていく。
その氷に近づけば近づくほど気温が低下した。天術が終えても、その影響は外部に齎す。
氷の直ぐ側は吐息をも凍らせた。
千花は天力を纏った手で氷に触れる。
その中で憎き仇が無様に凍っている。
「あは、あははははははは」
復讐を為した少女の狂気じみた嗤い声が氷の世界に響いた。
***
「その程度で私の前に立ちはだかったのか!」
優里菜は剣も天術も達人級の円に苦戦を強いられていた。
分かっていたことだが、剣術を見てもらった時と動きが天地の差。あの時手加減していてくれていたことがよく分かる。
優里菜は防御天術や簡単な攻撃用天術で牽制し、多少身についてきた双剣術で円の猛攻をなんとか凌いでいた。
円の剣技は流麗だ。
時にふわりと吹くそよ風のように柔らかく、またある時は疾風の如く鋭く、必要と有らば荒々しくも美しい嵐となる。天術もその中に組み込まれ、一つの演技を見ているかのように。
それが彼女の戦闘スタイル。
広輝と同じ風の天子、彼と同じ流派でありながら、こうも戦い方が違うのかと昨日の道場で驚いた。彼のように速すぎて目で追いつけない訳ではないが、動きの繋ぎが見えず、捉えどころがない。
広輝が稲妻のような鋭い角度の軌道を描くとしたら、円は円だ。ずっと弧を描き続け、全ての動きが次に繋がっている。大きな弧から次には小さい弧を描き、その逆もある。攻撃の予備動作の一部が手前の攻撃に含まれている。
初伝レベルの優里菜が敵う筈もない、皆伝者の剣。
そう、敵う筈がないのだ。本来ならば。
こんな時間稼ぎだって出来はしない。
あっという間に優里菜の手から剣を弾き飛ばされ、その喉元に、胸元に刀の鋒を突きつけられているはずだった。
こんな会話だってさせては貰えなかっただろう。
「円さんは本当に広輝くんを殺そうと思ってるんですか」
円の動きが止まる。
「あいつは慧輔さんを殺したんだ」
「広輝くんだって、家族の一人じゃないんですか?」
円が顔をしかめる。
それを見て、優里菜は話す余地があると畳み掛ける。
「円さんが言ったんですよ。もしも円さんが慧輔さんと逆だったなら、慧輔さんは『いつもの格好良い背中をお前たちに見せていた』って」
「っ」
円の表情が苦しく、悲しそうに変わる。
「愛する男性をそこまで理解していて、なんでその思いを裏切るようなことするんですか!」
目を強く閉じ、奥歯を噛み締め、双剣を強く握りしめた後、深い息を吐きながらゆっくりと脱力した。
「……頭で理解していても、どうにもできないこともある」
円や鷹之、桑次郎たちの術式によって寝返った者はこの状態だった。増幅させられた内なる激情が理性を塗り潰している。
「広輝くんたちに起こった事、聞いたんですよね。知ってるんですよね」
昨夜聞いた堕天子の話。それをそっくりそのまま円も知っている。
円は広輝や大人たちが信頼し、愛紗が懐き、子供たちにも慕われていた。礼儀・礼節に厳しいが、それは相手の将来を思ってのこと。
そんな彼女が広輝の絶望を理解できないはずがない。
「その絶望がどれほどのものか、想像できるでしょう!?」
「だから何だ!?」
円の心の叫び。遺族の、遺された者の嘆き。
「失ったことに、奪われたことに、何ら変わらない」
広輝にどれだけ同情できたとしても、失ったものへの愛情が深ければ深いほど、傷も深く、癒やすことも困難だ。
優里菜は、広輝の痛みを理解できるからこそ、円の行き場の無い怒りも悲しみも理解できる。
どちらも傷は深く、同じものさしでは測れない。
……不幸比べをしたい訳ではない。
長い付き合いの彼らが、昔のようにとは行かなくても、また話し合えるくらいにはなってほしい。
引き裂かれたままでは、確執を持ったままでは、いずれ会話すらできずに今以上に感情が優先して、暴走してしまう。
天子と魔術師のように。
そうなる前に。
「……家族、なのでしょう? 姉弟、なんでしょう?」
幹春が叫んでいた。
家族ならば、家族であればこそ、話し合う余地がきっとあるはず。
全部吐き出した後に、また一緒に歩ける道を探すことができるんじゃないかと。
それを優里菜なりに変えて、語りかける。
「一緒に悲しみ合うことは出来ないんですか。痛みを分かち合うことは出来ないんですか」
けれど、円には届かなかった。
「あいつが始めたことだ」
「それでも!」
「だから、心はどうにもならないと言っている!」
円が再び天力を纏う。終わりの合図。
「円さんのわからず屋!」
円に続いて優里菜も天力を纏い、水鮮花に天力を送り込む。
地面を蹴った円を待ち受ける。
「今、何が大事なのか理解っているくせに!」
天術で円に勝っても、きっと円には響かない。
円が得意とする剣術で勝ってこそ意味がある。
円に習った"月"の名を冠した双剣術。
目を凝らし、確実に初太刀を合わせる。
広輝の目で追えない速度に比べれば、難易度は低い。
狙いは右の奥の剣。あれが斬り掛かってくる。
そう思った時、円が跳んだ。
「!」
空中で体を横に倒して回転。遠心力を剣に乗せて、繰り出す高速の連撃。
優里菜初見の技。
左肩の向こうから優里菜に狙いを定める円と目が合った。
考える間も無く、間合いに入る。
ーー星月二刀流剣術・壱ノ型[飛蓮華・回旋]ーー
ーー星月二刀流剣術・弐ノ型[月花輪]ーー
円の一刀目、優里菜は右の剣を合わせ、そのまま剣筋を逸らすことに成功。習った[月花輪]は、受け流した力を利用して反対の剣で相手を斬るのだが、それをしたら円の二刀目に腕を切断される。
円の二刀目、優里菜は自分の二撃目を円の斬撃に合わせた。それは頭で考えること無く、体が反応していた。一刀目のように上手く斬撃の威力を流しきれず、二歩後退。
体を屈めるように着地した円の視線が優里菜を射抜く。
ゾクリと背筋に悪寒が走る。次の攻撃が来る、直感した。
円が間合いに入る。
斬り上げ一閃。
その姿が優里菜の記憶と重なった。
鍛錬で何度と無く打たれた。手に持った木刀だけを弾き飛ばされることもあれば、顎を打たれて失神したこともある。
限りなく沈めた体から放たれる斬撃、それは広輝の十八番、[飛翔燕]。
トラウマに匹敵する剣技。そして、いつかは凌いでみたいとも思っていた剣技。
脳裏に刻まれたあの光景が優里菜を動かした。
ーー星月二刀流剣術[下弦の月]ーー
円の斬撃を左の剣で上方に逃がし、滑らせるように右の剣を円の首元へ。
優里菜は慌てて手首を捻る。刃筋が円から離れ、剣の側面が円の首にピタリと当たった。
「っ?!」
その冷たい感覚に円は目を見開いた。普段の鍛錬でもされることが少なくなった寸止め。生殺与奪の権利が相手側にある証。対して、円の刀はどちらも優里菜を傷つけられない。
ここから逆転の手が無い訳では無い。『寸止めなど生温いことを』とその甘さに付け込むこともできるが、さすがに往生際が悪い。優里菜がその気なら、少なくとも頸動脈は損傷していた。そうなっていたら円は引き分けに意地でも持っていっただろう。
何より、初伝レベルの剣士に皆伝者が寸止めなどという情けを掛けられたのだ。
負けを認める他ない。チェックメイトだった。
その一手を決めた優里菜も、自分のやったことに目をパチクリさせて驚いているのだから、何か締まらない。
円は潔く敗北を宣言する。
「参った。私の負けだ」
刀から手を離し、冷たい雪面に尻を着く。円の二つの小太刀は雪に半分埋まった。
膝を丸め、両手で顔を覆う。
「はあ……何をしているんだろうな、私は」
桑次郎の術式によって自覚していなかった感情に気づき、そのまま甘言に乗せられ、家族の救出を他人任せにして、家族に刀を向けようとした。
あまつさえ、たった数日の付き合いの女の子に本気で戦った。一歩間違えれば鳴上との問題にもなっていたにも関わらず。
優里菜に指摘されても考えを変えず、自分が正しいと信じ、広輝と自分を邪魔する者を排除しようとし続けている。
今こうして振り返ってみても、この思考がおかしいと思えるのに、間違っているとは思えない。
自分の行動が正しいと思える。
しかし、明らかにおかしいのだ。
自分のことなのに以前の自分とは別人のようだった。
「君の言う通り、頭では理解っているはずなのに」
「あ」
「……『あ』?」
円は優里菜のその『あ』には敏感だ。
子供たちの『あ、忘れてた』の『あ』だからだ。理由次第では叱るやつだ。
それから、円と優里菜二人して幹春にやってしまったばかり。記憶に新しかった。
「少し失礼します」
優里菜は円の横に膝をつくと、円の右手を預かり、袖をめくる。
そして、黄色と翠色の糸が螺旋状に編まれたミサンガを切断した。
円は戦いに負けた身。勝者の要求には、大概のことは甘んじて応じる覚悟ではあったが、さすがに恩師からの贈り物を切られれば、気分は良くない。
「……何をする…………? んん?」
しかし、霧が晴れていくかのような、ごちゃごちゃだった部屋が整理整頓されていくかのような不思議な感覚に首を傾げる。
ミサンガを切った優里菜を見ると、何か申し訳無さそうに眉尻を下げていた。
ますます分からない。
円の首が九十度に傾きそうになると、優里菜が口を開く。
「実はですねーー」
持っている限りの情報を円に伝えるのだった。




