第十九話 怒髪天
常道が天宿から離れた後、広輝と優里菜は天守と鷲一から鷹之たちが捜索した範囲を聞き、見逃してそうな場所に当たりをつけて円と一緒に外に出る。
昨日、広輝と千花たちが戦った場所には鷹之を含めた六人の捜索隊が戻ってきており、現状整理を行いながら次の策を練っていた。
「よう、疑いが晴れたようで何よりだ」
他のメンバーは微妙な顔を浮かべている中、怖いくらい晴れやかな笑顔で鷹之が広輝たちに声をかける。
「で、どこに千花たちがいるんだ?」
「めちゃくちゃ疑ってるじゃないですか」
「冗談だ」
笑顔で手厳しいブラックジョークを披露し終えるとスッと冷静に戻る。いつもの鷹之だ。
そこに息を切らした香桜がやって来る。
「鷹之さん! 茉桜が、茉桜たちが、いなくなったって、ホント!?」
「本当だ。そしてあいつらの場所はこいつが知っている」
「え」
「いや、混乱してる人にその冗談は質が悪過ぎですよ」
「え?」
「そうだな。悪かった」
「え??」
「という訳で一緒に捜しましょう」
「うん。うん?」
イマイチ状況を飲み込めない香桜だったが、捜索には賛成なので鷹之の悪ふざけは隅においた。
すると今度は道場からの叫び声で話が進まなくなる。
「あーー!!」
全員が道場の方を見ると怒り心頭の幹春がそこにいた。
「来ねえと思ったら何ちんたらしてんだよ!」
その矛先は主に優里菜、次に円である。
二人揃ってキョトンとした後、冷や汗を垂らす。
「「……あ」」
現在時刻、九時十分。清天寮で約束した時間をとうに過ぎていた。
「『あ』っつたな! 今『あ』って。忘れてたのかお前ら!?」
忘れていた。色々ありすぎて忘れていた。六年くらい前の約束の気さえする。
何も言い訳できなかった。
「何か約束でもしてたのか?」
「うん、試合する約束を」
「つうか、その莫迦の連れかよ。嘘ついたな!?」
優里菜と広輝の様子を見て、幹春の矛が円に向く。
「嘘じゃないさ。ちゃんと私の客で、ちゃんと天守の友人の孫娘だ」
幹春の頭の中で改めて推理が組み上がっていく。
『広輝の連れ→鳴上の人間』
『円の客→円の指導を受ける予定の者→広輝が連れて来た人』
『天守の友人→鳴上にいる天守の友人→鳴上の天守』
結論は出た。
良いところの家どころではない。名家中の名家。星永に並ぶ創まりの三家が一。
「月永の直系かよ!!」
「えーと、はい」
優里菜は頬を掻きながら、申し訳無さそうな苦笑いで肯定した。
「ミキ、すまないが今はそんな場合じゃない。話は聞いているだろ?」
「そうだな、そんなに元気が有り余ってるなら手伝え」
唖然としている幹春に降りかかる大人の都合。反抗期真っ盛りな彼は真っ向から反発した。
「はあ? そんなの俺には関係ねえ。さっさとやるぞ!」
「ああ?」
礼儀を欠いたその物言いと仲間を心配もしない態度は、鷹之に青筋を浮き立たせる。
静かなる怒気。本気の怒りだった。
幹春は一瞬怖気付くも、引きはしない。
「っ! だって捜すまでも無いでしょ」
「どういう意味だ」
今にも飛びかかってきそうな虎を前に、広輝を指差して自分の考えを言い立てた。
「そこにとびっきりの生き餌がいるんだから、食いつくの待てばいいって話!」
一同、広輝を見て、一秒後手を打った。『なるほど』と。
捜すよりも釣りの方が余程効率が良さそうではある。
その意見に賛同する者が石囲いの屋根の上にも現れた。
「幹春、お前頭いいじゃねえか」
「桑次郎! お前どこに」
「だーが、狩り場に放られる前に事は済まさせてもらうぜ」
金属バットを背負った桑次郎は鷹之には目もくれず、全員を見下ろして指を鳴らすと、五人が鷹之たちを囲うように庭いっぱいに距離を取って姿を表す。
餌を針にセットする前に食いつかれてしまった。
その中には香桜の妹もいて、冷たい目で姉を見つめた。
「茉桜!」
「お姉ちゃん……やっぱりそっち側なんだ。お兄ちゃんの仇を守る側」
「茉桜! 待って。話を」
「待たない、聞かない」
茉桜たちは持っていた呪符を叩きつけるように地面に置くと、誰にも聞き取れないほど小さい声で桑次郎が詠唱した。
「(急急如律令)」
六人を頂点に円と歪な六芒星が地面に現れ、魔法陣を形成し、円内にいる天子を蝕んだ。
体ではなく心を。
一瞬にして絶望をフラッシュバックさせ、視覚に焼き付けた。
ドクン、と他人にも聞こえそうなほど大きな脈動。広輝たちは胸を押さえ、顔を歪めた。数人を除いて。
「舐めるなよ、桑次郎!」
鷹之が抜刀。その双刀に雷を纏わせる。
「ああ、一つ忘れてたぜ」
しかし、桑次郎が指二本で空を切ると鷹之の表情も一変した。
「な。これ、は……っ!」
片膝を突き、刀を手放す。己自身を抑えるように胸に手を当てた。
鷹之だけではない、円も、香桜も他の捜索隊のメンバーも同じだった。
「香桜さん、大丈夫ですか!」
「……っ、ふう、ふう!」
優里菜は膝をついた中で一番近く、一番苦しそうな香桜に寄り添う。
自分の腕を抱き、目を見開いて震わせる下唇を噛み、必死に何かに耐えていた。
それを見た茉桜が「やっぱり」と言って確信し、悪魔のように甘く、魅惑な囁きで誘おうとする。
「耐える必要なんて無いんだよ、お姉ちゃん」
「何をしたんですか!?」
茉桜は蠱惑な笑みを浮かべたまま答えない。昨日、清天寮の食堂でクッキーを作っていた同一人物には見えなかった。
誰もが自分の中の何かに耐えている中、優里菜は一人だけ何とも無さそうにしている。
屋根の上で桑一郎が大きな舌打ちをした。
「ち、見た目通りの綺麗な純真ちゃんかよ」
「どういう意味」
優里菜の鋭い視線が桑一郎を刺す。
「これは感情を増幅させる術式だ。とりわけ負の感情のな!」
優里菜は目を見開いて周りを見渡し、焦燥感に駆られた。
皆が何に耐えているのか理解したのだ。
負の感情ーー怒り、悲しみ、憎しみ、恨み。その矛先が向く対象が直ぐ側にあるから、それらを必死に抑え込んでいる。
恐らく一度決壊したら止まらない。最後まで止めらないだけの技量を持ってしまっている。
溢れてしまいそうな衝動に耐えながら、残る理性で広輝に避難を促す。
「広輝、俺たちから、離れろ」
「コウ、タカさんの言う通りに……優里菜ちゃん、コウを、とこか遠くに……でないと、私は、私たちは……!」
「…………」
鷹之と円の必死の願いも虚しく、広輝はほぼ茫然自失。胸を押さえたまま立ち尽くしていた。
「クカカカ! いくら取り繕っても恨み辛みは消えてねえってことだ!」
目論見通りに進み、桑次郎は高嗤う。
陣を構成する五人は薄っすらな笑みを浮かべ、冷たい視線で広輝を見据えていた。
「罰を受けろ、堕天子!」
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ぷつん、と切れた。
どんなに罵倒されようと、理不尽を受けようと、切れることの無かった優里菜の最後の一線。
「……いい加減にして」
「あ? 痛みも知らない純情ちゃんは黙ってろよ」
「あなたの広輝くんに対する気持ちは知らないけど、あなた個人の気持ちに他人を巻き込まないで」
普段のそれとは一線を画す激情の奔流。術式の影響もあるかもしれないが、ここに至ったのは今まで一度しか無い。
いや、純粋な怒りだけならば初めてだった。
その怒りの深度も知らずに桑次郎が燃料を投下し、遂に噴火する。
「他人? 馬鹿を言うな。こいつらは」
「乗り越えようしている人たちの邪魔をしないでって、言っているんだ!!!!」
優里菜の全身から碧色の天力が噴き出した。
鮮烈に耀く碧。曇天の下、白き冬に煌めく宝石が如き碧。
誰もが自分の感情も忘れて目を奪われた。
「…………ち」
この桑次郎の舌打ちは一瞬でも目を奪われた自分に向けてだったが、優里菜から見れば悪態にしか見えない。
追撃が飛んだ。
「人の心を何だと思ってるんだ! 桑次郎!!」
「ーーーー」
今度は唖然。
年上には敬語を一貫していた少女からの痛烈な大喝と呼び捨て。ギャップに打たれた。
大声で一喝して落ち着いたのか、放出し続けていた天力も碧色を保ったまま安定していく。
それでも激昂が収まっただけで、怒りはそのままである。
「あなたたちは何をしようとしているの? アイちゃんはどこにいるの? それから術式、どこで知ったの?」
天子はあくまで自然の力を行使する。術式を使ってまで天力を他の事に利用する発想自体、中々しないものだ。
そして今の優里菜なら推察ができる。
これは魔術師の考え方だ。
「お前、邪魔だな」
桑次郎から火に水が掛けられたように表情が消える。
得物の金属バットに手を伸ばした時、背後に物音。屋根から転がり落ちるように間一髪でそれを避けた。
「っぶねえ!」
屋根から落ち、桑次郎が自分がいた屋根の上の上を見上げると抜刀した幹春がいた。
幹春は桑次郎をめがけて刀を突き立て飛び降りる。桑次郎はそれを避け、金属バットを抜いて応戦した。
「お前らは陣を維持してろ!」
屋根の上の呪符から桑次郎が離れたが術式は継続中。
他の五人に術式の継続を指示すると、この術式の中で苦しんでいない幹春を問い質す。
「幹春、お前もあいつが嫌いだろうが」
幹春が広輝を嫌いなことは周知の事実で、桑次郎も知っていた。だから、広輝ではなく普通に自分を狙ってくることが疑問だった。
増幅された悲しみ、憎しみのまま広輝を攻撃するはずなのにと。
幹春も桑次郎の問を肯定する。
「ああ嫌いだね。だけどお前はもっと嫌いだ!」
それでも術式の原因を潰しに来ている。理由は優里菜と同じだと思った。
「そうかよ! じゃあお前もその堕天子を庇うんだな!?」
「庇わねえよ、あんな莫迦!」
天力を纏った刀で桑次郎の金属バットを押し弾く。
体勢を崩された桑次郎も負けじと本気でバットを叩きつける。
「ああ? じゃあ黙って見てろよ!」
「っざけんな!」
幹春は刀で受け、押し返した。
「仲間が苦しんでるのを黙って見てられるわけねえだろ!」
「堕天子を始末したら終わるっつうの」
「だから見てられるわけ無えって言ってんだろうが!」
桑次郎は幹春の言葉に違和感を覚えた。
バットを棍棒へと変え、幹春の剣を受ける。
「ちょっと待て。お前、あいつが嫌いなんだよな?」
「嫌いだよ! 仲間にも腹割って話せねえ莫迦野郎なんざ!」
幹春は嫌いだった。嫌いになった。
あの日まで仲良く遊んで、良い兄貴分だった広輝があの日を境に一変した。天宿の雰囲気も一転し、不穏な暗い空気の上からいつもの日常を張り付けたような何とも言い難い空気に覆われていた。何かの拍子にその日常さえも剥がれてしまいそうなほど微妙なバランスで岳隠が成り立つようになった。
慧輔や美宙たちが、ただ死んでしまっただけではない。そんなことは子供でも分かった。
その空気の原因を、大人は言わず言わさず、胸の内に秘めた。
「何があったのか全部言わないで、数人でだんまり決め込みやがって」
広輝も長らく姿を消し、戻ってきたと思ったら、そこに幹春が知る広輝はいなかった。
"冷徹"、そんな言葉がしっくりきてしまう人物へと変わっていた。
そしてその広輝も、真実を話そうとはしなかった。
だから苛ついて、嫌いになった。
「違えだろ、そうじゃねえだろ! 仲間ってのは!」
幹春は岳隠に来て家族というものを知った。だというのに、仲間を教えてくれた人たちが仲間をしていない。しようとしていない。
それがどうしても許せなかったのだ。
「腹割って、全部吐き出して、そっからじゃねえのかよ!? 違えかよ! 鷹之さん、広輝!」
詰まる所、幹春は広輝たちが嫌いだが、憎んではいない。
ここにいる誰よりも若い幹春の主張は、広輝たちに響くものがあった。
術式によって増幅された悲しみと絶望に茫然自失だった広輝が我を取り戻す最後の一押しとなる。幹春が桑次郎の相手をしている間、優里菜は広輝の両側の頬を挟むように叩いたりして発破を掛けており、絶望から戻りつつあった。
この術式の中、絶望は断続的にやってくる。それでも術式を阻止しようと奮起している幹春を前にだらしない姿は見せられない。
広輝は心を定めた。
「ははーん。お前、家族に隠し事はしちゃいけませんってやつか」
桑次郎は幹春をおちょくり、隙を作ろうとしているが、今回のは幹春には効かない。
「そこまで言ってねえ。だけど、これに限ってはそうじゃなかったからこの状況なんだろ」
そう言って幹春は刀の切っ先を桑次郎に向ける。
「覚悟しろ、桑次郎。その腐った性根、俺が叩き折ってやる」
「うるさいのよ、幹春」
千花が姿を現し、桑次郎が呪符を貼った屋根の上で呪符に手を重ねた。
「そういう綺麗事は一番大事な存在を奪われてから言って」
冷酷に幹春を突き放し、術式の強度を上げた。
「!?」
「あ! ……ぐ」
「これは……」
憎しみを抑え込んでいた者たちの表情が一層険しくなる。理性と憎欲の天秤が激しく揺れ動いた。
そんな術式の中、広輝は前に出る。崩れ落ちそうな体に鋼を込め、心を冷酷に冷ますことで湧き上がる絶望と怖気付く自分を忘却して。
「止めろ、千花」
「あんたが死ねば止める」
ある意味、予想通りの答え。広輝が訊く以上、平行線を辿る。
広輝は質問を変えた。
「愛紗はどこだ」
「大切なんだ、堕天子の癖に」
広輝の心を冷笑した。
「あの子を巻き込むな」
「お姉ちゃんを巻き込んでおいてよく言う」
千花は皮肉と憎悪で返す。
会話が噛み合わない。
答える気が無いのは明らかだった。
せめて憎悪の対象を絞ろうと誘導しようとするも、意味がなかった。
「標的はオレだけにしろ」
「そのつもりよ。ただ独り占めは良くないかなって」
千花たちは最初からそのつもりだったから。
千花もまた桑次郎と似た思惑を持っていた。一人で果たす復讐ではなく、みんなで果たす復讐。だけど言葉では円たちは動かず、千花側に来ることはなかった。
だから術式を用いた。彼らの心の中で燻る憎悪を感じ取っていたから。
同じ被害者として仇討ちに誘う。
その意に反する心の誘導を優里菜が黙って見ていられるはずもない。術式よって沸点は軽々超過。再び怒髪天を衝きそうな優里菜は深く息を吸い込んだが、そのまま吐き出されることはなかった。
「またお主らか」
天守が鷲一と共に姿を現した。
「……こんなのに拐かされるとは、まだまだじゃの鷹之」
「しかし、これは」
「全くだ」
「鷲一、あんたまで」
「おお、口まで悪くなるのか」
二人は平然と術式の中を歩く。
広輝のようにやせ我慢をしているようでもなく、幹春や優里菜のように怒りに振れることもない。文字通り、意に介していなかった。
桑次郎はすぐに分が悪いと判断。撤退を指示する。
「引くぞ。仇討ちしたい奴は一緒に来い」
術式を解き、苦しみに抗った者たちに手を差し伸べる。
その簡潔で甘い誘惑。普段なら一蹴していただろう。
けれど、我慢の限界だった。
その中の一人を見て、千花が薄く微笑む。
「やっと来てくれた、マド姉」
「……」
円の顔は暗い。自分でも分かっているのだろう。間違っている、と。
千花にも広輝たちにも目を合わせず、顔を伏せている。
同じようにもう一人の強者も復讐側に立っていた。
「タカもあっちか」
「ーーーー」
捜索隊の内、半数の三人が千花側になっていた。
「行こう、みんな」
勧誘に成功した千花が彼らを率いて天宿を後にする。
術式を行使していた者たちもそれに続く。
「茉桜……!」
「残念だよ。お姉ちゃん」
術式に耐えきり、留まった香桜の必死の掛け声も妹には届かない。
術式にが解かれても心の中はまだ荒波で、体力も大きく削られており、妹を追うことが出来なかった。消えゆく背中を見ているしか出来なかった。
天守と鷲一は今後を考え、足元を固める方を優先、彼らを追うことはなかった。
桑次郎は殊勝にも殿を務めるらしい。最後に残った彼を広輝は呼び止める。
「待て」
「なんだ元凶」
まだ会話をする意思があるらしい。こちらを向いた。
「愛紗に何をした」
「ああ?」
「これ、天魔力だろう?」
隣で優里菜がはっとしたように感覚を研ぎ澄ます。この場に残った力の残滓を丁寧に感じ取ると、確かに憶えがあった。
歪に咼められた力でも、その根源は同じ。風凰神社とその奥宮で感じた力だった。
「ん、あ? ……ああ、そうだ。詳しく知りたければ、あの場所に来い」
言い当てられたはずの桑次郎は僅かに首をひねった後に肯定し、処刑場を言い渡す。
楽しそうに嗤って。
「堕天子誕生の地にな」




