第七話 きっかけ
円から小学生は四人部屋、中学生は二人部屋など部屋の中を見せてもらいながら説明を受けた後、優里菜はある部屋に通された。
二つの二段ベッドに四つの学習机。大きめのタンスも並び、赤・青・緑・黄色が優しい色で施されている。部屋のレイアウトは説明を受けた時に見せてもらった部屋と同じだった。
日当たりが良い部屋だったが、空気が暗い。
それは部屋の隅で、壁を背に、本を見ている少年の心の影響を受けているようだった。
ベッドでもなく、学習机の椅子でもなく、この部屋の見渡せ、入り口から一番遠い部屋の隅。
円たちを出迎えたのは無言の懐疑の目。もしくは近寄るなという威嚇。一目で一筋縄には行かないことがわかる。
「……」
しかし円には関係ない。そんな目は百戦錬磨である。
「よう、琳。一週間振りだ。少しは慣れたか?」
「……」
琳の"近寄るな"オーラに構うことなく円は奥へ奥へと進む。
それを優里菜は怒り出さないかとヒヤヒヤしながら見ていたが、円は彼の隣には行かず誰かの椅子を机から出して座った。それが彼と円の距離である。
「今日は新しい弟子を紹介しに来た。彼女が……っと」
愛紗が興味津々の目でスケッチブックを琳に見せていた。食い気味に。
「(きょうは なんびきめ?)」
「!?」
「?!」
スケッチブックが愛紗の顔にダイレクトアタック。驚いた琳がそれを弾き飛ばそうとしたら、顔面ストレートだった。
「琳!」
「ご、ごめん」
愛紗は突然のことで一瞬呆然とするも、目の前の慌てる琳の顔を見てすぐに言葉を探す。
少し鼻が赤くなったが、幸いにして音の割にそんなに痛くなかった。
「(だいじょうぶ !)……(ごめんね)?」
決り文句は目印を付けてすぐに見せられるように工夫している。
謝る琳に"大丈夫"のページを見せ、続けて不安げなままの彼に首を傾げながら別のページを見せた。
「っ、良いから近寄るな」
取り付く島もない。琳は本に目を戻した。
円は『こんな感じ』と困ったように優里菜に目で話しかける。
優里菜は顎に手を当てて少し考える。察するに真白や紅美でも同様なのだろう。愛紗の肩をちょんちょんとつつくと、琳の隣から本のタイトルを覗き見ようとしていた愛紗にその場所を譲ってもらう。
そして、ただそこに座った。何も話さず、琳を見ず、何をするでもなく無防備に。
「……」
「……」
「…………」
「…………」
「…………」
「………………お姉ちゃんはあんまり濁ってないね」
「? なにが?」
「!……」
「……」
何もしてこない優里菜をおそるおそる横目に見たと思ったら、難解な一言だけ言って林はまた殻に閉じこもってしまった。
それを見ていた円が、気づいたようにスマートフォンを取り出す。着信のようだった。
「おっと……はい円です……はい。わかりました」
話し終えると椅子から腰を上げ、お絵かきを始めていた愛紗に声をかける。
「アイ、真白さんが呼んでる。君はちょっとここで待っててくれ」
「え、あ、はい」
微妙に戸惑っている優里菜を残し、円は愛紗を連れて出ていってしまった。
気まずい沈黙が続くが、琳から「離れろ」とも「出ていけ」とも言われず、その雰囲気もない。また琳がそこから動くこともなかった。
手持ち無沙汰になった優里菜の目は自然と部屋の中を見つけていく。
同じ学習机でも机の上はまちまちだ。整理整頓された机もあれば、小学校のかばんがドンと置かれていたり、おもちゃなどがごった返している机もある。本棚もたくさん本が並んでいたり、逆に全く本がなかったり。ベッドにぬいぐるみがあったり、パジャマがほっぽってあったり。柵に衣類がかけてある子もいる。
本当に子供たちがここで寝起きしているんだと実感するには十分だった。
一通り眺め終えて、意識の焦点が琳に戻ってくる。
「……」
「……」
だからと言ってこれと言った進展があるわけではないが。
優里菜は琳が何かを零してくれた時にそれを拾おうと待っていたのだが、ちらりと見たその本が見覚えのある本だったから、思わずタイトルが口に出ていた。
「[8匹のドラゴン]?」
「……知ってるの」
「うん。よく読んだ。[5匹目]は特にね」
「水のドラゴン」
どうやら会話しても良いと思ってくれたようだ。優里菜は慎重に会話を続ける。
「うん、そう。琳くんはどのドラゴンが好き?」
[8匹のドラゴン]は小学生向けの児童書である。一冊に付き一匹のドラゴンが登場し、少年少女がドラゴンと心を通わせていく全八巻の物語。
「……[7匹目]」
「空のドラゴンだ」
優里菜はすぐに何のドラゴンか言い当てる。うろ覚えでもなく、にわかでもないことが琳に伝わる。
この本は本当によく憶えていた。入院生活で小学校に行けなかった優里菜に、覚えたてのひらがなを読む練習と簡単な漢字の練習になればと玲菜が贈った本だった。すでに完結していたシリーズでもあり、最初から最後まで通しで読み終えた優里菜は、見事にはまった。一巻完結の物語ながらどこか繋がりがある物語に優里菜は見せられた。何度も何度も繰り返し読んで、暗記する勢いだった。あの夏の広輝にも読み聞かせたり、感想を言ったりしたものだったが果たして憶えているかどうか。
二年生の夏終わりに退院してやることが多くなっていき、次第に読まなくなっていったが、その物語を簡単に忘れられるものではなかった。
リアルタイムではまっている琳とどこまで話ができるか少し不安だったがそれは杞憂に終わる。むしろ優里菜の記憶力に琳が舌を巻くほどだった。
同じ本を好きなもの同士。話をする内に琳の心の壁が少し薄くなっていた。
その中で琳からポツリとそれが零れた。
「お姉ちゃんもここに住むの?」
「ううん。私は剣を教えてもらいに来ただけだから、明日帰るよ」
「……お姉ちゃんのところに行けないかな」
「どうして?」
問い詰めないように、寄り添うように努めて優しく聞こえるように理由を訊いた。
「ここのみんな、ぐちゃぐちゃしてて気持ち悪い」
「……ぐちゃぐちゃ?」
琳独特の表現だ。
「痛いはずなのに笑ってる。悲しいのに、怒ってるのに、辛いのに笑ってる。ぐちゃぐちゃに濁ってる。僕の親は僕が恐くてずっと怒ってたけど濁ってなかった。おかしいよ、みんな」
『僕が恐くて怒ってた』。優里菜は円の言っていたことが本当なのだと思い知る。
同時に、信じ難いが琳は感情が見えていると知る。表情だけでは読み取れない心の内側まで。
優里菜は詳しく聞きたいのを抑え、琳の不安を取り除くことを先決する。
「残念だけど、私のところは琳くんにとって居心地は良くないかな」
「ほんとに?」
「本当に。私の天宿はおじいちゃんとかひいおじいちゃんとか天子だった人とか、とっても力がある人には何でもない天宿だけど、それ以外の人には易しくないんだ。悲しいけど」
血統主義の月永、実力主義の陽本。源子には必然と月永派は厳しく、類まれなる才か相応に力を磨かなければ陽本も厳しい。
もしも琳が鳴上に来たとしても、彼にとって周りの環境が非情なものになることは目に見えていた。
「けど、きっとここは違うよ」
涼馬と彼の母親は、また歩き出していた。
レクリエーションルームに居た子供たちは笑っていた。
笑顔を取り戻した愛紗が、変わらず笑っていた。
ここは傷に塩を塗るような場所ではない。
堕天子という不安の種はあるが、それが子供たちに向かうことはない。
たった半日しかいない優里菜もそれがわかった。
「誰も琳くんを傷つけたりはしない。君の味方だよ」
「そんなの、わかるもんか」
琳はそっぽを向く。優里菜が本気でそう言っているのは見えているが、信じることはできなかった。
口では何とでも言える。本人が真実だと思って言っていることも、実際は違うかもしれない。琳は、それもたくさん見てきていた。
「わかるよ」
「なんで」
「だって、みんな同じような痛みを持っているから。だから琳くんの痛みを想像できるし、わかってくれる」
「……」
「鏡に映った君に見えるものと同じものがそのぐちゃぐちゃの中に見えるんじゃないかな」
「…………」
鏡に映るかは半分賭けでもあったが、どうやら正解のようだ。
琳にどう見えているかはわからないが、彼はぐちゃぐちゃの半分が痛みだと理解している。
「悲しくても、辛くても、ここでは笑っていられる。なんでだと思う?」
「ーー」
答えはないが、薄々気づいているようにも見える。
だから優里菜はそれを言葉にする。理由を一つ増やし、彼に一歩踏み出す勇気を一つ持ってもらう為に。
「ここが笑っても大丈夫なところだからだよ」
拳を振り上げる人も、罵声を浴びせる人も、無視する人もいない。清天寮はそういう暖かな場所なんだよ、と優里菜は言う。
優里菜も岳隠の全部を知った訳ではないが、明らかに鳴上とは違うと確信できる。血統の有無で差別しないし、能力が秀でているから贔屓もしない。人間として平等でいられる。優しい場所だ。
「それでも琳くんが見えてる通り、みんながぐちゃぐちゃなのは心の中がぐちゃぐちゃだからだと思う。けどその不安で、恐くて、悲しい気持ちを笑うことでどうにかしようとしているんじゃないかな、みんなで。今までのことは辛いけど、それでも笑って明日を見てる」
独りで居たら、あの感情がやってくる。独りでいたら負のスパイラルが始まってしまう。
だから笑い合う。楽しいを共有する。あの黒い感情を吹き飛ばすために。一時しのぎかもしれない、その場限りかもしれない。けれどそれを積み重ねて新しい明日を見ていく。
優里菜はそれを経験してきた訳ではないが、負の感情に触れずに生きてきた訳でもない。この清天寮がそうなのだろうと推測できるくらいには経験も知識もあった。
「だから大丈夫だよ。ぐちゃぐちゃを怖がらないで。もしも怖かったら真白さんとか紅実さんにお話してみるといいよ」
「話したらみんなに言うんでしょ。僕が見えてること」
「『秘密にして』ってお願いしてみて。絶対に秘密にしてくれるよ」
根拠は無い。しかし真白と紅実が、話してくれた秘密を口外するとも思えなかった。裏切られた子供との約束を守らないはずがないと。
琳は優里菜の言葉を信じきれない。半信半疑のまま口を閉じてしまった。
「……」
眺めていた[8匹目]、いつの間にか最後のページをめくり終えていた。
***
琳の部屋を後にした優里菜は、迷った。不審者のように右往左往していると幹春に見つけられ、食堂に案内してもらう。食堂では円が真白と紅美とお茶をしながら談笑していた。お礼を言おうと振り返ったが、幹春はすで居なかった。
円は戻って来た優里菜を見つけると空いている席に優里菜を促す。どうやら優里菜を待っていたようだった。
台所の方では調理器具をみんなで洗っていて、愛紗はそれを手伝っていた。
促された椅子に腰を下ろし、真白が淹れてくれたお茶を一口すすったところで、円が早速切り出してきた。
「で、何が濁ってないんだ?」
「……」
あの音のない着信は琳と優里菜を二人にする口実。当然、真白が愛紗を呼んだ電話でもなかった。
取り付く島もなかった琳が零してくれた『濁っていない』というヒントを手掛かりに何か聞き出せないかと、優里菜に円が託した格好だった。
しかし優里菜は、答えない。
湯呑をテーブルに置き、別の知り得たことを一つ伝えた。
「琳くんは七匹目の空のドラゴンが好きらしいですよ」
「……他には?」
この時点で優里菜に答える意思がないのだと三人は察したが、もしかしたら前置きかもしれないと淡い期待をした。儚く散ったが。
「[8匹のドラゴン]なのに[9匹目]の本が出たらしいですね。お借りてもいいですか?」
「あのなあ」
円は眉間に手を当てて溜め息。優里菜は全く答える気がないらしい。
「円がなんで部屋を出て来たのか分かってるわよね。それでとぼけるつもり?」
「秘密です」
こらえきれなくなった紅実が責めるように問い質すも、優里菜は意にも介さない。
「何も取って食おうって訳じゃない。あの子が何に困ってるのかわかれば私たちもそれに合わせた接し方ができる。だから何か分かったのなら教えてほしいんだ。琳と子供たちの為に」
「ーー秘密です」
「私たちも困ってるのよ。ここに来て一月経つけど、取り付く島もなくて。教えてもらえないかしら」
「ーー内緒です」
円の説得も、真白のお願いも優里菜には効かない。今は誰の味方で、何を守らなければならないのか優里菜の中で明白だったから。秘密を秘密に、約束は守らなければ信を失う。子供との約束は特に。
清々しいほどに琳の内情について何も話そうとしないその姿勢は、円の信用をも勝ち得た。
「ね。大丈夫でしたでしょ」
「コウちゃんが連れてくる訳ね」
「血統主義って聞いていたけど、源子を侮らないのね。月永なのに」
「もう、紅実ちゃん。意地悪言わないの」
優里菜から情報を聞き出そうとしていた雰囲気とは打って変わって和やかな談笑ムード。
「私、試されました?」
「すまんな。琳を君と二人にしたって言ったら、紅美さんが『血統主義なんかに任せたら傷が抉られるでしょ』ってな」
「そこまで言ってないじゃない。ただ、無自覚の言葉が琳を傷つけないか心配だっただけよ」
紅実の心配を今の優里菜は理解できる。何気なく発した言葉が誰かを不快にさせてしまうことを。
彼女らの心配を払拭、もしくは軽くする為にはどうしたらいいのか。彼女らの信用を得るには何をしたら良いのか。血統主義の中核に居ながら、その思考を持たないことをどう伝えたら信じてもらえるのか。
ただ「血統主義ではない」と言ったところで月永の外聞は血統主義で通っている。嘘にしか聞こえない。また自らも血統主義の最たる者。心の内を吐露したところで、よくて半信半疑。
事実に裏打ちされた何かでなければ、血統主義の反対側に居る人たちには届かない。
だから優里菜は、身の上を話し始める。彼女らが『碧い目の女の子』の話を知っているなら、優里菜が入院していたことに疑いは持たないはずだから。
「私は自分の天力に身体が耐えられなくて八歳まで病院生活でした。退院後も長く通院を続けてました」
唐突に始まった優里菜の独白に三人は首を傾げそうになったが、次の事実で真剣に耳を傾ける。
「兄は兄で能力の発現が遅く、無能だと言われ続けました」
それは在りし日のお話。月永の直系に在りながら、月永派から冷遇されていた過去の話。
優里菜の兄・隆也の冷遇の理由は、その生まれと性別にもあった。
母・玲菜は幼い頃から許婚と反りが合わず、恋愛なき結婚を拒絶していた。また、当時の大悟では先代櫻守当主と分家の圧力を止められなかった。その為、"時"が来れば直系の意思に関係なく結婚させられるはずだったが、玲菜は"時"が来る前に、惚れた男と強引に婚姻関係を結んだ。お腹に命を宿す荒業で。
女系の月永にとって望まれるのは女児だったが、そうして生まれた子供は男。加えて一向に発現しない能力。血統主義の彼らが隆也を冷遇する理由はいくつも重なってしまった。
その四年後、待望の女児が生まれるが、内包する天力に対して身体が耐えられないという異常事態。たとえ碧眼を有していたとしてもいつ自壊するかわからない子供に将来を疑懼する。
「無能と病弱。血統主義の月永において私たちは失敗作以外の何者でもなかったようです。一族を含め、鳴上内部からの目はとても冷たいものでした」
三家の直系にして出来損ないの兄妹に向ける視線は無情。無関心を隠す薄っぺらい敬意と心のない礼節。周囲の期待はなくなっていった……
『だからどうした』
「それでも父と母は私たちを愛し続けてくれました」
日常を一緒に笑い、悪いことは叱り叱られ、傷ついたことに涙を流し、楽しい思い出をたくさんくれた。
「無能力・病弱だからと言って冷たくされることも、碧い瞳だからと言って贔屓されることもありません」
変わらぬ愛情、普遍の慈愛。そこに『自分たちの子供』以外の理由なんかない。
真白や紅実が清天寮の子供に愛を注ぐのと同じように。
「だからかもしれません。そうじゃないことが態度を変える理由に、私には為らないのです」
連綿と続いて生きた歴史を重んじることも、生き残る為・他者に侮られない為に力が必要なことも理解している。けれどそれが、誰かを傷つける理由になりはしないのだ。
岳隠の子供たちが天子であることを"気持ち悪い"と遠ざけられたのならば、優里菜たちはその逆の経験を受けてきた。
痛みを知っている。傷を知っている。違う物を見る目を知っている。同じではないかもしれないけれど、彼らの恐怖は理解できる。
これが優里菜が『源子に偏見は無い』と三人に提示できる根拠だった。
「ーーーー」
流れる沈黙。洗い物も終わったようで、食堂がしんと静かになった。
優里菜の話を間近で聞いた三人はお互いに目を見合わせる。
優里菜は果たして信用を得られただろうかとその様子を黙って見ていると、何故か真白たちに順番に抱きしめられ、撫でられるのだった。
***
「今なら面白いものが見られる」
清天寮の見学を終えた優里菜は円の後ろに付いて渡り廊下を進み、歓声のような声が漏れる道場へ。
清天寮と道場の間には一本の大きな桜を中心とした中庭がある。今は誰もいない代わりに大小様々・十人十色の雪だるまが並んでいた。他にもソリの跡が残る雪積みや雪のバームクーヘン(雪玉の失敗作)などが見える。それは子供たちが遊んだ跡であり、それだけでここの暖かさが感じ取れるようだった。
幼き日を思い出させるような微笑ましい中庭を過ぎ、二人は道場に入る。
すると歓声が耳を叩き、かすかに聞こえていた木刀の剣戟が鼓膜を突く。
「すげえ!」
「いけ! コウ兄!」
「あとは先生だけだ!」
小学生の高学年が二人を囲うように並び、師匠と兄弟子の試合を見学していた。一進一退に見えるハイレベルの攻防に心を震わせている。
反対に中学生組は複雑な表情で二人の立ち会いを見守る。小学生たちのように心を震わせながらも、どちらかの手痛い負けを望んでいるような。
激しく木刀を打ち合っていた二人は一旦距離を置いた。
「錆は落ちたようだな」
「とっくの、前に」
広輝が大量の汗を流し、肩で息をしている。優里菜が見たことのないほど疲労していた。
「大人気が無さすぎでは? 鷲一さんのしごきの後に百人立ち会い、その取りが鷹之さんなんて」
「親心だと思ってくれればいい。鳴上じゃあ、お前の剣の相手を務められる者もいないだろうからな」
二刀流師範の鷹之が言う通り、鳴上支部に剣で広輝に立ち会える者はいない。そもそも残念なことに稽古の相手を務めてくれる人もいないが。
鳴上に転属してからは、一人稽古と実戦が広輝の鍛錬方法だった。それはどうしても対人戦の勘を鈍らせていた。
それを鷲一が錆を荒削り、小中学生たちを型優先で相手をすることで研ぎ、鷹之が仕上げるということらしい。
「ならせめて、罰ゲームを無しにしてほしいんですが?」
「それは面白くないだろう」
鷹之がゆっくりと二刀を構え直していく。おしゃべりは終わりらしい。
広輝もそれに倣う。
「ゲストも来たようだし、二刀流の勝ち方というものを見せるとしようか。お前ばかり見ていては勝ち方が分からんだろうからな」
「罰ゲームが無ければそれも賛成だったんですけど、ね!」
床を蹴り一気に距離を詰める。二刀の間合いの外から、両手で握る一刀を振り下ろす。一刀の強みを生かした一撃だったがーー
「同じ両手だ。防げないことはない」
鷹之は二刀を交差させて広輝の攻撃を受け止めた。
力のまま押し込むと鷹行の餌食になる。広輝は滑らせるように一刀を引くと、溜めた力を吐き出すように乱撃を繰り出していく。
その数々の斬撃を鷹之は涼しい顔で捌いていく。弾き、受け流し、時に受け止める。二刀の結界を広輝は突破できない。
「まだまだ返しが硬い。身体も開くな」
「っ!」
鷹之が守りから攻めへ。一瞬にも満たない僅かな間に広輝の間合いの内側へ。それは二刀の間合い。引く広輝を逃さない。
左右から繰り出される別々の斬撃。その数は単純に一刀の倍。二刀流の達人のそれは目で追うこと叶わず。
刀ではなく鷹之の上体と肩の機微で次を予測。後ろへの回避と刀での防御でギリギリで凌ぐも後ろには限界がある。
だから、一息に跳び退き、再び距離を詰めてその脇を斬り抜ける。
ーー星月一刀流剣術・壱ノ型[飛電]ーー
それに見事タイミングを合わし、鷹之は一本の刀で受け流す。
飛電の後のパターンはほぼ決まっている。
そのまま敵から距離を取るか、その勢いを利用して背後への攻撃に転じるかの二択。
鷹之は広輝が攻撃へ転じると直感。すぐに反転する。
そこに広輝の姿は映らなかった。
ーー星月一刀流剣術・壱ノ型[飛翔燕]ーー
広輝の十八番。限りなく沈めた身体から、放たれる斬り上げ一閃。
視界の下から放たれる斬撃は、常人に躱せるものではない。
目で追えていた者は広輝の勝ちだと思ったことだろう。
が、しかし。相対する鷹之は星月二刀流の師範、達人の中の達人。
目を離したわけではない。瞬きもしていない。
気がつくと、鷹之が左の刀で燕を空へ逃がし、広輝の喉元に右の刀を添えていた。
ーー星月二刀流剣術[下弦の月]ーー
二刀流は剣技を教わる前に受け流しを学ぶ。武術の始めに受け身を教わるように。その受け流しの技術を教わる際に、誰もが教わる初級の[型]が存在する。
その一つが[下弦の月]。言わば、誰もが学び、誰もが知っている受け流しの基礎。
だがそれを、実戦で、即座に、目に頼らず、あの一撃に合わせられるものなのか。
道場が静まり返る。
騒がしかった歓声も、負の視線もない。誰もが息を呑んだ。
その超絶技巧の高みに、遥かな高みの攻防に、剣の極地の一端を見た気がしたのだ。
「ーー」
「……参りました」
広輝の敗北宣言で再び道場は歓声に包まれた。




