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いつか、君の隣へ  作者: U
第三章 欺瞞、憎しみの行方

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第三話 夜明け

 東の空がほんのり白み始めた頃、時刻設定しておいたエアコンが低い唸りを上げ始め、冷え切った寒い部屋に機械混じりの暖かい風が循環し始める。

 布団の中と外界にはまだかなりの温度差がある。広輝は心にムチを打って起き上がった。案の定、身震いするような寒さだ。この室温はいつもなら部屋が暖まるまで布団の中でぬくぬくしているところだ。

 浴衣を脱ぎ、防寒用のインナーとアウターで完全防寒の装備を整える。肌が露出している所以外が寒さを感じなくなった。

 着替え終えて昨日話した時刻になっても、襖の向こう側に起きた気配はない。

 襖を開けずに声を掛けても、返事も寝言も身じろぐ音も聞こえて来ない。

 置いて行くという考えもあったが、広輝は意を決して襖を開けた。

 一組敷かれた布団の中、毛布を抱き枕のように抱き締め、無防備に寝息を立てて眠る優里菜の姿があった。

 冷静沈着、理性を優先させ、感情の揺れを最小限に抑えることに成功している広輝でさえも、その年頃で無垢の寝顔には、心を刺激させるものがあった。

 "かわいい" とか "天使みたい" とか "頬をつついてみたい" などの衝動が水面下で湧き上がったが、それらが言語化される前に心の内で何とか抑えつける。

 広輝は、右向きに眠る優里菜の左肩をゆさゆさと揺らす。

「優里菜、優里菜」

「ん、んん……?」

 その寝起きも可愛かった。広輝は卑怯だと思った。

 優里菜は薄っすらと瞼を開け、自分を起こす誰かを朧気に見る。

「外出て来るけど、どうする?」

「…………、ーー!」

 優里菜の霞がかった意識に徐々に輪郭が浮かんでいく。そして段々と状況把握。

 眠っている姿に寝起き、寝ぼけ姿を見られて恥ずかしいとか色々な感情が一気に湧き上がったが、今答えるべきは一つ。

「行きます!」

 ばっと布団を跳ね除けて寒さに震えながらも、顔を真っ赤にして答えたのだった。




 優里菜の準備が終え、天々館の玄関を出たのは午前六時三十分。

 西の空は夜の紺色、そこから暗い空色を通り、東の山の頂上付近は橙色に染まっている。あと三十分もすれば太陽が顔を出す。

 そんな何物にも邪魔されない広い空を天々館の玄関からも見ることができた。

 昨夜は見えなかった天々館の全容。古い旅館のイメージそのまま、瓦屋根の大きな三階建の館。玄関や人が通りそうな場所の軒下には雪や氷柱が積まれている。既に従業員が雪下ろしと氷柱を落とした跡だ。そこ以外には分厚い雪が瓦に乗り、軒下には立派な氷柱がずらりと並ぶ。

 山の斜面に建つ天々館からは、麓に広がる人里を望むことが出来る。はるか遠くまで雪一面で真っ白。あらゆるものが雪に覆われ、人の光がその下からちらほらと眩いていた。

 館内の目覚めとは逆に、しんと静まり返る冬の朝。優里菜は初めて『寒さによる痛み』を覚えた。昨夜の冷たくも柔らかな雪の匂いは消え、ツンと刺すような氷の匂い。鼻で呼吸をすれば鼻孔が凍ってしまいそうだ。冷たい空気に肌が刺されているような痛みを覚え、耳はすぐに真っ赤に染まった。耳あて付きのニット帽を被る広輝が羨ましい。

 その広輝は空を仰ぎ、一つ白い息を吐く。

「行くか」

 手に持つ紙袋の中には蓋のない小さなやかんと水の入ったペットボトル、線香を二束と火付け用のチャッカマン。

 どこに行くかは一目瞭然だった。

 優里菜は雪国の景色に感動を覚えたが、それを表に出せない。

 広輝がザクザクと凍った雪面を踏み抜き、足跡を作って歩いていく。優里菜は靴に雪が入らないように、その足跡に自分の足を重ねて進む。少し広い歩幅と一回り大きな足跡を。

 二人に会話は無い。ただ雪を踏む音だけが二人の間にあった。

 そうして歩くこと十五分。

 目的の共同墓地に到着した。

 入り口のお地蔵に線香とお水を供えると、手袋と帽子を取って短く黙祷する。

 その後、五つのお墓を順番に回り、一つ一つ丁寧に長く黙祷を捧げる。特に"星永家"のお墓は三分ほどの黙祷を。

 優里菜は広輝が参るお墓の理由を聞かない。きっとそうなのだろうと思ったから。ただ広輝に付き添って水と線香を供え、手を合わせて行った。

 それぞれの家のお墓を回り終えると、二人は墓地の奥へと進む。

 一番奥に建てられた二つの石碑。

 一つは岩のように大きな石の断面に多くの名前が刻まれた石碑。これは一般人・天子に関わらず、岳隠から出兵し、先の世界大戦で戦没した人たちのお墓。香炉の中に線香の灰が積もっていた。二人はその灰に重ねるように新しい線香を供え、手を合わせた。

 そして隣のもう一つ。苔が付着し、直接地面に建てられた古い墓石と比較的新しい無銘のお墓が隣り合わせに並んでいた。こちらは、家族を持つことのなかった天子たちのお墓。戦いに敗れた者、病に倒れた者、人に絶望して自ら命を絶った者。理由は様々だが、一様に供養されていた。

 残りのすべての水と線香を墓前に供え、長い黙祷を捧げる。早朝の寒さをも忘れるように深く、深く。


 二人が墓地を出る頃には、陽が顔を出し切っていた。

 東の空が強い橙色に染まり、陽の光で雪面が輝く。

「優里菜」

「なに?」

「……ありがとう」

「ーーうん」



  ***



 二人は墓地から帰った後、朝食を取ってから天子協会・岳隠支部を訪れた。

 広輝は支部へ、優里菜は併設された道場へ。

 道場へ入ると畳のにおいに包まれる。靴を脱ぎ、下駄箱へ並べてから引き戸を開けると、黒帯を締めた道着姿の円が仁王立ちで待っていた。

「おはよう、よく来たな。更衣室は右側だ」

 別に怒っているわけではなさそうだった。 

 優里菜は一旦引き戸を閉めて、更衣室へ。道着に着替え、髪をまとめて気持ちを切り替える。そして改めて引き戸の前に立った。緊張の面持ちで引き戸を開け、一礼。敷居を跨ぎ、畳を踏んだ。

 中ではバスケットコートほどの広さに敷き詰められた畳の隅で、学校にあるようなジェットヒーターが轟々と火を吹いているが、それでもまだまだ道場の中は寒かった。

「君は何を着ても絵になるな」

 月永は天術の家系。武術に重きを置く天子に比べれば体の線が細くなるのが必然で、道着が合わないことが多い。

 しかし今の優里菜には道着に着られている感じはなかった。

「改めて自己紹介させてもらう」

 円の雰囲気が少し変わる。

 気さくな姉御肌から、剣を修めた武人へ。

星永(ほしなが)が直系、星月(せいげつ)二刀流剣術免許皆伝、星永円だ。色は蒼。君に星月二刀流を伝授する」

「月永優里菜です。よろしくお願いします」

 優里菜が円に名乗れる名はまだ無い。肩書を述べず、ただの優里菜として円に教えを請う。

「と言っても時間が限られているから、触りだけだがな」

 今回の小旅行は二泊三日の予定である。二つの目的の内、一つがこの優里菜への二刀流剣術の指導だった。

 優里菜のウンディーネの杯は双剣に姿を変えるが、その使い方を鳴上で教えるには限界があった。武器を使用した戦い方もまた然り。

「いえ、それでもありがたいです。鳴上には武術を、まして二刀流を教えてくれる人はいないので」

「うん? コウから基礎は教えたって聞いているが?」

「初歩は、はい。教えてはもらっています」

 言い切らない優里菜に円は眉をひそめる。弟分の無礼を疑った。

「ーーあいつ、真剣じゃないのか?」

「あ、そうではなくて、私がついて行けてなくて……」

 広輝から指導はしてもらっているが、そのハードさたるや……仮病を使おうと思ったのも一度や二度ではなかった。優里菜も自分から願い出た手前、そんなことはしていないが。

 広輝が要求するレベルは優里菜からするとかなり高い。優里菜が言われたことをすぐに出来たためしは無い。だからと言って、出来そうにないからと言ってそのレベルを妥協されることは一切ない。手本とアドバイス、対話を繰り返し、出来るまでやる。それが広輝の教え方だった。

「そうか。だが、もし向こうでわからないことがあれば、引き続きコウに聞くといい。あいつも二刀流の壱ノ型は初伝を持っているからな」

「そうなんですね……壱ノ型? 何種類か型が有るんですか?」

「あいつは座学(そういうこと)は教えてないのか?」

 円は腕を組んで少し考える。すぐに実践指導に入ろうと思っていたが止めた。

 心構えが先である。

「"月が導き、星が護り、櫻が支える"これの意味はわかるな?」

「はい」

 それは月永と櫻守の家伝。(はじ)まりの三家の誓いの言葉。

 誇り有る家系として、天子としての務めを全うする為、代々継承されてきた心得。

 教えてもらった通りに、優里菜は意味を述べる。

「『魔が蔓延る夜に、人々を明るく照らし導くことが月の役目、月が欠けた時は無数の星々が人々を護り、星の光すらも届かない暗雲の時は櫻が人々の拠り所となり人々を支える』。月が月永を、星が星月流を、櫻が天子を示し、これらは四百年前の初代月永、星永、櫻守の想いが込められていると聞いています」

 日本の天子協会を創設した者たちのこの理念は広く知られている。故に彼らへは尊敬の念があり、その三家も一目置かれていた。

「ん、概ねその通りだ」

「概ね、とは?」

「君の解釈は"オリジナル"だ。正しい。けれど最近は解釈が変わってきている」

 円は一つトーンを落として言う。優里菜には痛いことを。

「"月"は五大支部を担う五家に、"星"が天子に、"櫻"が天宿に。理由は色々あるが、一つは解るな?」

「! ……はい」

 "堕ちた月"。

 新月でも、雲に隠れたとも解釈されていない。

 月永は導き手として相応しくない。任せていられない。そういう意味だ。

「我々は"(はじ)まりの三家"なんて呼ばれて、まだ他から一目置かれてはいるが、近年はその威光もなくなってきているのが現状だ」

 星永も星永で月永とは違った理由で、昔より尊敬の念が薄れていた。対等になってきた、という表現が正しいかもしれない。

 日本の天子協会が発足してから四百年。有力な家も月永同様に長く血を残す。それに伴い、生まれくる天子の天力量も多くなり、天術も発展している。先の魔術師との戦争で、甚大な効果を発揮したのは戦略・戦術級天術だった。

 故に武術不要論が生まれた。天子に武術(星月流)など不要だと。

「お互い頑張らないとな」

 円は、今度は逆に努めて明るく言った。暗い話はここまでだ。

「はい」

「で、だ。オリジナルの"星"を絶やさないように、私たち星永が中心となって伝えている。星月流剣術は一刀流と二刀流があって、それぞれ二つの型がある。共通して壱ノ型が攻撃寄り、弐ノ型が防御寄りだ。どっちを使うかは、やっていく中で決めればいい」

「はい。ちなみに円さんはどちらを使うのですか」

「両方扱えるが、主に壱ノ型の[星辰(せいしん)]だ。ちなみに弐ノ型は[望月(ぼうげつ)]と言う」

 壱ノ型が星の名を冠し、弐ノ型が月の名を冠する。これは一刀流二刀流も同じである。

「さて、そろそろ実技に入ろうか。残りは休憩中にでも話そう」

 ただ剣術を伝授するだけではない。

 教わる側が何の為に学ぶのか。その根底を自覚することで身の入り方も変わる。

 円は優里菜が自分の力不足は認識できているように思えた。ならば、自身を取り巻く環境は、と問うたのだ。力を付けざるを得ない背景がお互いにあるぞと。

 それから二つの型の存在を教えることで、自分の道を暗に考えさせる。得意なこと・不得意なこと、できること・できないこと、進みたい方向。全てを鑑みて優里菜に選び取らせる。

 それが円の教え方。

「そこに色んなバランスの木刀を用意したから、君に合うものを選んでくれ」

 円が指を指した方には大小様々な木刀が木箱に入っていた。

 そこから水鮮花に似たバランスの木刀を二本選び、再び円の前に立つ。

 円も用意していた木刀を二本取り出す。

「じゃ、始めるぞ。まずは君の今の実力を見させてもらう」

「はい、よろしくお願いします!」


  *


 現状確認を終え、最初の基礎鍛錬が終わった頃。

 息絶え絶えになり、全身を汗で濡らした優里菜は、畳に仰向けに倒れていた。

 酸素を上手く取り込めている気がしない中、一つの質問を円へ投げかけた。

「こ、広輝くんはどの型を?」

「ん? 気になるか?」

「えっと、はい」

「コウは、一刀流壱ノ型[暁星(ぎょうせい)]を遣う」

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