第一話 天々館
長い電車旅を終えて小さな田舎駅を出ると、辺りは雪で一面真っ白だった。
優里菜を照らすのは小さな駅に設置された街灯一つのみ。普通なら真っ暗な夜道も雪のおかげで少し向こうまで見ることができた。
積雪が低い場所は、白い軽自動車が停車している小さな駐車場と細い車道のみ。車輪の跡の脇には雪が延々と積まれていた。人が立ち入らなそうな場所は手つかずで、綺麗な雪面が広がっていた。
「はあ〜、すごい。灯りがないのに明るい」
鳴上では見れない景色に優里菜は感嘆の息を漏らす。白くなった息は空に吸い込まれるように消えていった。
夜空の黒い雲は厚く、まばらに雪を落とす。それは傘をさすほどではなく、花びらのような綿雪が舞い落ちていた。
そこに宿泊場所直通のリムジンバスの時刻表を確認してきた完全防備の広輝が近づいてくる。
「だめだ。やっぱりもう行ったみたいだ」
「……」
優里菜は広輝の格好を改めて意味ありげに見る。
広輝はスノトレ以外を、登山用だという防寒着一式を身に着けていた。上から耳当て付きのニット帽に紺色のダウンジャケットと黒の手袋、ベージュのトレッキングパンツ。背負うリュックサックまでも登山用だという。ちなみにインナーも。
愛刀のたちが入ったゴルフケースを除けば、もう登山者にしか見えなかった。
広輝が寒いのが苦手なことを知っていたが、最初にこの姿を見た時、優里菜はここまでするのかと半分呆れた。それを小馬鹿にされたように感じたのか、広輝から『暖かい・動きやすい・軽いの三拍子揃ってるんだ』と力説された。
反対に優里菜は街用のコーディネートだった。クリーム色の丈の長いコートを中心に首元にマフラーを巻き、動きやすいジーンズとスニーカーを履いている。広輝から『雪が深いから絶対にキャリーバッグは止めろ』と言われていたので、ボストンバッグを肩にかけていた。
案の定、優里菜が立っている場所もくるぶしが埋まるくらい雪が積もっている。キャリーバッグで来ていたらこれからの移動が大変だったに違いない。
バスが無い以上、ここから宿まで歩くしかないのだから。
「普段なら三十分くらいなんだけど、この雪だ。一時間くらいかかるかも」
「仕方ないよ。事故で電車が遅れてたんだから」
優里菜は少し申し訳無さそうにした広輝をやんわりフォローした。
止みそうな雪の中、二人があるき出そうとした時、駐車場に止まっていた車のヘッドライトがバッと点灯する。その白い軽自動車はタクシーのように二人の傍に停車すると、助手席の窓を下ろした。
「遅れるんなら一声かけろ、コウ」
「円さん」
運転していたのは広輝の姉貴分。中性的な面立ちが彼女の凛々しさを際立てる。
「最後のバスで来なかったから心配したぞ」
「ーーすみません」
「さ、乗った乗った」
円に促され、荷物を後部座席に押し込むと広輝は助手席に、優里菜はその後ろへと座る。
車内は暑いくらいに暖かく、すぐに二人は上着を脱ぐ。優里菜はそれで丁度良くなったが、全身完全防寒の広輝はそれでも暑いらしく、更にもう一枚脱いだ。
広輝の服とその着込み具合に円はクスリと笑う。
「相変わらず寒がりだな」
「変わりませんよ。それよりありがとうございました」
「礼には及ばない。今日は客だからな」
円は二人がシートベルトを締めたことを確認して、アクセルを踏んだ。
灰と白の世界を進む。車窓から除く景色は、雪一色。車輪の跡と道脇の雪積みが無ければどこが道なのか分からないくらい続いていて、この世界にこの三人しか居ないかように錯覚しそうだった。
そんなもの寂しさの冬の夜に、そっと寄り添ってくれるような歌が車内に流れていた。
穏やかな旋律に透き通った女性の歌声。
澄み渡る音色と暖かな車内に優里菜は思わず眠ってしまいそうな程だった。
「ユリナちゃん、で良かったかな?」
「あ、はい。月永優里菜です。よろしくお願いします」
「星永円だ。短い間だけどよろしく」
優里菜と円は、三ヶ月前に一度だけ会っていた。魔術師のギレーヌ・ラインによって実験体にされていた愛紗を鳴上が一時保護したが、愛紗は競技の末、岳隠支部が管理・運営する施設に預けることなった。愛紗を引き取る際に二人は顔を合わせてはいるが、あまり話は出来ていなかった。愛紗との別れを惜しむ優里菜に円も遠慮していたのだ。
「コウから話は聞いている。双剣に適正があるんだってな」
適正。優里菜は絶妙な表現だなと思った。双剣は優里菜が選んだ訳ではない。剣術を学び、双剣に才能を見出した訳でもない。月永の秘宝[ウンディーネの杯]を優里菜が顕現させた姿が双剣だったというだけ。[杯]が持ち主に合った武器に变化するのなら、[杯]が優里菜には双剣が合うと決めたのだ。
「一日二日でどこまで教えられるかわからないが、教えられるだけ教えるつもりでいる。ハードになるがついてきてくれ」
そして、円は星月二刀流剣術の免許皆伝者である。
優里菜がこの地に来た理由は、この二刀流を学ぶ為でもあった。
「はい、よろしくお願いします」
優里菜のはっきりとした返事を聞くと、円は「それと」と続ける。
「愛紗が二人に会えるのを楽しみにしている。明日にでも顔を出してやってくれ」
「はい」
「はい!」
***
時刻は二十一時三十分。
駅から十分弱車を走らせると、坂の傾斜に建てられた旅館に到着した。周りに他の旅館はなく、この立派な老舗旅館だけがドンと一軒建っている。その全容は夜のため把握できないが、その風格は全焼する前の鳴上支部と遜色ないように見えた。
駐車場には分厚い雪を乗せた車が多く並んでいる。県外ナンバーもちらほらあり、繁盛している事がわかる。駐車場から玄関までは綺麗に雪かきされていた。
広輝は知った道を行き、優里菜はそれについて行く。玄関の二つの自動ドアを通ると、フロントの向こうにいる真面目そうな若い女性と目が合う。その女性は臙脂色の和装に身を包み、髪を首後ろでお団子にし、大きめのレンズのメガネを掛けている。その彼女から出てきた言葉はお店側の決まり文句ではなかった。
「あ、やっと来た」
それは客へかけるものではなく、身内にかけるもの。
広輝はリュックを下ろしながら、フロントへ。
「すみません、遅くなりました」
「無事に着けて何より。じゃ、これ書いて」
女性はミサンガを巻いた右手で記入用紙をすっと広輝に差し出す。
「? はい」
広輝は女性の態度を疑問に思いつつ、記入用紙を書き始めた。
「そちらの方は初めてですね?」
「あ、はい」
「ようこそ[天々館]へ。お手数ですが、こちらの用紙に必要事項をご記入ください」
「わかりました」
女性は広輝の少し後ろへ控えていた優里菜に笑顔で対応。八重歯が可愛らしかった。広輝の左隣に用紙を出して、記入を促した。
二人が住所などを書いている間に女性はパソコンで事務手続きを進める。
その普通の対応に違和感を広輝は拭いきれなかった。書き終えた用紙を返しながら、少し探りを入れてみることにした。
「あの、香桜さん」
「ん?」
「……普通ですね」
香桜の手がピタリと止まる。広輝の言いたいことが分かったから。小さく息を吐き出し、心境の変化を明かした。
「……まあね。いつまでも八つ当たりし続けたって帰ってくる訳じゃないし……それに結構エネルギーいるんだよ? 憎んだり恨んだりするのも」
「……」
「こういう事に関わっている以上、割り切りも必要だって思った訳ですよ。『仕方がなかった』って」
広輝は香桜の話を黙って受け止める。今はそれしか出来ないから。
その割り切りが彼女にとって良いものなのか悪いものなのかは分からない。けれど、香桜が前に進もうとしている証だった。
「でも、赦した訳じゃないからね」
「……はい」
広輝は自分でも気づかないレベルで胸を撫で下ろしていた。赦された訳ではないのに。
「…………」
そんな意味深な二人の会話は嫌でも優里菜の耳に入っている。内情を知る由もないので口は挟まないが、リスニングテストのようにばっちり聞き耳を立てていた。暗記するかの如く。
一区切りついたようなので、県名までしかかけていなかった住所を再び書き始めた。
香桜は後ろの棚から鍵を取り、施設案内・観光案内のパンフレットなどの宿泊客に渡すものを準備する。後は優里菜の用紙だけになったところで、みんなの疑問を口にする。
「ところでお二人さん、付き合ってるの?」
「!?」
「いいえ?」
優里菜のペン先があらぬ方向を向く。電話番号の数字から紙端まで一本線ができてしまった。動揺する優里菜を気にも留めずに、広輝は普通に首を傾げる。
香桜は顎に手を当て、次点の推理を述べた。
「ーー実は許嫁?」
「いいえ?」
広輝に一切のブレが見られない。
香桜はさらに推理を進める。
恋人でもない、許嫁でもない。ならば次はーー
「……お試し期間?」
「どうしたんですか」
広輝も突っ込まざるを得ない。優里菜を連れてくる趣旨は円と岳隠の天守に話してあった。優里菜との現在の関係も説明してある。それにも関わらず、そういう関係で見ようとしている。
理由があるはずだった。
「いや、だって、ねえ?」
「『ねえ』と言われても」
香桜は答えを言わず、曖昧に濁す。
優里菜が書き終えた用紙をおじおじと差し出し、香桜はそれを確認。受理すると鍵は広輝に、パンフレットなどは優里菜に渡した。
「はい、205号室ね。ごゆっくり〜」
広輝の疑問には答えずに受付業務を終わろうとする。優里菜へは何も渡さずに。
「…………」
「…………」
「行かないの?」
「いや優里菜にも鍵を」
「? 一緒の部屋でしょ?」
「え゛」
「はい?」
「ん?」
ようやく話が噛み合い始めた。
「二部屋お願いしたんですけど、円さんに」
「えーやっぱりそういうこと? マド姉……っていないし」
フロントまでは一緒だった円の姿はもうない。ついでに言うと駐車場にあの白い軽自動車もない。
香桜はパソコンを操作し、予約情報を確認していく。天々館のシステムでは予約の変更履歴やそれを誰が操作したかも記録されている。
「変更された形跡なし。最初から二人一部屋だよ?」
考えられるのは円の伝達ミスか操作ミス、もしくはわざとか。
しかし今は犯人探ししている場合ではない。
広輝は自分の身を守る為に、今晩の寝床を探す。このままでは非常にまずかった。
「もう一部屋借ります」
「ごめん、満室」
「従業員用の部屋を」
「本気で言ってる?」
香桜の問いに広輝は口を閉ざす。従業員用の部屋になら人一人分が寝るスペースは確保できるが、そういう問題ではなかった。
「…………非常用の寝袋貸してください。ボイラー室なら凍死しないはず……もしくは、ここ?」
夏ならば外で野宿という手段もあったが今は真冬。特に寒い日は氷点下十度を超える。せめて死なない程度の寝床を確保する必要があった。最悪ロビーのソファで寝ることも考え始めていた。他の宿泊客に見られる可能性があるので天々館としては受け入れ難そうな手段ではある。
広輝の異様な必死さに、香桜は助け舟を探した。主にもう一人の客に。
「って言ってますけど」
「満室なら仕方ないよ。いいよ」
同室と言われた時は驚いたが、広輝の動揺を見て優里菜は冷静さを取り戻していた。広輝の性格と今までの振る舞いを顧みて、問題無さそうと思った。
しかし広輝は折れない。
「お前が良くてもオレがよくない」
「えー女の子が良いって言ってるんだから甘えなよ。嫌いなの?」
「好き嫌いの問題じゃないです。後が怖いんですよ。主に月永が」
さらに言えば父親の隆平と兄の隆也だった。母親の玲菜に知られても『あらあら』とか言って流しそうだが、父兄に知られた時を想像すると怖かった。針の筵にさらされかねない。
「お部屋ってどんなレイアウトなんですか?」
何となく広輝の心配していることが分かったので、優里菜は言い分を探す。優里菜としても部屋を分けたいが、そうも言っていられそうになかった。広輝に変なところで寝てほしくもない。
香桜は優里菜たちの部屋のサンプル写真を見せて説明する。
「こんな感じで、襖で六畳と十畳の分かれています。後、広縁があります」
「これなら大丈夫だよ」
「どこが?」
広輝の頭には部屋のレイアウトは入っている。その上で他の場所を探していた。
頑なな広輝に優里菜は少しムッとし始める。もし広輝の箍が外れたら被害者になるのは優里菜自身である。その本人が覚悟して「いいよ」と言ったのに広輝は聞き入れない。詰まるところ優里菜が誰にも漏らさなければ良いのだ。
だがーー
「別の部屋だったって言えば良いんでしょ?」
「オレがお前を襲わない理由がどこにある?」
優里菜の顔が固まった。
せっかく妥協点を探して、言い訳も考えて、久しぶりの帰省を少しでも快適に過ごしてもらおうと思っていたら、全力で拒否される。
この広輝は、言っても聞かなそうなので優里菜は強硬手段に出ることにした。
「…………旅館の人に余計な手間増やしたら駄目でしょ? ほら行くよー」
バッグを肩に掛け、広輝の手首を掴む。
「待っ、おまえ天力使ってーー」
「ほらほら案内して早く」
普通の力では振りほどけない握力を持って広輝フロントから引き剥がす。広輝がリュックとゴルフケースを掴んだのを確認すると、奥の階段へと進む。間違っていたら広輝か香桜が注意するはずである。
「ごゆっくりお過ごしくださーい」
フロントで香桜がお辞儀をしているので、優里菜はそのまま突き進むのだった。
老舗旅館[天々館]。天子協会・岳隠支部が運営する温泉旅館であり、天子が社会適合する為の自立支援施設の一つである。




