第二十話 力の在り処
「どうした、その剣は飾りか!?」
風凰神社から去ろうとするクルスに優里菜が追い縋っていた。
逃げ切れないと判断したクルスがその身を反転し、優里菜へ接近戦を仕掛けた。馬鹿みたいな量の天力を持つ優里菜への中長距離戦は無謀だった。
接近戦を強いられた優里菜は取り戻したウンディーネの杯を双剣[水鮮花]へ変えて応戦するも、自在に速度を操るクルスに苦戦していた。
クルスをこの場に留めることが精一杯。優里菜のメンタルも鈍く、本調子を出せていなかった。クルスの口撃によって
「戦闘だけが貴様ら天術士の取り柄だろう?」
相変わらずクルスから強い憎しみを感じていた。
その眼は怨讐で滾っている。天宿のエントランスで優里菜の悩みを聞いた彼とは同一人物と思えない程に。
ーー『その誰かの為に、貴女たちは人を殺すの!? その力を使って! 人のものを奪うの!?』ーー
ーー『憎いね! 天術士は俺の家族を、仲間の家族を殺した!』ーー
「…………」
クルスを目の前にしながら、優里菜の思考は別のところにあった。
『クルスを頼む』
これが何を意味しているのか優里菜には分からなかった。けれど、ただ力で倒したり、捕えればいい訳ではないことだけは理解していた。
(殺し、死……憎しみ)
優里菜の人生において縁遠かった言葉。天宿にも深い確執はあっても命のやり取りはなかった。テレビや漫画の事であって、現実世界で見聞きする言葉ではなかった。
優里菜に身内を奪われた経験はない。その悲嘆も絶望も想像するしかない。それでも想像して余りある。
「ーー……」
そして、また別の感情を内に秘めた人がいた。
ーー『オレはあいつを否定できない』ーー
殺してしまった側の人。
その真偽は定かではないが、広輝がそれを受け入れている。『否定』とは遺族側の憎しみのことだろうか。
奪った側であり、奪われた側でもある。犯してしまった罪にどう向き合ってきたのか。想像すら叶わない。
ーー『広輝くんが起こってしまったことを後悔して反省しているからこそだと思うわ』ーー
玲菜の言葉通りなら、広輝は強く悔いている。
(広輝くんは自分のことを憎んだのかな。殺めてしまった人を大切に思ってた人たちからの憎しみを受け止めて来たのかな)
目の前にいる魔術師が天術士に向けているような感情を一身に。
優里菜は「ああ、そうか」と思い至る。広輝はその事件を起こす前に、既に家族を亡くしている。それを合わせて考えるのなら、広輝が自分は不幸を呼ぶ人間だと思っているのではないのかと。
広輝は多くを語らず、優里菜を含めて誰一人も必要以上に近づけさせない。
それは、そういうことではないのかと。ぶっきらぼうで冷たい態度の裏に、そんなことを考えているのなら。
あくまで優里菜の想像でしか無いが、不思議と確信を突いている気がした。
そして、
「お前も与えられた力に驕って何もしてこなかったか! 箱入り娘!」
憎しみを呼び起こしてしまった人間として、クルスの感情を理解できるからこそ、広輝は彼を止められない。言葉に力がなく、届かない。
広輝の意図を何となく理解したが、それを頼まれたとしても自分にどうにかできると優里菜には思えなかった。
だけど、問い掛けに答えることはできる。
「驕る? そんなことない」
生まれ持った天力。優里菜にとって天力は驕るものではなく、疎むものだった。天力さえなければ、普通に友だちを作って、普通に遊んで、普通でいられたのに、と。
体調が回復し、普通の暮らしもできるようになった頃、改めて天力と向き合った。自分の生きる道に、それほど選択肢がないことも幼いながらに自覚した。それからは両親に教わる形で、天力の使い方を学んでいった。保有する天力量のおかげか、優秀と言われるくらいには評価を貰っていた。
しかし、同い年で圧倒的に上の存在が現れた。[優秀]の評価が霞み、お世辞に聞こえるほどに。
「私より強い人はたくさんいる。鍛錬だってそれなりにやってきた、と思う。でも、必死ではなかった、かも」
優里菜に課した鍛錬以上の鍛錬を日々こなしていた。その背中は何かに追われるように鬼気迫っていて、近寄りがたく怖いものがあった。必死、その言葉が当てはまった。
「その力で俺の家族を殺したように、貴様らが蔑むこの魔術でお前も殺してやる」
優里菜の声が聞こえていないかのように、会話が噛み合わない。
クルスの憎しみは止まることなく、その口から吐き出され続ける。
クルスは、大事な人を奪ったとされる天術士を憎んでいた。クルスのそれは記録上のことでしか無いが、自分ひとりではなく仲間にも同じことをしていたことが許せなかった。そして、自分の目でも魔術師と天子の確執を確かめてきた。その間に繰り返された怨讐も見てきた。
醜い事この上なく、終わりがないと諦めてまでいる。だからこそ、人間が持つはずがない力を宿す天子さえいなくなれば、この抗争の構図は終わると結論した。
返す優里菜はまだ思考の中にあった。『蔑むこの魔術』に違和感を覚えた。魔術師に良い印象はないが、良くも悪くも魔術に対しては何の感情も持っていなかった。
「……チカラ。力。これは何の為の天力?」
広輝は言っていた。力はただ力だと。魔術も天術も力の一つに過ぎないと。そこに善も悪もなく、重要なのは使い方だと。
隆平に幾度となく言われ続けた。『これは守る為の力だ。決して傷つける為の力ではない』と。
初めて天術を学んだ時、玲菜から教わった心構え。『この力は守る為の力。あなたの大切なもの、大切な人を守る為に使いなさい』と。
だから優里菜にとって守ることが当たり前だった。この力を使って誰かを傷つけようとも思ったことがなかった。
だけど、天術によって傷つけられ、大切なものを奪われた人が目の前にいる。
その表情は酷く歪んでいる。狂気をその眼に宿している。
クルスは加速の魔術を発動。一気に距離を詰め、右手を振りかぶる。
優里菜は腕を上げ、肘をクルスに向ける形で水守を展開し、衝撃の魔術を防いだ。
防がれたクルスは今度は左手で衝撃の魔術を水守へぶつける。力で破るつもりらしい。
クルスの魔術に耐えながら、優里菜が問う。
「貴方はそのチカラで何をしたかったの?」
「何?」
「私は守るために使えと、教わった。そして私がしたいこともそれ」
抽象的だろうが、理想だろうが、優里菜の力の源は常にそこだった。
自分で自分の心を口にして、今やるべきことに気付く。
悩むのは今ではない。
今は、戦う時。
「私の大切な人、私を大切に思ってくれる人を、みんなを護るために」
「……」
「もう一度聞きます。貴方は何をしたかったの?」
クルスの表情が一瞬緩んだ。が、すぐに戻る。
優里菜の問い掛けはクルスの芯に触れたが、すぐに炎に飲み込まれた。
右手に衝撃を力の限り魔力を込め、弓を引くように腰を捻り、肩を広げる。
「だから、それを奪ったのが貴様らだ!」
「だから奪うの?」
「!」
クルスの動きが止まった。
「貴方たちからすれば、私は、貴方の家族を奪った憎い天子と同族。何も失くしたことのない幸せ者に見えるかもしれない。でも、貴方が奪った命に、こちら側の世界に関係ない人も大勢いたはず」
クルスとギレーヌによる被害者数は二万人を越え、死者は数百人に上る。
殺人どころではない、殺戮行為である。
数が大きくなればなるほど、一つの重要さが薄れていく。それでもその"一"は、命に変わりない。
「どんなに大切な人を失くしても、どんなに悲しいことがあっても、貴方にその人たちの命を奪う権利なんて、どこにもない!」
腕を振り抜き、結界を広げる。
水の結界に押されたクルスはバランスを崩しつつも、自ら距離を取って体勢を取り直す。右手の魔術はリセットされた。
「お前に、何がーー」
「わからないよ。私はそんな経験はないから」
きっぱりとクルスに答えた。実体験の有る無しの間には大きな隔たりがある。
「でも、それがどんなに悲しくて切なくて、苦しいのかは知ってるつもり」
それでも、そういう人を見たことはあった。
無邪気に明るかった男の子を空っぽの人形に変えてしまうほどの出来事であると知っていた。
「貴方は憎むことで心をいっぱいにして、その空しみを見ないように逃げ続けてるだけ」
優里菜は自分が理想論を、綺麗事を言っていることを自覚していた。
「私は、貴方を倒して否定する」
守る為に理想を翳す。
「貴方のしてきたこと、していること、どんなに正当化してもそれが間違っていることを」
復讐も、逆襲も、八つ当たりも認めはしないと。
「戯言を。その口、永遠に閉ざしてやる」
クルスは再び加速を纏う。
それを見て優里菜は再び水守を正面に展開するが、クルスは大回りで優里菜の側面に出る。
優里菜はクルスのスピードを眼で追うことができた。広輝とパートナーを組んだ副産物である。
「強制転移」
クルスは優里菜の後ろを直視する。加速状態の自分を優里菜の背面へ転移させた。
移動ではなく、消えたクルスを優里菜は追えない。消えた彼を探す前に背中にゾクリと悪寒が走り、咄嗟に体を反転。右手の剣で弧を描いた。
クルスは地面を蹴って、優里菜を飛び越えるように優里菜の剣を躱した。着地すると加速が切れる。すぐに減速を優里菜に向かって発動。
浮き上がる魔法陣を見て優里菜は水守を展開。減速魔術を防いだ。その減速魔術がかかった水守にクルスは衝撃の魔術を三発叩き込む。
完全に受けきったと思われたが、減速の効果が切れた瞬間、水の結界は砕け散った。減速魔術によって衝撃の効果が遅れ、それが無くなった時に一気に現れたのだ。三連発が三重となって水守を砕いた。
退けぞいた優里菜にクルスは今度こそ衝撃を叩き込もうと、素の状態で追い打ちをかける。
優里菜は紙一重で躱し、クルスと交差した。一呼吸置く為に、再び水守を張る。
「芸がないな!」
クルスは右手に魔力を収束させ、クルスも衝撃の魔術を結界へ叩きつける。水守の攻略法はさっき見えていた。
「三重衝撃!」
難なく水守を突破。
クルスは一瞬の間もなく次の魔術を為に魔力を集中させたが、優里菜は次を準備していた。
天術・水の路 三連発。
その三つの間にクルスが直線で近づける隙間がない。減速魔術を範囲を絞ることで無理やり発動させ、水流の勢いを止める。前へ傾く姿勢を利用し、最小限の回避で優里菜へ近づこうとした。が、優里菜の周りに未使用の水玉を見つけ、後退に切り替える。左足をからだの前で踏み込み、もう一度距離をとった。
魔術師のクルスが執拗に優里菜へ近づこうとしているのは、ダメージを与えられる攻撃魔術が衝撃《impact》だけだからである。[加速・減速][転移]の他にもいくつか使える魔術を持ってはいるが、戦闘向きではない。
減速の効果が切れた水流がクルスの側を過ぎていく。
「ーー仕方ない」
減速は水守に阻まれ、半端なスピードと攻撃では優里菜に届かないことがわかった。油断せず双剣を構えたままの優里菜を見て、クルスは腹を括る。
それは身体への負荷と制御の難しさから、あまり使いたくない魔術だった。
懐に右手を入れ、指に挟む形で小さい宝石を三つ取り出す。
そして真上に放り投げた。
「増幅」
空中の宝石が輝き、溜め込まれた魔力がクルスへ送り込まれていく。
クルスは奥歯を噛み締めて耐える。自分以外の魔力が体内に入ってくる嫌悪感と拒絶反応による痛みに。
代わりに、得る魔力量は自分の保有量を超える。
「いくぞ、ウンディーネ」
クルスが増幅させたのは魔力量だけではない。一度に外に出せる量も増幅させた。故に、普段できないことができる。
「減速領域」
優里菜を中心に魔法陣が展開。すぐに地面から結界が形成されていく。
優里菜は水守を全方位に広げた。魔法陣の外への脱出が間に合わないと思ったから。
ドーム状の魔術結界が完成すると、クルスは次の魔術へ取り掛かる。
「二重衝撃、二重衝撃、二重衝撃……転移」
クルス唯一の攻撃魔術を水守のすぐ外へ配置していく。減速魔術の効果で衝撃は未だ炸裂しない。
水守の中へは干渉できなかったが、優里菜をその結界の中に拘束は出来ていた。水守を解除した瞬間に減速魔術の餌食。優里菜は水守の維持しか出来ないようだった。
身の丈以上の結界魔術に並行して別の魔術を行使。左手で△、右手で○を描き、頭で別のことを思考するような制御の難しさに目眩がしそうだった。
水守の外側を衝撃魔術で覆い尽くした時、クルスの額にびっしりと汗が滲んでいた。
「俺の勝ちだ、ウンディーネ」
クルスは勝利を確信したかのような笑みを浮かべ、減速魔術を解除した。
突風が突き抜けた。
爆弾が爆発したかのような衝撃波に辺りの木々が折れそうなほどに反り撓る。小枝が千切れ飛び、葉は飛び散った。
この衝撃波を生んだ当の本人も吹き飛ばされないように、腕で顔を覆って地面を踏みしめて、土が交じる嵐に耐えていた。
爆風が止むまでの間、クルスは勝ちを確信していた。水守を突き破った感覚があったから。
この風に飲まれて、無事であるはずがない。後は地面に倒れる優里菜に止めを刺すだけだと、後の算段を重ねた。
爆風が止み、腕を下ろす。顔を上げる前にクルスが見たのは、目の前で腕を振りかぶる優里菜の姿だった。
「水のーー」
「な!?」
水の精霊の血統たる碧い眼がクルスをしっかりと狙い定めていた。右手の水玉が青く光る。
クルスは咄嗟に両腕を腹部の前に重ねた。今できる精一杯の防御だった。
優里菜は左足をしっかりと踏み込み、全身の体重を右腕に乗せる。逆の左手で優里菜は交差するクルスの腕に狙いを定めた。二人の身長差は約三十センチ。優里菜の正拳の高さはクルスの腹部。
「ーー衝撃!」
弓矢を撃つかの如く、水玉の拳がクルスの腕を撃ち抜いた。
水玉がクルスに触れた瞬間に、クルスに向かって炸裂。振り抜いた腕の勢いも相まって、クルスは一直線に吹き飛んだ。
「がっ!!」
風凰神社周りの林すら突き抜けそうな勢いそのままに、クルスは大木に激突。彼の視界は真っ白に染まった。背中と後頭部を強く打った身体は、ずるずると木の根に滑り落ちる。
遠退きそうだった意識が戻ってくると、クルスを見下ろす優里菜の姿があった。これまでの戦闘によって、ところどころ衣服が破れ、顔に土もつけているが、未だ凛然としてクルスの前に立つ。
対してクルスは、増幅は反動もあり、魔力も扱えない。大木を背にしていることで上体は起きているが、全身に力が入らなかった。特に水の衝撃を直撃した腕には鈍い痛みが返ってきている。
敗北を認め、舞台から降りる。一言負け惜しみを添えて。
「お前の勝ちだ。ウンディーネ」
「……」
「下級の天術士とは言え、戦闘で魔術師が天術士に勝てるはずもなかったか」
「……」
優里菜はクルスを拘束することも、広輝たちの元に戻ることもしなかった。何も言わず、黙ってクルスを見ている。その目に憐れみも見下しもなく、敵意もなかった。それはクルスが見たことのない目だ。
どうやら優里菜はまだクルスを舞台から降ろすつもりは無いらしい。
「…………?」
クルスは優里菜の意図がわからない。体がだるく、彼女が何も言わなければこのまま意識を手放しそうなほどに。
瞼を閉じそうになった時、優里菜が口を開く。選び取った言葉を一つ一つ。
「魔術師とか、天術士とか……そんなの事の前に、みんな同じ命なんです」
優里菜は玲菜から教えてもらった時からずっと考えていた。まだ答えは見えず、今後見つかることもないかもしれない。けれど、大事なことはわかったつもりだった。
「誰かにとって、大切な命なんです。貴方のご家族と同じように」
「……」
「貴方が奪った命にきちんと向き合ってください。魔術師ではなく、一人の人間として」
「これから天会の法で裁かれるというのに、改心を求めるのか」
クルスの犯した罪は消えず、人一人の命では償いきれるものでもない。優里菜も理解している。彼らによる被害は災害に匹敵する。
クルスに改心を求めたところで、クルスが改心したところで罪状が変わる訳もない。
「悲しみに背を向けても、悲しみは追って来る。きちんと向き合っても消えるわけじゃない」
これは優里菜も知っていた。悲しさの種類は違っていても、あの時が悲しかったことは変わらない。
「でも、天術士が魔術師がって、相手を無理解のまま、憎しみのまま終えたら今までの繰り返しじゃないですか」
憎悪の輪廻を終わらせる方法を優里菜は知らない。けれど、相手への寄り添い方は知っている。その始め方を知っている。
「一人の人間の感情を理解するのは、天子の心を理解するよりも難しくはないと思います」
クルスが傷つけた命。その傷ついた人を思うことはできるはず。
「同じ、人間なんですから」
クルスもまた、傷ついた人間なのだから。
「……綺麗事を」
クルスは優里菜の目の意味が解った。
理解しようとしている目だ。魔術師を、クルス・マルティネスという人間を。
天子の純血統である月永が魔術師を理解しようとしている。クルスの常識ではあり得ないことだった。
相容れないと啀み合い、傷つけ合い、人外のように相対してきた。宿敵と決めつけ、理解などしようともしていなかった。それがクルスの中の天術士と魔術師の関係である。
しかし今、蓋が開いた。今まで見ないように、あるいは気づかないようにしていたことの。
[ソリアス]神秘の解明者たち。この組織には天術士も魔術師も所属している。内情がどうかは知らないが、表向きは上手く機能している。それは即ち、手を取り合うこともできるということ証明。
「私も、魔術師のことを理解していこうと思います」
優里菜の瞳に敵意はなかった。それどころか優しい笑みを浮かべている。
「だから貴方も、その力で本当にしたかったことを思い出してください」
優里菜はそう言い残して、広輝たちの元へ戻っていく。クルスを拘束することもせず、捕らえておくように依頼もせず。
詰めが甘いのか、クルスが逃げないと高を括っているのか。
(全く……甘い人間だ)
優里菜が去っていった方を見て思う。向こうの状況も芳しくはないだろうと。時折届く、風凰の鳴き声と異質な力を含んだ薄翠色の風は、風凰がまだまだ健在である証。
(守ってみせろ、ウンディーネ。そうしたら俺も……)
意識が消える直前に見た空には、上弦に成りきらない三日月が浮かんでいた。




