第十九話 風の鳳凰
神楽殿の傍らでは、七重と歩、大樹が魔道人形と、玲菜がアランと戦いを繰り広げていた。
その行く末は天子側の勝利で終わりそうだった。
「どう? 通してくれる気にはなったかしら」
「……よく言う」
玲菜自身とアランの周りに小さな水玉をいくつも浮かべ、まだまだ余裕が見える玲菜に対し、満身創痍のアラン。フルフェイスにはヒビが入り、シールドは外れて石畳の上で砕け散っていた。
アランも最初こそ一進一退の攻防を続けていたが、気づけば防戦一方。戦い始めた時よりも増えた水玉を排除しきれずに、対処に追われ、攻撃を防ぐこともままらなくなっていた。
持ってきた魔道人形はすべて破壊され、サービス分の足止めもした。大人しく玲菜の言う通りに引き下がろうと思った時、珍客が一人近づいてきた。拝殿の方から。
「何遊んでんの?」
その声は大人になる直前のような女性の声だった。暗がりから現れた彼女は、腰に刀を据え、面妖な紅白の猫の仮面を被っている。一つに結った燃えるような朱く長い髪を小さく揺らし、足音一つ立てずにアランへと近づいていく。
玲菜たちが警戒する中、アランを囲う玲菜の水玉のすぐ外側でようやく足を止めた。
「時間になっても来ないと思ったら」
「……」
その女性はアランの体を見て、やれやれと溜め息を一つつく。
アランは何も言い返せないので、口を開かなかった。
「あ、広輝くんを助けた人だ」
「赤髪の女」
歩が女性を思い出し、その言葉で七重と大樹も思い出す。
ゲーベルの城が崩壊する中、広輝を助けて優里菜の元へ運んできた女性。その人だと。
玲菜も報告では聞いていた。魔術師並みの魔力を保有し、武人のように立ち振舞に隙がない女性だと。その仮面からアランの仲間だと推測されていたが、真偽は不明だった。けれど、それがここで確定した。同時にあの事件に、天会側でも、ゲーベル側でもない、第三勢力の関与が濃厚となる。
「貴女は誰?」
玲菜は答えを貰えるとは思っていない。
それでも敵か、そうでないかははっきりさせなければならなかった。前に進む為に。
しかし、問われた朱髪の女性は、何故か腕を組んで「うーん」と悩み始めてしまった。
「?」
あーでもない、こーでもないと、首を振る。
まるで名前を今考えているかのように。
「ーー…………」
そして、何とか絞り出した返答には疑問符が付いていた。
「……フレイヤ?」
「ボンバーの間違いじゃないか」
「うるさいわね」
その名前が綺麗すぎたので、アランは反射で突っ込んでしまった。自覚があるのか"フレイヤ"は拗ねるようにアランを黙らせる。水玉がなければ頭を叩かれていただろうアランは、フルフェイスの奥で苦笑いだった。
「貴女も邪魔をするつもり?」
フレイヤがアランの仲間なら、彼女も無力化しなければならない。
まだ風神は復活していないが、広輝たちが上手くやっているとも限らなかった。玲菜の感覚が制限時間を訴えていた。
「いいえ全然。あたしが用があるのはこのバカだけだし……あーでも」
玲菜たちの警戒心、敵意にフレイヤが反応してしまう。フレイヤの左手が刀に添えられ、親指が鍔にかかる。
「戦いたいならいいよ。多分あたし、この場で一番強いけど。それでも掛かってくるならどうぞ」
仮面の向こうから覗く真紅の瞳が、玲菜たちを射抜く。
強がりには見えなかった。ただ立っているだけなのに隙がない。右手は刀の柄に添えられていないのに、肩に腕がぶらさっがっているように見えるのに。フレイヤから必要以上の力みが感じられなかった。
それでも玲菜がフレイヤの傍の水玉を使って攻撃すれば、次の瞬間には抜刀され、その切っ先が喉元に突き立てられると予感する。
フレイヤの実力を感じ取った時、神楽殿の向こう側で碧い光が天に昇った。
「玲菜さん!」
「ええ、行くわよ」
見たことがある色の光に大樹が叫ぶ。その光に誰が関係しているかを直感したのだ。
玲菜は水玉をすべて消し、大樹たちと共に建屋無き本殿へ向かう。フレイヤは水玉が消えた段階で刀から手を離して戦わない意思を示し、天子たちの背中を黙って見送った。
「……」
四人の姿が見えなくなった後もフレイヤはその方向をずっと見ていた。後ろ髪を引かれているような、何かを託すような、複雑な目で。
その様子にアランが訊いた。フルフェイスを外し、中学に入りたてのような顔を夜風に当てて。「行かなくていいのか?」と。
「なんで?」
「依り代になるかもしれないんだろう?」
「力が制御できないようならーーその時は、あたしの手で始末をつけてあげるわ」
フレイヤの左手は、自然とその鞘を握っていた。
***
優里菜が目を開けると異空間ではなく、元の世界だった。
風凰神社の拝殿の奥、本殿に戻っていた。
周囲を見ると隣に広輝がいて、少し離れたところにギレーヌとクルスがいた。皆、世界に戻ってきている。
そして、皆一様に空を見上げていた。
優里菜もそれに倣い、空を見上げる。
翠の鳳凰が顕現していた。
その巨躯は十メートルを有に超えていた。長い尾も含めると二十メートルを超す。
翠一色の幻鳥は、生物を象ったエネルギーの結晶体に見えた。
それでも生きていると思わされる。
鋭い嘴は金鶏のそれ。喉元から胴まで硬い鱗に覆われ、鶴のように細い脚が伸び、鷲の如く強靭な足と鋭い爪を備える。七つに別れた長い尾が揺蕩い、翠色に光る鱗粉が舞う。背面にはどこまでも柔らかそうな鬣が美しく靡き、幾重にも羽根が重なった端麗な翼をゆらりと広げていた。
その翼をゆっくりと煽るように下ろし、首を僅かばかり丸める。
そしてーー降臨の産声を上げる。天を仰ぎ、翼を大きく広げ、粉雪のように翠色に光る鱗粉を周囲に振りまきながら。
「キピャァァァァアアア!!」
その鳴り響くような高音の鳴声に四人は耳を塞ぐ。鼓膜が破れそうなほどに脳に響いた。
翠の鳳凰に見惚れていた四人も我に返る。
「なんだ、あれは……」
「愛紗ちゃん?」
「愛紗? どういうことだ」
クルスから逃げるのに必死だった広輝は、ギレーヌが愛紗に天魔力を注ぎ込んだことを知らなかった。
異空間から戻ってきたことで、広輝の顔色は幾分良くなっているように見える。
「えっと、あの人が愛紗ちゃんに天魔力を直接集めて、そしたら愛紗ちゃんが光って」
「ああなったと」
「うん」
広輝は改めて鳳凰を見上げた。
その美しさに見惚れた鳳凰だが、今は全身に翠色の光纏うその姿に、神々しさと畏れを覚える。
どうすれば愛紗に戻せるか。その思考に入っていく。太刀を握るその手に力が入った。
「これが、これが風凰……」
少し離れたところでクルスが、姿を変容させた鳳凰を見てポツリと独り言を零すと、狂ったように笑い出す。
「クク、ハハ、ハーハッハッハッハ!」
大昔、鳴上の地で猛威を奮った人工の神がどれほどの力なのか。漠然と封印しなければならない強さだとクルスは想像していた。当時の天子たちが、滅することができずに封印を選ぶくらいの強さだと。クルスが見聞きしたことのある最強の人物の二倍増しくらいの力と推測していたが、その推測は外れる。
鳳凰の力の大きさはクルスの想像を遥かに越えていた。
これは、人の手に余るものだ。
これは、人間の手に負えない。
これは、生まれてはならなかったものだ。
クルスはひとしきり吐き出し終えると、その憎しみに染まった眼で広輝たちを睨みつける。
「これで貴様らは終わりだ。自分たちがしてきたように、この暴力で滅びるがいい!」
憎悪に満ちたその表情が広輝の心を抉る。広輝と一緒に行動していた時とは似ても似つかなかった。
広輝は一つの質問を投げかける。わかってはいても、確認したかったのだ。
「そんなに天子が憎いか」
「憎いね! 天術士は俺の家族を、仲間の家族を殺した!」
即答だった。
広輝は左手を胸の中心で握りしめ、悲しみと後悔に耐える。
「ずっと天術士を見てきた! 力を持たぬものを蔑み、力で従わせ、力で排除してきたことをな!」
「そんな、ことを……?」
「そういう連中もいる、ということを覚えておけばいい。今は考えるな」
「……」
広輝は優里菜の思考を止めようとする。自分よりも感受性の高い優里菜には、クルスの狂気が棘のように刺さってしまうから。その狂気に引っ張られてしまうと戦いに影響も出る。
それに関係なく、クルスは続ける。知ったこと、見てきたこと、考えてきたことの結論を。
「本来、人間が持てぬ力を持つ人外がいなくなれば、力に抑圧されることもなく、殺されることもない。そうすれば、あんな悲劇はなくなる。誰も悲しまない!」
悲劇はもうたくさんだと。原因が、両者の争いが無くならないのなら、一方が滅べばいいと。
そして滅ぶべきは、人外たる天術士。
クルスは昂りを鎮め、冷酷に言い放つ。
「だから、死ね」
天術士によって殺される人が一人もいなくなるために。
「…………」
クルスの憎悪は広輝の心を締め付ける。
生きて欲しいと、何でもいいから空っぽのままではいないで欲しいと、強く願って放った言葉がこんな苦しみを生んでいたのかと痛烈に思い知らされた。
「憎しみで生きることは、こんなにも痛かったんだな」
「広輝くん?」
「優里菜、クルスはお前に任せる。オレはあいつを否定できない」
「どういう意ーー」
「ギレーヌ! いつまで待たせる気だ? さっさと殺ってしまおう!」
優里菜の質問はクルスによって掻き消された。
「そうね。一応、制御できるか色々試してたけど、ダメみたい」
ギレーヌは鳳凰を暴れさせないようにするのが精一杯だった。鳳凰は空中でその身動ぎをも止められていた。不可視の鎖に拘束されているかのように。
「だから、もういいわよね? でも、逃げられると面倒だから」
鳳凰の制御を捨て、風凰神社内に再び結界を発動させる。あらかじめ張っていた結界は、鳳凰の咆哮によって消し飛んでいた。
「気をつけなさい、クルス。下手をすると貴方も死ぬわよ?」
翠の鳳凰が自由を取り戻す。
凝り固まった体を伸ばすように再び両翼を目一杯広げた。
「ギピャァァァァアアアアア!」
同時に鳳凰の羽根の形をした矢が四方へと放たれる。
「!」
広輝はとっさに優里菜の腰を抱き、飛び退いた。
「オレは愛紗をどうにかする。クルスを頼む」
「っ……!」
優里菜は返事をしようとしたが、強く握られた横腹が痛み、一瞬声に詰まる。羽根が突き刺さった場所を見て再び返事をし損ねる。優里菜たちがいた場所は陥没し、砂利が吹き飛んでいた。四辺を囲む玉垣にも深く突き刺さり、大きく凹ませている場所もあれば、貫通している箇所もあった。
躱せていなかったら胴の上と下がおさらばしていたかもしれない。
『頼む』という言い回しに違和感を覚えながら、鳳凰を凝視する広輝の横顔に何とか返事を返した。
「はい」
広輝から鳳凰へ目を移すと、鳳凰は翼を羽ばたかせる。
上空へ飛び立つ動きではなかった。
天魔力と相合わさり、暴力的な風圧と成った風が広輝たちを襲う。
横の広輝が体を沈めながら力強く、大きく一歩踏み出す。左後方に向けた太刀を体全部を使って右上に切り上げた。
ーー天術・烈風ーー
鳳凰が作り出した風の暴力を相殺するのではなく、軌道を変えた。鳳凰の風は玉垣を抉るように崩し飛ばす。
風を逸らされた鳳凰が急降下。今度はその爪で広輝を襲う。
「っ!」
なんとか躱したが、着地の風圧で飛ばされた。
その隙きに再び空へ上がる鳳凰。
そこに鳳凰に向かっていくつもの天術が走る。
「!」
振り向くと玲菜たちが攻撃していた。
「キピャァァァァアアアアア!」
四人の天術は鳳凰に命中するも、ダメージはさして受けていない。
鳳凰は反撃ではなく、翼を素早く羽ばたかせて逃げを図った。
「待て! 愛紗、愛紗!」
鳳凰の中の愛紗に広輝の声は届かない。
広輝は内心で舌打ちし、疾風を纏う。そして一気に鳳凰より高く飛ぶ。
(悪い、愛紗)
愛紗の髪を思い起こさせるような柔らかそうなその鬣に、烈風を叩きつける。
「キヒャァァアア!」
バランスを崩しながらも、鳳凰は地面を鷲掴みするように着地。近づいてきていた玲菜たちを翼で払い、嘴を空へ広げる。
翠の鱗粉が開いた嘴に急激に収束していく。
天魔力が集まっていた。
風渦巻く球体へと変貌し、なお天魔力は集中する。
着地した広輝の直感が危険を訴え、玲菜たちに視線を向けた。
玲菜がすでに大樹たちに指示を出していた。
「退避!」
鳳凰による天魔力の収束が終わり、風のブレスが玲菜たち目掛けて放たれた。
その竜巻の如きブレスは、いとも容易く拝殿を破壊して吹き飛ばす。拝殿があった場所に一本の道ができ、その両脇から境内に瓦礫となった材木が散らばった。
「これは……」
紙一重で風のブレスを避けた玲菜が、その通った後を見て唖然とする。
拝殿を吹き飛ばしたばかりか、直線上にあった神楽殿まで吹き飛んで、参道まで一直線に通り道ができていた。その道も竜巻が直接触れた石畳や地面が削られたように剥がれている。
「このっ!」
玲菜の後ろでブレスの余波によって尻餅をつかされた大樹が、ありったけの炎を鳳凰に向かって放った。ブレスが通った道の反対側で七重と歩も大樹と同じタイミングで天術を放つ。
その三種の天術は鳳凰に当たるが、鳳凰は物ともしない。ゆっくりと自分を敵視する人間を見下ろした。
三人の天術が全く効いていないのを見て、玲菜は一つの天術を行使する。自らの周りに展開した数多の水玉の力を一つに集中させ、高密度の槍として射出。
風神たる鳳凰にどの程度ならば鳳凰にダメージを負わせられるかの試しだった。ここで食い止めなければ鳴上が終わる。この鳳凰を今ある戦力で攻略するのか、応援を要請してそれまで遅延に勤しむのか、判断の一つにするはずだった。
しかし、玲菜の放った水の槍は広輝によって弾き飛ばされた。
「え?」
「お前、何しやがる!」
「こいつは愛紗だ! オレがなんとかする! だから攻撃しないでくれ」
広輝が鳳凰に背を向け、玲菜たちに向き合う。まるで鳳凰を守るように。
感情を表に出したその真剣さに玲菜は真意を訊くことを一瞬ためらった。冷静沈着で、物事を俯瞰して対処する広輝と違った。怒りすら理性の下で発する彼が、感情を全面に出してお願いをしてきた。大人びた少年ではなく、年相応の広輝を垣間見た気がした。
「ふざけんな!」
大樹が広輝に反射で異議を叫ぶ。気持ち的には玲菜も同じだった。
この仲間内の問答を鳳凰は待ってはくれない。翼を大きく後ろへ広げた。
「後ろ!」
玲菜が広輝へ警告したが、それは空へ飛び立つ動作だった。
体と足を曲げ、地面を蹴って空へ。
「待て、愛紗!」
鳳凰となった愛紗を広輝は必死に呼び止め、それに応えるように鳳凰は翼を左右に広げて止まる。
けれど、広輝に反応したわけではなかった。
鳳凰の背に鳳凰より大きな五芒星の魔法陣が展開される。その星の先に天魔力が収束していった。
「愛紗! 意志を持て! それはお前の力だ! お前の意志で抑えられるはずだ!」
広輝の必死の説得も虚しく、鳳凰は止まらない。天魔力の収束が終わる。
ーー来る。
全員が鳳凰の攻撃を察知した。
五つの天魔力から射出されたのは、風の塊。着弾すれば、玉垣を壊し、地面を凹ませる岩塊と変わらない高密度の空気の塊。
それをマシンガンのように連射した。
広輝たちは降り注ぐ風の塊を必死に躱し続け、天力を分厚く纏う。玲菜や七重が結界で防御を図ったが、ほぼ無意味だった。コンマ数秒の時間を稼ぐ程度に過ぎなかった。更に厄介なことに風塊が着弾すると、圧縮された空気が爆発する。その風圧は人一人を浮かすには十分であり、おまけに砂利を飛礫に変えた。彼らは吹き飛んでくる飛礫にまで対処する余裕はなかった。ただひたすらに直撃を避けることで精一杯だった。玉垣は音を立てて壊されきっても、風塊の嵐は収まらない。
辺りが原型を留めなくなった頃、一つまた一つと空の天魔力の塊が消えていく。
躱すことが容易になってくると、心に余裕が生まれていった。その余裕は油断を呼び、その隙きは経験の浅い者ほど大きい。
何とか直撃を免れ続けたが、飛礫に全身を叩かれて神経をすり減らした大樹へ、最後の一発が迫った。
「大樹!」
玲菜が声を張り上げたが、フォローが届かないほど距離が離れてしまった。
風塊は大樹に当たると思われたが、直前で弾き飛ばされた。
間に入った広輝によって。
「お前」
大樹は息を切らしながら、疲れた目でその背中を見る。自分よりも小さいはずの男の背中が大樹には大きく見えた。
その広輝は大樹を一瞥もしない。肩で息し、飛礫に叩かれたのは広輝も同じ。それでもその眼は力を失っていなかった。
「殺させはしない。誰も。誰一人も!」
それどころか誰よりも力を宿していた。
「愛紗! 攻撃が必要なら、オレだけを狙え! オレが全部受けきってやる!」
覚悟を決めていた。
「お前に誰一人ーー」
同じような事を起こさせはしないと。
「殺させはしない!」
同じ思いをさせはしないと。
風の精霊の子供は、風の人工神に立ち向かった。




