第十七話 風凰神社 本殿
拝殿を通り抜けた先にあったのは聖域。
白壁の玉垣に囲われ、その領空には辺りの樹木の枝もその影もない。敷き詰められた雪のような真っ白な砂利が月の光りを一身に受け、その一つ一つが月明かりを纏っている。蒼白い光が下から浮かび上がってくるようであり、この世と一線を画する幻想的な空間が具現していた。
天力にも魔力にも侵されていない、ありのままの世界がここには在った。
その中央には愛紗を連れたギレーヌとクルスが待ち受ける。広輝と優里菜にはギレーヌたちが解印の準備をしているようには見えなかった。
「来たわね」
こちらを振り返ると、ギレーヌとクルスの間に真黒の石碑が覗いた。宇宙を映すような黒き耀きを持つ石碑の存在感は、この蒼白の幻想空間において際立っていた。
そして供えられるように、ウンディーネの杯が石碑の元にあった。
「一応聞くけど、ここの封印の解除の仕方、知ってる?」
「知らない。が」
広輝はギレーヌの質問をチャンスと捉え、太刀を抜く。
「知っていても教えるつもりはない」
両手で柄を掴み、重心を落とし、剣先をギレーヌたちへ向ける。広輝の足が白い砂利に少しだけ沈んだ。
そんな好戦的な広輝へ、ギレーヌが目を細めて言う。決して心配からではないが。
「意気込みはいいのだけど……貴方、顔蒼いわよ。そんな状態で戦えるの?」
「広輝くん?」
優里菜は広輝の顔を覗く。
この蒼白の空間を考慮しても、ギレーヌの言う通り広輝の顔色は悪い。額にも薄っすらと汗が滲んでいる。
優里菜がさっき見た時はここまで酷くなかった。
広輝は優里菜の心配の先手を取る。
「ーー今は、あいつらを止める。それだけを考えろ」
「でも」
「今は、無理を通す時だ」
「……」
心なしか声の力も弱い。優里菜は広輝の不調を確信する。けれど、広輝の言う通りでもあった。
体調が悪いからと広輝を下げたところで、優里菜一人で目の前の二人を止められない。今は何としても風神の復活を阻止しなければならない。
優里菜は自分の力不足に、唇を震わせながら引き下がった。
広輝の不調がわかると、クルスが一歩前に出る。
「あいつの相手は俺がするぞ」
「ええ」
半日前は普通に会話をしていたクルスと広輝。その表面下ではお互いを偽りながら、腹を探り合いながら。
二人の視線が交差し、クルスが戦闘態勢に入ろうとした時、広輝が先に動いた。
「疾風」
風を纏い、砂利の地を蹴る。白石郡が抉れ、穴が生まれる。砂利が擦れた音がクルスの耳に届いた時には、広輝の姿はなかった。
クルスの次の知覚は右後方で、砂利が大きく抉れる音。広輝が着地し、急制動を掛けた音。
「!」
そしてクルスが振り向くよりも前に、広輝の太刀が結界に衝突する。
その結界はギレーヌが張った不可視の結界。
広輝は結界から距離を取った。
出遅れたことにギレーヌが小言をこぼす。
「クルス」
「わかってる!」
クルスは全身に魔力を行き渡らせ、今度こそ広輝に対峙する。天術士に対する憎悪を剥き出しにして。
「不意打ちはお前の常套手段かあ!? 堕天子い!」
結界から一歩外に出て、魔術を発動させる。
クルスの腕に魔力が集まり始めた瞬間、広輝は再び地を蹴る。
標的はその腕。体を沈め、クルスの懐前に移動。下半身のその速度を地面に踏み込んで殺し、制動による勢いを腰のひねりで加速。胸から肩の開き、肩から肘、肘から手首、手首から手へ。力のロスを最小限に抑え、太刀の刀身へ。刀身が砂利のすれすれを滑るように過ぎ去る。居合の如く、斬り上げる。
『斬った』と、身体に返る感触を前に広輝の思考はクルスの腕を斬った先を行っていた。
「減速!」
しかし広輝は一つの魔法陣と重なる。クルスの詠唱により現れた減速の効果を持つ魔術に。
ほんの一瞬だったが、その一瞬がクルスの腕を護った。
「ちい!」
クルスは跳び退く。
クルスの知覚では、広輝が一瞬で目の前に現れたように映った。現れた瞬間は、太刀は広輝の向こう側だった。けれど、ぬるりと滑るように広輝の右腕がクルスへ迫っていく。
ジャブのつもりで撃った減速の魔術。効果もそれなりの効果を持つ。それでも広輝は普通に動いているように見える。
広輝がどれだけ速いかの証明だった。
広輝が腕を振り切ると減速の魔術の効果が解ける。一秒ほど自身と周囲を確認し、疾風を解いて体勢を整える。
(どっちだ?)
広輝は自分が遅くなったのか、クルスが早くなったのか判別できなかった。クルスの魔法陣を視認できなかったから。広輝は距離を詰めるのを止め、クルスの出方を窺う。今のクルスの動きが加速魔術なら対応できると判断した。
クルスも広輝の様子を窺う。クルスは先手を取ることより、こちらの動きを読まれてのカウンターを怖れた。
お互いに相手の始動のシグナルを探り合ったが、その均衡は隣から崩される。
「クルス、ちょっと離れてなさい」
「は? っ!」
ギレーヌがクルスと広輝の間に手を向け、不可視の障壁を広げた。その障壁にクルスも玉垣まで押し退けられた。
「まじかあいつ……!? 加」
恨み節にギレーヌを睨みつけた隙きに、広輝がクルスに斬りかかっていた。
詠唱の途中だったが、クルスの刻印は発動し、加速する。先と同じように飛び退くも、角へ追い詰められた。逃げ口はギレーヌ方面しかない。
広輝はクルスを一直線に追う。今度は斬撃ではなく、突き。障害のない方にも避けられても良いように、玉垣とは逆の腕を狙う。
疾風を纏わない広輝は、初撃よりも遅い。広輝を視認できた。
直線的な動きの分、カウンターは容易。
「減速」
広輝に減速の魔術を展開。持続している加速の魔術で、広輝の上を飛び越える。
綺麗に着地し、動きの遅くなった広輝に衝撃の魔術を叩き込もうと、振り向くと再び太刀が迫っていた。咄嗟に広輝に撃つはずだった衝撃の魔術を玉垣に撃ち、反動で太刀から逃れた。
減速の魔術が効かなかったのかと、消える直前の魔法陣に目をやると、中央付近から外側へ斬られていた痕跡が見えた。
「堕天子は容赦ねえな、ちくしょう!」
完全に主導権を取られたクルスは、常に加速魔術を自身にかけ、減速と衝撃の魔術を駆使して広輝から逃げることになった。
「さて、男どもが遠ざかったところで、ここの封印の解き方を教えてくれないかしら。口外はしないわ、信じる訳無いでしょうけど」
外来の天子である広輝は知らずとも、月永の直系である優里菜なら知っているのでは、とギレーヌは期待を込めて予想していた。解印の方法は秋宮と冬宮で戦った天子も知らされていなさそうだったが、「直系が〜〜〜〜」と漏らしていたのを聞いている。
優里菜たちが来る前に、試しに秋宮と同じように陽本の天力と月永系統の天力を順番に石碑に当ててみたが何も起こらなかった。
直系の天力ではなければならないのか、他の方法があるのか今の段階ではギレーヌには測りかねた。
「知りません」
優里菜の回答は素っ気ない。
(本当か嘘かわからないわね)
予想通りの答えであり、そこは問題ない。ギレーヌは、優里菜のリアクションから優里菜が解印の手がかりを知っているかどうかを確かめたかった。喫茶店で話をした感触では優里菜が嘘を付けそうになかったので、訊けばそのくらいは読み取れると思っていたが、優里菜の迷いが無さ過ぎて、逆に疑いを持った。
既にギレーヌに向かって優里菜から天術を数発放たれていたが、全て結界の前に沈黙した。結界が突破できないのなら、別の手段を探ってくるとギレーヌは思っていた。『思わせぶりなことを言って交渉を持ちかけたりするだろう、普通』と。
優里菜にその兆候は見られない。結界を前に打つ手が無いのか、固く口を結びギレーヌと対峙していた。
ギレーヌは目の前にいる姫を、優里菜を少しだけ観察することにした。ギレーヌ自身も何故そんな事をしようと思ったのか分からない。今やらなければならないことは、水に変換される前の、月永の直系である優里菜の天力をどうやって石碑に当てるかだったのに。
『みんなを守る』などと理想を語る無知なお姫様が、理想を体現できないと知った時、何をどう思うのか。差し当たり、この手にある守られるべき小さな手を守れなかった時、どう思うのか。他人だから何も思わないのか、対岸にあった小さな命を守れなかったと吐くのか、守れなかったと嘆くのか。
小さな手を握る手の力が少しだけ強くなる。愛紗だけがそれに気づき、ギレーヌを心配そうに見上げた。
その視線にギレーヌは気づかない。その手にあるはずの温もりにも。ギレーヌの意識の大半は優里菜にあった。その優里菜の瞳が右に揺れた。広輝たちの戦いとギレーヌの間を行き来する。
このまま黙りあったままでは埒が明かない為、ギレーヌは広輝を引き合いに出してみることにした。
「あの堕天子はこの結界を斬ってみせたわよ。貴女はどうするの? 堕天子が来るまでそこで棒立ち?」
最初の邂逅と喫茶店での会話では、優里菜は広輝を当然のように格上の存在だと認識している。それは天位からも実力からも当然のこと。ギレーヌが違和感を覚えていたのは、月永としての矜持が欠片も見えなかったこと。由緒正しき家系に生を受け、女系血統の唯一の女子であり、碧眼という特別を持っているにも関わらず。優里菜は無知なれど驕ってはいなかった。月永であることに思い上がることもなく、他を下に見ることもなく、対等であることを当然のように人を見ていた。
魔術師や天子に関わらず、ギレーヌは名家の人間を多く見てきている。青二才が家柄だけで高々と威張り散らすのを多く見てきた。だからこそギレーヌには、優里菜が一層特異に映る。
どこぞの馬の骨ともしれない広輝と比較され、月永の矜持を逆撫ででき、頭に血が上ってくれたらギレーヌにとっては幸いだった。
ギレーヌの問いかけに対する優里菜の答えは、天術だった。
「……大いなる水流をここに」
それも最大天術の詠唱。
優里菜は頭に血が上った訳ではない。生半可な天術では結界は破れないと判断したまで。
優里菜が前に伸ばした手の前に急速に水玉が形成され、瞬く間に直径一メートルほどの球体に成る。
その速度は、倒れる前とは比べ物にならなかった。天力の放出と集中が段違いである。
そしてーー
「水龍」
高威力・高出力の水流がギレーヌへ放たれた。
「! へえ、ちゃんと持ってるじゃないの」
ギレーヌの結界に衝突し、その威力のまま押し続ける。
終わりの見えない水流に、結界を押し広げられず、ギレーヌは耐えるだけになった。
このまま引き下がり、優里菜の天力を含んだ水流を石碑に当てるてもあったが、間違いであれば壊れかねない。それは、まだ取るべき手段ではない。
ギレーヌはこのまま耐え続けることにしたが、
「水の衝撃!」
「!?」
直後、結界が破れた。
水龍の尾に合わせて優里菜が拳を叩き込んだのだ。
水飛沫が飛び散り、一時的にギレーヌの視界は水に覆われる。
その水飛沫を追うように優里菜が、ギレーヌに近づく。
優里菜は正直これで結界が破れるとは思っていなかった。けれど、突破できるのならチャンスである。自分だけで突破できた戸惑いも消えた。
愛紗をギレーヌから引き離すか、ギレーヌを愛紗ごと石碑から突き放すか、ウンディーネの杯を回収するか。
「ーー」
優里菜はウンディーネの杯を回収することに決めた。二人を石碑から離すと、その時に愛紗を怪我させてしまうことを怖れてのことだった。それに杯さえ回収してしまえば、風神の降臨を阻止できる。
ギレーヌの視界が戻った時、優里菜はギレーヌの真横にいた。体を低くし、杯に手を伸ばしていた。
天力で身体強化し、速度を上げての急接近だった。優里菜は石碑の前に供えられていた杯を掴み取り、そのままギレーヌの背後に回ろうとした。
杯を手に取った、優里菜の右手が石碑に触れる。
「!?」
石碑が光を帯びる。否、夜色の光を放つ。それは宇宙を映し出す、地球の色。
石碑を中心として、碧色の魔法陣が玉垣の内側一面に広がった。秋宮と違い、今度は一瞬で。
円形の魔法陣ではなく、四角の魔法陣。
石碑の色が夜色から碧色へ変わる。
玉垣の四つ角と石碑から、秋宮と同じ碧色の光が天に昇る。
四つ角から四辺に碧色の光の壁が形成され、五人は碧の世界に覆われた。それはまるで、精霊界の扉が開いた時と同じ。
角四つの光柱は石碑の光柱に吸い寄せられるように中央へ移動。一つの御柱と成ると、天に昇るように碧の光は消え去ってしまった。
その後の玉垣内には誰一人の姿も残っていなかった。




