第十二話 あと一歩
広輝が地図に指し示した場所は、高速道路を使っても天宿から一時間以上かかる廃墟群だった。
想像以上に遠い場所だったので、広輝は再び七重に首をホールド&ロックされ、一時的な呼吸困難を味わう。解放された後、歩の車の後部座席に乗ろうとしたが「変なことしないか見張る」という名目で、広輝が助手席、七重が後部座席となった。
高速道路を降りると、川を遡るように延々と山道を登っていった。すれ違う車も少ない。川の両側は山に挟まれ、谷底を走っている気分になった。段々と森が深くなると、深緑一辺倒だった景色に黄色が混じり始める。
そして、突如として出現するホテルや旅館の数々。川沿いにずらりと立ち並ぶ建物は圧巻だった。色褪せ、錆付き、寂れていなければ、さぞ華やかだったに違いない。
広輝たちはその廃墟となってしまった、かつての産物を横目に、この地域唯一の病院となるはずだった廃病院へと向かう。
川沿いの道から離れ、廃墟群を抜けると景色がぱっと開けた。その一角に一棟の色褪せた白い建物が現れる。そこが広輝が指し示した目的の場所だった。
歩は建物に併設された駐車場には入らず、少し離れた場所に車を停めた。それに誰も文句は言わない。視るからに廃病院の雰囲気が尋常ではなかったからだ。
天子は常人には見えざるものが視える。幽霊や妖魔、神物や瘴気と言った、霊感が高い人間が感じられるものを明確に視ることができた。
その彼らが息を飲むほどに廃病院から漏れる瘴気は異常だった。
「ねえ、ホントにあそこなの? 別案件じゃない?」
歩には、あそこに人間が居られる場所には思えなかった。どんなに耐性があったとしても、心地いいなんてことは無いはずだ。
厄介な妖魔が住み着いていて、それの対処に来たと言われる方が納得できるほどに。
「残念ながら。あいつに仕込んだ発信機の信号は、あそこからでした」
広輝はシートベルトを外し、車から降りる。トランクに入れさせてもらっていた愛刀ーー月陰ーーを取り出し、腰に佩く。そして、歩たちが躊躇うのを余所に一人で廃病院へ向かおうとする。
「それでは、行ってきます」
「待って待って。わたしも行くから」
歩はエンジンを止め、シートベルトを外すと、後ろを振り返った。
「ナナちゃんと大樹くんはどうする? 待っててくれるなら鍵、預かっててほしいんだけど」
後部座席で厳しい顔をしていたのは七重だけではない。
実は大樹も付いてきていた。クルスから離れ、どこかへ行こうとする広輝を怪しいと思ったから、強引に。何より、クルスが来てから優里菜の機嫌が芳しくない。原因が広輝だと疑っている為、どうにか原因を突き止めて謝らせるという腹づもりもあった。
そんな大樹に対し、『せっかくの休日をこんなことで潰さなくてもいいのに』と三人とも思ったが、言わぬが花。各人、口に出さない理由は違うが、大樹の同行を拒否しなかった。
けれど、歩はあの廃病院に大樹を近づけさせたくなかったので、大樹には遠回しに待機を勧め、七重にお守りをお願いしてみた。
「もちろん行く」
「い、行きます」
七重は、紫鶴の代行を名乗り出た手前、自分だけ安全な場所に居るのは道理が通らない。大樹とは違うベクトルで広輝を怪しんでいたので、待っているという選択肢がそもそもなかった。
大樹も同行を名乗り出る。広輝に反発心のある大樹は、自分だけ待っているのはプライドが許さない。
歩の期待はあっさりと裏切られ、四人で廃病院へと近づいていく。
そもそも、なぜ広輝がここに来たかというと、広輝がクルスのフードに放り込んだ超小型の発信機の信号が、この廃病院から発せられたからだった。
広輝も他の天子と同様にクルスを完全に信用していた訳ではなかった。信用できるか確かめる為に、クルスの行動を探偵のように監視することにした。クルスを信用したいが為の発信機だったが、判定は黒に近い灰色だった。僻地までの移動手段を持たないクルスがこんな遠くまで移動している。しかも、パソコンで追う発信機の信号は、ある地点からある地点まで一瞬で長距離移動をしていた。その移動を繰り返した先が、この廃病院である。この移動方法を、広輝は転移だと断定し、クルスをギレーヌの共犯者ではないかと容疑をかけた。勝弘へ報告すると、調査チームから強引にでも離れる為に、偽の任務を与えられ、今この廃病院の前にいた。
ちなみに発信機での行動調査は、広輝が勝弘に相談して発案されたものだった。発信機の調達も勝弘経由である。
この件は、天守にも一樹にも伝えていない。勝弘から『敵を欺くにはまず味方からだ』と口止めされたからだ。
そういう訳で、天宿で優里菜に呼び止められ、クルスが広輝に背を向けた時、隙きを見計らってフードに発信機を仕込んでいた。
広輝はこの一連の流れを同行している三人には隠す必要がなくなったので、移動中に話していたのだが、七重と大樹から更に疑いの目で見られることになった。
曰く、『どこまで本当か怪しい。お前も魔術師の仲間じゃないのか』と。
曰く、『そうやって陽本だけで話を進めて、月永を陥れる気じゃないのか』と。
広輝は肩をすくめ、論より証拠だと、それ以上の弁明を止めていた。
運転席の歩は苦笑しながらも、頭のネタ帳にひたすらインプットしていた。
広輝を先頭に四人は、廃病院の敷地へと足を踏み入れる。
「! これは」
「え、なんで?」
「…………魔力か?」
「どういうことだよ」
敷地外から視た廃病院は、確かに瘴気が漏れ出し、不気味で近寄り難い雰囲気に包まれていた。
それが瘴気は姿を消し、通常よりも多くの魔力を含んだだけの空気に変わった。それだけではなく、色褪せて窓が割れ、如何にも長年放置されていた病院の様相が一変し、キレイに整っていた。新築とは言えないが、それでも人が住んでいそうな外観へと変わった。
「魔術師の領域に入ったということでしょうか」
「結界でカモフラージュしてたってこと?」
「それならビンゴですね」
誰にも答えは分からない。考えられる推測で、無理やり納得していく。
しかし、これが本当に魔術師による仕業ならば、ここに魔術師がいることは確定である。ここにいるのが一連の事件のギレーヌなのか、クルスと共に行動していたイレーネが何かをしているのか。
もしくは、イレーネがギレーヌなのか。
広輝たちは慎重に歩を進めていくが、特に何も起こらず、正面玄関までたどり着いた。
玄関はガラス張りの両面扉。広輝は取っ手に手を掛け、開けようとしたが、案の定、鍵がかかっていた。
「開かないねー。他に入り口とかないかな?」
「裏口とかがありそうですけどね」
広輝と歩は、魔術師の根城の可能性を鑑み、強引な手段を後に回す。無難に入れそうな入り口を探そうとするが、後ろから言葉の棘が刺さる。
「隠さないでさっさと案内するべき」
「……」
広輝は何とも表現しにくい表情で眉をひそめ、歩は半笑いで固まった。
「(歩さん、なんでオレこんなに疑われてるんですか?)」
「(んー、ナナちゃんは月永の人たち嫌いだからかも、正確には分家の人たちだけどね)」
つまるところ、たとえ貧乏くじを引かされただけであっても、月永のパートナーは信用できないということ。
七重も"陽本"という長大な家系の分家筋なので、月永の分家に思うところがあるのかもしれない。
しかし、自分ではどうにもできないことで、信用度を下げるのは止めてほしいと思う広輝だった。
「何をコソコソ話している?」
「んー? なんでもないよー?」
「む……」
七重が少しむくれたところで、他に入り口が無いか探しに歩き始める。
最初の角を曲がると、唐突に歩が大樹に話題を振った。
「ところでさー、大樹くん」
「なんですか?」
「わたしたちに付いて来るよりも、優里菜ちゃんの近くに居た方が良かったんじゃない?」
歩は、大樹が広輝を怪しいと思うのは分からなくなかった。しかし、四ヶ月前の優里菜の救出に一役どころではない活躍を見せた広輝よりも、一連の犯人と同じ、魔術師という共通項を持つクルスの方が怪しさは上に思う。
「危ないところにさっと登場! それで優里菜ちゃんを守った方がポイント高かったと思うよ?」
移動中に知ったクルスへの明確な疑惑。勝弘がクルスの情報を調査チームに渡さない限り、クルスの存在は半信半疑だ。その状態では、調査に役立っているクルスを調査チームがどうにかしようするとも思えない。
だから知らなかったと言えども、クルスから離れた広輝よりも、鳴上にいる優里菜を護衛した方が大樹的に得したはずである。
大樹は優里菜のことを好きなのだから。
ちなみにこのことは、大樹は誰にも話していないが、傍から見ると一目瞭然なので、周知の事実となっていた。
そんなことになっているとは、つゆ知らず、大樹は大真面目に歩に答える。
「向こうには、父ちゃんや隆也さんがいるから問題ないです」
クルスへの疑惑を知っても、天宿にいる一樹と隆也がいれば問題ないと思っている。それに今日は優里菜は天宿には居なかった。広輝がここに居るという事は、任務関連で天宿に行くこともない。安全だった。
「問題はこいつです」
大樹は広輝を睨む。
「……どうでもいいが、何でお前からそんなに信用がないんだ?」
広輝としては、確かに大樹は嫌いで、とても親切とは言えない態度で接しているが、敵として疑われるようなことまでした覚えはなかった。
なので広輝は、別口を探しながら、大樹に訊いてみた。
「信用があると思ってるほうが驚きだよ」
「……まさか、ただの反抗心じゃないよな?」
「そ、そんなわけないだろう!」
沈黙。
「あそこ、窓が割れてる」
七重が指差した窓は、鍵の周辺が小さく割れていた。
「な、なんですか。今の沈黙は!」
三人は大樹の抗議に答えずに、割れた窓を調べる。
泥棒が住宅に侵入した後のような割れ方だった。鍵は開けられていて、窓は難なく開いた。
四人は天力を身に纏い、罠に注意して窓から病院内に侵入した。
廊下には窓ガラスの破片と、積もった埃に何人かの靴の足跡が残っていた。
「……罠は、なさそうですね」
魔術師の拠点である為、罠の一つはあると警戒していたが、何も起こらない。肌から伝わる魔力の感じも変化はない。
「前の人たちは、向こうに進んでるね」
廊下に残る、少なくとも四、五人複数人の足跡は病院の中央に向かっていた。
「行きましょうか」
広輝は足跡に従って歩き出す。歩は広輝のフォローができるように、斜め後ろに控えたが、七重が歩の両肩を掴んで強引に広輝の真後ろに移動させた。
「歩、広輝の後を歩くように」
「なんで?」
「自分から罠にかかるようなことはしないはず。だから、広輝が通らないところに仕掛けがある」
「そうですね。あいつの後をトレースしましょう」
七重もまだ広輝を疑っているらしい。
「櫻守の人間にしては中々わかるな、お前」
「七重さんこそ」
列の後方で、何やら広輝には嬉しくない結束が生まれていた。
広輝は嘆息して、足跡を追った。
広輝を先頭に、慎重に病院内を進む。静寂な病院に四人の足音が不気味に響いた。
受付にたどり着くと、足跡は二手に分かれていた。上に昇る階段と来た道とは別方向に向かう道。
歩はその両方の行く先を目で辿り、どちらに行くのか、二手に分かれるのか、相談しようと風の二人を見上げた。
「どうしたの?」
二人の顔が今日一番に険しい。
「七重さん」
「わかってる」
広輝と七重は、階段ではなく、廊下の奥を睨みつけるように見ていた。
風の天子は、その能力の特性からか、空気の機微に敏感な者が多い。気温や湿度、においや音などの人間の知覚はもとより、天子の肌をざわつかせる魔力の感覚や、ジリジリと障る瘴気にも他の天子よりも敏感だった。その敏感さが常日頃から培われると、空気を伝う情報から周囲を窺い知ることができる。それは武人の『気配を読む』よりも信用性の高い情報として扱われて来た。故に、場数を踏んだ風の天子は、索敵に大いに役に立つ。
「歩さん、一緒に来てください。七重さんは大樹と一緒に待機してください」
広輝は三人に指示を出す。歩と七重は広輝より年上だが、天位は翠。この場では蒼の広輝が上官となる。
「わかった。お前の方が強いのは確か。……歩、気をつけて」
七重は少し不服そうにしながらも、広輝に従う。能力が同じ二人よりも、別の能力を持った二人の方が対処できる事態は多い。それであるならば、天位の高い広輝と歩が組むことがベスト。広輝を間近で監視できなくなるが、大樹を放っておくこともできなかった。
「了解だよー。ナナちゃんの言うこと聞くんだよ?」
「はい」
歩は大樹が勝手な行動を取らないように念押し、この場に残る二人に背を向けた。
広輝と七重が感じ取った方向に進み、角を二回曲がると瘴気が漏れ出している鉄の扉が見えた。
扉に隠れるようにして慎重にその扉を開けると、瘴気と魔力が入り混じった空気が溢れ出す。中にあったのは地下に続く階段だった。
風の力を使えば一気に瘴気を浄化できるが、広輝が天力を今まで以上に強く纏う。広輝はこの先を浄化するつもりがないらしい。敵に気づかれない為にこのまま行くようだ。しかし、この濃度の瘴気は、一歩間違えば天子の体に障る。
「これは、行きたくないなあ」
「来なくてもいいですよ。元々一人で行く気でしたから」
歩の何気なく零れた愚痴を広輝は真に受け、広輝は歩を思いやる。広輝としては、これを思いやったつもりなのだから質が悪い。
「行きますよー(ちょっとぼやいてみただけなのに)」
口を尖らせて、歩も天力を強く纏う。
「もしかして、優里菜ちゃんにもそんな態度なの?」
「はい」
即答する広輝に歩は優里菜と紫鶴の苦労を理解した。
広輝は天会に所属する天子に配布される専用端末のライトを付け、暗い階段を照らす。深淵に続くような階段を、慎重に階段を降りていく。歩も広輝に続く。
足音の反響音から、この階段が一つの狭い区画になっていることがわかった。広輝が踊り場を過ぎて更に下へ。地下一階に到着すると、案の定もう一つの扉があった。
歩は踊り場で広輝の周囲を照らしていた。
「中を見て見てるので歩さんはそこで待っていてください」
「了解だよ。風上広輝くん」
ドアノブに手を掛けそうになった広輝の手が止まる。
風上は、月永直系にしか言っていなかった。
広輝自身が隠していても、調べれば判ること。それでも、わざわざ調べる理由が解らない。
敵本拠地で『知っている』と明かす理由。
「ーー」
広輝は臨戦態勢一歩前で歩を見上げる。
端末の逆光で歩の姿はよく見えない。どんな顔で広輝を見ているかも分からない。
空気の機微から歩の天力の動きを察しようとする。この異様な空気の中なら、何かしら感じ取れるはずだ。
「あ、やっぱりそういう反応なんだ。想像通りで安心したよ」
敵意にも似た広輝の視線を受けても、歩の声は平然としている。言葉通り、想定通りということ。
広輝の脈動が早くなる。
この狭い空間で上を取られている。圧倒的に不利だ。いざとなれば、さらに空気が悪い扉の向こうへ飛び込むことも辞さない。
「誰から」
「もちろん優里菜ちゃんだよ。根掘り葉掘り取材してたら『あっ』みたいな感じ」
「あいつは…………取材?」
風向きが変わる。
優里菜が嘘をつけないのは知っていたが、隠し事もできないとは、と思ったが何か違う。
「あ、これ、同人誌描くための取材だから安心して。他の人に言いふらしたりしないから」
「……………………同人、誌?」
本当に広輝の想定外の答えが降ってくる。
「そ。今、広輝くんたちをモデルにして同人誌描いているんだ」
「初耳なんですけど?」
広輝は、歩が漫画を描いていることは風の噂で聞いていた。けれど、モデルにされているのは知らなかった。
「あれ? 優里菜ちゃんには了解もらったんだけど……あ、ごめん。優里菜ちゃんにしか言ってなかった♪」
「確信犯ですね? 別にいいですけど」
「ありがと♪ できたら見せるね」
「結構です」
完全に毒気が抜かれた。
TPOを考えてほしいと、心の底から思う広輝だった。
気を取り直して、地下の扉を開ける。慎重に中を覗くと、瘴気と魔力はそのままに、暗闇の廊下が続くだけだった。
歩に合図を送り、二人は地下に足を踏み入れる。
しばらく進むと歩が僅かに漏れる光を見つけた。
「広輝くん、あそこ」
ドアの枠から漏れる鈍い光。濃い濃度の瘴気は、光の通りを悪くする。
二人は足音を消し、息を殺し、そのドアの前で立ち止まる。
電気が通っていないこの廃病院の地下で、光があるのは人がいる証拠。
広輝はドアの向こうの様子を窺うことにした。ドアに耳を押し当てようと、手がドアに触れた。
すると魔力と瘴気が半実体化し、広輝を後ろから襲いかかる。
「!?(水守!)」
歩が広輝を守る。咄嗟のことで、術名だけの最短詠唱も心の中だけ。天力の結界に触れた亡霊は浄化された。
広輝も振り返り、事態を把握する。
魔力が収束し、亡霊は次々と現れる。
「中に入ります」
ドアノブに手をかけるも、施錠されていた。
広輝は右手に天力を収束させる。
「烈風の突撃槍」
解き放たれた烈風はドアの鍵も蝶番も破壊し、吹き飛ばす。真ん中に風穴が空いたドアは、反対側の壁に衝突した。
広輝と歩は、亡霊から逃れる為に部屋の中に飛び込んだ。
亡霊は部屋の中にまで入っては来ず、積み重なるように入り口で渋滞していた。
「今日も来客の予定はないのだけど」
奥行きの広いこの部屋で、広輝には聞き覚えのある声がした。
「えーーメチャクチャ美人」
この部屋の風景よりも、女性の傍らに設置された器具などよりも、その灰金色の女性に目が惹かれた。
離れた場所からでも判る整った顔立ちにと薄く掠れた藍色の瞳。
そこに居たのは、クルスと一緒に居た女性。
「イレーネ……」
「また学生が"肝試し"をしに来たと思っていたのだけど、貴方だったのね」
魔術師、イレーネ・グラウン。クルスの話では愛紗の引き取り手を捜しているという話だったが、この場に居るのなら話が変わってくる。
否、裏付けになる。
「イレーネ、お前は……愛紗!?」
イレーネよりも更に奥。愛紗が十字で宙に浮いていた。愛紗に意識なく、両手と首が力なく垂れ下がっていた。背中側には愛紗より大きな十字架があり、魔法陣と思わしき文様が藍色に光っている。さらに愛紗の左腕に透明で細い管が、両脇の大きなガラス管と繋がっていた。
「愛紗に何をしている!?」
「……そうね。何をするかは見せてあげるわ」
イレーネは広輝たちに背を向け、机の上にある緋色宝石が入った透明の箱に手をかざす。
「いや、待て、やめろ!」
クルスからの情報が正しければ、首謀者は天魔力の生成を目的とし、その為に魔力を集めている。
そして、その魔力を天子に注いでいる。
「やめろ、イレーネ! ーーギレーヌ・ライン!!」
「ふふ、やっぱりバレるわよね。急ごしらえの辻褄合わせだと、このくらいが時間いっぱいだったかしら」
魔法陣が描かれた羊皮紙が十字架と同じ色に輝き出し、連動するように愛紗の足元の床も藍色に輝く。
よく見ると透明な箱と、愛紗の両脇にあるガラス管も透明な細い管で繋がっていた。
「そうそう、貴方たちとの間に結界があるけど、触れたらこの子に負荷がかかるから」
「お前……!!」
「よく見ておくのね、天術士。同族が苦しむ姿を」
「ギレーヌ!」
広輝は周囲を観察する。
何か無いか。愛紗を助ける何か。
しかし、何も見つけることができず、時間だけが経過していく。
緋色の宝石から漏れ出す青暗色の魔力が透明な管を通り、ガラス管へ。ガラス管の中で色の濃度が増して黒染みていき、混沌になる。
真っ黒になるかと思われた魔力は一転、無色へと変わる。
宝石からの供給がなくなり、机上の光も消えた。
無色の魔力が細い管を通り、愛紗へと侵入した。
強烈な拒絶感に愛紗は目を見開く。意識を取り戻してしまった。
「(ーーーーーーーー!!!!!!!!!)」
愛紗の声無き悲鳴が、響き渡る。
「やめて!」
歩は目を伏せ、体を抱く。
天子は濃度が高い魔力が肌に触るだけで拒絶感を覚える。天力の纏い無しに触れ続ければ、瘴気に触り続けたような症状が起こる。
灼けるのだ。肌が。
それを、体内に直接注入されたら、どれだけの痛みが走るのか、想像もつかない。
「この子は、魔術師と天術士の珍しいハーフなの。だから魔力に耐性があるのね。もう数百人分の魔術師相当の魔力を注入しているわ」
「お前は……」
広輝は怒りに震え、血を流しそうなくらい両手を握りしめていた。
愛紗を助ける手段を探すが何も見つからない。そこに突っ立っているだけだった。
愛紗の人形のように可愛らしかった顔が、苦悶に歪んでいる。
後どのくらいで終わるのか。終わるまで何もできないのか。
ーー否。一つだけあった。
まだ成功していない、できるかもわからない空想の天術。
詠唱は、未だ無い。けれど、天術に込める結果は明確だ。
全てを零に。
その願いを、イメージを、この手に、この天術に。
収束に収束を重ね、その右手に空気を集め、圧縮する。
この部屋だけではない。廊下の魔力と瘴気が混ざった不快な空気も。この病院内の空気を集めるように。
「広輝くん?」
急速に空気が集まることで、風が生まれる。
その風を感じた歩が、何をする気なのかと広輝に目を向けた。
広輝から返事はない。目を閉じて集中している。
みるみる空気と広輝の天力が凝縮され、天力に色が帯び始める。
天力は、その密度・濃度が高くなると色を帯びた。その色は能力ではなく、天子によって決まる。
かつてオリバー・エクスフォードが雷霆を纏って帯びた色は紫黒色。優里菜が作った世界は碧色だった。
そして広輝の色は、深緑。風精の息子は、深き森の色を宿していた。
風が止む。収束は終わった。
広輝は瞼を開き、救いたい存在を確認する。
それから願いを込めてた術名を口にし、その右手で風を生む。
「浄化の風」
その深緑の風は、どこまでも穏やかだった。圧縮された風が急速に解放されたとは思えないほどに。
ふわりと優しい風が、空気中の魔力や瘴気を浄化していったが、ギレーヌの結界を浄化するには至らなかった。
深緑の風の天力と結界の魔力が反発し合い、ジリジリと摩擦のように抵抗が生まれる。
それ即ち、天術の失敗であり、その抵抗の負荷は愛紗へ返ると思われた。
「(ーーーーーー)」
「愛紗すまない!」
魔力注入の激痛の前にはその痛みは誤差みたいな痛みなのか、愛紗に変化はなかった。
「貴方、愛紗を死なせたいのかしら?」
「……」
広輝の顔が悔しさに歪んだ。ギレーヌの言葉の真偽はわからないが、救えていないことに変わりはない。
「……広輝くん。今の天術、中々収束されていて良かったけど、まだまだだね。収束のお手本を見せてあげる」
「歩さん?」
今度は想像した愛紗の痛みに耐えていた歩が、腕をほどき、両手でお椀を作る。
歩の両手の中に小さな水玉が生まれる。水色に光り輝くと、両手を開く。歩の天力が急速に、吸い込まれるように水玉に収束していく。
「何をするつもりか知らないけれど、その結界の負荷はこの子に返るわよ」
「そんなの感じる間もないよ」
収束が終わると、歩の両手にはビー玉サイズの蒼玉が出来上がっていた。
そして、両手を前に出し、水色に変色した眼で狙いを定める。
「蒼穹」
一瞬もなかった。
歩が術名を詠むと、ガラス管の片方が破壊されていた。
ギレーヌは驚愕する。
「そんな」
そして愛紗の表情が苦悶から解放された。もう片方からの魔力の供給も止まったらしく、愛紗に走る痛みがなくなり、再び意識を失った。
ギレーヌが振り返り、歩を見る。目は黒瞳に戻り、歩の手には何も残っていなかった。
「貴女、何をしたの?」
ギレーヌの結界は解かれていない。まだそこにある。
「ナイショ♪ でも遠慮なくその結界を破れそうだよ」
「今の天術では、私の結界を破壊できないわ」
「そうだね、きっと。でも、広輝くんならどうかな?」
広輝は居合の構え。既に太刀へ天力を注いでいた。
歩の誘導で、ギレーヌの意識が広輝に向けられた瞬間に抜刀。
ほぼ水平に、横薙ぎの空破斬一閃。
太刀から放たれた真空の斬撃が不可視の透明な結界に青白い剣筋を作る。
それによる愛紗のリアクションはない。
広輝は愛紗へのフィードバックは無いと判断。
体勢を直し、体を回転させ、結界に残る斬撃の跡に斬撃を重ねた。
ーー星月一刀流剣術・旋回輪 + 天術・烈風刃ーー
振り抜いた太刀の軌跡を先頭に、太刀から解き放たれた斬撃はピタリと結界の斬撃跡に重なり、斬撃に付随する暴風が結界全体を襲う。
天力と魔力の反発に、結界の全域で青白い火花が飛び散る。
しかし、結果は破れない。
「この程度で私の結界は破れーー」
「はああ!!」
広輝は結界に近づき、もう一度、体を回転させていた。
そして、再び斬撃跡に全く同じ斬撃を繰り出した。
今度は真空の刃ではなく、その太刀で直接。
ーー星月一刀流剣術・旋風輪[重] + 空破斬[裂]ーー
[裂]は、空破斬で放つ天力の斬撃を刀に留め、威力を高める術技。
烈風刃の風によって、結界全体に負荷がかかった状態で、三度同じ場所に集中して剣跡を描かれた。
強力な魔力の結界に、横に細長い穴が空いた。
「任せて! ーー水守!」
広輝の後方から飛び出し、広輝が空けた穴に天力を纏った手を押し当てる。
ギレーヌの結界の自己修復を妨げ、歩の水の結界はギレーヌの結界の穴を押し広げた。
徐々に歩の結界が広がり、歩が通れる程度の大きさになると、ギレーヌの結界が消滅。歩もすぐに結界を消す。
広輝は結界の消滅を確認すると、愛紗の元へ駆け出した。
「いっ!?」
またしても不可視の結界に阻まれる。
不意の衝撃に広輝は仰け反る。歯を食いしばって、その場に留まり、同じように結界を破ろうとした。
「この結界は、本当に愛紗に負荷がかかるわよ」
「ギレーヌ!」
ギレーヌは手をかざし、新たな結界を広輝との間に作り出す。
「予想以上だけど、想定内の強さね」
ギレーヌは作り出した結界の領域を広げ、広輝を押し退けた。
「く……」
「大丈夫?」
「はい、でも」
「そうだね」
ギレーヌは愛紗を十字架の束縛から解き、両腕に抱えていた。
ギレーヌと広輝たちは、お互いの出方を窺い合う睨み合いになる。
広輝たちはギレーヌが立ち去ろうとするなら全力で結界を突破するし、広輝たちが先に動けばギレーヌはより強い結界を張る。
けれど、この膠着状態は新たな来訪者ですぐに終わった。
「歩、無事?」
「ナナちゃん」
七重は病院の瘴気が浄化されたことで、大樹を連れて歩たちとの合流を図った。仕事がほぼ終わったと一安心していたが、地下に入った時、それが間違いだと気づく。
奥から感じる戦闘の空気に、急いで七重は大樹と救援に来たのだった。
「あいつが親玉か?」
「そうだ」
大樹の問いに広輝が端的に答えると、大樹はその右腕に赤い炎を宿す。
「いくぞーー」
「待て待て」
広輝は、そのままギレーヌに戦いを挑もうとした大樹の襟元を掴み、大樹を止める。
「何するんだ!」
「あいつとの間に透明な結界が有る」
広輝の言葉を半信半疑に、大樹はその結界の有無を見定めようと目を凝らした。
「ふふ、『透明』だと堕天子が言ったのに」
ギレーヌは結界の向こうで踵を返す。
「待て」
ギレーヌは視線だけを広輝に向け、広輝の心ある瞳を注視する。
「向こうの時と印象が違うわね。随分と感情的じゃない」
「…………」
抜き身の刀のようだったあの時の天術士よりも、今の方がしっくり来ていると、ギレーヌは心内に思った。
「冷酷とも言えるあの冷静さは、感情を押し殺して保っていたのね」
ギレーヌは数歩進み、魔術を展開する。床に描かれた魔法陣が、ギレーヌに呼応して光り出す。
あの魔法陣に広輝には見覚えがあった。
今日見たばかりの転移の魔法陣。
「ギレーヌ!」
「あれは、あまり心に良くないわよ」
ギレーヌは背中越しに広輝へ言い残し、愛紗と共にどこかへ転移して行った。




