第三話 憂慮
鳴上市北東部。
湖畔の東岸には街が広がり、中心には閉じた鳴上を外と繋げる駅が存在する。
休日には東側の市民で賑わう駅周辺から北東に向かって緩やかな坂になっており、小高い丘になっている。
その丘の登りきったところに私立成上学園がある。この学園は創立百年だが、校舎は戦時中に一度全焼し、戦後に建て直し、十年前にもう一度建て直された。その為、伝統ある学校だが校舎は周辺の学校と比較すると新しかった。
成上学園の学習棟は三棟からなる。一年生と二年生の半分、職員室などがあるA棟、二年生の残り半分と三年生、図書館などがあるB棟、理科実験や調理室など実習室を多く擁するC棟の三棟。加えて体育館が二棟に講堂、テニスコート四面、プールにグラウンド、生徒会室や和室などの特殊な部屋がある特別棟など施設も充実している。
また偏差値も鳴上市を含めた地域一帯では一、二位を競うくらい高く、中学の時に優秀だった生徒が入学・在籍していた。
その生徒の中にこの春入学した月永優里菜の姿もあった。任務のときとは違って髪を下ろしている。
この学園の理事の一席を月永当主が務めることが慣例となっているところもあり、鳴上支部に所属する月永派の子供がこの学園に入学することが多かった。
合格できれば、の話ではあるが。
優里菜は仲の良い友人たちと受験し、無事に合格。
黒を基調とし、白のラインが入ったブレザーに、黒と白のチェックのスカートの制服を身に包んで入学式に臨んだ。運良くその友人たちとは同じクラスになれた。ネクタイの色は学年によって違い、赤緑青の三色。優里菜の学年は青で、赤と緑のネクタイをした上級学生に迎えられた。
そんな入学式を先週に終えて、晴れて高校生となった優里菜だったが、今日の表情は浮かない。
昨日遭遇した広輝のことが気に掛かっていた。
母の玲菜もあの白狼を倒すには苦労するだろうと言っていた。それを二人で仕留めてみせた。
紫鶴の雷で硬直したところを見逃さずに、首を一刀両断。帰宅した後、玲菜づてに聞いた話では、ほとんど広輝一人で戦ったらしい。同年代の中では優秀と言われている自分が果たしてあの白狼に勝てるかどうか。
(それに――)
あの霞の向こうにあっても引き込まれるような黒瞳。
度々優里菜の碧眼は吸い込まれるようだと言われるが、あの時は逆だった。
目が合った時、優里菜の目の色に驚いたのか、広輝は少しだけ眉を上げて目も見開いた。
碧い瞳が見た黒い眼は、今まで見たことのない眼だった。彼について聞いていた噂から鋭利な刃の人物を想像していたが、その眼は違った。霞のように何かが眼の黒を覆っていたが、その向こうは鋭利な刃物ではなく、黒曜石を思わせるようだったがそれともまた違う。もっと、もっと澄んだ黒のように思った。似たものを思い付きそうで思いつかず、思い出せそうで思い出せていなかった。
それと[堕天子]。彼の二つ名を意味するところは知らないが、今後を思うと憂慮する優里菜だった。
「おっはよう! ゆりな」
「おはよう」
そんな優里菜の心情とは正反対の元気な女子の声。
優里菜は、反射で挨拶を返す。今まで何千回と繰り返してきたやりとりで、体に染み付いていた。
「なになに? なにかお悩みですか〜?」
この人の悩みを美味しそうにほじくりだそうとするショートカットの女子は吉田沙紀。優里菜の親友。
活発で男子・女子ともに友人が多い。子どもっぽいが利発的で入学式で新入生代表を務めるくらいに勉強はできる。玉に瑕なのは、こうやって人の事情に首を突っ込みたがるところだ。
「そうだね。そういうことにしておいて」
だから優里菜も防波堤を置く。沙紀の性格を分かっているが故に。
けれど長年の付き合いの沙紀は、その程度もろともしないし、まだ突っ込んでも大丈夫なことを知っている。
「ほほう、恋、ですか〜?」
ガタッと後ろで何かを落とした音がした。
振り返ると背の高い男子がバッグを落とした(肩からバッグがずり落ちた)ようだった。心なしか新品の制服がよれている。ちなみに男子も女子と同じで黒を基調としたブレザーで、スラックスは濃い灰色だった。
散らばったものもなく、何も心配いらなそうだったので、視線を沙紀に戻す。
「違うからね」
「そういうことにしておきましょう」
全く効いてなさそうだった。
「じゃあ遊び行こうぜ!」
そこになんの脈絡もなく会話に入ってくる小柄な男子。百五十センチ半ばの沙紀といい勝負だ。
「どこにも『じゃあ』の要素なくない?」
「あはは、細けえことは気にすんな」
沙紀が気軽に話しているように彼は優里菜と沙紀の友人で、廣岩海。彼も友人が多いが、沙紀と違い同性が多い。中学の時はバスケ部に所属し、この身長で親友と一緒にスタメンで活躍していた。
「新一年はその気があっても部活に入れてもらえなくて暇なんだよ。睦も入れて、いつもの四人で行こうぜ」
睦――諏訪睦――は、海の唯一無二の親友だった。
「な、行くだろ? 睦」
「ああ。暇だしな」
海の呼びかけに応えたのは、先程バッグを落とした背の高い男子だった。
睦は会話に入るべく、たった今座ったばかりの席を立つ。
優里菜と沙紀、海と睦。中学から仲が良い四人組だ。
優里菜が成上学園を受験すると最初に決め、成上学園が志望校の一つだった沙紀が優里菜に倣った。「それじゃあ俺も」とバスケ部が強豪だったこともあって海もここに決める。そんな中、一番ここを受験することを決めかねていたのは睦だった。希望としては優里菜が決めたと知った時に第一志望にはなったが、成上学園を受験するには成績が芳しくなかった。決して頭が悪いわけではないが、成上学園の合格ラインには届くレベルではなかったのだ。しかし、優里菜が成上学園を受験すると知ったタイミングが四月だったのが功を奏した。夏までは部活との両輪、その後は海たち三人のバックアップもあって何とか合格へとありつけたのだった。
睦がこの機を逃さないと思うの必然だったが
「ごめん、今日はムリ。明日だったら大丈夫」
と、あえなく失敗。明日の約束は取り付けられたが。
ちなみに海か沙紀がきっかけを作り、もう片方が同調し、イケメンだが奥手の睦を援護するいつもの常套手段だった。
あれやこれやと世話を焼いてみても優里菜にその自覚はなく、現在の関係が続いていた。
「そっか。それじゃあ明日だね」
沙紀は優里菜が無理と言ったら無理なことを知っている。だから無理に頼むことなく、優里菜が出してくれた明日を約束する。
「うん」
優里菜もそれを承諾し、朝のホームルームまでいつもの会話を楽しむ。
月永優里菜は天子という非日常の世界に居ながらも、この三人を中心にきちんと日常を持っていた。
***
学校が終わり、優里菜はその足で天宿を訪れていた。
天守からの直々の呼び出しで、用件はペアを組むことになるパートナーとの顔合わせと次の任務の説明らしい。
昨日は偶然広輝と遭遇してしまったが、本来は今日初対面になるはずだった。[堕天子]なる天子に。
そもそも新たにペアになる同士の顔合わせに天守がわざわざ間を取り持つことは珍しい。今回のペアに月永と陽本の思惑があるからか、優里菜が月永だから、広輝に特殊な事情があるのか。それとも全部か。
優里菜の足取りは決して軽くない。緊張していた。広輝と二人で任務ができるということは広輝の天位が蒼以上ということ。同世代で、十代で蒼に辿り着ける天子が何人いることか。きっと片手で収まるに違いない。
そんな天子に自分は付いていけるのか、落第点を押されないか。『やっぱり堕ちた月』だと言われないか。広輝が一人前の天子ならば、広輝の意見は陽本に通る。それは自分の評価がそのまま陽本へ伝わることを意味していた。
加えて[堕天子]という名が、味方につけられたのか敵に付けられたのかで評価ががらりと変わる。優里菜は大樹が何を思って彼を酷評していたか知らないが、敵が[堕天子]と付けたのならまだ安心できた。なぜなら敵にとっての[堕天子]だからだ。
けれど逆だったなら……。
そんなことを思案しながら歩いていると、話し声で意識が現実に戻ってきた。話し声は障子の向こうから聞こえた。そしてその部屋は優里菜の目的地でもあった。
話が終わるのを待とうか一瞬迷ったが、指定された時間が近い。優里菜は優里菜を呼び出した人に声をかける。
「おじい様、優里菜です」
話し声がピタッと止んだ。
優里菜の気配に気づいていなかった? いやきっと優里菜だとわからなかっただけだ。
すぐにどっしりとした優しい声が優里菜に答える。
「うむ、入りなさい」
「失礼します」
優里菜が障子を開けると中には優里菜の祖父であり天守の大悟と優里菜とペアになる広輝が中で待っていた。
広輝が何か見定めるような視線で優里菜を見ている。早速、蒼たる自分に釣り合うかどうか品定めし始めたのだろうか。
優里菜の緊張感は一層高まった。なるべく普段どおりに敷居を跨ぎ、静かに障子を閉める。
間違わなかった、作法通りのはず。そう思って用意されいた座布団に座ろうと、振り返ったのだが
「…………」
広輝がまだ優里菜を見ている。
優里菜は昨日と同じ台詞で聞いてみた。
「あの、なにか?」
「――いや、髪を下ろしてたから昨日と違う人かと思った」
(ああ、なるほど)
合点がいった。
優里菜は体を動かす時だけ髪を纏めていて、普段は髪を下ろしている。自分ではそんな事ないと思っているが、結構印象が変わるらしい。
優里菜が一人納得して座布団に正座する。
「ふむ、成上の制服が似合っているようでなにより」
「ありがとうございます」
優里菜は学校から直接来たので当然制服のままだった。
比べて広輝は、濃紺のジーンズに灰色のパーカーという新天地の天守に会うにしてはラフ過ぎる格好だった。
優里菜は結構急いで天宿まで来たつもりだが、広輝はそれよりも早く到着して天守と話していた。制服じゃないところを見ると、天宿に近い高校かそもそも高校に行っていないのか。高校に通わない天子がいないことはないので、優里菜は広輝も通っていないのではないかと推測した。
「さて」と大悟が場を仕切り直す。
「改めて、彼が岳隠から鳴上に転属した久下広輝。お主のパートナーとなる」
広輝は優里菜の方に体の向きを変え、姿勢を整える。
「天位・蒼、久下広輝だ。一応、星月一刀流剣術・一之型を修めている」
優里菜の予想通り広輝の天位は蒼だった。そして優里菜にとって聞き慣れない単語が並んだ。
星月、剣術、型。いずれも優里菜の世界ではあまり使われない言葉だった。剣や槍など武具を扱う天子がいることは優里菜も知っている。しかし、優里菜がいる月永の世界では、天力量の少ない天子がそれを補うために使う物とされ、武具を使わなければならない事自体が二流という風潮があった。天子全体からすればそんなことは無く、玲菜がその話をしている分家の人達を見かけ『ばかじゃないの』と呟いたのを優里菜は覚えていた。
「そしてこっちが、儂の孫娘の優里菜だ」
「天位・白、月永優里菜です。ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い致します」
天守の言葉に従って、優里菜は一礼する。優里菜にとって広輝は三階級上の天子。目上の人に対する態度で接するつもりだったが、少し間をおいて広輝が「そんな事しなくていい」と言う。
「……タメ口でいい。名前も呼び捨てで構わない」
呼び捨て。優里菜が呼び捨てにする人なんて沙紀以外いなかった。故にハードルが非常に高い。
「で、では……えっと、こ、広輝くんで」
目を右に左に泳がせた後、友人を呼ぶ敬称で収まった。
その横で大悟が「うんうん」と何故か感慨深そうに頷いていた。
「天守、仕事の話を」
「うむ。二人共、これを」
天守が二人に渡したのは二枚と添付資料の調査報告書。広輝と優里菜の初任務となる討伐対象の情報だった。
二人が目を通し始めると、天守が任務の概要の説明を始める。
「討伐対象は中鬼。風見町にある廃工場を徘徊しているようだ。二メートルの図体に鎧を着ていて鎧武者さながららしい。素早くはないが頑丈で浄化も困難だったようだ」
「ちょ、ちょっと待ってもらってもいいですか」
優里菜が討伐対象に驚いて待ったをかける。
「どうした」
天守は何の疑問もないようだ。当たり前に話を進めることに違和感を覚える。
「いや、その……」
中鬼の担当ランクは天位・翠以上。優里菜の天位・白には小鬼がせいぜいなところ。優里菜が出られる幕などではないはずである。そして任務による死亡者を抑えるために任務は低い方の天位に合わせて選別されていることが常。
そのセオリーを破ってきた今回の任務。天守が分かっていない訳がないのだが。
「中鬼って私の天位では……」
「そうだな。しかし今回の任務ランクは黄じゃ」
大悟はそう言って広輝を見る。優里菜で能わずとも広輝がいれば何も問題ないと踏んでいるようだ。
「そうですけど……」
そもそも白が白より上の仕事をしてはいけなかったのではないかと、うろ覚えの規則を検索する。
天守たる祖父にとっては「可愛い子には旅をさせよ」とか「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」の気持ちなのだろうか。
広輝が天位・蒼とはいえ、若者二人。不安だった。
「怖いなら受けなくていい。勝弘さんか天守に代わりを探してもらう。幸いまだ時間はある」
広輝は報告書から目を離さずに言う。広輝の「時間がある」というのは、この任務は週末に行うよう段取りしているらしい。
報告書によると中鬼の行動範囲は廃工場内だけで、外に出る様子はないらしく、それを見込んで今回の任務に即応の必要はないとの判断だった。
「広輝くんは私がこの任務を受けても問題ないと思ってるの?」
「そういう人選をしたのだと判断している」
この任務を広輝と優里菜に任せると決めた人物たちは二人に任せて問題ないと判断した。広輝は優里菜の実力を知らなくとも、その判断を信用すると言っているのだった。
優里菜が不安を覚えているのに対し、広輝は何も疑義は無いらしい。
「天守、ここに記載されている事以外に注意事項はありますか?」
広輝は報告書を一通り読み終え、ようやく視線を上げた。
「パートナーが危機に陥らないように導いてあげなさい」
大悟の言葉は優里菜が任務を受けることを前提にしたものだった。
「……了解です」
広輝は少し躊躇しながらも了承して、席を立つ。
「どこへ行く?」
「必要なことはもう終わりましたよね? そこの……優里菜がこの任務をどうするか決まったら教えて下さい」
そう言い残して、広輝は部屋から去っていった。
足音も聞こえなくなると優里菜は疑惑の目を天守ではなく祖父へ向ける。
「おじい様」
「なんだ」
大悟のかわいいかわいい孫娘からの冷たい視線。表面は冷静でも心は冷や汗をかいていた。
「広輝くんのパートナーになることは良いとして、この任務、私で大丈夫なんですか?」
広輝のパートナーになることを受け入れてくれたようで一安心。大悟は任務よりそちらの方を心配していた。任務に関しては何も心配していないのだから。
「大丈夫だ。あやつ一人でもこなせる任務だと思っているし、お主を見捨てるようなことはせんだろう」
祖父の楽観と思しき軽い言葉に、優里菜の不安が募る。人の悪評について問うつもりはなかったが、天守たる祖父があの二つ名を知らないはずがない。思い切って口に出してみた。
「……[堕天子]の彼が、ですか?」
その名前を出すと大悟の表情が曇った。
「……知っておったのか」
「みんな噂してますし……」
良くも悪くも陽本が月永との関係解消の第一手に出してきた天子が決まった時は天宿が騒然とした。耳に入れない方が難しかった。
[堕天子]が選ばれたことで、彼のパートナーとなる天子を改めるべきではないかという意見が月永内部でも出たが、分家などから代わりを名乗り出る者はいなかった。
優里菜の両親、兄が代わりになると天守に直訴したが、岳隠の天守から広輝の人となりを聞いてきた天守は、変更を認めなかった。それどころか優里菜が適任とすら言ったらしい。
「お主には先入観抜きに会ってほしかったのだがな」
「なぜです?」
「知ってしまったらそういう目で見るだろう? 真っ更な目で彼という人間を見てほしかったのだ」
「広輝くんはそういう人ではない、と?」
「そうだ」
優里菜の祖父、大悟は断言する。
優里菜や他の天子たちが知らない事を大悟は、天守は知っているのだ。
「なにを知っているんですか?」
「言えん。だが、仲間を見捨てるような人間ではない」
埒が明かない。きっと祖父は何も話さないだろうと優里菜は諦めのため息をついた。
「……わかりました。おじい様を、天守の目を信じます」
そうして優里菜は、中鬼退治を広輝との初任務にすることを決めた。




