第十話 魔術協会・日本支部
「なんで私がこんなことを……今夜には白蓮様と一緒に居たはずなのに」
山道を進む車中で愚痴を零しているのは竜胆美怜。黒のスーツに黒のスリットの入ったロングスカート、黒のタイツに黒のバンブス。下ろせば腰に届くほど長く艶やかな髪をバンズグリップで纏めていた。
頭の天辺から足の先までほぼ黒一色の美怜は、鳴上の陽本晶をアップグレードしたような女性であり、美人よりも妖艶が似合う女性である。
「そろそろ機嫌直してくださいよ。命令なんですから」
五大支部の一角、東北の仙葉支部から車を走らせて三時間。途中一時間ほどは眠って大人しかった美怜だが、先ほど目を覚ましてしまった。
再び、後部座席でぶつぶつ言い始めた美怜を運転席の翠ーー秋山翠ーーが半ば呆れたように宥める。
翠は年上である美怜に敬語だが、四ヶ月前に鳴上を訪れた際、同じく年上である蓮王にタメ口だったのは、蓮王の女癖に呆れたからである。基本的に上下関係は重んじている。
「だって伯父上の三回忌に来ただけなのよ。それを見計らったかのように任務だなんて」
前仙葉支部の天守は、現天守の兄であり、竜胆家の当主だった。前当主は子供に恵まれたのが遅く、まだ小学生だったので弟である美怜の父が竜胆家の当主となり、本部より仙葉の天守を賜っていた。
破天荒な振る舞いで父と伯父に迷惑をかけたことは(反省はしていないが)自覚しているので、渋々出席。終わったら即行で愛しき男性の所へ帰ろうとしたところに翠が登場。
即座に拒否したが、[紅]としての命令と言われてしまえば拒否はできない。顔を引き攣らせながら車に乗ったのである。
「そんなにぶーぶー言ってると妹さんにも呆れられますよ。なあ、梓ちゃん」
助手席に座るのは、一回り年が離れた妹の竜胆梓。姉を不憫に思い、少しでも早く終わるように何か手伝えればと助力を申し出て、姉と同じく三回忌に出席したままの姿で同乗していた。
その妹は、姉への対処方法も知っている。『触らぬ神に祟り無し』である。だから沈黙し、現場につくまで姉に認識されないようにしていたのに……。
「え、わたしに振るんですか、翠さん」
「あ〜ず〜さ〜?」
「いや、わたしそんなこと思って……っ!?」
梓が危険を察知する。この走行中の車内には逃げ場はない。しかも背後を取られている。絶望的である。
後部座席から両手をワキワキさせた魔女が、シートから腰を上げた。
「ちょ、やめっ、て、姉さん!」
ヘッドレストの横から這い伸びた細い腕が、その手に収まらんばかりの実りを鷲掴み。そのまま揉み解し、セーラー服にシワを作る。
梓は美怜の両腕を掴んで魔の手を胸から離そうとするが、うまく力が入らず美怜の暴走は続く。
「ちょっと見ない間に態度もお胸もこんなに育っちゃって……んー最っ高☆」
美怜は、自分のでは堪能できない"たわわ"の感触を存分に堪能する。自分の手によって自在に形を変化させる様を覗こうと、体をさらに乗り出し、梓の右耳の横へ首をにゅっと伸ばした。
「っ……ぁ、姉さん、ホントに、やめっ、ん……ぁっ」
右手はその重さをも味わうかのように、大きな乳房を揉み上げる。手に乗る重量感と、指の間からはみ出る未だ成長途中だという胸乳に思わず「おお」と声が漏れていた。
顔を赤らめ、必死に耐えながらも漏れてしまう純潔の悩ましき声に、美怜は我が妹ながらゾクゾクし始めていた。
姉妹のスキンシップを超えそうになった時(既に超えている?)、それを横目で見ていた翠が助け船を出す。
「美怜さん」
「なに?」
その返事はただの反射。美怜の意識は完全に艶めかしくある梓に集中していた。
梓は今も姉の淫手に耐えていた。
男だったらやばかっただろうなと思いながら、悪ふざけがすぎる美怜に忠告する。
「砂利道に変わるので、ちゃんと座って、シートベルトしてくださいね」
「もうちょっと待って。今機嫌を直してるところっぐえ!」
突然、路面の凹みで、車体が跳ねた。そのはずみで美怜は天井に頭をぶつけ、身悶えた。
「この先、そうなるのことが多いので」
「……」
美怜は頭を擦りながら、不貞腐れたように翠を睨む。バックミラー越しに翠と視線が合いそうになるも、翠は何食わぬ顔で運転を続けた。その後、目的地に到着するまで車が跳ねることはなかった。
助手席では羞恥から解放された梓が、頬を赤く染めたまま憮然とした顔で崩れた服を直し、座り直していた。
「ーーで、なんで魔会に行くんでしたっけ?」
美怜は翠に言われた通り、シートベルトをして大人しく座席に座る。すっかり妹をイジる気分ではなくなったみたいだった。
美怜は白蓮ーー冬城白蓮ーーと会えなくなったショックで任務の内容は全く頭に入っていなかった。
促されるままに車に乗って、不貞腐れて、眠って、妹をイジって今に至る。
「鳴上が魔術協会と協力関係を結んだから、それが本当か確かめに行くですよ」
「……そんなの鳴上にやらせればいいじゃない」
魔術協会は東北の奥地にあり、少ないながらも五大支部の中では仙葉支部が一番交流があった。なのでまず、普段は東北の天宿にいる翠に白羽の矢が立ち、丁度帰省しているという美怜を仙葉の名代として使えとのお達しだった。
連絡があった時、鳴上からも人が来ると思った翠は誰が来るのか訊いたが「行かない」と言われ、理由は次の通りだった。
「鳴上はどこにギレーヌ・ラインが潜伏しているかわからないので、その警戒で忙しいらしいですよ」
「あら? 犯人の名前も分かったのね」
「鳴上に派遣された一人の魔術師がそう言ったそうです」
「ふーん、[おかん]は氏名不詳の男女の魔術師って言ってらしたのに」
美怜は帰国した[おかん]こと武蔵野麻美子と三日前に会っていた。
今回の葬儀に参加する為に乗った新幹線のグリーン車で偶然鉢合わせたのだ。しかも席が隣。あまり首を突っ込みたくなくて、世間話程度に聞いただけだったが、魔術師の名前は不詳と言っていた。暈した訳ではなく、しっかりと不明だと。
今思えば、ここで仙葉にいることがバレたんだと美怜は思った。
「その派遣された魔術師の名は何というの?」
「クルス・マルティネス。十八才の青年らしいです」
「梓と同い年が一人だけ?」
「はい」
「それはまた……解決したいのかわからないわね」
本当に解決する気ならもっと人を派遣するはず。日本の魔術師が少ないと言っても数十人という規模ではないのだから。
外国の系統の影響を強く受けているので、ハーフやクォーターでも不思議はないが、その名前には日本人っぽさが欠片もない。
ますます怪しくなった。
「と、いうことで、真偽を確かめに向かってる、というわけです」
二人の話がとりあえず一区切りついたところで、助手席の梓がポツリとつぶやく。
「よく月永が許しましたね」
「経緯はよく知らないけど、陽本が月永に隠れて話を進めたらしいぞ」
翠は葬儀が終わるまで時間があったので、顔見知りの当事者にメールするとそんなような答えが返ってきていた。
「既成事実を作って、月永に無理やり認めさせたって聞いた」
「その魔術師がもう一人の犯人という可能性はないんですか?」
「あるかもしれないな。けど、調査に協力的だから、怪しいところがないか監視だけさせてるみたい。久下広輝に」
「久下、広輝……」
梓はその名前に良い印象は持っていなかったが、反対に美怜はぱっとは浮かばなかったらしい。
「誰ですの?」
「昨年の天武演優勝者で、オリバー・エクスフォードに勝った天子です」
「ああ、あの堕天子とか呼ばれてる……」
広輝の[堕天子]という汚名は当時は事件とともに各所に伝播したが、時間とともに人々の知識の一つとして仕舞い込まれていっていた。興味がなければ、事件の方を聞かなければ思い出せないほどに。それが昨年末に開催された天武演での疑惑の優勝に続き、オリバー・エクスフォードに勝利したことで皆の記憶から浮上した。
天武演とは、二十歳以下の天子がその実力を競う晴れ舞台である。その一対一のトーナメント戦を広輝は勝ち抜いていた。ちなみに近年は鳴上支部からは陽本の天子だけが参加していて、隆也は一度も参加していない。
そしてこの天武演には梓も仙葉代表の一人として参加していた。だからだろうか、梓は周りが騒ぎ立てる理由がよくわからなかった。
「オリバー・エクスフォードはそんなに強いんですか?」
「……どういう意味? 梓」
世間との認識のズレ。妹が自分を過大評価しているのかと思い、美怜は理由を訊いた。力をきちんと把握できなければ、生死に関わり、特に過信は自らを滅ぼす。
「はい。彼は天武演で麗華に紙一重の辛勝で優勝しました。それなら、[紅]である姉さんや翠さんなら普通に勝てたのでは? と」
前回準優勝者の雀宮麗華は、九州に拠点を置く雀宮家の令嬢。雀宮家は月永家や竜胆家と同じく、五大支部の一角を担う家柄である。その令嬢である麗華と梓は幼い頃から親交があり、その実力は伯仲している。梓と同等の力を持つ麗華と広輝の力で勝てたのなら、オリバーが梓よりも強い姉・美怜や他の紅の面々が驚くことではないと思っていた。鳴上の力が評判通りに落ちているだけだと。
しかし、その評価に苦笑する翠。
「いやあ、そいつはどうかな」
「梓、戦いには相性があります」
「わかってるよ。でも、彼に負ける程度……と思っちゃう」
「……」
美怜は梓に認識のズレを諭そうとするが、上手くいかない。オリバーの戦場の戦歴は異常で恐れるものだが、広輝を実際に目にしている梓の評価を覆すには至らない。伝え聞くオリバーの力と梓の言う広輝の力には乖離がありすぎた。
そこに、翠が何かを思い出しながら、広輝について話し出す。
「……あいつ、試合と本番じゃ、別人みたいになるからなあ」
「どういうことですか」
「あたし、あいつと手合わせしたことあるけど、その時はさすが岳隠の天子、いい天子だってくらいにしか思わなかった。多分、梓ちゃんと同じ印象だ。けどーー」
その時は既に[堕天子]と呼ばれていた。手合わせということで広輝は木刀だったが、剣術がその身に仕込んでいて、同じ[風]の力でも自分とは全く違う戦い方に翠も感心したものだった。
言葉の続きを美怜が促す。
「けど?」
「一回だけ任務で一緒に戦ったことがあるんですけど、その時は違ったんです。何がと言われると表現が難しいですけど……一瞬一瞬の身のこなし? が全然違ったんです」
怪我を、死を怖れぬような紙一重の攻防。相手に肉薄し、攻撃をギリギリ躱してのカウンター。防御を捨てたその戦い方に味方も戦慄した。
「相手が格下だからではないの?」
「その任務、[神堕とし]ですよ。広輝は勝手についてきたんですけどね」
神堕としーー妖魔が長い年月を掛けて肥大化し、強大な力を持った存在や、人々に祀られるような神聖な存在が魔に侵され、人々を害すようになってしまった存在を討滅する行為。それが[神堕とし]。
その時の広輝は翠が手合わせした少年とは全然違っていた。
「……」
「だからあたしは試合ならあいつに勝てるって言えるけど、本番、殺し合いは勝てると断言できないな」
舗装路ではなくなった山道を車で走ること三十分。薄紅色と白色に彩られた洋館に到着した。
元々活気ある場所ではなかったが、今日は異様に静かだ。
車から降りた美怜と翠がすぐに異変に気づく。
魔術師の拠点だけあって中は濃い魔力が充満し、それが洋館から溢れているはずだった。天子にとっては一刻も居たくない、用事を済ませて早々に立ち去りたい、そんな魔力の空気で満たされているはずだった。
しかし、何も感じない。不快感がない。普通の場所。
美怜と翠は顔を見合わせ、警戒態勢で玄関へと向かった。
一度も訪れたことがなかった梓は、洋館の異変には気づかずも二人の空気を察し、仕事モードへと頭を切り替えた。
玄関には鍵が掛かっておらず、翠が壮麗な扉をゆっくりと押し開けた。
静まり返った玄関ホール。あまりにも静かすぎる。物音一つしない。肌をざわつかせる魔力の気配もない。
枯れ果てた観葉植物が翠に事態の深刻さを予想させる。
「姉さん、あそこに人が……っ!?」
梓が倒れている人影を見つけ、駆け寄るも、その有様に言葉を失う。
倒れていたのは、痩せこけた老婆。髪は白く染まり、肌は肌白とは程遠く、シワが酷く刻まれている。そして、その外見年齢に反し、二十代の若者のように着飾っている強烈な違和感。衣服はもちろんのこと、耳につけたピアス、鮮やかに彩られたブレスレットにサイズの合わない指輪、どれもこれも上から下まで若者向けの[おしゃれ]。
それから最も梓を物怖じさせたのはその表情。
苦しみで苦悶に歪み、助けを懇願している老婆。大きく開いた口から、変色した腐ったような歯が覗き見え、目を見開き、薄白く鈍った瞳が虚空を見る。
「これは……」
梓に続いて、老婆を見た翠もその痛ましさに顔を強張らせた。何度も見た被害者たちと同じ。翠には犯人に目星がついた。
その二人をすっと横切り、老婆が必死に伸ばしたであろう痩せた腕の手首に美怜がその白く細い指を押し当てる。
誰が見ても一目瞭然ではあったが、間違いないかの確認で、それはその通りだった。
「……死んでいるわね」
美怜はせめてこの遺体のまぶたを閉じようと手を翳したが、無情にも閉ざすことはできなかった。
美怜は立ち上がり、二人に指示を出す。
「翠、梓、生存者が居るか確認するわよ」
この魔術協会で何があったのか、確かめる必要がある。確かめなければ白蓮に会えない。美怜は余計な手間を増やしてくれた犯人に業を煮やしながらも、早く終わらせる為に頭を切り替えた。
「了解」
「……」
「梓?」
梓が殺された人間の遺体を実際に見るのは初めてだった。助けを求めても救いはやって来ず、絶望の中で死んでいった人。そして、この遺体の違和感の正体に気づき、さらなるショックを受けて梓の思考はフリーズした。
呆然と立ち尽くす美怜が声をかけても、梓から反応はない。
「休んでな。元々、この任務は紅の任務だからな」
翠が血の気の引いた梓の肩を抱き、椅子がありそうな部屋へと連れて行く。
「……すみません」
やっとのことで絞り出した言葉を翠が「気にするな」と気遣う。
「……」
別室へ向かう意気消沈した妹の背中を美怜は黙って見送った。
梓を遺体の無い落ち着いた場所に休ませ、翠と美怜はだだっ広い洋館に生存者が居ないか片っ端から捜し始めた。
この洋館の多くを占めていたのは、研究室と思われる書籍が壁にびっしり敷き詰められた部屋と魔法陣が描かれた実験室と思われる部屋の二種類。廊下に無惨に転がる遺体もあったが、多くの遺体はその二部屋にあり、誰も彼も苦悶の中で死んでいったようだった。
二人は扉を開けるのが億劫になった。どうせ死体しかない、と。
すべての部屋を確認し終え、二人は合流する。案の定、生存者はいなかった。
二人が合流した場所には、二人が見た中でも一番酷い遺体が倒れている。一番最初に見た女性の遺体も酷かったが、この男性は老爺の枠を超えていた。
「ここまですっからかんなのはこの遺体だけみたいですね」
「これ、例の魔術師の仕業で間違いないの?」
「はい。大陸の時と同じです」
翠は外国の天子に混じり、おかんと蓮王と一緒に正体不明の魔術師を追っていた。その行く先々にあった遺体は生命を抜き取られたかのようなものばかりだった。
「いつ頃やられたかかわかる?」
「残念ですが。恐らく魔力量による違いだと思いますけど、程度が違いすぎて、死亡推定時刻の特定が難しいです」
この事件の遺体は、魔力量が少なければ少ないほどに見るに無惨な遺体になると推察されていた。その為、元の姿の面影を残していても魔力量が多かっただけかもしれないし、無惨な遺体だからといって、長時間に渡って魔力を吸われたとも限らなかった。
「ーーそんなに日は経っていないようだけど」
美怜はテーブルをさっと指で拭う。埃が指に吸い付くも、それほどテーブルに埃が積もっている訳でもない。
指の腹を擦って指先の埃を落とし、手がかりになるものがないか辺りを見回していると、まだ青い顔の梓が何かを手に持って来た。
「姉さん」
「大丈夫なの?」
「うん。それよりこれ」
見るからに大丈夫ではなさそうだったが、その梓がわざわざ持ってきたものを美怜は無下には扱わない。
梓の様子を伺いながら、卓上カレンダーを受け取る。
それはただの卓上カレンダーではなく、過ぎた日に斜線が入ったカレンダー。それはそのまま、このカレンダーの持ち主がいつまで生きていたかに直結する。
「……五日前」
「梓ちゃん、他にはあった?」
「はい。なので襲われたのは五日前で間違いないかと」
「鳴上がクルス・マルティネスと接触したのは?」
美怜が改めて時系列を確認し始める。
「初めての接触が六日前で、その時は情報交換の約束だけして、その三日後の夜、クルスが魔会の代表を名乗って協力し始めました」
美怜にはクルスが天子と接触した理由が分からなかった。注意深い魔術師がわざわざ危険を冒すとは考え難い。もしも最初の接触が不慮の事故のようなものだとしたら、今もそれを取り繕う為に協力している可能性がある。美怜がおかんから聞いた話では、天子には一切の容赦がないらしい。憎しみが籠もっているようだったと。
これらが全て繋がるのだとしたら、最後には手痛い裏切りがあるはず。
「……限りなく黒ね。翠、隊長に報告と警察を呼んで」
「了解」
「警察?」
「力を借りたいのは鑑識よ。髪の毛一本ぐらい落ちてるでしょう」
今は状況証拠でしかない。それを確固たる証拠にするには科学的根拠、物証が必要だった。
紅への命令でなければ、こんな任務を今からでもぶっちぎっていただろう美怜。白蓮成分が枯れていくのに反し、面倒な事態に巻き込んだギレーヌやらクルスやらの魔術師への怒りが沸々と沸き始めていた。




