第九話 伝聞過去
時は少し遡る。
『魔術師について教えて』
それは優里菜が天子関係・天術以外で、初めて教えを願ったことだった。
天子と魔術師の長く、闇く、血腥い歴史。それは玲菜たちが、いつか話そうと"時"を見計らっていた事。隆也には、黄色になった時に教えた。能力が発現したことでコンプレックスがなくなり、同時に守りたいものに気づいたことで精神的に成長したからだ。
けれど、今の優里菜はどうか。同じ黄色だが、精神的に受け止められるかどうか。半世紀以上も前の戦争のことではない。今も続くその憎悪の連鎖。天子である以上、優里菜もその当事者である。
玲菜から見た優里菜は、想像もしていなかったくらいに優しい性格に育ってくれた。人を思い、傷ついた人に寄り添い、共に悲しむことができる。
それ故に、心配だった。入れ込み過ぎないか、と。その先に訊いてくるだろう事には特に。
玲菜は優里菜の真剣な表情に覚悟を見る。
話してもいい、そう思った。
だから、しっかりと心構えをしてもらうことにした。
『隆平さんにも相談させて? 』
『ーーどうして教えてくれないの?』
未熟だからか。子供だからか。優里菜はまだまだ信用されていないのだと、気落ちした。
目に見えて落ち込む優里菜に、教えない訳ではないと玲菜は言う。
『優里菜がとても優しい子に育ってくれたからよ』
『優しいのが、いけないの?』
『違うわ。優しいからこそ、私があなたへの話し方を間違えたくないの。だからーー』
玲菜は一呼吸置き、玲菜も親として覚悟を見せる。
『相当に重い話をします。優里菜も今以上に覚悟をして置きなさい』
『ーーはい』
**隆平へ相談**
「構わない。ゲーベルに加えて今回の事件……過保護だったかもしれないな」
「そうね」
「しかし、済まないが、同席できないかもしれない」
「ええ、大丈夫よ。ちゃんと話しておきます」
**隆也へ連絡**
「早くないか。あの性格だ。受け止めすぎないか?」
「そうよね。でも、優里菜にも覚悟はあるみたい」
「んー……やっぱり俺は反対だ」
「そう……どうしようかしら」
**隆也の反対を受け、広輝の意見を聞く**
「岳隠では中学生で教わるので、遅いくらいだと思いますが、話してくれるのなら助かります」
「あなたのことも訊いてくるかもしないわよ」
「逆に何で教えていないんですか、僕のこと。いくら娘とは言え、優里菜に対して失礼では?」
「ーー、相変わらず言葉に遠慮がないわね。返す言葉もないけれど。……広輝くんから真実を話す気はある?」
「[堕天子]の事を本人が話しても信用がないでしょう」
「でも、あなたは疑惑について黙秘している」
「……あれ以上話すことがないだけです」
「そ。なら、訊かれたら話すわよ」
「ご随意に」
**(ちなみに)大悟の場合**
「任せる」
「……」
「儂は孫を可愛がるだけじゃよ。方法はお前たちに任せる」
「その割に、広輝くんを推してたわよね? 優里菜のパートナーに。なんで?」
「前にも言った通り、必要だと思ったからじゃ。星の力が、月永に」
「……」
***
(あのじじバカめ)
と、恨み言を内心こぼしてはいるが、今までかなり尽力して貰っているので、玲菜は大悟に対してあまり強く言えない。
玲菜の予想では、大悟は広輝の真実を知っている。二月に大悟は岳隠へ行っていたから、その時に岳隠の天守から話を聞いたのだろうと推測していた。
「……」
隆也の反対はあった。けれど、優里菜の覚悟、自ら成長しようとする兆し。玲菜はそれを塞ぎたくない。隆也の心配を胸に、ちゃんと背中を押そうと決めた。
隆平と隆也の帰りは遅い。昨夜の事件の調査と処理が拍車をかけていた。
玲菜は優里菜が帰宅する頃合いを見て、お茶と菓子を用意すると、タイミングよく優里菜が帰ってきた。
いつもより不機嫌そうなのが気になったが、玲菜は優里菜に話をする事をと告げると、優里菜は覚悟を決めてテーブルの席に付いた。
日が傾き、日差しも陰り始める。西の空が茜色に染まった。
玲菜は、ゆっくりと口を開く。今尚続く、諍いの歴史を。
天子と魔術師。
能力の違いに始まった在り方の違い、価値観の違い、偏見、差別、争い、無理解、残虐、戦争、嫌悪の果ての怨恨と憎悪の輪廻。相手を同じ人間だと思っていないが故に行われた、数々の残忍非道の所業。加減を知らない鬼畜な行為。やられたら倍にしてやり返す。その繰り返し。
天子と魔術師の摩擦は、三十年前に天子協会と魔術協会によって戦争という大火となり、燃え上がった。
国家間の戦争には、戦時国際法という一応のルールがあるが、魔術師と天子の間の戦争にはルールなど無いに等しい。仁義など無い。自らの憎しみの炎で敵を焼き尽くし、殺し尽くす。
戦いに疲れ、正義とは一体何だったのか、この戦いを続ける意味など有るのかと、疑問を覚える者が増えても戦いは止まらなかった。苛烈に憎しみを燃やす者たちがその疑問を許さない。盗聴や監視の魔術、強化した視力と聴力によって仲間内で疑心暗鬼が始まっていて、どこで聞かれてるかわからなかった。疑問を口にすることも阻まれた。
その無差別で、命を命とも思わない戦争は止まらない。振り上げた拳の下ろしどころを失った両者は、味方の命すら資源として数え、敵を殺す。
この戦争に日本も、月永も無関係ではいられなかった。
京都を守護し、魔術師に分類される陰陽師は、魔術協会に所属していなかった為、無関係を貫き通した。日本における天子協会と魔術協会の戦力差は天と地の差もある。その為、日本で戦争が勃発することはなかったが、両者とも海外の戦いへの参戦を余儀なくされた。
月永からは玲菜の叔母が、鳴上の筆頭として参戦していった。その玲菜の叔母、月永優子は優里菜と同じ碧眼を持ち、当時の月永直系の中でも随一の力を持っていた。今、優里菜が身につけている[杯]を弓へと変え、広範囲の砲撃や狙い撃つ精密射撃で戦果を次々と上げていったという。しかし、その戦争という名の大火に飲まれ、帰らぬ人となった。[杯]だけは、生き残った月永の天子が持ち帰り、鳴上の地に帰ってきていた。
その後、戦争の被害が一般人にも及ぶようになり、外から見るだけだったソリアスが重い腰を上げて、両者を仲介。およそ三年にも及ぶ長い戦争が終わった。
戦いこそ終わったものの、当事者に怨恨は残る。それは晴れること無く鬱積し、次代へ引き継がれている。それは確執となり、両者の間に深い溝を生んでいた。
これが近代の歴史である。
長く、重い話が終わった。
日は山の向こうに沈み、空に星が瞬く。
玲菜は、相手を人と思わない非道な行為の内容は伏せた。あくまで「酷い行い」や「惨い事」と口を濁していた。優里菜にそれを想像させてしまうのは、さすがにまだ早いと判断したからだ。
話を聞き終えた優里菜は消沈し、しばらく口を開くことはなかった。
優里菜にも覚悟はあったが、足りなかった。重い話をすると言われ、学校で学んだ過去の戦争の悲惨さを受け止めることはできると確信していた。戦争の資料を見ても耐えられると思っていた。確かに優里菜は耐えることはできたかもしれない。しかし、学校の授業よりもクローズアップした玲菜の話は、想像以上の衝撃だった。そして、自分自身もまた、今も続く確執の当事者であることを認識させられた。
玲菜が淹れた紅茶にも菓子にも手は付けられていない。とても食べ物を取る気にはならなかった。
優里菜は、イレーネとクルスとの会談を思い出していた。
イレーネの『嫌悪感は無いの?』に『何故』と返し、クルスに『嫌味』と言われた理由が今なら理解できる。
その何気ない疑問が、如何に二人を不快にさせたのか、如何に自分が世間知らずだったのかを思い知らされた。
何故、天子が魔術師を嫌い、魔術師が天子を拒むのか。
何故、お互いが相容れないのか。
何故、対立しているのか。
埋まることのない両者の溝。天子同士でさえ、月永と陽本のように対立はある。天子と魔術師が手と手を取り合うことは永劫ないかもしれない。
それができていたら世界から戦争や紛争が無くなるから。
対立の深淵を覗いたところで、優里菜はもう一つの深淵を覗く。
この際、全てを聞こう。そう覚悟してだった。
「広輝くんの[堕天子]って何があったの?」
半年近く、優里菜が聞かないようにしてきた疑問。言葉を交わした広輝は、パートナーとして接した広輝は、無愛想で冷淡だけれども、時折見せる気遣いや少年らしさには血が通っていた。決してそんな名前で呼ばれるような人には思えなかった。その異名と広輝を、どうしても結びつけることができなかったのだ。そして、広輝が風上広輝だと明かしてくれたあの時、広輝の本当を見た気がした。形見の腕輪を大事そうに包み込み、後ろめたさがありながらも、秘密を話してくれた広輝は、誰かを侵すように見えなかった。
だから[堕天子]には触れずにいた。だけど、知っていて当然のことを知らないことが、相手を不快にすることを知った。
加えてーー
『地獄にいるだろ』
天宿で出会った匠が広輝に放った言葉は、的を射ているようだった。広輝は何も言わずに俯いていた。
今更だが、広輝がいる地獄の鱗片を知っていた方が良いと思った。
『今は必要ない』
二度とそんなこと言われないように。
戦闘能力だけではなく、知識という力をつけて、広輝のパートナーだと胸を張って言えるように。
優里菜は思い切って一歩踏み込んだ。
しかし、優里菜の勇気とは裏腹に、玲菜は回答を渋る。
堕天子の話は、濁すことが難しい。玲菜にとって、二人の関係が変わることは二の次だった。玲菜が危惧しているのは、優里菜が入れ込みすぎないか、だった。一つの情報として収め、過剰な嫌悪も擁護もしないかどうか。
玲菜は、念入りに前置きをした。天子と魔術師の話よりも。
「聞かなかったことにできる?」
それができない娘だと知っている。けれど、言って置かなければ、もっと話に引きずられかねない。
「知っているのは伝え聞いたことだけ。真実は広輝くんの口から聞きなさい」
そうして、玲菜は再び話を始めた。
今度は[堕天子]の由来になった事件を。
それは三年前、広輝が中学一年生の冬の日に起きた。
広輝はある任務で力を暴走させてしまった。その力はパートナーでは抑える事ができず、パートナーは天宿に救援を呼んだ。
パートナーからの情報を聞いた天宿が下した判断は、広輝を助けることではなく、「殺害してでも止めること」。この措置自体は珍しいことではなく、過去にも事例はある。周りへの被害を最小限に抑える為だ。しかし、子供の天子への対処としては異例であり、その対処こそ広輝の暴走の強さを物語っていた。
そして広輝は、止めを刺しに来た天子たちを返り討ちにしてしまった。
最後の一人を殺害したところで、暴走が止まり、広輝は正気へと戻った。
ここまでなら悲惨な事件ではあるが、極稀に聞くこともある天子の事件である。
ここで終わらなかったのは、不可解な点があったからだ。
一つは、暴走を経ても広輝の天力に変化がなかったこと。天力の暴走は強制的な覚醒でもあった。暴走後、その天子が生き残っていれば天力量または放出量が増大しているのが常だった。しかし広輝にはそれが見られなかった。
二つ目は、返り討ちにあった天子の死体が刀で斬殺されていたこと。風ではなく、真空の刃ではなく。天子の暴走は、能力の暴走である。我を失った状態で、刀を正確に振るえるのか。そもそも我を失った広輝に[剣帝]を冠する次期星永当主が敗れるはずがない。
広輝に向けられたのは、意識があったのではないかという疑惑。
自分の腕試しに、暴走に見せかけたのではないかという疑惑。
その疑惑が本当か嘘かは広輝本人しか分からず、本人の広輝は黙秘を通している。
故に[仲間殺しの堕天子]と呼ばれていた。
これが玲菜の知る[堕天子]の顛末だった。
優里菜は、事の衝撃に揺れる。
今まで普通に隣にいた少年が、人を手に掛けていた事実。意思の介在は灰色だが、その事件で大勢の人が亡くなった事には代わりはなかった。
広輝はゲーベルの城から帰った後、優里菜に言っていた。
『合わせる顔がなかったから』
と。
優里菜に素性を明かさなかった理由をそう言っていた。
玲菜の言っていたことが本当なら、広輝の説明にも納得がいく。でも、本当にそうなのか。
優里菜の中に、否定したい自分がいた。
疑惑のようなことをする人物には見えない。
いつも冷静で、冷徹。人を寄せ付けず、いつも一人。任務や依頼で"仕方なく"一緒にいることはあっても、自分から関わろうとはしない。それはまるで、人を遠ざけるように……。優里菜と一緒にいることは、あくまで任務だから。稽古をつけてほしいとお願いしたから。そうでなければ、広輝は優里菜に関わってこない。
優里菜にはもう一つ引っかかることがあった。
それは、愛紗に見せた優しさ。慈愛にも見えたその優しさは、人の命を侵す人のものではないし、見えない。寧ろ逆、人の命が何たるかを知っている人のように見えた。
しかしもしも、万が一、それでも疑惑が本当だったのならーー
パン!
玲菜が手を叩く。
「最初に言ったとおり、聞かなかったことにしなさい」
「…………」
「少なくとも、疑惑が本当だとは私たちも思っていないわ。それなら優里菜に近づけさせもしないから。それに天守は、真実を知った上で優里菜を任せると決めたようだから」
「え?」
「なんっにも教えてくれないけどね。ただ、天守と岳隠の天守は旧知の仲だから、事実を教えてもらったのかもしれないわね」
玲菜が自分の父を天守で呼ぶのは、腹に据えてかねているものがあるからだ。
「それだけの『致し方ない』理由とか『同情』の余地が広輝くんにはあるってことでしょうね」
「…………」
はっきりと優里菜が納得していないと分かる。
玲菜が想定していた通り、聞かなかったことにはできないようだった。玲菜は優里菜の広輝への印象を過去から現在に戻していく。
「ねえ、優里菜。優里菜から見て、風上広輝くんはどんな子だった?」
「? えっと……」
風上の名字は、優里菜たちの間では、広輝が引き取られる前までという認識だった。
病院で再会するまで、出会ったのは一度だけ。それでも、その出会いは優里菜にとって太陽だった。
「明るくて元気で、無邪気で……すごく楽しそうだった」
「そうね。本当に年相応の男の子だったわね」
数少ない外出許可。玲菜は必ず優里菜に付き添っていた。
だから、その時も優里菜と一緒にいた。
「引っ越した後も、そうだったはずよ。美幸さんたちが広輝くんを放っておくはずがないもの」
「美幸さん?」
「広輝くんを引き取った人よ。広輝くんの叔母にあたる人」
「知り合いなの?」
「ええ。元々、鳴上支部の侍女だったのよ」
「そうなの?」
「まあ、今はそれは置いておいて」
話が広輝から逸れそうだったので、親同士の繋がりは隅に置く。
「その年相応だった広輝くんに何が起こったらあの性格になると思う?」
「何って……」
優里菜には一つしか浮かばない。[堕天子]の件で、悲惨な目にあったからだ。
「優里菜が言った広輝くんが「楽しそう」とか『無邪気』が変な方向によじれて、自分の剣に陶酔していたのなら、今みたいにはならないと思うわ」
陽本の[獄炎]のように。
「もっと狂烈に、剣の強さを求めて、今も無邪気に笑っていたでしょう」
強さを求める狂気。自分のしたことに罪の意識など無い。混じり気のない狂気が広輝に宿っていたらと思うと背筋が凍りそうだった。狂気に魅入られていたなら、四ヶ月前のオリバーとの戦いは、心底楽しんだことだろう。
「でもそうはなっていない。広輝くんが起こってしまったことを後悔して反省しているからこそだと思うわ。同じことは繰り返さないって」
「……なんでわかるの?」
優里菜は、胸の内がモヤモヤした。
まるで玲菜が広輝の性格を完全に把握しているようだったから。誰よりも広輝の傍にいた優里菜よりも。
「似てる人が、傍にいるからね」
玲菜は娘の気持ちに気づき、困ったように苦笑し、その理由を簡潔に言ったのだった。




