第二話 遭逢
天子協会・鳴上支部がある鳴上市は、四方を山に囲まれた盆地である。中央には神と神の戦いによってできたという言い伝えが残る湖、双神湖がある。
北の丘を登れば緑美しい高原が広がり、観光名所にもなっている。東を仰げば白く化粧をした南北に広がる山脈があり、その麓までは主に住宅区が広がっていた。
湖の南側は都に繋がる大きな街道があり、多くの会社がオフィスを構え、西側には南の会社が取り扱う精密機器を製造する工場が立ち並んでいた。
湖の北西部、湖から離れた山の麓には人口減少に伴って使われなくなっていった公共施設や倒産や移転によってもぬけの殻となった工場跡が無残に残っていた。
その公共施設の一つにサーカスのテントを思わせるような無駄にデザインチックな建物があった。森の如き林に囲われているこの建物はかつては何かの記念会館だったらしいが、色あせた円錐の屋根と壁面が哀愁を漂わせる。
その元記念会館の正門に三人の人影があった。
まず、背は低いが体のラインがはっきりしすぎている女性が一人。
「ここからは一人でやりなさい、優里菜」
「はい、お母さん」
その背の低い女性を母と呼ぶ女の子が一人。
長い黒髪をポニーテールで一纏めにし、覗く横顔にまだまだ幼さが残っている。印象的な碧い瞳に真剣さが宿る。
周囲を警戒しながら、慎重に歩を進めていく。
その優里菜の背中を守るようについて行こうとする男子が一人。
「はい、大樹くんは見学。私から離れないでねー」
背の低い女性にシャツの裾を捕まれ、踏み出しそうだった一歩が元の位置に戻る。
「でも玲菜さん、天子の仕事って二人一組が普通ですよね?」
大樹と呼ばれた男子は、自分の肩よりも低い小柄な女性に不平を垂らした。
「そうよ。だから私がいるんじゃない」
「……『一人で』って今言いませんでした?」
「今日は、優里菜が指導役抜きでお仕事できるかの試験も兼ねてるからね。私はバックアップ。危険なら私が対処するわ」
大樹は二人一組で行う仕事を一人で行い、失敗したら不合格というのは不公平ではないかと言っていた。
大樹が言うこともわかるが、玲菜は次からペアを組む相手のことを考えれば、この程度の仕事は一人で行えなければ置いて行かれるだろうと考えていた。
そのため、一応の二人一組の体裁を取りつつ、優里菜に仕事の主導を任せたのだった。
「それに、大樹くんはまだ中学生なんだから、今日は見学って約束でしょ。早速破ろうとしないで」
天子の仕事は小中学生では行えない。中学生から見学ができるようになるが、監督役となる天位・蒼以上かつ成人の天子が同伴でようやく見学が可能となる。高校生は天位が白・黄の場合、指導役となる天位・蒼以上の天子とペアを組むか、天位・翠以上の天子のペアに同伴し、三人一組となることが必要だった。
そして優里菜は今月から高校生となり、天位・蒼の天子とペアとなるとことが言い渡されていた。
問題は転属してくる天子の評判が悪すぎた。大樹が見聞きした噂では、[堕天子]などという異名で、更には[仲間殺しの堕天子]とまで言われていた。
その天位通り、優秀ではあるが仲間を顧みず、合理的判断を優先し、任務を達成するためならば仲間を見捨てると言う。
心配にもなるというものだった。
大樹は自分の理に反するが、どうにかこの試験の判定を再試験を要するとして延期に持ち込むか、優里菜には怒られるだろうが試験を失敗し、[堕天子]のペアを他の誰かに変わってもらえないかと思っていた。
それを狙って、あえて堂々とついて行こうとしたがやはり失敗だった。
大樹としては卑怯なこと卑劣なことなどしたくはないが、優里菜が[堕天子]と組むくらいならという、断腸の思いだった。
「……すみません」
「心配なのはわかるけど、ね☆」
頭を下げる大樹に玲菜は諌めながらも最後はウインクで返し、大樹は心を見透かされているのがわかり、恥ずかしくて顔を逸らした。
玲菜は大樹の優里菜に対する淡い恋心に気づいていて、大樹も気づかれていることは知っていた。
玲菜は視線を優里菜に戻すと既に元記念会館の中に入っていた。
追うように玲菜と大樹は元記念会館の中へ。
会館というだけあってロビーは広かった。
優里菜は壁面に残っているこの会館の見取り図の前だった。
「どこから探す?」
玲菜が問う。
「んー……真ん中の一番広いホールからかなあ」
「優里菜、今日の任務の内容って何だったっけ?」
「狼型の妖魔、五体の討伐」
「囲まれたらどうするの?」
玲菜は開けた場所で包囲されると不利になることを危惧した。この任務の事前調査から狼型妖魔の運動能力は高いことがわかっていた。
「それも考えたんだけど、廊下とか小さな部屋で挟まれて、逃げ場がなくなるより通り抜けられそうな隙間が大きなほうがいいかなって」
優里菜も玲菜に言われていることは理解していた。なので、きちんと自分の考えを伝えていく。
「その後、どれかの出入り口に陣取れば挟み撃ちにはなりにくそうかな、と」
「考えがあるのならいいわ。行きなさい」
「はい」
玲菜に答え、中央のホールを目指す。
ロビーと中央ホールは装飾された大きな鉄扉でつながっている。その扉を開ければこの記念館で一番大きなホールが広がっている。
中央ホールに行くにはその扉をただ開ければいい。
早ければこのホールで狼型の妖魔に遭遇するはずだ。
優里菜はその扉を、横切った。
「…………」
「……ゆりな?」
「はい?」
優里菜は、ただ呼ばれたから振り返った。何も間違ったことをしていないとばかりに。
「中央ホールはその大きな扉よ」
玲菜は優里菜が横切った鉄扉を指差す。指摘する表情は真顔だ。
「え、あれ? 一つ向こうの、じゃなかった?」
優里菜は東ホールへの扉を指差して、玲菜とその扉を交互に見る。
「ちょいちょい」と玲菜は手招きして見取り図の前に優里菜を呼び寄せ、優里菜に現在地と中央ホール、その位置関係を説明した。
後輩の前で簡単な位置関係を説明されるという恥ずかしさで、優里菜の顔が赤く染まる。
居たたまれなくなりながらも玲菜の説明を聞き終え、今度こそ中央ホールへの扉を押し開けた。
扉を開ける音がホールに反響し、その音の反射がホールの大きさを物語る。
ホールの中央には、天井から取り込んだ光がスポットライトのように床まで届いていた。
何もない時ならば感動すら覚えそうな光景だったが、今はその時ではない。
(さすがに光の下にはいないか)
優里菜は周囲を警戒しながら慎重に歩を進めた。
中央の光以外は、優里菜が開けた扉からの光しかなく、ホール全体は暗い。
この施設には電気は通っていない。ここに妖魔がいれば明かりはこの2つを頼りにすることになる。
「っ!」
わずかに床を削る音が耳に届く。
ここにいる。優里菜は確信した。
周囲を見渡すが姿は見えない。優里菜は中央の光の下を目指して移動する。
的になるかも知れないが、見えないことには始まらないと判断した。
警戒を緩めず、少しずつ光の下へ。
光の外周に足を踏み入れるとそれは来た。
「水守!」
背後から聞こえた床を蹴る音。優里菜は体を半回転させ、かざす両手で水の結界を張る。
狼が牙を剥いて跳んできた。優里菜の結界に衝突するも、結界を脚の踏み場にして飛び退く。
優里菜は蹴られた勢いで後退。光の中央で片膝をつく。
次は右上から大きく口を開いた狼が優里菜に迫る。優里菜は前転しこれを躱す。
優里菜が体制を立て直すと、三体の狼の姿が微かに見えた。
(正面、と両隣)
狼たちは唸り声を出し、優里菜を威嚇する。優里菜に襲いかかったことで、隠れることを止めたようだ。
優里菜は右手に天力を集め、水を生成かつ圧縮。それを右の狼へ撃ち出した。
「水の路!」
圧縮されて撃ち出された水は、右の狼が居たところに着弾。狼は優里菜の水を軽々避けて、三体同時に優里菜に再び跳びかかかった。
「水守!」
今度は左手だけで水の結界を張る。その範囲は、三体の狼を防ぐほどに大きい。
狼の爪や牙が結界に刺さると、優里菜は体の内側から外へ、結界を振り抜いた。
狼達は優里菜によって、宙に跳ばされた。
優里菜はすかさず、狼達の着地点にビー玉のような水玉を三体それぞれにその場から遠隔で設置。
狼たちが着地しそうになった時――
「水の衝撃!」
その水玉を爆発させた。
水の衝撃は水を圧縮し、その水を解放する技。問題は指向性が無いため、爆弾のようにしか使えないことだった。
水の衝撃の爆風で積年の埃が舞う。一層悪くなった視界。妖魔が霧散したか確認できない。優里菜は三体が生き残っている可能性と残り二体が襲いかかってくる可能性を踏まえ、全方位に水守――水の結界――を張って次に備えた。
「…‥‥‥」
結界に何も感触がない。三体は仕留め、残り二体は別の場所か。
埃が落ち、元の状態に戻ると優里菜は結界を解いた。
「おつかれ」
ロビーから玲菜のねぎらい聞こえた。
「二体はこっちに来たから片付けちゃったわ。だから終わり」
優里菜は玲菜の言葉にほっと胸をなでおろす。どうやら仕事は終わりのようだ。
優里菜は足取り軽くロビーへ戻った。
玲菜から念の為と、全ての部屋とホールを見回るよう言われ、大樹と一緒に残りが居ないか探索したが何も見つからなかった。
任務が完了し、外へ出る。
晴れて玲菜から合格をもらうことができた。
「難しいところあると思うけど、頑張りなさい」
難しいところとはきっとペアになる人のことだろうと優里菜は思った。
大樹もそう感じたのか、決まってしまったことへの不満をこぼす。
「でも、[堕天子]ですよ、[堕天子]。そんな奴とペア組ませなくたっていいじゃないですか」
「んーでも、他に誰も居なかったからねえ。それに父様が遠巻きに優里菜を推すのよね」
「天守が? あ、いや、隆也さんもいるじゃないですか」
分家の誰一人として手を挙げなかったことは聞いていた。推薦も分家間での押し付け合いもなかったらしい。
期限が迫り、陽本との関係を改善したい天守(月永当主)と櫻守当主は優里菜に白羽の矢を立てた。
優里菜の兄、月永隆也も検討されたが、諸事情諸々を鑑みて隆也は大樹の指導役へと落ち着き、優里菜が陽本との交流大使となった。
想定外だったのが、陽本が新しく転任してくる天子を出して来たことだった。
「そうすると貴方の来年の指導役、分家の誰かになるけど良い?」
「ぐぬぬ、い、いい、良いですよ?」
明らかに強がりだった。
元記念館の敷地から出そうになった時、三人の後方に何かが降ってきた。
「「「!?」」」
音からして決して軽いものではない。
三人が振り向くとそこには三メートルはある巨躯な白狼の姿があった。
どこから来たのか。周囲の森からか。
「グルゥゥゥグゥゥゥ」
先程戦った狼達とは比べ物にならないほどの脅威を感じた。
「二人とも下がりなさい! 優里菜は大樹を守りなさい!」
玲菜は優里菜と大樹の前に出る。
どう戦う? 一人で抑えきれるのか? 二人を逃がせられるか?
一瞬であらゆる思考が流れる。
しかし、今にも襲いかかってきそうだが、強い威嚇をしてくるだけで攻撃して来ない。
それどころか何かに怯えるように周囲を警戒し、毛を逆立てる。
よく見ればこの白狼、傷ついている。
端々の毛が黒く焼け焦げ、体のあちこちに斬撃の跡が残っていた。
明らかに今まで戦っていた跡。
何と?
白狼が何かに気づき、跳躍の予備動作に入る。
玲菜は後ろの二人を守るため、結界の天術を張った。
白狼が跳ぼうとした時、空からそれが降ってきた。
「ガグルゥガ!?」
紫色の雷が白狼を貫く。白狼の体を痺れさせて、動きを封じた。
直後、白狼の首が斬り落とされた。
白狼は断末魔を上げることなく、光の粒子となって消えていく。
その光の中に太刀を持った少年が着地した。
少年だと分かったのは、男性にしては低い背丈と覗く横顔がまだ幼さを残していたからだった。
しかし、その佇まいは、纏う空気が少年とは一線を画していた。彼に今近寄っていったら、きっと斬られてしまう。たった今斬られた白狼と同じように両断されてしまうだろう。
そう思わせるほどの戦いの空気。それは「残心」そのものであり、一人前の剣士の雰囲気を、彼は纏っていた。
光の粒子が完全に消えたのを確認すると少年は刀を鞘へと納める。
その体に似合わない長さの刀を簡単に納刀してみせる一連の動作に一切の淀みなく、少なくとも一定の鍛錬を積んでいることを伺わせた。
「広輝!」
そこに一人の女性が駆け寄っていく。
森から姿を現した女性は少年よりも背が高くスラッとした容姿。長い髪を首元で纏めていた。
少年は女性に気づき振り返る。
「お疲れ様です。支援の天術ありがとうございました」
丁寧に頭を下げているが、表情は崩れず冷めたままで、声にも抑揚はない。
もしかすると童顔の青年かも、と玲菜は思ったが女性が呼び捨てにしているので、それはないと判断した。
玲菜たちは女性を知っていた。
「紫鶴ちゃん?」
「! ……玲菜、様?」
女性は思いがけない人物に出会ったかのようだった。
紫鶴は取り繕うように満面の笑みを繰り出す。
「お久しぶりですー! 優里菜様に大樹くんも。お仕事ですか?」
「ええ、そうよ。優里菜の試験も兼ねてね」
「試験、ですか? ……ああ」
何のための試験かわからなかったが、紫鶴は思い当たる事を思い出し、関係ありそうな、ぶっきら棒な人物に視線を移す。
「……何か?」
広輝は、思い当たる節がないので、視線を向けられたことに疑問を返す。そもそも広輝は目の前の三人が誰なのか知らなかった。
紫鶴が敬称を付けて呼んだので、彼女たちが紫鶴が敬うに足る人物たちであることは理解した。理由は分からないが。
「紫鶴ちゃん、その子は?」
「今月から配属になった、久下広輝です」
玲菜に促される形で紫鶴は広輝を紹介する。
広輝は何も言わず、目を伏せて一礼した。
続けて紫鶴は広輝に鉢合わせした三人を紹介する。
「――こちら、月永玲菜様とそのご息女の優里菜様。それから櫻守一樹様のご子息の櫻守大樹くん」
「よろしくお願いします」
「どうも」
玲菜は満面の笑みで、優里菜は丁寧に頭を下げて大樹は短く挨拶した。
広輝は三人の態度に内心首を傾げた。堕天子に対して普通の態度だったから。
勝弘も天守も広輝の素性について知っていた。広輝はそれを当然だと思った。そしてそれはトップだからとか、幹部だからとかではなく、一介の天子に至るまで知っているものだと思っていた。
紫鶴は普通に接しているが、広輝について知っていた。その上で普通に接する稀有な人。
この三人も紫鶴と同じかも知れないと思ったが、きっと広輝を堕天子だと思っていないのだ、と広輝は判断した。
それよりも耳を疑う事象が目の前にあった。
「…………ご息、女?」
誰が? 誰の?
紫鶴の紹介の順番が間違っていなければ、背の低い女性が"玲菜様"で、同じくらいの背の少女が娘の"優里菜様"のはずだった。
が、広輝にはにわかには信じがたかった。
この背の低い女性が天守の娘で、少女の母親であることが。少女の姉の方が十分説得力があった。
玲菜は優里菜の後ろに回り、腰に抱きつく。そして優里菜の脇下から顔を出す。
「そうよ? 優里菜は私の自慢の娘よ。よろしくね、広輝くん」
玲菜は戸惑う優里菜をお構いなしにスキンシップをとった。
口を半開きにして言葉を失っている広輝の肩に手を置き、まるで自分に言い聞かすように紫鶴は言う。
「……受け入れなさい。こういう現実もあるってことを」
改めて二人を見る。やっぱり親子には見えなかった。
諦めてその事実を受け入れようとした時、広輝はようやく気づく。
優里菜の碧い瞳に。
「――……」
「あの、なにか?」
広輝と目が合い、視線を外さない広輝に優里菜は首を傾げる。
そんなに凝視されるようなことはまだしていないはず。
視線を合わせて固まる二人。見つめ合っているような二人に紫鶴が横から茶々を入れる。
「優里菜様がかわいいから見惚れちゃってるのよね~」
「違います」
広輝は視線を優里菜から外し、即座に否定する。
「……碧眼が珍しかっただけです」
これ以上からかわれないように言い訳をする。ちょっとだけ真実を混ぜて。
「戻ります。それでは失礼します」
「あ、ちょっと! すみません、私もこれで失礼します」
いきなり踵を返した広輝を紫鶴が慌てて後を追う。
紫鶴が出てきた森の中へ去っていくが、二人はあちらから来たということか。
あの方向に何があったか地図を思い描こうとしたところで、今まで黙って大樹が鬱憤を出す。
「失礼な奴でしたね! お二人の前なのに」
「年上の私はともかく、同年代の陽本相手に優里菜の前でっていうのは控えたほうがいいわよ」
玲菜が血統主義の増長を諭す。そうやって腐ってきたのだと。
大樹は何か言おうとして口をつぐんだ。玲菜が言わんとしたことが分かったのだろう。
(それにしても気難しそうな子ね。紫鶴ちゃんも手を焼いてそうだったし)
今後の娘を不憫に思い優里菜の顔を覗いてみる。
「…………」
優里菜は不思議なものでも見たかのように広輝たちが去っていった方を見ていた。
その様子から玲菜から見て、少なくとも優里菜は広輝に悪い印象を持たなかったようだ。
「難しそうな子だけど、置いて行かれないように頑張んなさい」
自分より背の高い優里菜の肩を優しく叩く。
「はい。ん、え?」
「――まさか今のが!?」
「さ、帰るわよう!」
戸惑う二人を置いて、玲菜は帰路につく。
(それにしても岳隠の久下ね……)
広輝の素性に引っかかるところがあったが、後ろの二人からの質問攻めもあり、帰宅する頃にはその疑問も忘れてしまったのだった。




