第二十三話 崩落
隆也が屋上に到着すると、何かの雄叫びが闇夜に響き渡った。
雄叫びがした方には、神殿のような建物があり、青い光が漏れ出していた。
石造りの重厚な建築物だったが、青の光のせいか、隆也に今にも破裂してしまいそうな風船を思わせた。
神殿に近づいた時、重厚な扉が内側から吹き飛ばされた。
「っ!!?」
とっさに身を屈め、隆也の僅か上を通る扉をやり過ごす。隆也の後方で扉が破壊される音がした。とても軽い物が吹き飛んだ訳ではなかったとそれだけでわかる。その重量物を吹き飛ばすだけの何かが中で起こっている。
重厚な扉を吹き飛ばした風と碧い閃光が隆也に降りかかり、一緒に何かが飛んできた。
碧い光の影でシルエットしか捉えきれなかったが、それは人だった。
突風に乗ったそれは、扉ほどの重量がなくとも、当たればただでは済まない。
隆也は突風に反する斥力を発し、人型の人形かも知れないそれの速度を精一杯落とし、隆也の前に着地させた。
「大樹!?」
起き上がらない大樹の体を起こして呼びかけても返事はなく、気を失っているようだった。
中で一体なにが起こっているのか。
碧い光に目を細めながら、神殿の中の様子を見る。
「…………」
隆也は形容する言葉が浮かばなかった。「なんだこれは」というべきか、中心にいる優里菜に呼びかけるべきか。
神殿の中心で碧く耀く球体とその下で宙に浮いている優里菜。荒れ狂う暴風の中、全身に騎士鎧を纏い、大きな二振りの剣を背負う巨大なケンタウロス型魔導人形が暴風に耐えていた。その足元に今にも吹き飛んでしまいそうな老人が一人。
老人が人形に向かって何かを叫んでいるように見えるが、何も聞こえない。
大樹をこのままにもしておけないので、暴風を重力の壁で防ぎながら風が弱い隅へ運ぶ。
(無事でいてくれよ)
本当ならもっと安全なところに運ぶべきなのだろうが、今は優里菜が優先だった。
隆也にはこの状況が優里菜にとって害あることなのか判別つかない。
しかし、優里菜を助け出す。優里菜を敵の手から救い出す。それは明確だった。
だから、あの碧の世界からも、ケンタウロスからも、アランが言っていたゲーベルだろう老人からも、優里菜を救い出す。
隆也は暴風逆巻く碧の世界へ突入する。
風は結界で何とかなった。後は優里菜を連れ戻すのみ。
隆也が神殿に入った時、ケンタウロスが暴風に耐えながら、碧の球体に向かって手を伸ばしていた。
隆也はそれを横目に見て、特に気に止めなかった。優里菜の救出が先だから。けれど、ケンタウロスが掴んでいるものを認識した時、考えを改めた。
ケンタウロスの手の中でゲーベルが碧の球体に向かって手を伸ばしていたのだ。
隆也は碧の球体との間に壁を作りつつ、ケンタウロスの右腕に重力をかける。
「!?(なにをする!!)」
ケンタウロスは右腕を下ろすことはなかったが、手の中にいたゲーベルが隆也を見下ろして叫んだ。その声は暴風によって掻き消されたが、相当怒っていることは隆也にも理解できた。
今回の事件の全ての元凶である魔術師・ゲーベルが得体の知れない球体を求めている。隆也には悪い予感しかしなかった。
ゲーベルを妨げることが優里菜を助け出す一歩になると信じ、思い切りゲーベルの企みを妨害した。
ケンタウロスと違い、ゲーベルは隆也の重力結界内で指一本上げることができない。かつ暴風のせいで、ケンタウロスに声での指示が出せなかった。だからゲーベルは、触れている手から魔力伝いに直接ケンタウロスに支持を出す。
隆也を潰せと。
ケンタウロスは暴風と隆也の重力の中、脚を上げ、隆也を踏み潰す。
隆也はケンタウロスへの重力を切って、全力で回避する。ケンタウロスの動きは速いものではなかったが、その質量と脚力で石床を簡単に砕き、振動で魔法陣の水が跳ねた。
ケンタウロスは手にゲーベルを持ったまま、何度も何度も踏み潰そうと脚を叩き落とす。
魔法陣の水路に足が引っかかりバランスを崩すことが度々あったが、倒れることなく執拗に隆也を追った。隆也はゲーベルとケンタウロスの視界から外れることはせず、二つの標的を自分に合わせ続ける。台風の近くにいるような風の中、ゲーベルはケンタウロスの手中にいるからか、目的ではなく、それを邪魔をするちょこまかと躱し続ける隆也に躍起になる。
神殿の石床がケンタウロスによって、砕かれ、陥没し、水路は魔法陣ではなくなり、神殿の内部に水が浸透する。
隆也が再び神殿の入口に戻って、ケンタウロスを外への誘導を試みた時、遂にそれが来た。
元々、魔法陣の水路によって、耐久性は落ちていた。そこに神殿だけでなく城をも揺らす、巨躯の振動。
遂に城がケンタウロスの超重量を支えきれなくなった。
ケンタウロスの足元から床が崩れ、ケンタウロスが沈んでいく。剥がれた石のブロックが暴風によって飛ばされ、凶器となって周囲に飛び散っていく。
「(なんじゃあああ!?)」
ゲーベルはケンタウロスに握られたまま、掻き消される絶叫と共に落ちていった。
床が崩れ、壁が傾く。荒れ狂う風がバランスを崩した端から神殿の原型を破壊し、撒き散らす。
この崩壊に、当然隆也も巻き込まれた。
遠ざかる優里菜が歯がゆいが、それよりも大樹を救助する必要があった。気絶している大樹がこの崩壊に巻き込まれれば、落下した先に叩きつけられて、死んでしまう。せめて意識だけでも取り戻してくれれば話は変わるのだが、そううまくは行かない。大樹は隆也が運んだ場所でまだ気を失っていた。
ケンタウロスとゲーベルが落ちていくのを尻目に大樹の元へ向かう。隆也が大樹に辿り着く方が早いか、床がなくなるのが早いか。追ってくる崩壊に焦燥に駆られる。自分一人なら落下も、風もどうにかなった。ここに広輝が来てくれればと脳裏に過ぎったが、すぐに希望は捨て去る。今、自分がどうにかしなければならないと。
後、もう二、三歩のところだった。隆也が着地しようとした床が崩れ落ちた。隆也はとっさに自身に反重力をかける。これで落下速度は落ちたが、上方からの横薙ぎの風とその風に乗って叩きつけられそうになる石塊。それらの対策を講じている間に大樹のいる場所も崩壊し、落下し始めてしまった。
隆也は自分の防御に回していたリソースを大樹に使う。まずは右手で、大樹を包み込むように反重力の結界で大樹の落下速度を落とす。次に左手で飛散している石塊から守る為に大樹から外側に向かって働く斥力を反重力の結界よりも外側で発動させた。
隆也の術が上手くいったことを証明するように、暴風に乗る石塊が斥力に弾かれて進路を変える。大樹の体も隆也と同じ速度で順調に下りていった。
後は隆也本人だけだったが、これ以上、術を並列展開する余裕がなかった。天力量ではなく、並列展開する処理能力の方が。一つ間違えば、今発動している術が一旦消えてしまう。そうなった時、再び天術を行使する間に大樹が一直線に落ちていってしまう。
その思考はわずか数秒だったが、人ひとり分ほどの大きさの石塊が隆也の頭を掠めた。
「――っ」
死ぬかも知れないと思った一瞬に隆也の肝が冷え、腹が据わった。
隆也は自分の周りに結界を作るのではなく、引力によって大樹を引き寄せ、また自分自身を大樹に近づけた。ほぼ無重力空間にいるような状況の中、隆也は大樹を引き寄せることに成功した。左腕を大樹の腰に回すと、飛び回る石塊に注意しながら、ゆっくりと降りていった。
途中、見上げた先の優里菜は碧の球体と一緒で、降りてくる様子はなかった。
瓦礫が積み重なった城の一階部分。碧の結界の直下だけれども、それなりに離れている為か、風の影響は少なかった。
隆也は瓦礫のないところに目標を定めて、着地する。魔法陣を構成していた大量の水が落ちてきたせいか、瓦礫よりも先に物が押し流された跡が見え、後から落ちてきた物以外、どこもかしこも濡れていた。
碧の球体による危険がなくなったとは言え、悠長にしていられなかった。
ここには先に落ちたケンタウロスが壊れることなく聳立している。ゲーベルはケンタウロスから降り、ケンタウロスを屋根代わりにして何かを考え込んでいた。腕を組み、顎に右手を当てながら地面を睨みつけている。
神殿では執拗に踏み潰そうとしてきたのに、ゲーベルは隆也たちを気にも止めていないようだった。
隆也はこの機に大樹を文字通り叩き起こす。耳に声を叩きつけ、首が捻挫しそうなくらいに身体を揺らし、頬を往復ビンタ。ここで起きてもらわないと、ケンタウロスをどうにかするにしても優里菜を救い出すにしても立ち行かない。
炎の天子である大樹が右手に火傷を負っている。相応の無茶をしたのは想像できた。それでも無理を押してでもここは起きてもらわなければならない。
「大樹! 起きろ! 大樹!!」
「…………――?」
何度目かの乱暴な呼びかけに、奈落から大樹が帰ってきた。
「隆也さん? …………っ」
起きかけのおぼろげな意識を、右手の痛みが全てを思い出させる。
「優里菜さんは!?」
右手の痛みに耐えつつ、隆也の腕から飛び起き、隆也が物言わずに指差したはるか上空を見上げる。
怒りに飲まれ、ゲーベルを焼き尽くすことしかなかった頭の中にも微かに残っている青の景色。それに類似する碧の光と小さな人影。その人影が優里菜だと一瞬でわかった。
「すぐに助けないと」
大樹は右手に天力を回し、治癒を図る。そして前のめりに救出の意志を示した。
「それはそうなんだがな……」
隆也は大樹に賛同しつつも少し難色を示す。すぐに助けに行けない理由があった。物理的な距離もそうだが、何より優里菜を助ける前にどうにかして置かなければ、殺される脅威が直ぐ側にある。
二振りの剣を背負うケンタウロス型の騎士人形。
ゲーベルが思考の沼に嵌っている今が奇襲のチャンス。力任せの速攻でゲーベルを倒せれば一番楽なのだが、ケンタウロスがそれを許してくれるか、隆也には疑問だった。
「なんですか、あれ」
巨躯のケンタウロスだからすぐにでも目に入りそうなものだが、ようやく大樹の目にも写ったらしい。
「燃やしましょう」
右手を握りしめて大樹が即断する。隆也が見たことないほどに大樹の表情が自信と確信に満ちていた。
怒りの中にいても、生きていた中で一番の火力を出せた感触が大樹には残っていた。あの火力ならばきっと、ケンタウロスの鎧も撃ち焼けると。
隆也は天力を収束させ始めた大樹を制止した。即断速攻も効くかも知れないが、拙攻ではケンタウロスの反撃で終わる。ゲーベルだけを倒す手立てが必要だった。
「待て待て、今作戦、を……?」
隆也がゲーベルに向かって一歩踏み出した大樹を手で遮った時、視界に変化が起きた。
その変化に大樹も上を見上げ、ゲーベルもケンタウロスの下から出て同じように見上げた。
暴風が止んでいた。碧の光が弱まっていり、結界も小さくなっていくように見える。
「何が起こっておる? 時間切れか?」
儀式の時刻は決めていた。新月の夜、完全に月影がなくなる闇夜。月光という守護がなくなり、外界が現界を侵しやすい時間帯。逆に言えば、現界から外界への接触が一番難しくない時間帯。だから今日だった。しかし、真の闇夜が過ぎてしまえば再び月明かりが世界を守り始める。その守護は一度接続した道をも途切れさせてしまうのか。
碧の球体が最初の青色に戻り、小さくなっていった。
(これで終わってしまうのか?)
長年の研究。儀式によって何かは起こった。しかし、それが精霊界との接続だったのか、別の何かが起こったのか。それが証明できずに終わってしまう。もしも碧の球体に触れられていたら、手がかりを掴めたかも知れないのに。
「…………」
この城には、優里菜を奪還しようと鳴上の天子が侵入している。月永と陽本に目をつけられてしまった今、ここを逃れても、この国において天子協会の目を掻い潜って活動することも、この国を出ることも難しい。少なくともどこかの組織の庇護下に入る必要があった。しかし、元ソリアス強硬派にして強行派のゲーベルを受け入れる組織など皆無に等しい。
どうにもならないことを悟った時、邪魔をした存在を思い出す。
碧の球体に最も近づいた時に邪魔をした男の存在を。
「ケンタウロス!! 叩き潰せ!!」
ゲーベルの怒りが爆発し、ケンタウロスに剣を抜かせた。
視界の端に居た隆也に向かって、オリバーの大剣とは比較にならない巨大な剣を振り下した。




