第一話 着任
四月初旬 。
澄み渡るように青い空、柔らかな日差し。 山肌は白い雪を残すところもあるが、緑の息吹が 芽生え始めていた。山から降りてくる少し冷たい風が、他の木々よりも早く芽吹いた梅や桜をそっと揺らす。そうして命に触れた風が、この地域の中心の湖に流れていく。
その湖の北側に、京都の名所、二条城に匹敵するほどの大きな日本屋敷が建立されていた。二条城とは違い寝殿造りのような屋敷は、中央の寝殿を境にして東と西で区分けされている。元は綺麗な寝殿造だったようだが、居住区を増やすなどの増築を重ねたため、上空から見たときの美しさはもうない。けれど、それを補うかのように美しい庭園が残っていた。
その西側の一室で一人の少年が 着任の挨拶を行っていた。
春の匂いと畳の匂いが混じり合った十畳ほどの部屋。床の間の前、上座に荘厳な男が一人と下座にまだ幼さを残す少年が一人。少年は礼儀正しく手を膝の前において、深々と頭を下げた。
「天位・蒼、久下広輝。本日付けで鳴上支部に着任いたします。郷に入れば郷に従えと言います。勝手の違いからご迷惑をおかけすることがあるかもしれませんが、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます」
この四月から高校生になる少年とは思えぬほどの広輝の落ち着きぶり。その評判通りの落ち着きように男は感心する。
「陽本代表、陽本勝弘だ。お前の転属を嬉しく思う。そして、月永ではなく陽本への加入、歓迎する」
勝弘は「楽にするといい」と平伏したままの広輝に頭を上げるよう促し、広輝も「ありがとうございます」と答え、改めて勝弘と対峙する。
すらりとしているようで決して細くない体格が少し着崩した黒のスーツの上からでも窺えた。男の渋さを醸し出しつつどこか若々しい風貌と鋭い眼光。男でも惚れてしまいそうな男だ。
広輝は気圧されそうになりながらも勝弘の品定めの視線を受け止め、陽本の傘下に加わった理由を言う。
「月永は血統主義の潔癖症と聞いたので、冷遇されるのは目に見えました。その点、こちらならば陽本という核はあれど、力があれば他は問わない実力主義。僕の性に合っていると思いました」
「ふ、力の他を問わないわけではないが、概ねその通りだ。噂の堕天子の実力、期待している」
物怖じせずに意見を言い、対立勢力に対して言葉を選ばない広輝に勝弘は好感を持った。
「――その名の通りにはいけないと思いますが、天位・蒼に恥じぬよう努めて参ります」
事務的にかつ丁寧に答える広輝の表情が一瞬陰った。
([堕天子]は不本意の称号か……まあ、今は問うまい)
「その言葉を信じて、という事ではないが、早速お前に頼みたいことがある」
「なんなりと」
悪霊の浄化か、妖魔の討滅か、もしくはそれらの可能性を踏まえた調査からか。
天位。天子協会における実力に応じたランクであり、上から黒、紫、朱、蒼、翠、黄、白と七つが並ぶ。十代では、白・黄が多く、翠ならば精鋭候補として期待が寄せられるところを広輝は異例の蒼。天子協会の中で最も人数が多く、天子協会の中核を担う天位に十五歳にして到達していた。ある意味、蒼は一人前の証でもあった。天子協会において天位はその実力を試験で示すだけではなく、任務を遂行した実績が必要とされる。これをクリアしている異常。その若さと才能は、過去の出来事によって人々の賞賛を通り越して異材として認識され、堕天子と呼ばれるようになっていた。
そういう認識をされていると勝弘も広輝も理解している。広輝の若さが周囲との摩擦を生むだろうが、一人前の人材を放っておくほど天子協会も暇ではない。
それなりの仕事を任されることは覚悟の上だ。
「知っての通り、この鳴上は陽本派と月永派で二分されている」
「はい」
「この地域にしても、この天宿の中央を境にして西が陽本、東が月永の管轄となっている。どこにも明文化されていないが暗黙の了解となっている」
天宿。略してテンと呼ばれることが多い。天子協会の支部や事務所のことを指す。
「はい」
「主義主張もお前も言った通り、陽本の実力主義と月永の血統主義で噛み合わない」
「……はい」
依頼内容ではなく天宿の状況を説明し始めたので、広輝は嫌な予感がした。
単に強い妖魔相手ならこんな改まった説明はいらないはず。だとすれば、管轄の狭間の任務か、もしくは月永派との共同戦線か。
「昔はこの対立が良くも悪くもライバル関係としてお互いを高め合うことができていたが、今は足の引っ張り合いになってその結果、五大支部の中でも評価は最低だ」
「……」
「これをどうにかしたいというのが、私と天守との共通認識だ」
天守とは天宿のトップのこと。鳴上の天守は月永の当主が務めていた。
広輝は自分の予感が的中しそうで、内心テンションが下がっていた。
陽本と月永のクッション役など期待されても困る。経験上[堕天子]の異名は普通の天子でさえ摩擦を生む。
「転属したての僕に何かできると思えませんが……」
「転属したてだからこそ、月永に対して嫌悪感はないだろう?」
「――はい。月永に対しては。血統の必要性は理解してますが、岳隠傘下だったこともあって、そこにこだわるのはどうかなと思っていますが……」
広輝はまだこの天宿の天守、月永の当主に挨拶はしていなかった。そのため、血統主義がどこまで行き過ぎているのか、まだ知らない。
礼儀上、先にこの支部のトップである月永の当主に挨拶するべきだが、この支部は陽本と月永が激しく対立している。今後、陽本の傘下に入るならば月永に対しての礼儀よりも陽本への印象を優先していた。
「だから実験として、当面の間、月永の者とペアを組んで、今後の任務に当たってもらいたい」
「――……」
冷静を装っていた広輝もさすがに表情を崩した。
天子の仕事は原則二人一組で行う。そのため、ペアを組む相手は必然的に命を預けることになる。つまり、人間的に相性が悪いと命の危険が増すことになる。仕事と割り切って連携を取ってくれる者なら良いが、果たして主義主張で対立している相手にどこまで割り切って仕事ができるか。
「向こうも陽本に偏見が小さい者を選別している。そこを心配する必要はない」
「心の準備をしたいので、どんな人か教えて頂いても良いですか?」
「天守の孫娘だ」
「――は? あ、いえ、すみません」
予想外の人物に今まで丁寧だった言葉が乱れた。
天守の孫娘ということは月永当主の孫娘。つまり血統主義の最右翼。選ばれた血統として他を見下している姿が広輝の脳裏に浮かび上がった。
「気持ちはわかる。外から見れば直系こそが血統主義の最たる存在だと思うだろう」
「違うのですか?」
「違う」
勝弘は言い切る。
「こじらせているのは分家の連中だ。直系は血こそ残さなければと思っているようだが、相手の家系が短ろうと源子だろうとさして差別意識はない」
天子が身に宿す天力は血が濃いほど多量の天力を持つ傾向がある。そのため、名のある家系ほど嫁・婿にこだわる。
また、源子とは両親が天子ではないのにもかかわらず、天力を生まれ持った者のことを言い、両親が、家系が天子ではないので、源子が持つ天力量は少ないことが多い。
血を貴ぶ血統主義者からすれば、天子として家系が短い者や源子は嘲笑う対象だった。
「――だが、月永が直系を出してきたということは分家、櫻守通して陽本と仕事をしてもいいという者がいなかったという事だ。それは陽本にも言えるが、そんな折にお前の転属の話があった」
広輝は貧乏くじを引かされたと思うべきか。もしくは、白羽の矢が立ったというべきか。
「……その孫娘さんの勝弘さんの印象は……」
「学生として優秀、市民感覚の女子。天子としては箱入り。天位は白だが、今年中には黄に昇格するだろう」
箱入り娘。広輝は分家に比べて差別意識が小さいだけの可能性を捨てきれない。
「今月から高校生の同い年だ。馬が合わずとも、容姿は整っているから視界に入れても不快ではないだろう」
「人格によります。嫌なやつはどんな見た目でも不快です」
広輝は実際そう思っているし、今までそうだった。
そんな広輝のセリフに、勝弘は一瞬の沈黙の後、同意するところはありつつ、広輝の青さに「若いな」と心の中で嘲笑する。
「――そうだな」
「相手が白または黄色ということは、翠や蒼案件は僕には回ってこないということでしょうか」
任務はその難易度によって区分けされていて、基本的に自分より上のランクの任務を受けることも指示することもできない。広輝の天位は蒼だが、ペアの相手が白または黄ならば、白・黄相当の任務しか遂行できないということになるがーー
「いや、そういう案件は陽本から人を出して個々にペアを組んでもらう。もしくは三人一組として案件を遂行してもらう」
一人前の天子を、天宿も放っておくはずもなく、勝弘の言うとおりになるのが定石。
「陽本の仕事は俺から、月永の仕事は天守から直接の命になる」
「了解しました。差し当たり、僕への任務はありますか?」
「ある。がしかし、先に天守に挨拶しに行け。陽本を優先しているという姿勢はこちらには良いが、体裁というものがある。今言った話を踏まえると特にな」
「問題ありませんよ」
勝弘の心配を広輝は払拭する。
「予定よりも早く到着したので、準備が整っている方を先にお目通りをお願いしただけです」
広輝は勝弘に「失礼します」と一礼し、天守との面会へ向かった。
広輝が退出した後、勝弘は広輝が自分の空き時間を面会の時間とは別に確認していたことを思い出し、「………面白いやつだ」と小さくつぶやいた。
***
広輝は侍女に案内されるままに鶯張りの廊下を淡々と歩き、天宿を西から東へ渡り、天守のいる部屋を目指す。
この鳴上の天守を務めるのは月永家当主。[月永]は天子協会の五大支部の中でも随一の名家である。それは、およそ四百年前、普通の人間たちに溶け込んでひっそりと暮らしていた天子たちに、各地域ごとのコミュニティを形成させ、それを日本全土で連携させる今の組織と仕組みを作り上げた祖先たちがいた。その中でも、特に貢献した三家を[創まりの御三家]と言い、月永はその一つなのである。
その随一の一家であるはずの月永は、鳴上支部の評価に引き摺られるように評価が失墜し、[堕ちた月]などと揶揄されている。そんな評価の中でも最低限の面目は保ち続けて、その権威を辛うじて残していた。
陽本と月永の関係を改善させることで、鳴上の評価を上げる。そうすると自然に月永の評価も上がる。
広輝も言っていることは分かるし、やりたいこともわかる。だが、そのカンフル剤の役目を任されたことは広輝にはいまいち納得できなかった。
天守の待つ部屋に到着し、使用人が広輝を案内してきたことを告げると「通せ」と襖の向こうから声がした。
使用人が丁寧に襖を開け、広輝が敷居を跨ぐ。
先程の部屋より少し広い部屋に、深い藍色の着物を羽織った初老の白髪の男が待っていた。勝弘とは違い、大きな樹木のようにどっしりとした印象を受ける。きれいに整えた白髭が似合っていた。
広輝は勝弘にしたように膝をつき、頭を下げて、挨拶を済ませる。
「天位・蒼、久下広輝。本日付けで鳴上支部に着任いたします。ご迷惑をおかけ致しますが、何卒よろしくお願い申し上げます」
「うむ。鳴上支部、天守・月永大悟だ。お主を待っていたぞ」
大悟の言葉を聞き、広輝は自然と体を起こしていた。
大悟の声色に棘を感じない。この天守からは広輝を見定めるような視線を感じなかった。それどころか子や孫を見守るような温かみさえ感じた。
しかし、その優しい表情がもの哀しげに曇った。
「最初に言っておくと、お主のことは泰平から大方聞いておる」
「…………そう、ですか」
何を、と聞かずともわかった。一つしか無いからだ。
星永泰平は広輝が先月まで所属していた支部の天守であり、事件後、広輝のことを気にかけてくれていた一人だった。
「だが、そのことに関して、是も非も儂は言うつもりはない」
大悟は天守でありながら、過去は関係ない。そう言ってくれていた。
「ここでの絆は一から築いてくれ」
「――努力します」
一瞬、喉の奥が詰まった。自分の行いは、否定されるものだと思っているから。天守のその優しさ、もしくはある種の厳しさに対して、広輝は過去への後悔と後ろめたさから、素直に感謝を返すことができなかった。
広輝は後ろめたさを振り払うように、確認を含めて話題を変えた。
「……ところで、僕のパートナーが天守のお孫さんとお聞きしたのですが、本当でしょうか」
実のところ、『正気ですか』と聞きたかったが、流石に失礼だと思い、聞き方を変えた。
「本当だ」
大悟は哀しげな表情を引っ込め、仕事の顔で即答。
「聞いているとは思うが、月永と陽本は絶賛冷戦状態だ。これは天宿として非常に良くない。これを解消して、天宿としてちゃんと機能させたい」
大悟は本気で言っている。勝弘の言葉は嘘ではなかったようだ。広輝への接し方も優しい。血統主義者の態度でもない。天守はその主張が強くないのも確かなようだ。
「それならば何故、僕を認めたのですか」
「泰平から聞いていると言っただろう。それに信用し合う為だからこそ認めたのだ」
大悟の語気が強い。大悟は簡単に判断したのではないことを感じさせた。
「その選択、努々後悔なさらなぬよう――」
「せん。後悔はせん」
広輝の目をしっかりと見て、広輝の言葉を遮るように強く否定した。
そして一言付け加えた。
「優里菜をよろしく頼む」
「……失礼します」
大悟の覚悟は聞けた。それで今は十分。今後のためにも天守とは一定の距離があった方がいい。
そういう自分勝手な建前を作り、広輝は天守の部屋を後にする。
このまま居たら、優里菜との関係を良好に保って行くよう言われかねない。その後に待っているのは、二派のつなぎ役。[堕天子]の名を負っている広輝にとって、そんな面倒なことは御免だった。




