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いつか、君の隣へ  作者: U
第一章 再会、開かれた扉

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第十五話 紅級

 優里菜がゲーベルが作った石路の魔法陣に水を貯め始めた翌日。

 外は雨は止んだが分厚い雲は晴れることなく、どんよりした曇り空のままだ。

 そしてまた、ゲーベルとオリバーの顔も曇っている。

「お主、本当に月永なのかえ?」

 想像以上の進捗の遅さにゲーベルの口調も狂う。

 ゲーベルは名門の天子ならば簡単に石路を満たしてくれると思っていた。確かに深く作りすぎたと思うことも無いことはなかったが、少なくとも半日で終わると思っていたのだ。

 オリバーもこの程度片手間で終わらせられると思っていた。隆平の破壊力と玲菜の技量を身を持って体験している。娘の優里菜に隆平の一端が見られないかと期待していたのだ。

 それなのにまだ終わらない。天力が尽きないのはさすがだが、優里菜の出力が絶望的すぎた。

「…………」

 優里菜は何も言い返せないので、ただ淡々と言われたことを続ける。終わるかわからないが。

 価値があるから拉致されたのに、想定未満の力だと落胆される。敵の思惑通りにいかないことは喜ばしいが、その落胆は屈辱以外の何者でもなかった。

「詠唱してでも、別に魔法陣を描いても良い。強力な天術は無いのかえ?」

 優里菜は水を止めて振り返る。二人の曇り顔に目をそらしつつ「ありますけど……」と視線をそのまま天井に。

「多分、壊れちゃいますよ」

 ゲーベルは何が壊れるのかと優里菜と同じように天井を見上げる。しばらくの沈黙の後、何が壊れるのかを察した。

「…………下手か!!」

 ゲーベルの叫びは、オリバーも聞いたことの無い声量だった。

「何でそのちょろちょろ放水の次がこの神殿を破壊する術なんじゃ! その間は!? 中間の術はどうした!? 丁度良い天術をどこに落としてきおった!!」

 ゲーベルが全身を使って突っ込んでいる。細身の老体がポッキリ逝ってしまわないか不安になるほどに。

 オリバーも思わず苦笑い。優里菜の言葉を信じるなら、相当な術のはずだ。この強固に作られた石造りの神殿を破壊するほどの威力。隆平の馬鹿力は曲がりなりにも受け継がれているらしい。尤も名門の血族ならばゲーベルが求める水準は誰でも持っているはずなのだが。

 ひとしきり突っ込み終えたゲーベルが肩で息をしている。優里菜は意図せず、この老人魔術師の体力を削ったようだ。

「よし、オリバー」

「何だ?」

 ゲーベルが息を整えながら優里菜ではなくゲーベルに命令する。

「こやつの最大天術を受けろ」

「……は?」

「お主が受けて、術から解放された水で魔法陣を満たす」

 優里菜は自身の最大天術ならば、この魔法陣を満たす量の水を出すことができる。ただ、そのままだと神殿を破壊するので、オリバーに「緩衝材(クッション)となって術の威力を()なせ」とゲーベルは言っていた。

「待て待て。俺は雷だぞ。蒸発するぞ」

「雷を纏わなければよいじゃろ」

「天力を纏っただけで受けろと? 殺す気か!」

 天力をそのまま纏うのと、[迅雷]や[雷霆]のような攻防一体の天術では攻撃力はもちろん防御力にも明確な差がある。そもそもが天力纏う技術を発展させた術が[迅雷]や[雷霆]だ。それなのにゲーベルはこの神殿を破壊しかねない威力の天術を纏うだけで受けろという。半分「死ね」と言われているように聞こえた。

「お主なら平気じゃろうて。契約金も全額ほしいじゃろ?」

 ゲーベルは至って平然と言ってのける。お前ならできるだろ、と。

 ゲーベルとしてはオリバーの戦闘力を買っての提案だったらしい。さらにお金を盾にオリバーに了解を迫る。

「……卑怯な」

 オリバーとて先立つ物が必要だ。いくら戦場を渡り歩き、戦いを追い求める戦闘狂だろうと、金がなければ飢え死にしてしまう。日陰者には余計に金が必要だった。

 オリバーが断らないとわかると、ゲーベルは楽しそうに笑う。魔法陣が完成しないという不安を払拭できそうな安堵もありそうだ。

「かっかっか。強行派は何でもするからの」

 ゲーベルが神殿を後にする。「できたら呼べ」。神殿を出ていく魔術師ながら研究者の背中がそう言っていた。

「…………」

「…………」

 ゲーベルが去ると神殿の中がしんと静まる。優里菜は物言えない表情でその場で待機。オリバーは眉間を指で掴んで一人苦悶していた。

 どうにかして魔法陣を完成させなければゲーベルの研究は成就せず、金が貰えない。かと言ってゲーベルの言う通りにすれば、オリバーの身が危ない。ゲーベルの言うことを聞かずに優里菜に術だけ行使させれば神殿が崩れかねない。

 オリバーは思い悩んだ挙げ句、腹を括った。

「ーーウンディーネ」

「はい」

 殺気はないが、意を決した声色からオリバーが受ける気だとわかった。

「まずはその術の威力を確認する。外に出ろ」

「ーーはい」




 オリバーと優里菜は神殿前の広場に出る。

 オリバーは広場の端に立って両手を広げ、優里菜に合図を送った。「さあ、撃て」と。優里菜に適当な場所に向かって、一発撃たせるのではなく、一発目から受ける気のようだ。どんな天術だろうと、月永の相乗天術を防いだ[雷霆]ならば、一人の天子が行使する程度の術は防げる目算だ。

 優里菜はオリバーから一歩二歩と距離を取る。その天術が一番効果を発揮する位置まで。

 雨が止んだ曇り空の今は湿気も多い。水を集めやすい。

 胸元に手を置いて、ゆっくりと丁寧な深呼吸を一回。服の下には、ゲーベルに協力する代わりに返してもらった[杯]があった。指輪にチェーンを通して、再び首に下げている。

 優里菜は[杯]から手を離して、両手を前にかざず。

 そして、優里菜が持つ最大天術の詠唱を開始した。


「大いなる水流をここに」


 かざした手の中に小さな水の玉が出現する。その水玉に向かって周囲の水分が水滴となって集まっていく。水玉に集まる水が渦潮の如き水流を形成し、またたく間に水玉が大きくなった。直径一メートルほどの大きさになると、水玉はそれ以上大きくならない。しかし、渦潮は消えることなく、周囲の水が水玉に向かっていく。大量の水を吸収していた。

 離れた場所にいるはずのオリバーが水気を感じなくなっていく。春の曇天だというのに冬空のように肌が乾燥した。オリバーの感覚が危険だと訴える。


「汝、我が命に従いて、大いなる神獣へと昇華する」


 水玉から水が勢いよく噴出した。水を吸収し続ける水玉を根本に、螺旋を纏い天を衝く水の柱となった。

 優里菜は右手を水柱を辿るように水玉から空へ。


「汝は天を翔け、水を支配し、神々たる身体を与えられた神獣なり」


 渦潮が消えた。水の螺旋を纏う水流に鱗が見える。見上げれば遥か上に小さな手が見える。人の手ではない、龍の手、龍の爪だ。

 オリバーは剣を抜く。

(冗談ではない。こんな(もの)を術なしで受けろと言ったのか)

 ゲーベルへの文句とは裏腹に笑みが溢れた。逃げろと全身が言っている。震えそうな腕や、背中と頬を伝う汗がその証拠。この感覚「素晴らしき(かな)」。


「鋭く閃くその牙を持って、我を仇なすものを喰らえ」


 優里菜が水龍の元たる水玉から左手を離すと、水龍の尾が勢いよく空に打ち上がった。天を仰いでいた水柱が姿を変え、姿勢を変え、曇天の空におとぎ話の龍が成る。空を泳ぐ水龍がオリバーを睨み付ける。

 生命なき、術による龍。しかしながら、本物に対峙しているような威圧感はどうしたことか。

 オリバーは全身に天力を巡らせ始めた。この水龍は全力で立ち向かうに値する。

 優里菜は天に掲げた右手をオリバーに向かって振り下ろす。

 その天術の名と共に。


水龍の牙(アクア・アグナ)


 巨大な水龍がオリバーに向かって飛来してくる。術に殺気はない。優里菜がオリバーを倒そうとしていない証拠。つまりこれが標準。警鐘を鳴らす体とは反対に心は浮き立つ。


「ーー強靭、故に雷霆ーー」


 オリバーの全身に雷が(ほとばし)る。

 雷光が迸るその身体が並々ならぬ術だと優里菜も悟った。優里菜は今回の術でオリバーを倒してしまおうとは思っていなかった。オリバーはそれをも上回ると思っていた。自分の術が[雷鬼]と恐れられる傭兵に適うはずないと思っていたから。万が一の棚からぼた餅はほんの少し期待していたが。ただ、倒そうとは思っていなかったが、全力で撃った。「受ける」ということは確実に当たるということ。だから自分の術がどれほどオリバー・エクスポートに通用するのか試してみたかった。

 優里菜の全力がオリバーに迫る。

 オリバーは全力を用意する。天力を収束させる時間が短い為、最大の威力にはならないが、最強の天術を斬り放つ。


「いくぞ! 水竜(ウォータードラゴン)!」


 神なる姿に変身した水龍に、雷霆纏う身体で神たる怒りを体現する。


 ーー絶技・天を斬り裂く雷刃(ラグナロク)ーー


 天から撃たれた龍を地で待ち受けた鬼が斬りかかる。

 その衝突は凄まじく、衝撃が城を揺らし、突風が森を騒ぎ立てる。


「うおおおおおおおおお!!」


 優里菜が生み出した龍は、あくまで膨大な水の擬態。オリバーが龍の顔を斬ろうとすると体となっていた水がオリバーに圧し掛かる。優里菜が生み出した水、優里菜が周囲から集めた水、その全てがオリバーに。

 衝突した龍の水の一部が蒸発し、一瞬で辺りを白い世界へ変える。ホワイトアウトさらながらの視界の中でもオリバーの雷が鮮烈に稲光る。

 天を斬り裂く雷刃(ラグナロク)水龍の牙(アクア・ラグナ)と違って、効果が短い一撃の技。衝突した最大の威力の時に水龍を斬り殺せなかったオリバーの分は悪い。

 しかしーー


「おお、おおおおあああああああああ!!!!!!」


 全ての天力を絞り出し、腕に、脚に、剣に天力を注ぎ込む。いつ終わるかもわからない大量かつ高圧の水に耐え続けた。この終わらぬ天術は相乗天術三つよりも質が悪い。

 そして、水龍の牙(アクア・アグナ)の水圧に耐えるだけの天力を供給し続けられなくなる直前、オリバーは龍の尾を斬りきった。

 天から降りてきた水龍が雷鬼をその腹に収めることはなかった。それどころか真っ二つに両断された。

 白い世界から雷光が消える。

 オリバーは大剣の重さから逃れるために剣先を石畳に落とした。あのオリバー・エクスフォードが肩で息をしている。ここまで力を解放しきったのは久方ぶりだった。傭兵として、力・速さ・戦術といった総合的な戦いを愉しんできた。だから、今のような単純な力のぶつかり合いは少なかったのだ。

 廃工場で出会い、ただの威圧で震え上がっていた優里菜には期待していなかった。戦闘で何の脅威でもなかった優里菜を侮っていた。神殿を壊すかもしれないと自称していたが、信じきれていなかった。これほどの術を一人で行使するとは想定外にも程がある。

 オリバーは水龍に飲み込まれずに安堵もしていたが、それ以上に嬉しさがこみ上げていた。

 水蒸気が徐々に晴れ、視界も明けていく。

 相乗天術に匹敵、いやそれ以上の術を行使した優里菜だ。今頃地べたに倒れているだろうとオリバーは思っていた。

「…………」

 しかし、オリバーが見たのは何事もなかったように真顔で霧が晴れるのを待っている優里菜だった。

 優里菜に弱い姿を見せるわけにはいかない。オリバーは大剣を肩に担いで、優里菜に近づいていった。オリバーを追い詰めたことに何の感慨もないのか、どこか不機嫌そうにも見える。

「大した術だ」

「ありがとうございます」

 オリバーは優里菜を称賛したが、優里菜は感情なく言葉だけの礼を述べる。

「どうした、疲れたか」

「いえ、あと数発撃てますけど、やっぱりあなたには通用しないんだな、と」

 優里菜から見たオリバーはまだまだ元気に見えた。ケロリとしているように見えた。オリバーが剣先を地面につけ、肩で息をしていたところを見ていなかったから。不機嫌そうに見えたのは、やっぱり通用しなかったのかと、見当違いに肩を落としていたのだ。

(こいつ……)

 オリバーは現時点での優里菜の強さを理解した。こと戦闘においては取るに足らない存在だ。白兵戦など以ての外。けれど、優里菜は自分と同じ膨大な天力量を保有し、鍛えれば敵部隊や敵軍に、強力な一撃を叩き込む戦略・戦術の一翼を一人で担える逸材だと。また、瞬間的に多量の天力を使用すると使用者に反動が返ってくるものだが、優里菜にはそれが見られない。一時的に天力を使えなくなったり、動けなくなったり、悪ければ気絶するところだ。天宿の戦闘において、相乗天術で倒れた天子が正にそれだ。

 オリバーは優里菜の末恐ろしさに期待しながらも、ゲーベルのオーダーに応えるため優里菜を少し指導することにした。幸い先の天術はオリバーの天術のように術名の詠唱のみではなく、ちゃんと段階がある詠唱だったので、途中までを行えば事足りる。

 戦術級の術を数発も受けては、さすがのオリバーも身が持ちそうになかった。



  ***



 鳴上市街にあるホテルの会議室。

 ここで優里菜奪還の会議が行われていた。

 集められた人員は、櫻守一樹を筆頭に二十人。月永と陽本の割合は六対四。この中には広輝と隆也、記念館に現れた白狼を広輝と一緒に討伐した紫鶴も選ばれていた。

 今は、広輝がオリバーから伝えられた深間と黒根の山間を調べた調査隊からの詳細な報告を聞いていた。簡単な報告書と大きなホワイトボードに周辺の地図を元に、できる女性がテキパキと。

「巧妙に隠されていましたが、この山間に西洋風の城があるのは間違いありません」

 そう報告するのは岳隠に所属していた特別任務執行部隊、通称[紅]の副長を務める武蔵野麻美子だった。

 強い女性とは、この女性のような人のことを言うのだろう。決して男勝りではないが、その姿、その立ち振る舞いから芯の通った人物であることが伺えた。アラフォーを迎え、雰囲気を軽くしようと染めた短い茶色の髪。ちゃんといくらかは彼女の雰囲気は軽くしていたが、厳しそうな印象は変わらなかった。実際、仕事には厳しく、気に食わない命令だろうと麻美子に逆らってでも命令を変えようとする者は[紅]にもいなかった。[紅]を束ねる[おかん]の呼び名は伊達ではない。

「その城の上空に碧い龍を見ました。これは本当に彼女の天術ですか」

 鳴上の天守・月永大悟が岳隠の天守・星永泰平と電話で世間話をした時に、ちょうど麻美子が帰ってきていた。そして次の任務に向かう前に、大悟と広輝のよしみということで調査を名乗り出たのだった。

「はい。優里菜の、妹の水龍の牙(アクア・アグナ)でしょう」

 遠くからでも空を泳ぐ様が確認できるほどの巨大な龍。優里菜が一番でかい・・・術として完成させたのは良いのだが、「詠唱が長く、その間の自衛の手段がない」「味方をも巻き込みかねない」として、半ばお蔵入りになっていた術だった。

 隆也が龍の正体が優里菜の天術だと言うと、会議室の入口近くの壁にもたれかかっていた一人の男が口を挟む。麻美子と一緒に来た二人の内の一人だ。

「ねえ、本当に詠唱だけでやってるの、あれ。信じられないんだけど」

 彼は永瀬(ながせ)蓮王(れお)。チャラチャラした雰囲気そのままに、目を離せばナンパして女性を侍らせる。そんな彼でも、月永に並ぶ名門[永瀬]家の嫡子で、麻美子と同じく[紅]の一員。麻美子と合流する為に、柄にもなく辺鄙な場所にある岳隠支部に顔を出したのが運の尽き。調査を手伝わされた。空港で合流すればよかったと落胆していた。

 反対に麻美子を待って岳隠支部の旅館で、温泉を満喫していたのが隣の女性。名を秋山(あきやま)(みどり)。雰囲気がザ・ヤンキー。髪を染めてるわけでも、タバコをやっているわけでも、バイク乗りとかそういう趣味を持っているわけでも、女子らしい飾り気もないのだが、何故か纏う空気はヤンキー。姉御と慕う舎弟がいるとかいないとか。

「蓮王はできないわけ?」

 翠は蓮王の戦闘スタイルを知っている為、蓮王にもできると思っていた。

「いや、翠も見たでしょ。遠目でもわかる巨大な龍。魔法陣使ってもできるかどうか。兄さん級の出力は要るかな」

「うへえ、そりゃ無理だ」

 蓮王の例えを聞いて、翠も呆れた。蓮王の兄は、一介の天子よりも遥かに多くの天力を持つ[紅]の中でも、随一の天力量と出力を誇る。優里菜は蓮王はその兄に並ぶと言わしめたのだ。

「蓮王、少し静かにしてくれる?」

「すみませーん」

 蓮王の質問についぞ誰も答えることなく、麻美子の一睨みで蓮王は退屈そうに口を閉じた。

「その龍は何者かの雷に衝突して消えました。この城への接近と潜入を試みましたが、魔導人形があちこちに放たれており、見つからないでの接近が困難で、時間も迫っていましたので断念しました」

「(潜入ってマジで?)」

 麻美子に咎められたばかりだったが、蓮王は聞いていなかった予定に思わず声が出る。

「(あたしたちで〆ちまった方が早かったかもだろ)」

「(魔術師様様だな。オリバー・エクスフォードなんてビッグネームと戦わなくてすんだ)」

 蓮王たちの声の大きさはこそこそ話のそれだったが、今話しているのは、報告している麻美子と質問に答える者だけ。どんな声だろうと雑音になった。麻美子から二回目の注意が入る。

「蓮ー王ー?」

「はーい、だんまりまーす」

「まったく」

 傍から見たその関係性は教師と生徒、もしくは母と子のようであった。[おかん]の名がしっくり来るほどに。

 その後も、麻美子は調査で分かったことを詳細に伝えていく。その様子を蓮王と翠が事有り気に見守った。その胸中を鳴上の天子に推し量ることが叶うことはなかった。

 そして可能な限りの全てを伝え終え、申し訳なさそうにこの後は協力できないことを謝罪する。

「時間があればあなた方に協力できたのですが」

「いいえ、調査にご協力頂いただけで感謝の念に堪えません」

 一樹が代表して感謝を伝える。月永側で動ける天子かつ月永の最大戦力が一樹だった。天位:紫であるその実力は鳴上支部において現役最高峰。もしも隆平と入れ替わりで廃工場に行っていなければ戦況は変わっていたかも知れない。

「そちらこそお気になさらず。あくまで|岳隠(古巣)のよしみです」

「ーー助かります。次は海外そとでしたか」

「はい。ロシア中部に現れた魔術師が東へ東へと移動しているようで。その魔術師の追跡に協力です」

 只の魔術師が犯罪を犯したところで極東から支援に行くはずもない。現地の魔術師や天子だけでは手に負えず、放っておいたらその魔術師がここまで来る可能性があるということ。しかもその魔術師は相当にやり手だと天子協会は判断しているようだ。[紅]を三人も派遣するのがその証左。

 麻美子が一樹に一礼すると、旧知に発破をかける。

「広輝、頑張りなさい」

「はい」

 短い激励。けれど、それで十分なほど麻美子の言葉には力があった。広輝もその力に応えるように力強く頷く。麻美子は微笑むと蓮王と翠が開けて待つ扉に向かう。

 広輝が麻美子の後ろ姿を見送っていると、扉の両脇に立つ[紅]の二人と目があった。

 広輝と目が合うや否や、翠は「じゃあな」と言っているように手を振り、蓮王は何故かウインクすると、麻美子に続いて会議室を出ていく。

 静かにしなければならない会議で、堰き止められていたストレスが雑談となって溢れ出した。

「あたし飛行機も外国も初めてなんだよな。チョー楽しみ」

「頼むから静かにしててくれよ」

「翠もあなたには言われたくないんじゃないかしら」

「ひどっ」

「蓮王は女が隣にいたらずっとナンパしてそうだもんな」

「安心なさい『少なくとも飛行機の座席は私たちが蓮王の周りを固めるようになってるから』

『信用なくない?』

『自分の行動を省みなさい』

『まーじかー』

 扉が閉まっても聞こえる、徐々に遠ざかる三人の声。エレベーターに乗ったのか、ようやく聞こえなくなると会議室の時は動き出し、紅を知らない者が一様に首を傾げる。『あれが紅?』と。

「広輝、あの二人とも知り合いなのか?」

 隆也は広輝に親しげに合図を送ってきたのを不思議に思った。[紅]は、実力はあるが一癖も二癖もある人材ばかりだと聞いていた。

「はい、副長ーーじゃなくて、麻美子さんが岳隠の旅館に人を連れてくることがあるんですが、その時に」

「そうか」

 隆也は癖があるのは広輝も一緒かと、類は友を呼ぶ理論で仲良くなってもおかしくないかと理解した。

「さて、仕切り直して詳細を詰めていくぞ」

 一樹の号令のもと、優里菜の救出部隊は再び机とホワイトボードに頭を集中させた。

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