第1話 かけられた相手に欲情する?
カイゼルの件から1週間が過ぎ、使用人たちも無事にこの屋敷への引っ越しを終えた。ロージーの母親は自分が迷惑をかけることを懸念していたが、精のつく料理を食べれば病気が治る可能性もある。そしてここでは元王城の総料理長が腕を振るっているのだ。食事のプロが監修とくれば、これほど心強いことはないだろう。
「ロージー、お母さんの具合はどうなの?」
「はい。お陰さまでここに来る前よりずっと顔色もよくなって、最近は気がつくと半身を起こして本を読んだりしているんです」
以前では考えられないことだそうだ。
「母は元気になったら雑用でも何でも、とにかくご恩に報いるために仕事をしたいと申しておりました」
「それだとギルドに登録してもらわないとね」
「登録はもちろん構わないのですが、給金はいらないそうなんです。それでも必要でしょうか」
「何を言ってるのよ。働いたら対価をもらうのは当然じゃない」
「ユリアの言う通りだ。うちの使用人になるなら給金は受け取ってもらう」
「でも、ここまでして頂いているのに……」
「ロージー、お母さんの食費は君の給金から引かれるのは知ってるよね?」
「はい、もちろん承知しております」
「部屋は君と一緒だし、風呂は温泉だからお母さんが増えても経費は変わらない。つまり何も気負う必要はないんだよ」
アントナの奥さんは元々王都のギルドに登録があり、ここでは厨房を手伝ってもらうことになった。そして彼女は主に朝食を担当してくれている。それに対して報酬が支払われるのだから、ロージーの母親がここで働くというなら、当然彼女にも報酬は支払われるべきだろう。
「お母さんがいれば、リュオも夜這い出来ないだろうし」
「はい?」
「ゆ、ユリア! 何てことを!」
「あの、よく聞こえなかったのですが」
「気にしなくていい。気にしなくていいから!」
この1週間、ユリアは毎晩俺の腕に巻きついて寝ていた。トイレに行く時だけは放してくれたが、回数が多いと怪しまれたこともある。仕方ないじゃないか。お前のせいで用足し以外にもトイレが必要なんだから。
ま、さすがに中身が20歳と言うくらいなので、彼女も薄々勘づいてはいるみたいなんだけどね。それを茶化そうとしないのはさすがだと思う。
「リュオが相手でも、最低限のマナーは守るつもりよ」
そんなことを言ってたからな。しかし逆に考えると、俺に対してのマナーは最低限しか守らないということか。まったく、この見た目幼女はどこまで本気なんだか。
「リュオナール様、ユリア様、そろそろお支度をなさいませんと」
「おっと、そうだった」
クラントンの言葉で思い出した。きょうはギルドからの依頼を受けて、鉄腕熊の討伐に向かうことになっていたのである。
鉄腕熊とはその名の通り、腕が鉄のように硬い皮膚で覆われている熊の魔物だ。剣で斬りつけてもほとんど無傷で、しかも力が強く動きも素早い。さらに魔法感知能力も優れていて、攻撃魔法はその悉くを躱されてしまうのだ。
当然本来なら俺1人では苦戦を強いられるどころか、生きて帰るのさえ難しい相手である。火噴き豚とは訳が違う。これが以前ギルマスが言った、依頼の難易度が上がるということだった。
だが、今の俺にはユリアがいる。それと、実は俺には鉄腕熊を倒す秘策があったのだ。
「何なの、その小さな瓶は?」
「鉄腕熊を倒すのに使う」
「毒か何か?」
「あはは。ヤツに毒を飲ませるより、俺の方が先に胃袋に収まってるだろうさ」
「へぇ……」
「おい、よせ、触るな!」
「な、何よ! ちょっとくらいいいじゃない」
「やめておけ。ソイツは人間にも効く。触れたら大変なことになるぞ」
そこでユリアがニヤリと不敵な笑みを浮かべた。このバカ幼女、考えてることが見え見えだ。
「大変なことって言うと、かけられた相手に欲情するとか?」
「アホか! 熊に欲情させてどうするってんだよ!」
媚薬じゃねえっての。
「確かに、それもそうね。なら何だって言うのよ?」
「いいから楽しみにしてろって」
小瓶に入っているのはイルーチと呼ばれる秘薬である。これは生き物相手なら基本的にどんな種族に対しても有効で、気が狂うほどの効果を発揮するのだ。その効果とは――
「ユリア、冗談でもやめておけ」
悪人面でユリアが俺にかけようとしている。教えないと本気でやりかねないので、仕方なくどんなことになるか教えてやった。
「そ、そうなの?」
「なんと!」
「それは嫌ですぅ」
効果を聞いたクラントンとロージーも驚いた表情を見せた。そりゃあね、誰だって嫌だろうさ。
「でも、そんなことでその熊さんを倒せるの?」
「熊さんって……まあ、見てろって。お前は万が一俺が怪我でもしたら治してくれ」
「分かったわ。任せておきなさい」
それから少しして俺とユリアは準備を整え、鉄腕熊の討伐に向かった。




