僕達は他人です
《人は、見た目が十割》
「あら、偶然じゃない」
僕は飲み物を買いこれから山の上の公園にでも行って寛ごうかと思っていた。そんな折に知り合いの雛色さんと出遭ってしまった。
不遇のような言い方をしてしまったけれど、彼女が嫌いではない。ただ、苦手なだけだ。肩と背中を露出させ、脚線美を露にした短パンにヒール姿。ワインレッドのセミロングにアクセサリィが首元や手元を飾っている衣類に気圧されない、鼻筋の通った顔立ちの女性。僕はそんな彼女にできれば遭いたくはなかった。遭うのはキャンパスだけで十分。僕は彼女の声を空耳と思ったかのように隣を素通りしようとした。
「無視すんな!」
シャツの裾を捉まれて気付かなかったフリが失敗してしまった僕は、何食わぬ顔で対応するしかない。作り慣れた笑顔を浮かべて声を出した。
「あっ、雛色さんじゃないですか。どうしてこんな何もない一般道を歩いているんです?」
僕が向き直って声を出したあたりで、彼女は裾を放してその手を腰に当てた。
「私だって一般道を歩くわよ。私が道を歩かないとでも思ってたわけ?」
「いいえ。赤いカーペットがひかれていないと歩けないかと思ってただけですよ」
「晒し者にしないでくれる」
不快といわんばかりに眉歪める雛色さん。僕のお世辞はお気に召さなかったようだ。有名人みたくちやほやされるのを喜ばない彼女だった。見た目からは好きそうに見えるのに。
「お似合いですよ。それじゃ」
「勝手に帰るな!」
手を上げて去ろうとすると、襟首を掴まれてしまった。『勝手に帰るな』と彼女は自分勝手な意見を云う。
「飲みます?」
澄ました顔で持っていた飲料水を向けると、彼女は眉を緩めて僕を放してくれた。
「気が利くじゃない」
彼女は僕から飲料水を受け取った。会話をするときは、喉を潤す必要があるから渡すのは当然といわんばかりだった。さりとて、本腰で会話を続けるつもりは僕にない。
「あっ、ちょっと」
「雛色さんはこんなところで何をしているんです?」
僕は山の上の公園に向かうために歩き始めた。飲料水は途中でまた買えばいい。目的地に着く前には彼女との会話は終わっているに違いない。
「どうして、言わないといけないわけ?」
「訊いてみただけです」
一介の同級生には話してもしょうがないと吐き捨てる彼女の威圧に、僕は首肯した。訊いても答えてくれないのは慣れている。
「柴色は何をしているわけ?」
「…………」
人の質問に答えない癖に同じ質問をしてくるのが大して不満ではないけど、僕を名前で呼ぶのは止めてほしい。家族に名前を呼ばれ続けた僕には、どうしても慣れない。他人に名前で呼ばれるのは苦手だ。だから、僕は彼女が苦手だ。
「ね、黙ってないで答えなさいよ」
さりげなく、僕の隣を歩いている雛色さんは執拗に催促してくる。黙っていると益々しつこそうだ。僕は答えた。
「僕を名前で呼ばないでください。僕は他人に名前で呼ばれるのは苦手なんです。今後雛色さんが僕を名前で呼ばないと約束してくれるなら、いま何をしているか答えます。いまに限らず僕が答えられることなら、すべて答えます。僕の切実なお願いをどうか雛色さん叶えてくれませんか?」
歩きながらのお願いだったけど、誠意を込めた頼みを彼女は、
「お断りね」
事も無げに拒絶した。
「な、何よ」
流し見るつもりだったけど、彼女を凝視してしまっていたようだ。毎度断られる度にこうして顔を観て思うのは〝似合わない台詞を吐く〟だ。僕の安易な願いを二つ返事で了承してくれる可愛い顔つきをしているのに、雛色さんは頷いてくれたことは一度もない。人は見た目ではないと如実に教えてくれているのかもしれないけど、ありがた迷惑だったりする。
彼女ははにかみながら僕から視線を切った。人に凝視し続けられるのに慣れている人間は少ない。今更ながら手に持っていた飲料水を思い出したらしく、キャップを取って喉を潤し始めた雛色さんは僕に云った。
「あんただって、私のお願い聴いてくれないじゃないっ!」
いい響きだと僕は思う。〝あんた〟呼ばわりはいい。名前を呼ばれないのは助かる。雛色さんは僕の名前を呼ぶときもあるけど、呼ばないときもある。こういうところが彼女を決定的に嫌いにはなっていない理由だった。
「だからといって、そういった意味でもない」
「いまも話を聴いてない……」
「え? 何ですか?」
そう、僕が冗談を交えて訊いてみると、雛色さんの目頭が熱くなってきそうだったので「冗談です」と中略していた部分を声にして、改めて訊いてみる。
「雛色さんのお願いって何でしたっけ?」
冗談と代わり映えのしない文脈でも、僕に文句を云える理由付けになったのか、彼女は元気になった。
「私に敬語を使うなって話」
そういうえば、そんなお願いというか命令をされた覚えがある。されて、僕は従わなかった。従わないとうか、生理的に無理だ。他人には敬語、家族にはタメ口が僕の習慣だからだ。
「僕、雛色さんに敬語使ってますかね?」
「態ととしか思えないわ」
惚けたつもりだったけど、墓穴を掘ってしまった。
「別にどうでもいいじゃないですか、他人の口調ぐらい」
「柴色、あんたがそれを云う?」
怒られるのは仕方がないが、名前を呼ばれると母親に怒られているようで気持ちが悪い。
「露骨に嫌な顔をするな!」
「そう、云われても。雛色さんが僕の名前を呼ばなければ笑って怒られる自信があるんですけど」
「気持ち悪い!」
嫌悪感を出されても困る。端から僕と関わりあわなければ、嫌悪感なんて持たずに済んだはずだからだ。
僕を汚物だと思っていないのか、自分から拒絶するのを敗北としているのか、雛色さんはまだ隣を歩いている。
「…………」
僕と並んで歩けばあるくほど、世間から敗北して行っているように思える。何をしたいのだろう? この人は。
「雛色さんは何をしているんです? こんな晴れの日に女性独りで」
「独りは余計よ」
僕の問いかけを訂正してきつく睨んだけど、嘆息した。僕に何を云っても仕方がないと思ったのかもしれない。
「散歩よ散歩」
「散歩でしたか。僕はてっきり、合同コンパに誘われて行ってきたけど、何か不満事があって逃げてきたのかと思ってました」
「逃げたとか云うな」
「今回は逃げてはいませんでしたか」
僕の予想を否定していないので、間違ってはいないと判断してもいいのだろう。
「男ってさ」
と。
雛色さんは僕に意見を求めるように云った。
「見た目だけで、簡単に人を好きになるわけ?」
「女性も同じではないですか?」
「見た目で決め付けて、『こうだとは思わなかった』って落胆するのは勝手過ぎるでしょ?」
「…………」
僕の一言はなかったことにされてしまった。
「どうして、私が悪者にされるわけ? 相手が私を見て勝手に思ったんだから、相手が責任を持つべきじゃない。私がそんな風な人間だって説明したわけじゃないのに」
「そうですね」
意味を完全に把握しきっていないのに、僕は相槌だけを打っていた。愚痴を溢すなら詳細を説明してほしいと思うけど、相談ではないので聴くだけで十分だろう。そもそも、僕に彼女は相談はしない。
「そうでしょ? そうなの!」
怒気を含んで、彼女は容器を力強く握った。
「私がそう簡単に、キスしたりおっぱいを揉ませたりするわけがないじゃない!」
「えっ、そうだったんですか? じゃなかった。そうですよね」
「本音が漏れてるわよ」
カッターナイフで眼球を切りつけられるほど強く睨まれた。睨まれ続けている。彼女は凶器だった。危ないものはしまわなければならない。僕は言った。
「じゃ、簡単じゃないければ雛色さんはキスもおっぱいもし放題揉み放題なんですね」
「私は特売品じゃないわよ」
「そうですね。上唇と下唇、右おっぱいに左おっぱいの四つしかありませんでしたね。大量にはありませんから、差し上げられませんね。困ったこまった」
「私を何だと思っているのよ」
「だったら、1回百円という看板を持って歩き回れば、男性はそう簡単に雛色さん手出しできませんし、見た目だけで判断されることにもなりませんね。めでたしめでたし」
「めでたくないわよ! 私が見た目以上に安い女になっているじゃない! 1回百円って」
「タダよりかは高いですよ? 千円のほうがいいですか?」
「値段の問題じゃないわよ!」
「お金の問題じゃない。だったから、プライドの問題ですか?」
「違うわよ。〝想いの強さ〟の問題よ。あっ……」
どうやら、雛色さんは語るに落ちてしまったらしい。こんなことを僕なんかに話すつもりはなかったといわんばかりに、顔を逸らした。逸らした彼女に僕は言う。
「雛色さんは愛した相手にだったら、唇も乳房も無料で捧げる女性なんですね」
「あんたの云い方だと、やっぱり私は軽い女になってるじゃない!」
あんたに言うんじゃなかった、と怒り疲れた彼女は口を閉じた。さて、どうしようか。
「冗談を言い過ぎました。ごめんなさい」
謝罪することにした。
「雛色さんは処女ですか?」
「あ、あんたねぇ」
「僕は童貞です」
「…………」
本音も言うことにした。こんなところで言うべきではないのかもしれない。でも、どこで言うべきなのかも判らない。だから、いまなのだろう。
「雛色さんは態とそんな格好をしているんでしょう?」
僕の問いかけに、彼女はレスポンスがなかった。それが答えだと思った。
「見た目は重要ですからね。見た目を利用して雛色さんは男性を判別しているんでしょう。ギャップがある自分を見せて、どれだけ相手が許容してくれるかを見ているんでしょう。僕はそうだと思います。思い込んでいます。そんなとろこに拘る、可愛げのある女性だと僕は思い込まされています」
だから、雛色さんに好意を抱いています、とは付け加えなかった。付け加えると、色々隠していたものがばれてしまう。彼女と一緒にいると、ちょっかいを出さずにはいられない理由がばれてしまう。名前を呼ばれてしまうと、雛色さんも僕に好意を抱いているんじゃないかと、都合よく思ってしまう。それだったら、敬語も使わなくてもよくなって――。
と。
そこで。
「童貞は想像力豊かで騙され易いわね」
彼女は含み笑いで呟いた。
「私がそんな女なわけないじゃない」
僕の考えを完全に否定した。
「理想を持つ童貞のあんたなんかには、理想の処女じゃないと不釣合いなのが解ったわ」
「そうですね」
間をおかず相槌を打つ僕。
「それで、雛色さんがもしも処女だったらどういった理由で何度も合同コンパに行ったりするんですかね?」
不躾に尋ねると、彼女は珍しく笑って冗談でも云うように答えてくれた。
「独りの男にやきもちを焼かせて、告白させるためよ」
云い終えた彼女と視線があった。
そうか、と僕は思う。
少なからず、現在彼女には好きな男性はいないようだと。
「異性に好意を抱くのは遠回りで面倒なものなんだな」
「え? 何?」
「別に何でもありませんよ。雛色さん、じゃなかった。尻軽さん」
「訂正する必要はないわよ」
「なんだ、結局タダでいいですか」
「都合のいいように話を持っていくな!」
「僕は童貞ですから、想像力で人生の道程を歩いていきます」
「何も上手くない!」
「顔が真っ赤ですけど、どうかしましたか?」
「あんたの所為でしょうがっ!」
「僕が風邪でもうつしましたか?」
「違うわよ」
「僕は医者じゃないんで、見た目だけじゃ判らないんで、おっぱいを見せてもらっていいですか?」
「ヤブ医者! 私を何だと思ってんのよ!」
「人から誘われたら直ぐに首を縦に振ってくれる都合のいい女性です」
「あんたが云うと、いいように聞こえないんだけど?」
「僕は都合のいい男性ですからね」
「だから、何も上手くない!」
「だから、百五十円でおっぱいを見せてください」
「安価にすんな!」
「だったら、高価ならいいと?」
「嫌に決まってんでしょうが!」
「見た目に反して、身持ちが硬いですね」
「見た目、見た目煩いわね。柴色だって、見た目がチャラい癖に敬語しか使わないじゃない」
「そうですけど?」
「だから、私は最初はからかわれていると思ってて……」
「乙女のようなことを云いますね」
「私は女だ!」
見た目が派手な二人が会話をしながら歩いている。
会話が全く終わりそうになく公園へと行ってしまいそうだ。
僕達を見た人々は、恋人同士に思ってくれるかもしれない。
僕はそれでいいのかもしれない。
見た目は重要なのかもしれない。
僕達以外にとっては。