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悪役令嬢クリスタは、破滅と没落の夢を見る  作者: 日比野 くろ
第四章 侯爵令嬢と王国の行末
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第97話 侯爵令嬢クリスタは、没落令息マルセルと離別する

 全身を支配する気怠さを感じて、クリスタは、自分が地面に倒れていることに気がついた。

 いったい、どのくらいの時間、気絶していたのだろう。

 目を開けると、自分と同じように横向きになった配下の姿が、そこにあった。


「レティ、シア……?」


 薄暗い地下道には、水の流れる音だけが聞こえている。

 耳鳴りが酷い。魔力を使い過ぎた影響が、体をひどく蝕んでいた。

 それでも忠実な臣下は、主の声を聞き逃さない。


「クリスタ、さま」


 半開きの瞳を確認して、体から力が抜けるのを感じた。

 生きている。

 自分たちは、まだ命を繋いだのだと、安心する気持ちに支配された。

 

 クリスタは這いつくばったまま、今まで戦っていた敵を探した。

 目の前にうつ伏せに倒れている、もう一人の男の姿を見つけて、息を呑んだ。

 少し考えてから、ゆっくりと、体制を整えてゆく。


「クリスタさま……?」


 うつ伏せから膝立ちになる。その瞬間、思わず口元を抑えた。


「っ……」


 世界が回っているのではと思うほどの、酷い目眩と、吐き気。

 これは魔力が枯渇した時の症状だ。

 気絶している間に少しだけ回復したらしいが、立つこともおぼつかない。このまま倒れて助けを待つのが、最も賢明な選択肢だろう。


 しかし、クリスタは歯を食いしばって、気力だけで立ち上がった。

 今だけでいい。そう強く念じて、よろめきながらマルセルに近づいていった。

 

「だめ、です、あぶない、です」


 レティシアが、薄れる意識を手繰り寄せながら、必死に主張した。

 だがクリスタは止まらない。足をひきずり、マルセルの側までたどり着いた。


 そして、その異常な姿を目にした。


 彼の体が、少しづつ、魔力に変わり始めていた。

 肉体が少しづつ消え失せて、黒く変色した部分が、剥がれて宙に消えていく。

 これは、悪魔に魂を売ったものの末路。

 マルセル・エル・カルマという存在が、この世から失われようとしているのだと、クリスタは悟った。


「マルセル……」


 クリスタが、憐むように名前を呼んだ。

 今にも消えそうなマルセルは、ゆっくりと顔をあげる。

 すると消え行く彼は、やはり今までと変わらなかった。噛みつかんばかりに、目の前の怨敵を睨みつけ、無様に吠えた。


「クリスタ……ッ! お前さえっ、お前さえいなければぁあああっ……!!」


 その怨嗟は、あまりにお門違い。全ては身勝手が引き起こした結果なのだ。

 だが今にも意識を手放してしまいそうなクリスタは、たった一人で反逆を起こした男を、哀れんだ。

 

 今のマルセルはボロボロだった。

 髪は乱れ、服は惨めに灰色に汚れている。

 さらに貴族の象徴――マルセルの杖は、魔法の負担が大きかったのだろう。原型をとどめないほど無残に、粉々に砕けて、地面に転がっていた。


 自分をそんな状態に陥れた相手への憎しみは、きっと相当なものだろう。

 だが、クリスタは見下すだけで、言い返そうとしなかった。


「クリスタ……ッ! お前がっ、僕の策略を潰したお前が、全部悪いんだ……!」


 自らの罪のことを一切無視して、ただひたすらに他者を呪う。

 その哀れな姿には、見覚えが有った。

 誰よりも、その立場に陥った者の気持ちを知っていたのだ。


『離せッ! 離せ、この下民がっ……!!』


 自身が悪魔に取り憑かれた未来を見せた、最初の悪夢だ。

 夢の中の自分は酷いものだった。

 二人の兵士に両腕を掴まれて拘束されているのに、無様に振り払おうと、必死にもがいた。誰に見捨てられても、失ったことを認めることができなかった。

 今は、あの時になぜ無様な姿を晒したのかを、理解できた。


「こんな……こんなことは、ありえない。侯爵家の、僕が……こんなところで、消えるなんて」


 倒れたマルセルは、いまだ現実を受け入れてはいないようであった。

 自分が選ばれた人間であると、信じて疑っていない表情だ。

 だが彼は失ったのだ。

 杖を失い、爵位を受け継ぐ未来を失い、頼りであった最後の悪魔さえも失った。


 生まれ持った肉体を、たった一つの命さえ失おうとしている。

 マルセル・エル・カルマという人間には、もう――何も残っていなかった。


 クリスタは、ゆっくりと屈んだ。

 同じ身分を持って生まれた幼馴染に、心を痛めた。

 全ては、悪魔という存在に、心を歪まされなければ、起こらなかったことだ。


「マルセル……」


 言葉を出そうとして、しかし、何の慰めも出てこなかった。

 一度は開いた口が閉じる。

 彼が劣等感を抱いていることは、何となくは気付いていた。

 だが彼はニーベル家と仲の悪い、カルマ家の令息だ。滅多なことがなければ声をかけることは許されないし、事実、何もしてこなかった。

 確かにカルマの一族は性根が悪く、彼もまた親からその性質を引き継いでいた。


 だが――きっと未来には、民を率いる立派な貴族になってくれると、信じていたのだ。


「クリスタァァッ! 貴様、貴様ぁぁ……っ!?」


 クリスタは、消えていく彼を起こして、抱きしめた。

 何が起こったのか理解できない。

 そんな表情を浮かべたマルセルは、突然、言葉を失った。

 彼の心中は今も、自分や、他者への憎悪で満たされているのだろう。

 だが、クリスタは願わずにはいられない。

 

「あなたの犯した罪は、決して、許されるものではありません」


 マルセルの罪は、あまりに重い。

 兄弟を殺し、さらには侯爵を操ることで、裏から大勢の人を苦しめた。もしここで生き延びたとしても、死罪は免れないであろうほどの罪だ。


 クリスタからも多くを奪おうとした。

 自分と配下の命を奪い、信頼を引き裂こうとした。

 もしも、何か一つでも間違えば、今ここには立っていなかったはずだ。

 クリスタも、それを赦すことはできない。


「ですが――」

 

 全てを失う結末も、彼自身が選び取った結果なのだから、受け入れるしかない。

 だが、クリスタは知っている。

 それらはきっと、悪魔の存在がなければ起こらなかったはずだ。

 もしも、彼が悪魔などという存在に出会わなければ、きっと未来は違っていた。

 もはや全てが手遅れであり、取り返しがつくはずもない。

 だが、それでも。


「あなたの来世が、良いものになるように、願っています」


 夢の中で、同じく身を邪悪に染めたものとして、願わずにはいられない。

 クリスタは彼に、せめてもの祈りを捧げた。


「っ……ふざ、けるな。僕を、憐むなっ。やめろっ」

「あなたがどう言おうと、私の意思は、変わりません」

「くそっ……クリスタ、お前に。全部を持っていたお前に、僕の何が、わかるっていうんだ……!」


 マルセルも、自分がもうすぐ消えることは、当然わかっているのだろう。

 体は今も崩れており、すでに脚部のほうは跡形もなく消えている。噛みつかんばかりの鋭い睨みも弱まって、そこから涙が溢れていた。


「王族になる奴に、僕の、何が分かるっていうんだよ……!」


 掠れ声で、呟いたそれが、マルセルの本心だ。

 取り返しがつかない。消えゆく自分の運命からは、もはや逃れられない。

 なすすべなく、消えていく。

 体は跡形もない。首も、ほとんど残っていない。

 そして残された頭部までもが、クリスタの腕の中で消えてゆく。少年の、行き場のない感情が、クリスタの中でぽろぽろと溢れる。


 風の吹き抜ける音が鳴り響いた。

 それに紛れたクリスタの囁きは、消えゆく彼以外の誰にも届かなかった。


「あなたは、何も、悪くありませんわ」


 口元の消えたマルセルは、驚いたように涙を止めた。

 決して、侯爵家に属する立場の人間が口にしてよい言葉ではない。

 配下を傷つけられ、自らの命さえ脅かした相手にかける言葉ではない。

 だが、クリスタは生まれて初めて、その立場を無視した。


『あ……』


 片方しかなくなった瞳に、光が戻ってくる。



 ――狂気が去った。



 幼い頃に、マルセルが求めていた言葉だった。

 理不尽に虐げられ、誰からも蔑まれていた。

 近づいてくる貴族も、誰も彼もが、マルセルの敵だった。


『あら。あなたは、どうして一人で、こんなところにいるのかしら』


 例えば、まだずっと幼い頃。

 悪魔に取り憑かれる前に、少しでもクリスタと話ができていたのなら。


『関係ありませんわ。あなたは、あなたなのですから……そうでしょうマルセル?』


 もしあの頃に、たった一言、誰かが声をかけてくれたのなら。

 ここに居てもいいのだと、認めてくれる人がいたのなら。

 あんな、悪魔の囁きになんて、耳を貸さなかったかもしれない。


 最後の瞬間に感じたのは。

 生まれて初めて感じる、とても不思議な、熱い感情であった。




 ――マルセル・エル・カルマは、消滅した。




 座り込んで佇む主のもとに、ふらふらと、レティシアが歩み寄ってくる。

 

 クリスタは何かを抱き抱えるような体制のまま、動かなかった。

 その腕の中には、もう、何も抱えていない。

 あとに残されたのは、粉々に砕けた杖と、侯爵家の息子が纏っていた、貴族用の礼服のみだ。


 作り出した氷壁もほとんど破壊され、地下道には元の静けさが戻っていた。

 夜風が吹き込んでくる中、クリスタは美しい白水色の髪を揺らした。

 彼女はまるで置物のように、背中を向けたまま動かない。


「クリスタ、さま……」


 しばらくレティシアが、気遣わしげに主の様子を見つめていると、次第に、反対側の通路が騒がしくなってきたことに気がついた。

 これだけ派手に魔法を使ったからか、それとも、アンリが助けを呼びに来てくれたのだろうか。いずれにしても、救助がきてくれたことは疑いようもない。

 これで助かった。そう思って、視線を戻して――


「えっ、クリスタさまっ!? だ、大丈夫ですか、クリスタさま!?」


 うつ伏せに倒れている主を見て、飛び上がった。

 とうとう、全ての力を使い尽くしたのだろう。マルセルの倒れていた場所に倒れる彼女を見て、同じく疲労していたレティシアは、大慌てで抱き起こした。


 だが、臣下が何度声を張り上げても、クリスタは目覚めなかった。


 その後に主を見つけて、駆け寄った他の二人の配下が、必死に声をかけても。

 自分を探していた婚約者の王子に抱き抱えられ、連れ出されても。


 杖を手放したクリスタが、目覚めることはなかった。


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