第94話 侯爵令嬢と反逆令息マルセル 前編
悪魔が、王国から去った。
そのことをようやく受け入れたクリスタは、肩の力を抜いて座り込んだ。
「ついに、やったのね……」
クリスタだけではない。学園にいる貴族は兵士の全員が歓声をあげて、悪魔を葬ったポール王子を称えていた。
ポールも今の魔法に全力を使ってしまったのか、息をつきながら、クリスタの作り出した氷の柱の上で膝をついている。心配したクリスタが、新たな橋をかけるべきかと悩んでいると、不意に胸に僅かに違和感を覚えた。
(……何かしら、このモヤモヤとした、嫌な感覚は)
胸元を抑える。すると、硬い感触が直接肌に触れた。
そこにはニーベル家の指輪が、ネックレスのようにさがっていた。だが、それを確かめようとしたとき、空から誰か降りてきた。
「クリスタさまーっ!」
「レティシア?」
ボロボロの姿であるにもかかわらず、笑顔で手を振りながら、自在に風を操って降りてくるのはレティシアだ。
先ほどの戦いの中で怪我を負ったのか、地面に降りる様子は危なげだ。
足をかばいながら、クリスタの前に降りてくる。
すると、そして主人の無事を確かめて、安心したように息を吐いた。
「よ、よかったです……クリスタさまは、怪我はないですかっ!?」
「ええ。少々煤けてしまいましたが、何の問題もありません。あなたや、アリスのほうは大丈夫だったのかしら」
「下の方は無事です。アリスちゃんは、気絶していたので手当してもらっています。多分、すぐに目が覚めると思います」
「そう……」
どうやら、互いに無傷というわけにはいかなかった。
クリスタもレティシアも、服は所々が焦げており、杖を伸ばしていた腕にも、軽い火傷を負っている。特に二人は壁に打ち付けられていたのだ。相当なダメージを負っていてもおかしくはなかった。
すると、無事を報告しにきたはずのレティシアの髪が、しゅんとしおれた。
「また、うまくできませんでした……っ……クリスタさま?」
「そこまでよ。その言葉は、受け入れませんわ。レティシア」
周囲が勝利に酔っている中。
暗い表情で口を開こうとしたレティシアを、クリスタが止めた。
「あなたの言いたいことは分かりますが、結果が全て。謝罪は必要ありませんわ」
「で、でもっ……!」
「戦場に立っていたのですから、命の危険が伴うのは、当然のことです。あなたも覚悟の上で来たはずですわよ」
レティシアは失態を謝罪しようとしたが、クリスタはそれを拒否した。
マルセルの攻撃を許し、命の危険に直面したが、それはレティシアの責任ではない。むしろマルセルを倒すために作戦を考え、命令を下したのはクリスタなのだ。
「あなたは私の命令を聞いただけ。ですからこれは私の失態です」
「…………」
「話は終わりです、いいわね?」
「……分かりました」
レティシアは納得しないだろう。
しかし、結果として勝利を勝ち取ったのだ。クリスタも彼女が十二分に働いたことは知っているので、文句など言えるはずもなかった。
そうして息をつこうとすると、また、心がざわつくのを感じた。
落ち着かない。不快感のような感覚に、思わず感情が表情に現れてしまう。
(……何ですの、この感じは)
浮かれる周囲の雰囲気と、自分が、切り離されてしまったみたいだ。
しかし、その正体は全く分からなかった。
「クリスタさま……?」
レティシアも、主の様子がおかしいことに気づいて、声をかけようとした。
だが、二人が言葉を交わす前に、別な声がさえぎった。
「――クリスタ様っ!」
クリスタの名前を呼ぶもう一人の少女が、転びそうになりながら、体制を立て直しつつ駆け寄ってくる。
「あ、アンリちゃん? どうしたんですかっ!?」
レティシアが驚いた声をあげるのは、無理もないことであった。
悪魔研究の第一線に立っている彼女には、戦場に来ないよう、真っ先に避難を命じていたはずだ。だが、言いつけを破ってこの場にやってきた。
クリスタは、ただならぬ雰囲気に、予感が確信に変わるのを感じた。
「何かあったのね」
金髪は乱れ、貴族としての優雅さなど欠片も感じさせない。
額から汗を流し、膝を押さえて必死に息を整えようとしていた。アンリは、震える声でクリスタに伝えようとした。
「く、クリスタさま、これを……っ」
アンリは、小さな金属製の”何か”を手渡してきた。
それが何なのか、何度か研究所に顔を見せたことのあるクリスタは知っていた。
「……完成したのね」
時計のような形をしており、一見するとただの玩具のようだ。
だが、握った手から伝わってくる重みが、そうでないことを伝えてくる。ガラス板の向こう側で、僅かに揺れ動いている指針は、真下を指そうと揺れていた。
クリスタは顔を上げ、彼女の伝えたいことを、悟った。
「他の者に、このことは伝えましたか?」
「まだです……さっき、ようやくできあがったばかりでしたから」
最初にクリスタの元にこれを届けたのは、それが最善だと判断したからだ。
それを聞いたクリスタは一人、立ち上がる。
「行きますわよ、レティシア」
「はいっ、クリスタさま!」
歓声に包まれる学園に背中を向けて、クリスタ達は二人で、庭を去ろうとする。
だが深い隈のできたアンリが、慌てて呼び止めた。
「ま、待ってください……!」
立ち止まった二人は、振り返る。
慌てて走ってきた時とは裏腹に、不安で満ちていた。
「実はまだ、全然確かめられていなくって……もしかしたら、何か、間違っているのかもしれなくって」
「例え誤りであったとしても、あなたを責めたりはしません」
アンリが持ち込んだそれは、可能性だ。
全てが終わったと思っている今、最悪の可能性を見逃してしまっているかもしれない。それに気付いたからこそ、こうして主のもとに走ってきた。
恐らく、しばらくこの狂乱はおさまらないだろう。説得は可能だが、時間がかかりすぎるし、対抗手段である二人の王子とアリスは、今すぐに動けない。
「可能性があるのなら、潰さなければいけない。そうでしょう?」
ならば自分が自分が行くのが最善だろう、と。
アンリの不安など知っていると言わんばかりに悪辣に笑んで、振り返る。
「私が戻らなければ、分かっていますわね――この場は、任せましたわよ」
「……っ」
事情を話している時間はない。それはアンリと、恐らくこの場に来ているエリオットにでも任せればいい。
今は、何を差し置いても、最優先で確認しなければならない。
アンリが頷いたのを確認して、クリスタとレティシアは、この場を去った。
マルセル・エル・カルマは、カルマ侯爵家に生まれた、三男であった。
彼はこの世に生を受けた時点で、負け組であることを、宿命付けられていた。
『本当に、お前は、俺より何もできないなあ』
もはや後ろ姿さえ思い出せない二人の兄は、マルセルをいつも侮辱していた。
両親からは、上の兄弟の下位互換だと蔑まれ、半ば見捨てられていた。
それも全て、両親の期待を大きく裏切ったためだ。
カルマ家の上の兄の才能は平凡で、そこらの上位貴族とほとんど変わりないものであった。それゆえに、三男として生まれてくるマルセルは、期待されていた。
だが五歳になって杖を渡されたマルセルに、突出した才能はなかった。
『父上。ぼくは、どうすれば……』
『お前なぞ、どこへなりとも、行くがいい』
マルセルは父親にすがった。だが父も。他の家族も、使用人も、役に立たないことが分かった三男に対して、ひどく冷たい態度をとった。
唯一、取り巻きである年長の貴族達は、マルセルに媚を売った。
しかし、影では自分を見下し、悪口を言いふらしていることを知っていた。
『マルセル様、カルマ侯爵から見放されているんだろう?』
『ああ。俺より魔法が使えないんだから、無理もないよな』
『魔法が下手な貴族なんて終わってるぜ。俺がかわりに侯爵家に入れないかなぁ』
影で、杖を握りしめる。
制裁を加えてやりたかったが、そんなことをすれば、父親から本当に見放されてしまう。貴族間の関係を悪くすれば、カルマ侯爵家を追放されかねない。
煮えたぎるような怒りと、やるせない感情が、心の中に溜まっていった。
――それからしばらく経って、マルセルの劣等感を刺激する出来事が起きた。
マルセルが、五歳の終わりを迎える頃。
王宮で催されたパーティーの最中に、一人の少女と出会った。
『きみは、ニーベル家の……?』
『ええ、マルセル。わたくしが、クリスタ・ドゥ・ニーベルですわ』
何か悪いことを企んでいるように見える、悪い笑みを浮かべる少女。
それはマルセルが初めて出会った、同格の貴族であった。
クリスタは一歳年上であったが、残った一柱であるダルク侯爵家の息子が、既に学園に入学していたため、最も自分に近しい存在であった。
彼女は長女であり、家を継ぐことのできない立場だ。
そのことに、マルセルは、親近感を覚えずにはいられなかった。
だが、その評価は、すぐに誤りであることを知った。
特別な杖を持ち、王宮の庭で魔法を放ってみせた侯爵令嬢は、明らかに自分とは違っていた。
『『グラシェ・フローリア』、ですわっ……!』
幼いクリスタは緊張しているのか、伸ばした腕は微かに震えていた。
だが、そんなことを気にする貴族はいない。
王宮の芝生に、花のような形の無数の氷が、いっぱいに咲き誇った。
パーティに訪れていた貴族達の心を奪い、そして驚愕させた。
『なんと。既にクリスタ様は、中級魔法が扱えるのですか!』
『まさに侯爵家の名に恥じぬ、素晴らしい腕前』
『いやはや。ニーベル家の将来は安泰ですな、モーリス殿』
大人達は、侯爵家の少女と父を、手放しで褒め称えた。一方で、マルセルの話題はまるで出なかった。
それは三男であるが故に、家を継ぐ可能性も低く、そもそもカルマ家が落ち目であったことも原因の一つだろう。
だが最大の理由は、マルセルの魔法が劣っているという、単純で残酷な現実だ。
マルセルは、後で父親に怒鳴られることを覚悟して、その場から逃げ出した。
『くそっ……くそ、くそぉ……っ』
”おこぼれ”目当てで寄ってこようとする、わずかな貴族を押し除けて。
怒りのような、最悪の劣等感を抱えながら。
華々しいパーティ会場から飛び出し、個室で一人で泣き続けた。




