第90話 侯爵令嬢と運命の決裂
「来ますっ!」
レティシアの怒ったような叫び声と、王都を破壊していた存在が飛翔してくるのは、ほとんど同時であった。
敵は、攻撃してきたクリスタ達の姿を捉えたらしい。
口元が三日月に笑んだのが見えた。黒い人型の影は、黒色の風を纏い、杖先から膨大で恐ろしい魔力を放つ。
「『マルム・フレーマ』ァ!」
自然界には存在しない黒炎が、侯爵令嬢を焼き尽くさんと腕を広げた。
学園の屋上を飲みこむほどの、膨大な威力だ。
だが、当然クリスタ達は用意を整えている。反撃の魔法を唱えて、防御した。
「水よ、私を守りなさい、『アクア・パリエス』」
「私もっ! 『ライト・ウォール』っ!」
振るった杖が呼び出すのは、水系統上級魔法。
目の前の空間に水壁が作り上げられられる。さらに、アリスの持つ夜行樹の杖が作り出す光も、同時に発動した。
二種類の魔法が重なり、王城の壁を伸ばすように、白水色が迫り上がった。
――黒炎と、光と水の壁が激突する。
空気を押し出されたような衝撃が襲う。アリスは、あまりのショックに、一瞬だけ杖を手放しそうになった。
「っ……!」
しかし、とっさに杖を持ち直して、絶対に離さないように両手で握りしめる。
二者の作り上げた魔法は、悪魔の炎を学園に届かせない。
「伏せなさいッ!」
クリスタが叫んだのと、閃光が視界を包むのは、ほとんど同時であった。
光と水の壁が破壊されたと理解するまでに、数秒を要した。
飛び散る水と光、そして黒炎の破片。
丸ごと全部が爆風で飛び散っていく。伏せていたクリスタが顔を上げると、ほくそ笑んだマルセル・エル・カルマが、離れた空の上に浮かんでいた。
「少し見ないうちに、随分と乱暴になったのね」
「ククッ、君を殺すためなら、どんな手でも使うさ」
忌々しげに睨みつけ、吐き捨てるように言った。
一方でマルセルは、顔部の黒煙の鎧のみを外して、クリスタ達に視線を合わせた。 片目を失った彼の顔は、狂気に歪んでいた。
手に持っているそれを弄るように、軽く宙に放り投げては、受け止めている。
恐らくあれは、鉱山採掘に使う、爆薬の類だろう。
何てものを持ち出してきたのかと、思わず悪態をつきたくなった。
「それが光系統魔法への対策、というわけ。とても貴族とは思えないやり方ね」
「望みを叶えるためなら、僕は何だってするよ」
「随分と、好き勝手にやってくれましたわね。あなたには、貴族の誇りというものは、残っていないのかしら?」
「それはこっちの台詞だ」
マルセルは本性を表し、無礼な口調で吐き捨てた。
クリスタと言葉を交わしているうちに、苛立ったような表情を浮かべて、その衝動からか、顔を掻き毟った。
「好き勝手にやってくれやがって……! お前のせいで……!」
風系統魔法で、曇り空を背景に浮かぶ姿は、ひどく不自然なものであった。
警戒するクリスタの前で杖を振りあげて、黒の魔力を、先端部に収縮させる。
「お前のせいで、全部が台無しになったッ! 『マルム・インプルス』ッッ!」
唾を飛ばしながら、魔法を放った。
上級魔法以上の威力を秘めた悪魔の魔法。リング状に重なった、黒の魔力の衝撃波が、学園の最上階を襲う。
真っ直ぐにクリスタ向かったそれが命中する前に、配下が動いた。
「『ライト・ウォール』!!」
杖を握り直したアリスが、必死に唱えた光の壁が、間に合った。
黒の魔力は淡い光に触れた途端、崩れ落ちる砂の城のように脆くなる。
灰色に染まって、空気の中に消滅した。
自分の魔法で、ちゃんと防ぐことができたと、アリスが喜んだのも束の間だ。
「死ねっ、平民!」
「ええっ!?」
投擲された物体――導火線に火のついた爆弾を見て、青ざめる。
光系統魔法は、物理的な攻撃に対して、一切の意味をなさない。それ以外の魔法をほぼ使えないアリスには、致命的だ。
だが、かわりにレティシアが、慌てて反応した。
「わわっ!? それは駄目ですっ、流れてください、『アウラ・トレンス』!」
目に見えるほど空気を歪ませた、細い風の流れが生まれる。
放り投げられた爆薬をさらい、方向を変えて宙に投げ出される。
再び、起爆。
閃光と、酷い熱気が襲って、クリスタ達はたまらずに目を瞑った。
「っ……なんて、強引な……ッ」
「死ねクリスタ」
背筋が凍った。
声は、クリスタの耳元で聞こえてきたからだ。
「ッ! このっ……『グラシェ・ハスタ』!」
姿を確認する前に、咄嗟に、魔法を放った。
地面から突き出た鋭く細い氷は、クリスタの顔を横切った。だが隣に現れた気配は、それに貫かれることなく、素手で受け止めてみせた。
黒煙に包まれた手は、一切の魔法的攻撃を通さない。
「言ったでしょう。僕に、系統魔法は効かないと……っ!?」
おぞましい囁き声とともに、杖から零距離で魔法が放たれようとする。
だが、煙の中から飛び出した閃光の槍が、マルセルを飛び退かせた。
再び空に浮かんだ後、ますます機嫌が悪くなったように、歯を見せて怒り狂った。
「また、お前かっ、この平民風情が……!」
「クリスタ様に、近づかないでくださいっ!」
アリスが、冷や汗を流しながら、淡く輝く杖を向けて立ち向かった。
一方で、僅かに掠ったのだろう。手元の黒煙が剥げて、マルセルの本来の肌が見えている。だが、手の甲に開いた穴はすぐに塞がってしまった。
以前のように直撃でなかったためか、傷を負ってはいなかった。
しかし、それでも彼は、絶好の機会を逃した。
「お前は、やはり、あの時に消しておくべきだった!」
「消されません! だってまだ、全然クリスタ様に、恩を返してないんです。こんなところで絶対に負けられない……!」
「ああ、またそれだ。クリスタ、クリスタと、鬱陶しい。呪いで死んでおけばよかったものを!」
アリスは一瞬、マルセルが何を言っているのか、分からなかった。
その代わりにレティシアが叫ぶ。
「アリスちゃんを殺すように仕向けたのは、やっぱり、あなただったんですね!」
「だったらどうした?」
アリスは学園に入学し、クリスタに見初められる前、呪いで殺されかけた。
クリスタでさえ驚くほどの強力な魔術であり、最後まで、犯人が見つかることはなかった。
マルセルが悪魔に憑かれていると判明した時点で、薄々と察してはいた。
しかし、当人に悪びれた様子はない。
「王族に贔屓される、正体の分からない平民なんて、許される存在じゃあないだろう。まさか勇者の娘だとは思わなかったが……正解だったよ」
「正解じゃないです! 大間違いです!」
珍しくレティシアが否定の声をあげたが、マルセルは聞いていなかった。
カルマ侯爵家として、多くの貴族と繋がっているマルセルは、不自然に学園に入学してきた平民に早々に気づき、正体を探らせていた。
だが情報は一切出てこずに、大いに怪しんだ。
学園長の部屋に忍び込んで、王族が関わっているところまで突き止めた時点で、嫌な予感がして、その日に殺害を決意したのだ。
「ああ、そうだ。今思えば、あの日から全部がうまくいかなくなった」
殺害は失敗した。
学園で唯一、呪いを打ち消せる能力を持つクリスタが、救ってしまったのだ。
さらに悪いことに、たった二人の配下しか持とうとしなかった侯爵令嬢クリスタが、彼女を三人目の配下として迎え入れてしまったのだ。
おかげで、マルセルは一切手が出せなくなった。
「クリスタ、お前が平民を取り込みさえしなければ、こんなことはせずに済んだんだ……!」
平民を嫌う貴族達は、マルセルにとっていい隠れ蓑であった。
だが彼らでは、アリスを害すことができない。
同じように暗殺を目論めば、自身の仕業だという結論に辿り着いてしまう。
「この目の傷も、張り巡らせた策略も、全部だ! 全部全部、台無しになった!」
悪魔の魔力を杖先に凝縮させ、再び、闇の波動を放つ。
クリスタは、杖を振るって、内側に反った形の氷壁を作り出す。
まっすぐ向かっていた黒いエネルギーは、氷壁を破壊しながらも軌道を逸らされて、かわりに芝生を、深くえぐり抜いた。
氷色に輝く杖を払ったクリスタも、表情をしかめて、反論する。
「随分と、勝手な言い分ですわね! 貴方が、このような企みを起こさなければ、何の問題もなかったというのに!」
「煩い、煩いッ! クリスタ、お前が嫌いだ!」
半狂乱になった年下の男が、幼い子供のように、喚き散らした。
「澄ました顔でいるお前が、昔から目障りだった! だから、僕がお前を殺す!」
「私を殺すために、アンリを傷つけ、騒ぎを起こしたというの!?」
「そうさ! 目障りなお前も、王族も貴族も、全てを消す。消してやる! この力を持って、僕が新たな王になるんだ!」
初めて明らかになったマルセルの目的は、あまりに幼稚で、それ故に恐ろしかった。彼は、その我儘を現実にする力を持ってしまっている。
侯爵令嬢として、到底受け入れられない。
既に、幾つもの罪を犯している。
それを除いたとしても、彼を、絶対に許すわけにはいかなくなった。
「あなたは、仮にも侯爵家の人間だったはず……! その責の重さを知っているのならば、そのような言葉は出てこないはずです!」
「責任? 知らないね! 侯爵家程度の権力じゃあ、全然足りないッ!」
クリスタは、ずっと昔から苦悩を続けてきた。
侯爵家という立場に生まれ、王に与えられた責務の意味を考えて、行動してきた。その結果として、今の侯爵令嬢クリスタ・ドゥ・ニーベルが居る。
だが、マルセルはそれとは真逆であり、欠片ほども理解していなかった。
だから、その苦悩を、いともたやすく嘲笑った。
「全ての命と幸福を守るために、私達は、権力を与えられているのですわよッ!」
「はぁ? そんなことは、僕の知ったことじゃない! 全ての愚民は、僕のためだけにあればいい! 支配され、全てを捧げ続ければいいんだ!」
侯爵家という立場に生まれた二人は、決定的に、食い違っていた。
マルセルは渇望していた。
自らが負う責務は、歴代の王が『そうあれ』と定めたもの。だが、マルセル・エル・カルマという一人の貴族にとって、それは邪魔な鎖だ。
権力さえあればいい。
全ての人間は、自分の言うことだけを聞いていればいい。
その心を悪魔に煽られ、力を与えられて、ここまで来てしまった。
王国では、王族こそが絶対の指針となる。
王を殺し、王になることで、全ての願いは叶う。
その悪魔の囁きに、幼い彼は、耳を貸してしまったのだ。
「王の血筋を絶やせば、僕が新たな王として君臨できる! そのためなら、何だってするさ!」
「……っ、あなたは、狂っていますわ……!」
民衆は貴族に、貴族は王族に、決して逆らえない。
魔法は、民を守るために使わなければならない。
だが、長くに渡って続けられた秩序は、全て破壊される。良い未来に進むための羅針盤は、全ての民を、暗黒へと引き摺り込む鎖に変わり果ててしまう。
たった一人の欲望が、万が一にでも認められれば、王国を破壊する。
だからクリスタは、否定しなければならない。
互いに杖を向けあって、全く対立する相手の存在を、否定しあった。
「あなたを王であると認める者など、誰一人としていませんわ!」
「構わないさ! 面倒な貴族は洗脳して、従順な人形に変えてしまえばいい! 悪魔の力を使えば、容易いことだ!」
マルセルの主張は、人間の考えることではなかった。
彼の中に、貴族としての意思も、善性も、微塵も残っていないことを、クリスタは心底理解した。信じがたいことだが、侯爵家としての責任を負っていたはずの彼が、王や貴族の権力を、迷いなく、私欲を満たすために使おうとしているのだ。
もはや、言葉で止まる段階ではない。
彼が玉座につくようなことが、あってはならない――
「あなたを、ここで打ち滅ぼしますわ、マルセル・エル・カルマッ!」
死力を尽くした、最後の戦いが、幕を開けた。




