第86話 侯爵令嬢と貴族の評価
閑散としていた学園に、人が戻り始めていた。
学園で起きた騒動は多くの貴族達を震え上がらせ、大切な後継である息子や娘を実家に退避させるように命じた。
しかし、今や学園の門は開きっぱなしで、次々に貴族の馬車が戻っていた。不安の声も上がっていたが、そうしなければ到底、再度の学園への受け入れが追いつかなかった。もちろん検問を受けており、対策は万全だ。
降りてきた学生達は背を伸ばして、見慣れていたはずの景色を懐かしんだ。
「ねえ、聞いた? 今回の騒動って平民が起こしたものらしいわよ!」
彼らは寮や学園の廊下に集まり、さらには使われていない教室にまで集って、この期間に起きた出来事について、議論を交わすことに熱中した。
「いや俺は、商家の人間がやらかしたって聞いたぞ」
「ああ。ただの平民が、ここまでの騒ぎを起こせるはずがないだろう」
「そうね。学園の、魔法の壁に穴を開けるなんて、早々にできることではありませんわ」
一介の貴族でしかない彼らは、今回の事件の真相を知らない。
なぜ王都が封鎖されたのか。その情報を誰もが知りたがった。ただの好奇心ではなく、両親から情報を集めるように言い渡されているものも多かった。
しかし、噂はひどく錯綜していた。
王家が情報統制を命じたため、真実を知る者は、口を閉ざしていたためだ。
だがその中で、信憑性のある話もあがっていた。
「今回の騒ぎを治めたの、ニーベル様なんですって」
「ええ。ですが、本当ですの……?」
「私の父上には、そのような話は届いていないそうですが……平民の街に降りたというのは事実なのでしょうか?」
この一件に侯爵令嬢クリスタが関わっている。
その部分に関しては、多くの貴族達に、事実として囁かれていた。
クリスタはこの一件を収める際、大勢の平民に目撃されている。
平民の間で噂になっているものを、貴族達が知らないはずがない。クリスタが騒動に関わったという事実は、もはや疑いようもなかった。
「あっ、ニーベル様よ」
一人が視線を向けると、全員で気づいて、顔を俯かせた。
その横を堂々と通り抜けていくのは、四人。
噂の渦中にある侯爵令嬢、クリスタ・ドゥ・ニーベル。
ニーベル家の右腕と名高い上級魔法の使い手、辺境伯家レティシア・ピィ。
才能を見出されて側仕えを許された、古爵家アンリ・パトリック。
さらにもう一人が――平民の少女、アリスだ。
噂話を続けていた彼女達には目もくれず、颯爽と去っていった。
上位貴族の彼女達は、当然、真相を知りたがっていた。
しかし、声をかけることができない。自分たちが声をかけても、クリスタに響かないことが、分かっていたからだ。
結局、いつものようにアリスを睨みつけて、羨むことしかできなかった。
「いつまで、ニーベル様の側に仕えているのかしら、あの平民は……!」
「ええ全く。あのような者は、学園に置いていくべきではないというのに」
花の扇子を口元にあてがって、彼女達は嫌悪の表情を浮かべる。
平民が、自分たちを差し置いて功績をあげるなど、おこがましい。本来であれば許さない。だが、クリスタが許している以上、手出しができない。
いつか失敗するようにと、遠目に、呪うことしかできなかった。
しかし――これまで通りの風向きが、変わりつつあった。
「あ、あのっ……! ニーベル様!」
クリスタ達四人は立ち止まって、呼び掛けられた方に振り向いた。
男女の学生が、クリスタを怖がるような表情で立っていた。
どれも記憶にない顔であり、恐らくは下級の貴族だろう。彼らはびくびくしながら、しかし、冷たい視線を向けられても、その場から逃げようとしなかった。
「私に、何か用かしら」
「あ……ええっと……!」
クリスタの冷たい視線が、彼らを見下ろした。
彼らは怯えるあまり、言おうとしたことを忘れてしまったみたいだった。
少し待っても、詰まってしまった言葉は出てこない。
「あなた達、クリスタ様に何の用かしら」
そんな彼らから守るように、いつも通りアンリが前に出る。
露払いを役割と自負しているアンリは、決してクリスタの元に通さない。
「ううむ、知らない方ですねぇ……アリスちゃんのお友達ですか?」
レティシアも、クリスタの周囲の貴族については把握しているが、彼らのことを知らず、怪訝な表情を浮かべていた。
下級の貴族がクリスタに声をかけてくることも、ないわけではない。
しかし、彼らは権力を目当てにしているとか、そういった雰囲気ではなさそうだと感じていた。それゆえに、わざわざ話しかけてきたことが不思議だった。
「いえ。こほん……クリスタ様になにかご用ですか?」
そんな中で、彼らに優しく尋ねたのが、アリスだ。
彼らはアリスの知り合いでもなかった。だが、平民という最底辺の存在である彼女に助け舟を出されたことで、彼らはようやく覚悟が決まったらしい。
「あ……あの! わたしたち、お礼を言いにきたんです……!」
「礼ですって?」
思い当たる節のないクリスタは、首を傾げた。
「はい。僕の家は、ニーベル様のおかげで、何とか商売を続けることができる目処が立ちました……!」
「わたしのお父さん、そう言ってました……!」
「自分もです!」
前に出たアンリは、ぽかんと口を開く。
「ニーベル様に、ずっとお礼が言いたかったんです!」
「魔獣討伐演習の時にも、助けていただいたと聞いています……」
「ありがとうございます……!」
集まった彼らは、皆がクリスタに間接的に救われた者達であり、口々に、感謝の言葉を述べた。
今までに、こんなことは一度もなかった。
アリスは主を見た。相変わらず表情は変えておらず、はっきりと彼らに返す。
「あなたたち、個人のために動いたわけではありません。礼は必要ありません」
口々に感謝の言葉を述べていた彼らは、その冷たい口調に、しんと黙った。
だが――微かに口元に、邪悪にも見える笑みを浮かべて続けた。
「私は王国のために動いたに過ぎません。そういう気持ちがあるのなら、より一層励み、国に忠誠を尽くしなさい」
集まった下級貴族達は、思いもよらない言葉に、顔を見合わせる。
彼らは嬉しそうな表情を浮かべると同時に、クリスタ達はその場を後にした。
興奮したような声を背後に、アリスが尋ねる。
「あの、クリスタ様」
「何かしら」
「どうして、今日は、みんなに返事を返してくださったのですか?」
少し不思議そうにするアンリの疑問に、僅かに視線を動かした。
だが、その疑問に鼻高々になったのが、レティシアだ。
「そんなの、決まっているじゃないですか! ね、クリスタさま!」
「……私は、いつも通りに返事を返しただけです。何も変わっていません」
「えっ……? ですが……」
アンリも、アリスも不思議そうな表情を浮かべた。
侯爵令嬢が直々に言葉を伝えることは、それほど多くない。
下手に対応して、会話から弱みを握られてしまってはたまらない。ゆえに、これまではアンリやレティシアが、近づいてくる貴族達を相手する役割を担っていた。
だが、その政治的な理由を無視してでも話した理由が、納得できなかった。
「侯爵家の権力が欲しいだけの貴族さんと、本当に感謝している人で、対応が同じはずがないじゃないですか」
「あっ……」
二人とも、はっとした表情を浮かべて、すぐに恥入った。
考えてみれば当然の話だ。
彼らは明らかに権力が目当てではなく、感謝を伝えにきただけだ。
クリスタが避けてきた、権力目当ての貴族達とは、明らかに違っていた。
『ニーベル様! 今日もなんとお美しい……!』
『なんと素晴らしい魔法でしょう! まさに人の上に立つべきお方……!』
『どうか、私をお側に置いてください! あんな平民よりも、よほど役に立ってみせましょう!』
本心ではない言葉を、クリスタとレティシアは、幼い頃から聴き続けてきた。
クリスタにまつわるものを何でも褒めて、それ以外のものをけなす。
纏わりついてくるのは、そんな連中ばかりだった。
だから、クリスタにとって、真っ向に感謝を向けてくる存在は、初めてだった。
「ふふっ」
クリスタも、三人に見られないように笑顔を浮かべていた。
それは侯爵令嬢としてのものではなく、一人の人間としての喜びを示していた。
「どうかしましたか?」
「……何でもありませんわ」
その表情は、誰かに見られる前に消した。
上に立つ人間として、強くいなければならないと、必死に過ごしてきた。
他人を排して、信の置ける人間のみを側に置いてきた。
貴族として、それが正しい選択だと信じていた。
だから――今日の感謝が、クリスタの『貴族』の在り方を、少しだけ変えることになった。




