第79話 平民アリスと王宮登城
辺境伯家の馬車に乗って登城したアリス。
揺れる馬車の中で、こみ上げてくる緊張から、顔を青ざめさせていた。
「あ、アリスちゃん、大丈夫ですか……?」
「ははは、はい、れれ、レティシア様」
どう見ても大丈夫ではない――肩の揺れは、まるで平民の馬車揺れのようだ。
「気持ちは分かりますが、到着したら相応の振る舞いをしなきゃいけないので、今のうちに気を抜いておいたほうがいいですよ。ゆっくり息をすれば大丈夫です!」
レティシアは先輩ぶって、そんなアドバイスをした。
アリスは心臓に手を置いて、素直に息を整え始める。そんな様子に強い共感を覚えていた。
生まれた時から大貴族であったレティシアだが、貴族慣れしていないが故に、王城に向かうとき、最初の頃は大失敗を恐れて緊張していた。
しかし、クリスタが同じような言葉で励ましたことで、耐えられたのだ。
(緊張して当然ですよねえ。王様のお城は、平民の憧れの場所ですから……)
とはいえ、早々に気持ちが落ち着いてくることなどありえない。
平民は、王城に強い憧れを抱いている者がほとんどだ。もし入城するとしても、貴族のもとで一定の経験を積んだ平民が、使用人として仕えるのが関の山だ。
御伽噺のように、大勢に出迎えられることなど、決してあり得ない。
しかし、アリスに至ってはそうではない。
庶民が人生を賭けたとしても決して立ち入ることが許されない聖地であり、誰もが羨むような煌びやかな世界に、貴族の立場で招かれているのだ。
それに加えて、アリスはもう一つ、強い不安を抱えていた。
「お父さんのことが、気がかりですか?」
「……はい」
アリスは、複雑な感情を顔に浮かべながら頷いた。
昨日、悪魔との戦いが終わってから、ずっと考えていたことがある。
生まれてから父親なく、母親と過ごしてきたアリスにとって、それは急に受け入れられない事実であった。
父親が生きていた。そのうえ、父が御伽噺の"勇者"であるという。
そのことに、全く、心の整理は追いついていなかった。
「わたし、お父さんの顔も、どんな人なのかも知らないんです」
アリスは不安げに、そうこぼした。
かつてどうして父親がいないのか、母親に尋ねたことがある。
村で父親を知る者は誰一人としていなかった。母は魔獣の一件で亡くなってしまったので、この一件がなければ、永久に真実を知ることはなかっただろう。
戸惑うのも無理はない――少なくともレティシアは、胸の内を見抜いていた。
「勇者さんは、今は王城にいると聞きました。今日はきっと会わせてもらえると思います。そのために呼ばれたというのも、理由の一つでしょう」
「……はい」
「ですが、今回は、活躍を褒めてもらうために呼ばれたんです。歓迎してくれるのですから、その時までは気張らずにいきましょう!」
「そうですね……ちょっと、気負いすぎたかもしれません」
アリスが笑うと、レティシアも満足げに頷いた。
大貴族であるはずの彼女の奔放な振る舞いは、まったく緊張を感じさせない。その雰囲気にあてられて、ついアリスまで笑顔が伝播した。
そんな風にしていると馬車が停止した。
扉が開くと、王国の兵士が二人ほど待ち構えている。彼らはレティシアを見るや否や、深々と礼をした。
「失礼致します。ピィ様、そしてアリス様ですね。門を開けますので、もう少々お待ちください!」
いつの間にか、馬車は城門までついてしまっていたらしい。
アリスは唾を飲んで、開きっぱなしの扉から外を見ようとした。しかし、城壁の前の景色が見えるだけで、城の中はいまだ見えない。
「外の空気を吸ってから行きたいので、入り口の方でおろしてくださいな」
「畏まりました。その旨、伝えておきます」
兵士は頭を下げてから、扉を閉じた。
また二人だけの空間が戻ってきたが、先ほどとは別の緊張に包まれた。
遂に王城に着いてしまったのか――
アリスは唾を飲んだ。いよいよ、国の中枢部に足を踏み入れるのかと思うと、心臓が鳴り止まなくなっていた。
「いよいよ王城に入るんですね、やっぱり緊張します……」
「少し歩いてから行きましょう。そうすれば、気持ちも落ち着くと思いますよ」
アリスが頷くのと、馬車が動き出すのは同時であった。
辺境伯家の馬車は非常に広く作られており、快適な乗り心地だ。
しかし唯一、御者席以外から外の様子が分からないことが、不安を強めた。
そして再び止まった時、先にレティシアが立ち上がる。
「着いたみたいですね。では、先に降りますね」
「あ、はいっ!」
扉が開いたのを見計らって、真っ先にレティシアが石畳の床に踏み出していく。
続いてアリスが、おそるおそる、馬車から足を下ろして顔を上げた。
そして、王の住む世界に魅了された。
「わぁ……!」
そこは、平民であったアリスが学園に初めて立ち入った時と同じか、それ以上に、十五歳の少女の心を震わせた。
ここは、庶民だけでなく、貴族でさえ立ち入ることを許されない神聖な地だ。
上位貴族と王族の為に存在しているその場所は、王国の中で『最も美しいもの』で彩られていた。所々に、王国の紋章が刻まれている。
七色の花に囲まれた純白の建物や、人の連なった彫像の噴水などは、特に女心を強く惹きつけた。自分が夢の中にいると言われても、信じられるような心地だ。
「すごい……」
そして深呼吸したあと、肝心の王城に視線をむけた。
その、あまりの荘厳な光景に息を溢した。
「これが、童話にも出てくるお城なんですね」
「はい。すごいでしょう、今でも慣れませんよ」
空を見上げると、空を指すように三つの青屋根の尖塔が続いている。
どれも城壁とは比べ物にならない高さだ。
生まれてこの方、アリスはこれほどに巨大なものを見たことがない。押し潰されてしまいそうな圧力を感じた。
自分なんかが踏み入って良いのかと躊躇うほどの、偉大な建築物だった。
真っ直ぐに続く道は、人が二十人並んでも足りないほどの幅を持っており、沢山の兵士の彫像が、道を囲むように続いている。
王城の扉は開け放たれていた。
あの奥にはいよいよ、この地を統べる王の居城が、広がっているのだ。
「さて行きましょう。あの奥でクリスタ様が待っています!」
「は、はいっ! レティシア様!」
しかし、そんな心配などお構いなしに、レティシアはアリスの手を引いた。
アリスは直前になって、緊張で身体がしびれるのを感じたが、なんとか心を抑えて前へと踏み出した。
すると城に入ろうとした途端に、二人のほうに人が近づいてきた。
使用人の礼服を着た老紳士だ。
「ピィ様、アリス様。本日は御足労頂き、ありがとうございます」
彼は一礼して、二人の来訪を迎えた。
その態度は貴族に対しての振る舞いであり、慣れていないアリスは、一瞬思考が止まってしまう。
「えっ、は、はい!」
「どうもどうも。クリスタ様のところに行きたいのですが、どこに行けばいいですか?」
「畏まりました、ご案内致します」
王城の使用人という立場の人間に、がちがちに緊張しながら返答するアリス。
それとは反対に、レティシアは気軽な態度で頼み事をした――やっぱり、レティシア様もすごいんだと、アリスは改めて尊敬の眼差しを向けた。
老紳士に案内されながら階段を上ると、目の前に中庭が、広がった。
そしてそこも、普通の庭ではない。
「なんですかこれ……」
思わず、語彙を失ってしまうような、幻想的な光景だ。
神々しく輝く黄金色の葉をつけた樹を中心に、美しく透き通った水晶の花が咲き誇っている。まるで空上の国のような見目麗しさに、アリスは立ち尽くした。
どれも普通の植物ではなく、この世のものとは思えない。
するとレティシアが、ひょいとアリスの顔を覗き込んでくる。
「ああ、ここですか。すごく綺麗ですよねえ」
「……この場所はなんですか?」
「こちらは魔力で育つ植物だけを植えた、王城の特別な庭です。繊細な魔法を使える上位貴族の人が、この場所を管理しているのです」
「魔力で……?」
「はい。特にあの黄金の樹は代々、王族の杖の材料として使われております」
老執事が、アリスの疑問に丁寧に答えた。
中庭の中央で手を伸ばしている樹は、葉だけでなく、幹も鈍い金色に輝いている。通路から吹き込んでくる心地のいい風が枝を揺らして、砂金のような魔力を散らしていた。
それらの繊細な植物は、上位貴族の管理なしでは成り立たないものだ。
アリスは不意に、主人や、レティシアの使っている杖のことを思い出した。
氷で造られたような透き通った杖に、内側に炎が宿っているような杖。
どちらも、アリスが見たこともないような素材であるが、本来の樹の姿を想像したことはなかった。しかしそれはきっと、目の前に堂々と立っている、綺麗な樹のような形をしているのだろう。
「さあ、先に行きましょう、アリスちゃん」
「……はい」
レティシアに手を引かれるまま、そのまま魔法の中庭を後にした。




