第5話 侯爵令嬢と平民の少女
王立シエル魔術学園に入学するためには、二つの条件がある。
魔法が使えることと、貴族であることだ。
両方が認められた時には、学園から入学の証である『魔法の杖』が与えられる。
ならば、平民の少女が、なぜ王立シエル魔術学園に入学することができたのか。
アリスを取り巻く噂の中には、『例の平民は、没落した貴族の末裔だ』というものがあった。
魔法の力は少なからず持っているのだろう。
だが平民であるアリスは、いまだ、どちらの条件も満たしていなかった。
近年、王国はある大きな悩みを抱えている。
それは魔法の使い手が足りないという問題だ。
魔法は様々な分野で活躍を見せており、建築や魔道具作成、食料の確保や保管、そして国防などが主要な配属先だ。
だが、拡大していく王国に、魔法の使い手の供給が追いついていない。
侯爵家のクリスタの耳にも届いており、貴族の魔法教育が急務だと、父親がよく言っているのを耳にした。
だが、人手不足という事情があっても、全ての貴族がアリスの入学には違和感を感じていた。
「確かに魔法の使い手は足りないって言うけどさ……」
「いくらなんでも、平民を入学させるなんて、ありえませんわよね」
「この伝統ある学園を何だと思っているのかしら」
なぜなら平民の少女は『貴族ではない』。
王国を支えるという責務を、負っていないのだ。そのうえ、どこの馬の骨とも分からない者が入ってくることに、不満が出ないはずがなかった。
そしてクリスタも、責務も負わないものに魔法を学ばせている現状を全く理解できない一人だった。
「嘆かわしいことね」
ため息を吐いたクリスタは、学園の未来を憂慮した。
現状では侯爵家のエリオットが、アリスの立場を守っているようだ。
しかし彼女は、学園の存在理由に反しているのだから、長くは持たないとクリスタは考えていた。
恐ろしい悪夢を見て、夜風に辺りに来たクリスタは、アリスと出会った。
何もない虚空に杖を向けて、必死に魔力を放とうとしている。
「『ライト』っ……はぁっ、うぅ。っ……」
自らの杖を持ったアリスが、昼の授業で使えなかった魔法を、繰り返し練習している。
杖の先端には微かに光が灯っていたが、すぐに霧散する。
本来、初級魔法であるライトは、一度発動しさえすれば、魔力を注ぎ続けなくても、少しの間は保たれるはずだ。
つまり、一瞬も保たれないあの魔法は、失敗だ。
「あの平民の子、帰ってきてからずっとあそこで練習しているんですよ」
「…………」
案内した兵士の言葉に、クリスタは言葉を詰まらせた。
魔法を連続で使うという行為は、相当に体力を消耗するはずだ。
むろん使う魔法や、本人の生まれ持った素質や才能にもよるが、少なくともアリスの魔力はすでに尽きかけていた。
苦しそうな吐息をこぼし、青ざめた顔から汗が滲んでいる。
乱発する魔法から、本来使う以上の魔力が、無駄に溢れているのだ。
「今のも違う……なら、こうして、もう一回……っ」
それなのに彼女は、決して杖を掲げるのを止めなかった。
授業では、微かな光さえ出せていなかったのに、今はどうだろう。
無駄も多く、正しく発動していない。しかし杖の先端に、一瞬だけでも、光が宿っていた。
彼女は、今まで魔法を使ったことはなかったはずだ。
それなのに、入学から数日で属性魔法を使うなんて、ありえない。
「…………あの子」
クリスタは今まで、平民の存在に不快感を感じていたはずだった。
だが、今感じているのは、全く別の感情だ。
学園の魔法の練習場は、平民であるがゆえに、使わせてもらえなかったのだろう。
クリスタも、そういった扱いを受ける下級貴族がいることは知っている。
だから夜遅くに一人で、非効率な練習を重ねているのだ。
「……見ていられませんわね」
クリスタが歩み寄っていくと、影から様子を見守っていた兵士が目を丸くした。
しかし侯爵令嬢である彼女を、止められるはずもない。
アリスの次の魔法も、失敗に終わった。
「はぁ、っ、はぁっ……」
全力疾走した後のように、尋常ではない汗を流して膝に手をつく。
それでも地面にうつ伏せることはない。
杖は手放さず、もう一度魔法を行使しようとした。そこで、近づいてくる存在に気付き、鈍くなった意識の中で顔を上げる。
「こんな夜中に、こんな場所で。一体何をしていますの」
「っ……! ニーベル、様」
昼の授業で言われた言葉が、トラウマになっていたアリスは顔を引きつらせた。
彼女を駆り立てた恐怖の対象が、目の目にいるのだ。無理もない。
アリスは怯えながらも、おそるおそる答える。
「そのっ、魔法の練習を、していました……」
「それは、なぜかしら」
「……授業の時。うまくできなかったから、です」
アリスは、不快にさせるかもしれないと思っていながらも、正直に言った。
目の前に立っているのは、国の二番目に偉い貴族様だ。目の前に立つことさえ、怖いという気持ちでいっぱいだった。
建物の影からは、ここに連れて来た兵士が、ハラハラと二人の様子を見守っている。
クリスタは、冷たい視線で見下ろしながら、さらに問いかける。
「あなた。貴族でないのに、なぜ、この学園に入学したの」
「えっ……」
「ここは貴族のための学園よ。あなたは一体、ここに何を学びにきたのかしら」
「…………」
アリスは制服のスカートを強く握りしめた。
そして、クリスタが息をつく前に、答えを出してきた。
「魔法が、使いたいんです」
そう言ったアリスに対して、鋭く、目を細める。
「それは平民に使うことが許されない秘術を、興味で使ってみたいということかしら」
「違いますっ!」
今まで怯えていたはずのアリスは、強い口調で反論する。
相手が侯爵令嬢であるということも忘れてしまったらしい。クリスタの方が思わずたじろぐほどの、強い意思が宿っていた。
「確かに、わたしは平民です。でも、自分に魔法の才能があるなら、学びたい。それを使って村を助けたいんです……!」
「村ですって……?」
「わたしの村は、魔獣に襲われて、たくさん人が死んでしまったんです。そのとき、お母さんも……っ」
そこまで言って、言葉尻がすぼんでいった。
貴族の人に、思わず本当のことを言ってしまった。
村だなんて言えば、馬鹿にされることなんて、アリスも分かっている。
でも、それが正直な気持ちだ。
止まらない、クリスタを真正面から見つめて、必死になって声を絞った。
「だからわたしは、魔法を勉強したいんです。もう、あんなこと起きてほしくないからっ……!」
「…………」
「魔法があれば、立ち向かえるから……貴族の使う魔法を、わたしは、知りたいっ。だからこの学園に来たんです!」
侯爵令嬢を相手に、ただの平民が強がって、全て言い切ってみせた。
上位貴族の機嫌を損ねれば、斬首だってあり得る。
影で見ていた兵士は、もうだめだと頭を抱えていた。
「せせこましい理由ね」
「えっ……」
クリスタは、それを聞いても、表情を全く崩さなかった。
突き放され、絶望の表情を浮かべて、後ずさる。
「あなたは、魔法を使えるということが、どういうことか分かっていない」
「どういう、こと……?」
「魔法を使える人間は、王国の力にならなければならない。貴族が扱う『魔法』は、王国の剣となり、盾となるために存在するのよ」
そう言って、クリスタはアリスの手から杖を奪い取った。
「っ……! そ、それはっ……!」
アリスは慌てて、杖を返してくださいと、叫びかけた。
しかし、それを言わせる前に、クリスタは真正面から彼女と向かい合う。
「あなたの世界は、あまりに狭すぎるわ」
夜の草原で、たった二人の世界の中に入り込んだみたいに、アリスには他の音が聞こえなくなった。
抵抗の言葉も、伸ばした手も、そこで止まった。
「魔法が使えるのでしょう。なら私は、その夢を認めるわけにはいきませんわ」
クリスタは手に取った、アリスの杖を見つめる。
細長い、汎用の樫の杖だ。恐らくは学園から貸し与えられたものだろう。
思っていたのと、雰囲気が違う。アリスが唖然としていると、急にクリスタに腕を握られた。
「えっ!?」
強引に杖を握り直させ、姿勢を正させる。
アリスは最初、何が起こっているのか理解できていなかった。
「にっニーベル様……!?」
「学園は、あなたのためには存在していない」
まるで、王城の舞踏会の踊りのようだった。
星空の下、草原の上で踊る大貴族と平民が、一枚の絵のように杖を掲げる。
様子を影から見守っている兵士が、自身の職務も忘れて魅入られるほどに、今の二人は月明かりに照らされて、可憐に映っていた。
「魔法を学びたいというのなら、その力を、王国のために使うことを意識しなさい」
「……!」
「魔力の通り道が歪んでいるわ。姿勢を正して、心臓から杖先を真っ直ぐに伸ばしなさい。そうすれば、強引に魔力を出さなくても済む」
「は、は、はいっ……!」
アリスは、クリスタに導かれていた。
言われた通りに、真っ直ぐに腕を伸ばす。
強引に引っ張られたアリスは、その体勢のまま、魔法を発動させる。
「『ライト』……!!」
尽き果てようとしていた体内から、魔力を絞り出した。
杖に向かって真っ直ぐに力が伸びて、術者の杖先に、光となって発現した。
魔法の輝きは、消えなかった。
アリスの杖に安定して宿り続けた。
今までどれだけやっても点らなかった光は、驚くほどに安定していた。
「すごい……」
やがて光が消えると、クリスタは手を離した。
アリスは信じられない気持ちでいた。動揺を隠せないまま、杖を握りしめた両手を胸にあてがい、クリスタを見つめる。
「どうして……わたしに、魔法を……?」
「アリス、と言ったかしら」
魔法を使い終えた後でも、クリスタの表情は全く動かなかった。
今も氷のような冷たい視線で、アリスを見下ろしている。
「平民である貴方が、なぜ魔法を使えるのかは知りませんわ。ですが、この学園に来た以上は、王国のために魔法を学ぶことね」
「国のために……?」
「ええ。あなたの目的は、学園で学ぶには相応しくない」
クリスタが髪をかきあげると、夜風に吹かれて、星のように光が舞い散った。
叱咤されたアリスでさえ見惚れてしまう、美しい姿だった。
「守るべき人を広げなさい。魔法は王国のために存在する。それができるなら、あなたは学園にいる価値があるわ」
「っ……! はいっ……!」
アリスは、ようやく理解した。
自分が誤解していた。
「明日も早いから、あなたも寝た方がいいわね。魔力の使いすぎで講義に出られなくならないよう、気をつけなさい」
「……っ! はいっ、ありがとうございますっ!」
最初に出会った時、目の前の人は、身分が雲の上の人で、平民である自分が嫌いなのだと思っていた。
しかし、そうではなかった。
とても優しい人だと知って、嬉しい気持ちが湧き上がってきた。
――しかしそれは、アリスの思い違いであった。
思い切り頭を下げるアリスを横目に、クリスタは踵をかえして、自室に戻っていく。
(なぜ、こんな平民なんかに、私が本気になってしまったのかしら)
クリスタは、助けておきながら、内心では困惑していた。
平民など、自分が相手をする価値はない。
侯爵家の人間の時間と、平民の時間は重みが違う。
だが、そんな自分が、率先して魔法の使い方まで教えてしまった。
「……先ほどの夢に、毒されてしまったのね」
クリスタは自室に戻る途中で、そう結論づけた。
どうやら、あの夢は随分と自分自身を動揺させてしまったらしい。
夢の自分は、婚約者に見捨てられて、破滅した。
その原因は、あのアリスという平民を殺そうとしたからだという。
そんな未来を否定してやりたくなった、それだけのことだ。
身分の異なる二人が、お互いに抱く印象は、全く変わっていた。
クリスタは、『本当は優しい人』に変わった。
アリスは、侯爵令嬢にその努力を認められた。
二人の運命の歯車が、小さな音を立てて変わり始める。
「……馬鹿馬鹿しいわね。早く寝て、明日に備えますわ」
たかが平民ごときに、余計な時間を使ってしまった。
時間の無駄だったと、鼻を鳴らして、颯爽と自分の部屋に戻っていく。
一方、アリスはというと。
先ほどと同じように、月に向けて杖を掲げている。
「あと、一回だけっ……『ライト』……っ!」
アリスはクリスタに言われた通りに、姿勢を正して魔法を行使する。
杖の先に、光が宿る。今度は誰かの助けがなくても、霧散して消えることはなかった。
ぱぁっ、と、満面の笑みが宿った。
それは下級魔法とはいえ、属性魔法を正しく習得した証でもある。
自らの起こした現象に手を握りしめて、ぴょんぴょんと飛び跳ねた。




