第40話 侯爵令嬢とパスカル宮中伯
「クリスタ様、そろそろ門が近いです……!」
前方のアリスから声が聞こえてきて、馬車に隠れた二人は視線を合わせた。
レティシアは杖を強く握り締めて、唾を飲んだ。
手筈は既に整っている。あとは、実行に移すだけだ。
「ででで、ではっクリスタさま、失礼しますっ……!」
「ええ。来なさい、レティシア」
クリスタが手を広げると、立ち上がったレティシアが、遠慮がちにのしかかってくる。クリスタも、配下を抱きしめるような格好をとった。
同世代でありながら、差のついた小さな体が、しっかりと胸の中におさまった。
「うぅ……」
レティシアも、この状況に緊張しながら、動揺を隠しきれない。
徐々に馬車は減速して、完全に停止する。とうとう学園の門までたどり着いたらしい。
少しの間待っていると、兵士が普段身につけている鎧が擦れる音が聞こえた。
そして、クリスタ達も聞き覚えのある、壮年の男の声が聞こえてくる。
「君たちが、今日になって、学園を出る者かね?」
「は、はいっ。事前に申請したのですが……僕がエノック・ビノシュです!」
「アリスです。よろしくお願いしますっ……!」
御者の席に乗った二人の畏った声が聞こえる。
そして胸の中のレティシアが、緊張で唾を飲んだのが伝わってきた。
「し、ししょー……」
レティシアが異常に緊張している理由――それは、正体に気づいたから。
そこで監査を行おうとしているのは恐らく、パスカル宮中伯だろう。この特徴のある声を聞き間違えるはずがない。
パスカル宮中伯は、レティシアの父親であるピィ辺境伯と同等の爵位を持つ貴族だ。普段は王宮に勤めており、立場や発言力も並の貴族とは比べものにならない。
特に彼は、王国の中でも熟練した、風系統上級魔法の使い手でもある。
今より幼い頃、短い時間の中で、レティシアに風系統魔法の基礎を教えた師匠でもあった。
「ふむ。君のことは知っていますよ、平民アリス。困ったものですな」
「えっ……?」
パスカル宮中伯の憂いているような口調に対し、アリスは間抜けな声で返した。
「例え平民であろうと、光系統魔法を扱える者を、みすみす学園を出ていかせるなどと……愚かしいことだ」
ひどく呆れたような声色であった。
しかしアリスも言われっぱなしではなかった。耐えきれずに、反論してしまう。
「あ、あの……今はわたし、杖を持っていないので……仕方ないと、思います」
もちろん、主と一緒に学園を出ていくためなどと、本当のことは言えない。
しかし、クリスタが愚かだと言われたような気がして、つい言い返してしまったのだ。しかしパスカル宮中伯は、気にも留めていない。
「無論、存じていますとも。杖が完成するまでには、どうしても時間がかかります……ですが、汎用の杖を与えてでも、あなたは”使われる”べきだ」
「…………」
「自分自身で、そうは思いませんでしたか?」
無言を貫くアリスを見て、パスカル宮中伯は再び、呆れるようなため息を吐いた。
彼は王国の屋台骨であり、この状況を本気で憂いているように見えた。
アリスには杖が渡されていないこの一連の騒動の中で、杖を渡す儀式などできるはずもなかった。
そして、儀式を行わない限り、アリスは貴族ではない。
貴族でない者に杖は与えられない――もしも破れば、多くの貴族の反感を買いかねない。
「下級貴族を抑えるためとはいえ、間違った選択をしなければならないとは……」
「…………」
「まあ、いいでしょう。今更言ってもどうにもなりませんからねえ」
影で聞いていたクリスタも、彼と同意見であった。
もしもアリスが"普通"であったなら、強引に押し通していただろう。そうしなかったのは、杖を持たずに魔法を使えることを知っているためだ。
息を殺しながら考え込んでいると、馬車の周囲に、人の気配が回り込んでくるのを感じた。クリスタ達の警戒心が一気に高まる。とうとう、兵士達が積荷の確認に来たのだろう。
「では規定通り、今から、積荷を改めます……申告では、食物や海鮮。その他食料品と……おやおや。商売でも始める気ですか」
「え、ええっと……実家に、手土産を持って帰らないといけなくて」
「ふむ。なるほど、君の家は店を営んでおられる……確かに学園に居れば、外部には流通しない品が手に入りますからねえ」
だが、パルカル宮中伯の声色は、少しづつ険しくなる。
「しかし、褒められた行為ではありませんねえ。貴族のために用意されたものを、学園から持ち出すというのは」
「ううっ……それは、その通りです……」
エノックも、苦しそうな声を溢した。
学園の生徒のためだけに仕入れられた製品は数多く存在する。大量の金貨が動いており、卒業した貴族の協力など、様々な人間が関わっている。それを持ち出すことに、罪悪感がないわけではない。
そして目の前に立っているのは、正真正銘、王宮に勤める大貴族だ。
……しかし、この策はクリスタが考え出したものだ。
その点を考慮していないはずがない。王宮直属のパスカルも、目を瞑る姿勢を見せた。
「……ですが、多くの者が学園を離れたこの状況下だ。腐らせるくらいなら、税として王都に放ったほうが合理的だというのも、分からなくはありません」
積荷は全て、放置しておけば、そのまま廃棄となってしまうものばかりだ。
もちろん文句を言う貴族もいるだろうが、その点、パルカル宮中伯は合理的で、話が分かる貴族だ。
「も、もちろん原価や、利益の半分は学園に支払うことになっています……」
「ほう、そうでしたか。ならば私から言うことはありませんな」
だから、思想の問題さえなければ、当然通る話だ。
アリスとエノックが、ホッと息をついたところで、兵士が叫ぶ。
「申し訳ありません、パスカル様。これらの積荷全てを、時間内に検閲するのは難しいかと……」
「ほう、そうですか。ふむ、確かに……」
これも狙い通りであった。
外から見れば、馬車には隙間なくギッシリと荷が積まれているように見える。いちいち降ろして確認することなど、できるはずもない。
僅かに考えたパスカルは、懐から緑色の杖を取り出した。
それを目にしたエノックが、息を呑む。
「手早く魔法で検閲を済ませてしまいましょう。構いませんね?」
「は……はいっ」
声だけで、エノックが明らかに緊張しているのが伝わってきた。
いよいよだ。
検問で風系統魔法の使い手がいることは、あらかじめ分かっていた。
中身を鮮明に見分けられるわけではないが、大まかな形状くらいは把握できる。クリスタ達が隠れていることは、すぐに見抜かれてしまうだろう。
そしてパスカル宮中伯は風系統魔法の使い手――探知の魔法も、当然扱える。
レティシアが、緊張しながら杖を構えた。
相手は王国の中で最も優れた使い手だ。回避のための魔法の精度を上げるために、できるだけクリスタの側に寄らせてもらった。できることはしたはずだ。
「あなたなら、できますわ」
「っ……!」
目を見開いたレティシアは、息を吸い直した。
落ち着いて杖を構え直す。
探知の魔法を逃れるためには――風を操って、”いないように”見せるしかない。
精密な魔法は、魔獣の一件があるまで、ずっと練習し続けてきた。今こそ、主の期待に答えるときだ。
「では、遠慮なくいかせていただきましょう。探知の風『アウラ・エクスキュア』」
「『アウラ・アエストゥス』……っ!」
微かな声で唱えたレティシアの魔法は、隠れた二人の周囲に風を形成した。
空気の流れを作り出すだけの、単純な風系統下級魔法。
小さな範囲に限って、自由自在に風を操ることができる。
パスカルの放った風が、馬車の中に入り込んでくる
その一部が、レティシアの作り出した風に乗って、二人を避けるように横滑りして流れていった。
探知の魔法は一瞬。すぐに、風は流れ去っていく。
(お願いします……っ!)
「…………」
失敗したかどうかは、終わってみなければ分からない。
杖を下ろして、うまくいくように必死に祈った。クリスタも、抱き抱えた配下に全てを任せて、目を瞑っていた。
「ほお……これは、随分とたくさんの荷物を載せているようですねえ」
「…………」
アリスとエノックが、レティシアが、息を飲んだ。
パスカル宮中伯は、面白そうに笑った。
「……くくく。そんなに荷物を載せたら、馬車が壊れてしまいますよ」
「っ……」
「まあ、いいでしょう。通っても構いませんよ」
「は、はいっ! ……では、失礼しますっ……!」
エノックのこわばった声が聞こえると同時に、門が開く音が聞こえた。そして、兵士達の気配が遠ざかっていく音が聞こえる。
クリスタにのしかかるように、へなへなと、体の力が抜けていった。
その背中を、かるくさすっていると、馬車が動き始めた。
門が開き、乗り心地の悪い馬車が揺れる。
そして学園の門が再び閉まる音が聞こえた――そんな時。車輪の音に紛れて、レティシアがつぶやいた。
「……ごめんなさい。ししょーに、ばれてしまったと思います」
「そう」
椅子に座り直したレティシアは、落ち込んで、ポニーテールまでうなだれていた。彼女には、師匠に気づかれてしまったことが、分かってしまったのだ。
「何も問題はありませんわ、レティシア」
「えっ、で、でもっ……!」
しかしクリスタは、失敗を告げられても、全く咎めなかった。
「……彼は恐らく、ポール様に遣わされたのでしょう」
「うえっ!? そ、そうなんですか!?」
「彼は王宮に勤めるべき人材ですわ。それが学園を警備していた時点で、察していました」
彼は、王族に直接尽くすことが許されている貴族だ。本来ならば学園ではなく、王宮の警護をすべき人材である。ならば、自然と結論は出るというものだ。
しかし、そう言われてもレティシアが納得できるはずもない。
「……また、失敗してしまいました」
「ええ、そうね。ですがあなたを叱ったのは、つい先日のこと。早々に成長することはできませんわ」
「でもっ……!」
「レティシア、あなたの今の役目は何かしら」
真っ直ぐに見つめると、反論しようとしたレティシアは、声を詰まらせた。
「私たちは、何のために学園を出ようとしているのか、答えなさい」
「……アンリちゃんを助けるため、国の危機を救うためです」
「そうね。そして、この結末は、その目的に反していませんわ」
本来の目的に反していない以上、怒る理由もない。
むろん失敗は失敗である。しかし今、それを問題とする必要性がない。
「レティシア。あなたもアリスも、そしてアンリも……私の為に成長を続けている。今がどんなに厳しくても、それを続ける限り――私もあなた達を信じます」
顔を上げたレティシアは、いつの間にか悪どく微笑んでいた主に魅入られた。
クリスタは配下の成長を願って、背中を押した。
「悔しい想いは胸に秘めておきなさい……必ず、敵を撃ち倒しますわよ」
涙ぐんだレティシアは、あわてて袖で涙を拭った。
そして、ぐっと杖を握り締めて笑顔を取り戻す。
「はい……っ。精一杯、頑張ります……!」
辺境伯家の人間の振る舞いとしては似合わない表情だ。
しかし、クリスタは、最初の配下であるレティシアのこの表情が、嫌いではなかった。愛着のようなものさえ抱いている。
彼女ならきっとやってくれるはずだと、クリスタも信じることができた。




