表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢クリスタは、破滅と没落の夢を見る  作者: 日比野 くろ
第三章 侯爵令嬢とアンリ・パトリックの奪還
39/108

第38話 侯爵令嬢と出発の夜

 アンリ・パトリックは狭くて薄暗い部屋に、たった一人で蹲っていた。

 窓がないこの部屋は、学園の寮よりもずっと暗い。唯一の明かりは蝋燭だ。僅かな紅色の光だけが、彼女を淡く照らし出している。


『なぜ、そんな所に隠れているのですか。早く堕ちてしまえばいいのに』

「……っ」


 邪悪な声は、聴こえ続けている。

 意味がないと分かっていながらも、耳を塞ぎ続けていた。

 アンリは、罪悪感と焦燥感に心を焼かれ続けて、おかしくなりそうだった。


 とんでもないことを、してしまった。

 身の丈に合わない魔法を使って学園から逃げてしまった。恐怖と後悔の感情に苛まれ続けている。

 今、この街で、自分のやってしまったことが騒ぎになっていることは知っていた。だから、誰の言葉も、今は聞きたくなかった。


 そんなとき、ゆっくりと部屋の扉が開く。

 部屋に入ってきたのは禿げた頭の男だった。

 筋肉によって腕も体も太く、硬そうな肌には、はっきりと怪我の跡が残っている。アンリの父親よりも少し若い程度の、見知らぬ男であった。

 すぐさま攻撃的な表情で杖を向ける。

 しかし男は、微動だにしない。茫然としたような、正気のない表情で入り口に立ち尽くしていた。


「出て行って……!」


 歯噛みしたアンリが命令すると、まるで操り人形のように振り返って、従順に出て行った。

 部屋の扉が閉まったあと、一人で取り残される。


『それでいい。僕が彼を操ったように、同じ魔法を覚えることができる。この力を受け入れさえすれば……』

「……うるさいっ……やめて、もう……」


 小さな声でかぶりを振って、抵抗するのが、精一杯だった。

 一刻も早く、主に会わなければならない。

 だが、この場所に引きこもって抑えていないと、破裂してしまいそうだった。


 アンリがこの場所を見つけたのは、たまたまだった。

 夜街を彷徨っていたところで、今の男と出会った。そして理由もわからないまま匿われて、この場所にとどまっていた。

 あまりに都合が良すぎる展開だった。しかし、今は誰にも会わない場所があることが、何よりもありがたかった。

 

「こんな力……私は、望んでない……っ」


 声の通りに黒い感情に身を任せれば、きっと楽になれる。

 だが、それはできない。

 あの日の出来事が、今もアンリを引き留めていた。

 

 

 アンリには、魔法の才能がなかった。

 入学してから、他の貴族に差をつけられ、苦しみ続けていた。


『どうして……わたしは、魔法が下手なのよ……っ!』


 どんなに魔法の練習をしても追いつけない。誰かに教わるコネなど持っておらず、教師はほとんどの時間、上位貴族の教導に追われている。

 魔法が使えない貴族など価値がない。

 馬鹿にされ続けて、悔しい思いをしながら、好きだった座学さえ捨て置いて、練習場に通い詰めていた。

 泣きながら、心が折れそうになった日々があった。

 

『私のもとに来なさい、アンリ・パトリック』

『え……?』


 夜空の下で、地面に手をついたアンリが、顔を上げる。

 そこに居たのは、遥か雲の上の身分。国の中枢である侯爵家の令嬢。周囲から恐怖されているクリスタ・ドゥ・ニーベルが、自分に手を差し伸べていた。

 最初は、夢かと思うような出来事だった。

 しかしクリスタは冗談でも、からかっているわけでもなかった。いつからか、アンリのことを見て、そして他の誰でもない自分が、欲されていた。


 期待に応えるために、努力を続けてきた。

 座学の才能を活かして、魔法も教えてもらった。

 そのおかげで底辺から抜け出し、なんとか卒業要件を満たせる、ギリギリの線まで至ることができた。


「助けて、誰か……」


 裏切れない。しかし、自分ではどうすることもできない。

 思考がどんなに鈍っても、こんな訳のわからない魔力に、身を委ねることはできない。両手で体を抱きかかえる。  

 自分から逃げたのに、誰も助けに来てくれるはずがないのに。

 それでも、この場所から抜け出せることを、どうしても願ってしまうのだった。





 夜を迎えたばかりの学園は、三日月に照らされている。

 自室で待っていたクリスタは、開いた窓から、空を見上げていた。雲がかかった夜空はどこまでも遠く、手を伸ばせば無数の星にも手が届きそうだ。


 普段なら着替えて、一人の時を過ごす時間だ。

 しかし今、手元には、執務のための資料も、学習用の教材もない。かわりに新品の、細長い木箱を握っていた――表面には『アンリ・パトリック』と名前が記されている。

 

 時を待っていたクリスタは、ノックの音を聞いた。

 箱は懐にしまって、入室を促した。


「……入りなさい」

「失礼いたします」

「失礼しますっ。クリスタさま、お待たせしました!」


 部屋を空けたのは、ニーベル家に仕えるメイドで、続けて中に入ってきたのは、同じく、外出用の格好をしたレティシアである。

 一応、ぺこりと頭を下げて、懐っこくクリスタの側に寄ってくる。それを受け止めて、頭を撫でた。


「では、私は行きますわ。後のことは任せましたわよ」

「私共に、全てお任せください」


 メイドは恭しく頭を下げる。

 これからクリスタ達は学園を抜け出す。その機が、ようやく熟したのだ。


 ニーベル家の息のかかった近しい人間には、すでに事情は話してある。

 身の回りの世話をしている彼女も、クリスタの身の回りの雑事の全てを任されている者だ。口も硬く、彼女達がいる限りは、不在の発覚を大きく遅らせることが可能だろう。

 そして次に気にするべきはレティシアだ。


「準備は全て整っているの?」

「もちろんですっ! いつでも行けますよっ!」


 何の迷いもない、素早い敬礼だった。

 普段以上に意気込んでいるのか、ポニーテールを、ぶんぶんと振っている。 

 今回の一件は、王族と信頼のできる上位貴族を除いて、秘密裏に行われることになっている。

 一刻も早くアンリを助けなければいけない。そしてマルセルに、学園を出たことを嗅ぎつけられてはいけない。

 そのために今回は、彼女の魔法が欠かせないのだ。


 悪魔という存在を知っている者は、現在がどれほど危険な状態かを、よく理解している。だからこそ、クリスタ達に隠密行動を言いつけていた。


 現在、王都はどこも警戒状態にある。

 報告が上がっていない以上、学園の壁を破壊したマルセルは王都のどこかにいるはずだ。何としても見つけ出そうと巡回が続いているが、しかし成果はあがっていない。

 全く動きがない相手を発見するために選ばれたのが、クリスタだ。

 系統魔法を通さない魔法に対して、クリスタと、配下のアリスは傷を与えている。さらに関わっていると思われるアンリ・パトリックの魔力を追うこともできる。

 よって、腹心のレティシアを加えた三人に対して、密命が与えられた。


 この警戒状態も長く続けることはできない。

 解ければ、アンリを見つけることは難しくなる。何としてでも見つけ出さなければならないだろう。

 巡回の者が来ないうちに、クリスタはレティシアに命令を下した。


「時間は有限ですわ。向こうの用意も済んでいるはず、こちらも行きますわよ」

「了解です! ではお手を失礼しますねっ」


 レティシアは、立ち上がったクリスタの右手を、両手でしっかりと握り締めた。

 それから、軽快に杖を振るう。


「いきますよっ! 空飛ぶ風『アウラ・ヌーブ』っ!」


 足元に向けて、杖から放たれた緑色の魔力は、二人を浮かび上がらせる。

 足元から腰にかけて、不思議な空気の圧力で覆われるような感覚だ。


「……おとととっ!?」

「っ……!」


 しかし、最初の不安定さに、レティシアとクリスタ若干よろめいた。

 立ち直ったクリスタが、じっと見つめて叱りつける。

 

「レティシア」

「ごごご、ごめんなさいっ……よし。もう大丈夫です!」

「…………」


 ……少し怪しんで様子を見ていたが、今度は、本当に大丈夫そうだ。二人で移動するコツを掴んだのか、風の足場はすぐに安定した。

 風系統魔法の精密な制御を練習させたことが、今になって功を奏したようだ。


「ではメイドのおねーさん、行ってきます!」

「……どうか、お気をつけて」

「ええ、あとは任せたわよ」

 

 部屋の大窓は二人が通るには十分な大きさだ。

 月明かりの外に出て行った二人に、メイドは頭を下げ続けていた。

 

「ここからは、静かに行きますわよ」

「はいっ……!」


 壁のすぐそばを伝って、ゆっくりと地面に降下していく。

 こうして侯爵令嬢と辺境伯令嬢の二人は、学園からの脱出を敢行したのだ。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 章タイトルが付いた事 [一言] アンリ側は潜伏中で悪意の囁きに今も苛まれてるなんて……やっぱりマルセルが許せない。 で、一方クリスタ様の持ってるのは、元々アンリが立ち直って部屋から出た時に…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ