第12話 侯爵令嬢クリスタは、平民アリスを救い出す
初めまして、筆者の日比野 くろです。
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引き続き「悪役令嬢クリスタは、破滅と没落の夢を見る」をよろしくお願いします。
学園に入学してからアリスに与えられたのは、侯爵令嬢の住まうような立派な建物ではなく、離れた物置のような部屋だった。
使用人が使うような、最低限の家具の備え付けられた部屋から出たアリス。
彼女は不安を抱いたまま、クリスタのもとに向かっていた。
人の気配はないのに、自然と、周囲を見回して警戒してしまう。
それは、命を奪う魔法をかけられたという、恐怖からくるものであった。
(どうして、平民の私を助けてくれるんだろう……)
ずっと、そればかり考えていた。
優しい人だということは分かっていた。
しかし、やはり自分なんかに目をかけてくれている理由が、分からない。
「えっ……!?」
アリスが、魔法の練習をしていた草地までたどり着く。
すると、侯爵令嬢のクリスタが腕を組んで彼女を待っていた。
遅れたことに、慌てて頭を下げて謝罪する。
「ごっ、ごめんなさいっ……! わたし、遅れてしまってっ……!」
「構わないわ。一人で夜風に当たりたくて、早く来ただけです」
全く気にしていない様子で、前髪を押さえて空を見上げていた。
同じ女性のアリスから見ても、クリスタは美しかった。
まるで氷のような透き通る髪に、女性らしい細い体。華美すぎない、風に靡くドレスが、彼女の魅力の全てを引き出している。
それに比べ、自分はどうだろう。
焼けてしまったことで、代わりに新品の制服が与えられたものの、それ以外の格好は何もかもみすぼらしかった。
やがてクリスタは、浮かない表情のアリスのほうに視線を戻した。
「……どうして、わたしを、助けてくれるんですか?」
気分を悪くさせてしまうかもしれないと分かっていたが、それでも聞かずにはいられない。
アリス一人では、その答えを出せそうになかった。
「あなたが、未来のある人間だからよ」
クリスタは涼しい顔で、当然のようにそう答えた。
もはや数日前のように、平民だからと侮る様子は全く残っていない。アリスはその答えを聞いて、余計に納得がいかない気持ちになった。
「わたしは、何もできませんでした」
「そうね、あなたは魔法を解除できなかった。それは事実ね」
「ならっ、どうして……!?」
「才能と、努力。私が、あなたの未来を買うと言っているのよ」
真っ直ぐに侯爵令嬢の視線をぶつけられたアリスは、たじろいだ。
「今日、あなたに掛けられた魔法は、高度な呪いだった。魔法を学び始めたあなたに、解除できるはずがないのよ」
「…………」
「それでも悔しいでしょう。あなたは弱く、身分も実力も持っていない。私がいなければ死んでいた」
悪役のような微笑みを、アリスに浮かべてみせる。
「学びなさい。今の貴方は弱いけれども、彼らより遥かに強くなる。その力を、私のために使うのよ」
侯爵令嬢クリスタは、ただの平民アリスの才能を、強く求めた。
もしも断れば、きっと相当な怒りを買う。
ゆえに大抵の貴族であれば、即座に頷くだろう。
実際、侯爵家の庇護に入れるうえに、実力者の集団に加わることができる。断る理由は、何一つなかった。
だが、アリスは首を縦に振らなかった。
「ニーベル様は、わたしに、何を求めているんですか……?」
胸の前で手を組んで、怖がるようにしながら、それでも問いかけた。
最初に助けられた日から、アリスは、侯爵令嬢クリスタにまつわる話や噂を、できるかぎり集めるようにしていた。
その中に、クリスタは貴族主義であり、平民を見下しているという噂もあった。
それを聞いたときは、ひどく落ち込んだものだった。
実力主義で、貴族主義。
どちらも自分には持ち得ないものだった。片方は、永久に手に入らないだろう。
そんな人が自分に何をさせようとしているのか。
不安に思うのは無理もないことだった。
その噂は所詮、他人が勝手に吹聴したものでしかない。
しかし火のないところに、煙は立たないという。確かにクリスタは貴族主義で、実力主義であった。
だが、それは既に過去の話だ。
「私は、憂いていますの。いまの学園を、そして王国の貴族の振る舞いを」
アリスにとって、それはあまりに遠い世界の話だった。
クリスタは、目の前の平民の少女が、自身の思想を理解できないであろうことは分かっていた。
ただの平民が貴族社会の話をされても、分かるはずがない。
しかし、その思想の一欠片でも、彼女が理解することを期待した。
「彼らは、ほとんどが愚か者になってしまったわ。魔法の力を、くだらない自尊心を満足させるためだけに振るっている」
魔法は、貴族のみに与えられた、超常の現象を引き起こせる術だ。
ただの平民では叶わない、さまざまな願いを叶えることができる。
この力があれば、創造も破壊も思いのままだ。
しかし、そんな神から与えられた力を磨こうともせず、努力を怠って、現状で満足する。そのせいで王国の国力は落ち、さまざまな問題が起きている。
聞き入って、自分で考えている。
アリスに対して、クリスタは尚更、悪どい笑みを浮かべた。
「あなたは使えるわ、アリス。平民であるにも関わらず、才能がある」
「…………」
「私の手駒として働きなさい。もしあなたの才能が、学園の頂点の一角となるまで育てば……きっと彼らの目も覚めるでしょう」
クリスタの目的は、それ以上でも、それ以下でもなかった。
目の前の少女に利用価値を見出し、新しい未来を紡ごうとしている。
アリスには才能があるが、平民であるが故に、それを育てる場所も、活かす場所もない。
だが侯爵家であるクリスタは、そのための、あらゆる術を持っている。
足りないのは人材だけだ。
誰もが価値を持たないと考えている今、目の前の少女を自陣に引き入れることには意味がある。
クリスタは、アリスの才能を全く疑っていなかった。
「ニーベル、様……いえ、クリスタ様」
アリスは、初めて、クリスタの名前を呼んだ。
もしこれが下級貴族であれば不快に感じていただろうが、クリスタはその程度では動じない。
「あら、何かしら」
「私を、高く買っていただいたこと、とても嬉しいです。でも……」
「…………」
まさか侯爵令嬢である自らの誘いを断るつもりかと、表情を歪めた。
しかし、そうではなかった。
アリスは何も持たない手を、ゆっくりと掲げた。
「どうして、平民のわたしが魔法を使えるのか……説明させてください」
指先を真っ直ぐに空に向かって伸ばす。
一体何をするつもりなのかと、クリスタは訝しんだ。
アリスはたった一言だけ、つぶやいた。
「『ライト』」
クリスタは最初、見間違いだと思った。
魔力が指先に集まっており、光源が周囲一帯を、確かに照らしていた。
「どういう、ことですの……」
クリスタにとって、貴族にとって、それはあり得ないことだった。
魔法を使うためには、適性に合った杖を介して、体内の魔力を正しい形で放出しなければならない。
杖なしで魔法を使える人間など、存在しないはずだ。
それなのに、アリスは杖を握っていない。
魔法の発動を止め、光を消して手を下ろしたあと、正直に今の現象を告白した。
「わたし、魔獣みたいに、杖がなくても魔法が使えるんです」
「ッ……!」
クリスタの嫌悪の表情を察して、アリスは悲しそうに表情を伏せた。
杖もなく魔法を使うなど、人間が使える技ではない。
その異能は貴族にとって、ある存在を想起させる。
王国で唯一、貴族の命を脅かす存在――『魔獣』と同じ能力だ。
「この力があったおかげで、わたしは魔法の才能があったんだと思います」
杖と魔力がなければ、魔法を扱うことはできない。
平民で魔力を持っていたとしても、王国では魔法を扱う杖は貴族のみに与えられるため、その才能に気付くことができないと言われている。
没落した貴族も、杖を取り上げられるため、魔法を使うことはできない。
魔法の才能は、ほとんど血で決まるといっていい。
貴族と関わりのなかったアリスが、類稀な才能に気づくことができたのは、その力のおかげだ。
そして、それが異端の能力だということも、アリス自身がよく知っている。
だが、才能を活かすため、配下に入れとまで言ってくれた大恩人に、こんな大事な隠し事はできない。
アリスは、学園に在籍できなくなることを、すでに確信していた。
この秘密を明かしてしまった以上、学園にはいられない。しかしそれでもいいと考えていた。
「そのような汚らわしい力。この崇高な学園で使うことは、私が許しませんわ」
「…………」
クリスタは、アリスの言葉を冷たく切り捨てる。
その態度が全てを物語っていた。
魔獣は民の、貴族達の数多くの命を奪ってきた、忌むべき存在だ。
それと同等の存在を、侯爵令嬢であるクリスタは認められない。認められるわけがない。
アリスは申し訳ない気持ちで一杯になる。
当然の反応だ。だがそれでも、感謝の気持ちは持ち続けていた。
学園を去ることになろうと、それは仕方のないことだと、諦めていた。
「私が、貴族として、正しい魔法を教えますわ」
「え……?」
信じられない言葉を、アリスは聞いた。
「で、でも、クリスタ様。私は、魔獣の力を持っているんですよ……?」
「魔獣の力を生まれ持ったことなど、全て忘れなさい。あなたには、貴族の魔法を使う才能があるのですから」
内心で葛藤しながらも出した、クリスタの結論がそれだった。
婚約者が認めて、自らも認めた少女だ。
その程度で終わらせはしない。
「言う通りにすれば、あなたの望みを叶えてあげましょう。ですから――」
だから、夜風に水色の髪を靡かせるクリスタは、笑顔を浮かべて、平民アリスに救いの手を差し伸べる。
「――私のもとに来て、運命を変えなさい。アリス」
その言葉は、心の奥底にまで届いた。
アリスは泣き出しそうになって、口元を抑えた。
なぜならこの力は、アリス自身にとっても、嫌悪の対象なのだから。
夢の始まりは、アリスの住む平穏な村で起きた、凄惨な事件だった。
その日。
王国から離れた田舎の村は、悲鳴と血に濡れて、炎に包まれた。
村人が揃って逃げる。その業火を背景に、巨大な熊型の獣が咆哮を上げて炎を吹き散らしていた。
紅色の体毛が燃えているにも関わらず、魔獣は、全く苦しんでいなかった。
魔獣は、自然界の魔力を使って魔法を扱うからこそ、恐れられる。
人知を超える力に、村人はなす術もなかった。
『早くッ! 逃げなさい、アリス――』
人の三倍以上巨大な体躯を持つ魔獣が、母親に向かって爪を振り下ろした。
自分を逃そうと、声を張り上げた瞬間に、血飛沫が飛び散った。
その瞬間を、アリスは一生忘れないだろう。
魔獣が母親にのしかかっている。
そして、恐ろしい紅色の瞳が、動けずにいたアリスを捉えた。
『ひっ……!?』
アリスはすぐさま、振り返って逃げた。
だが、背後は壁だ。一瞬の決断の遅さが、幼子の逃げ場を失わせる。
『や、やだっ……来ないで、や、だっ……!』
絶望に顔を引きつらせた。尻餅をついたまま、背中で壁の存在を感じとり、それでも逃れようとする。
炎を纏う魔獣にとっても人間は嫌悪の対象。そして、食物だ。
口元が嗜虐的に歪む。そしてアリスにも、巨大な魔獣の爪が、振るわれた。
そこから先のことを、アリスは、全く覚えていなかった。
『え、っ……』
覚えている記憶では、次の瞬間に全てが終わっていた。
アリスは知り合いの家の中で寝かされていた。
起きあがって窓の外を見ると、ボロボロになった魔獣の死骸が、運ばれようとしているところだった。
アリスが起き上がったことに気づいた、隣人のおばあちゃんが駆け寄ってくる。
年老いた香りがアリスを包んだ。
茫然とするアリスを、全身を使って抱きしめたのだ。
『おばあ、ちゃん……おかあさんは、どこ……?』
『っ……アリスちゃん。大丈夫、大丈夫だから……』
おばあちゃんは、答えずに、アリスを抱きしめ続けた。
そしてアリスは、自分の中に芽生えた力に、気付いてしまった。
まだ幼かったアリスの手のひらに、魔獣の全身を包んでいた炎と同じ、小さな炎が浮かんでいる。
アリスの中に、魔獣と同じ力が目覚めていた。
抱きしめているおばあちゃんは、それに気づかない。
『やだ……』
その力をもって、あの凶悪な魔獣を殺したのだと、本能で理解した。
貴族と魔獣だけが、人知を超越した『魔法』という術を扱うことができる。
貴族は杖を介して魔法を使い、魔獣は自然から魔力を取り込んで魔法を扱う。
そんな常識を、村一番賢いアリスは知っていた。
血の気が引いて、全身から力が抜けていった。
あの時の感覚は今でも忘れない。
まるで自分まで、母親を殺した怪物になってしまったような、そんな気さえしたのだ。
課せられた運命を変えたいアリスは、自らを求める侯爵令嬢に、聞かずにはいられない。
「本当に、わたしに、魔法を教えてくれるのですか……?」
学園で目指しているのは、貴族の使う『杖の魔法』で、救えなかった人を助けられるようになることだ。
だから、アリスは涙ぐんでいる。
すでに心を決めているクリスタの答えは、変わらないし、揺らがない。
「ええ。その力を二度と使わないというのなら、いいですわ。私が見込んだのは、あなたの、人間としての魔法の才能なのですから」
知られれば、誰からも受け入れてもらえないと思っていた。
でも目の前の女性は、葛藤しながらも、受け入れてくれた。
自分の夢を笑わずに聞いてくれた。
魔法を教えてくれて、学園にもいることができる。
もはやアリスには、クリスタの誘いを拒む理由は、何一つなかった。
「わたし、魔法が、覚えたいです」
「……ええ」
「みんなを助けられるような、力が欲しいです……!」
アリスの潤んだ緋色の瞳に、もはや、迷いは残っていない。
悪どい笑みを取り戻した侯爵令嬢クリスタ・ドゥ・ニーベルは、ただの平民アリスの手を取った。
「ならば、その力を忘れ、私のために才能を育てなさい。アリス」
「はい、クリスタ様……!」
アリスは恭しく跪いて、侯爵令嬢に忠誠を誓う。
代わりに、クリスタは彼女の秘密の全てを飲み込み、笑ってみせた。
丸い月夜の草原の下、冷たい夜風が吹き荒れる。
あまりに離れた身分の二人は、『運命』を打ち破るための約束を交わした。
その決断が、王国の未来を、大きく変えていくのであった。




